双頭の蛇 13

mudan tensai genkin desu -yuki

『だけどもうすぐ危機が訪れるでしょう。身内の裏切り、遠くからの意思……』
あの時、占い師の少女はそう言った。それはある意味当たっていたのだろう。
遠くからの意思が錯綜してこの場は戦場になった。本格的な戦争よりは遥かに小規模な、だが確かに戦場に。
―――― ならば、裏切ったのは誰だ。
城にいるという王族か、ミラードか、デファスか、それともティナーシャか。
ラジュは剣を構えながら油断なく目の前の男を見やる。
人よりも獣に近い目をした男は、少年に向って薄く笑うと何の言葉もなく地を蹴ったのだった。

初めにこの計画に介入した時、エズルは「ミラードには計画を伏せておく」と主張した。
それを聞いてティナーシャは不確実だと反対したのだが、エズルのミラードに対する信頼は篤く彼は意見を翻さない。
そこまで言うのなら、やることは砦に侵入したバルシア兵の制圧だけだ。
競争相手であるリアス勢からミラードへの監視も厳しいことだし、彼については放っておいてもいいだろう。
ティナーシャはそう譲歩すると、自分に振り分けられた役目を果たすに務めた。
だが、結局それは今、彼女への攻撃という形で裏目に出てしまっている。こうなると、あの時譲歩してしまったことは失敗に思えた。
それとも…………それでもやはりミラードは、この機に乗じて彼女を排除しようとしたのだろうか。

ティナーシャは殺意のこもった一撃を自らの長剣で外に流す。
だが、かなりの勢いを持って振り下ろされた剣は完全に逸らしきることは出来ず、右手に軽い痺れが走った。
彼女は忌々しさに顔を顰めて腕力を魔力で強化する。
「貴方に武勲を立てさせるよう、エズルに言われているんですがね」
「何の譫言だ。妖女の類が」
もう何合目になるか、数えてもいない斬撃が彼女を襲った。ティナーシャの持つ細身の長剣がたわんでそれを受け流す。
ミラードの揮ってくる力は強く、そして激しかった。
これでは彼女自身が剣を受けられても、持っている剣の方が耐え切れなくなるかもしれない。
この予定外な戦いは長くは続かないであろう。
そのことを、二人のどちらもが分かっていた。ティナーシャは次の一撃を体ごとかわすと男を見上げる。
「私怨によって私を殺そうとするのなら、殺されても文句は言えませんね」
「俺をお前が殺し得ると? 屍を曝すのはお前の方だ」
男の目にはもはや殺意以外のものは見られない。それは、エズルの名を出しても動揺を見せないところから明らかだった。
ミラードは既に決めている。彼女を殺すことを。その為に指揮官であるという立場をも放り出して彼女に斬りかかってきているのだ。
ティナーシャは僅かな迷いによって攻撃をしないまま、また男の剣を受ける。
―――― これ程捩れてしまうまでに情が深いのなら、やはりあの手紙を開けさせればよかった。
だがそんな小さな悔恨はただの言い訳に過ぎないのだろう。ティナーシャは重い長剣に空を切らせて跳び退く。
「私情に狂うなとは言いません。私も似たようなものですから。
 ですがもうあまり時間がない。……覚悟はありますね?」
自分の剣をかわし続ける女が只者ではないと、ミラードも分かっているのだろう。冷たい刃の如き彼女の言葉に男は烈気を漂わせた。
彼は目の前の女に向かって息を深く吸いながら剣を構える。
「愚問だ、女」
「ならばよろしい」
ティナーシャは刃を男に向けた。
彼女の剣の腕は武官と比べても遜色ない程のものである。だが、上には上がいることもまた確かだ。たとえば目の前の男のように。
しかしそうだとしてもティナーシャは負けない。それは驕慢ではなく事実である。彼女は空いている左手に魔力を注いだ。
彼ら二人は私情によって剣を取る。
まるで救い難い愚かさ。歪に侵蝕する人の感傷。
だが許しは請わない。そんな資格もない。
彼女は穏やかに微笑む。魔力を帯びた左手をかざした。
揺るぐことはない勝敗。ただの通過点。しかしそれは、僅かに生まれた隙によって変じる。
「ラジュ?」
視界の隅に入る人影。双剣の男に押されている少年の姿に、ティナーシャは一瞬気を取られた。そこに空隙が生ずる。
ミラードはそれを見逃さなかった。恐るべき速さによって剣を振り下ろす。漆黒の目が大きく見開いた。
「ティナさん!」
男の声。
すぐ傍で聞こえる。
白く光る刃の――――

『だから部屋から出るなって言ったのに』



脇腹を掠める短剣を、ラジュはぎりぎりのところで体を捩ってかわした。
時間差で襲ってくるデファスの長剣を自らの剣で受ける。
それはティナーシャと大差ない速度でありながら、彼女の剣より遥かに重い一撃だった。ラジュは押されかけて踏みとどまる。
体勢は崩せない。その意味するところは死と同義だ。だが、攻撃する間も与えてくれない攻撃に、少年は力の差もあって徐々に押され始めていた。
稽古の時とは異なる動きでラジュに向って剣を振るいながら、男は酷薄な笑顔を浮かべる。
「お前を今死なせるのは惜しい。気が変わったと言えよ」
「残念ながら」
短剣が弧を描いてラジュの右手にかかる。
それが、剣ではなく手首を狙っていると悟って少年は後ろへ跳んだ。デファスは無音の足捌きで距離を詰める。
「普通初めて実戦に出るやつはもっと固くなるもんだ。だがお前は敵を殺した時だって動揺していない」
ラジュは長剣の斬撃を剣の腹で受けた。
だが、デファスはそのまま自分の剣を軽く捻ってくる。巻き込まれたラジュの剣先は外側へと逸らされた。
空いた胸目掛けて矢のような速度で短剣が突き込まれる。それを少年は咄嗟に足で蹴り上げた。
「お前の才能は天性のものだ。殺すのは惜しい。こっちにつけよ」
答えている余裕はなかった。体勢を崩しかけたラジュは左手を地面につく。
頭上から交差して襲ってくる二本の刃を、かろうじて長剣で受け止めると少年は息を吐いた。
「それより隊長がこっちにつきませんか。猫に紹介しますよ」
「お前も言うね」
剣を押し返すと同時にラジュは地を蹴って立ち上がる。緊張と高揚が絡み合って背筋を駆け上った。
ティナーシャよりも遥かに強い剣。だが、その代わりデファスには魔法がない。
ならば勝てる余地はあるはずだ。ラジュは自分にそう言い聞かせる。
今、勝てないのなら、ここまで来た意味はないだろう。彼女を殺そうとする者をこの手で下せないのなら。
続けざまに追って来る剣をラジュは長剣で弾く。猛禽のような男と目が合うと、彼は楽しげに嗤った。
「ラジュ、残念だよ」
男の、短剣を握る左手が動く。
長剣を剣で弾いたばかりの少年は反応が僅かに遅れた。
それでも彼は半ば本能によって横に跳ぶ。右腕の皮膚を投擲された短剣が掠めていった。
浅い傷。滲む血。しかしラジュが安堵しかけた瞬間、そこからはまるで未知の痺れが走り出す。剣を握る指が意志によらず緩んだ。
間を許さずデファスの剣が上から打ち込まれる。今まででもっとも強烈な斬撃。
剣は、少年の手から呆気なく武器を叩き落した。男は素早くその剣を遠くに蹴ると、数分前までの部下を見下ろす。
「手落ちだな。俺の本業を見破ったのに毒を警戒していないとは」
「毒、ですか」
「即効性の麻痺薬だ。以後に生かせなくて残念だろうが……最後だ、小僧」
デファスは剣を振り上げた。鋼が鈍く光を反射する。
武器を持たない手。すぐそこにある終わり。
ここで死んだら彼女は泣くだろうか。
彼の名を呼んで躯に縋るのだろうか。

―――― 考えるまでもない。

ラジュは右手を上げる。手の平が異様に熱い。そこには何かがある。
まとわりつく痺れを振り切る。手の中の何かを掴んだ。振りかかってくる剣目掛けてそれを振るう。
鏡のように輝く両刃。それは、あらゆる法則を拒絶する。外も、内も、何もかも。
声はない。音もない。ただ手の中に現れた剣だけが軌跡を描く。
金属の触れ合う感触。
男の剣は、まるで硝子のように砕け散った。驚愕の目にラジュは応えない。
そして彼は、魂に染み付いた動きで己の剣を掲げると―――― それを瞠目する敵に向って振り下ろしたのだった。



地に伏して動かない体。
その体の下から徐々に広がっていく血の染みをラジュは無感動に見下ろしていた。右手に握った長剣に視線を移す。
何処から現れたのか、初めて見る剣はだが不思議なほど手に馴染んでいた。彼は虚脱しかける精神を奮って背後を振り返る。
ついさっきまで彼女がミラードと対峙していた場所には今、ティナーシャだけが一人立っていた。
彼女は右手に剣ではなく男の襟首を掴んでいる。男は服装からしてモーラウだろうか。
目の前に倒れているのはおそらくミラードだろう。彼女は、珍しく陰鬱な、翳のある表情で動かないミラードを見つめていた。
「ティナーシャ」
名を呼ぶと、彼女は顔を上げる。視線を動かして彼を見つめた。花のようにティナーシャは微笑む。
代わりのない笑顔。けれど花の香は今はしない。血臭が鼻腔から入り込んで頭の内を侵した。
「ティナーシャ」
もう一度名を呼ぶと彼女はモーラウを掴んでいた手を放した。代わりに、ラジュに向って軽く手を振る。
漂白されたかのように、ただただ綺麗な笑顔。それは夢の中のように非現実的に見えた。
ティナーシャはだが、いつものようには彼のもとに駆け寄ってこない。むしろ誰かに呼ばれたかのか顔だけで背後を振り返った。
そして、もう一度彼を見る。
闇色の瞳は、何故か少し寂しそうだった。
彼女は目を閉じて口元だけで微笑すると、軽く両腕を広げる。そのまま何の前触れもなしにその場から消え去った。
「ティナーシャ?」

『国を出ない』と、そう何度となく言った時に彼女は何を考えたのだろう。
彼だけを大事にする彼女は、本当は彼を連れ出したかったに違いない。戦乱が起きるかもしれない国の砦などからは。
けれど彼はそれを拒否した。そしてその決定を彼女は変えられなかったのだ。
彼に無理強いすることも出来ない彼女が出した結論は―――― 時間を稼ぐこと。
彼がこの国の民である数年から数十年の間、彼女はこの国を「長持ち」させることを選んだのだ。


敵国兵の死体が積み重なる中を、救護の魔法士たちが走っていく。
遠くから誰かが誰かを呼ぶ声が風に乗って聞こえた。
ラジュは辺りを見回す。そこに、彼の探している人間はいない。何処にも姿は見えない。彼は一人城砦を見上げる。



不可解さを残すバルシアの襲撃事件。
だが、これを切っ掛けに軍人であるエズルの発言力は増し、数ヵ月後、彼は競争相手であったリアスを退け実質的な国の支配者として玉座についた。 軍務のみに才があると思われていた彼の内政手腕は見事なものであり、また外交も他国それぞれに即して巧みに立ち回ることで、 メンサンは以後三十年にわたり更なる戦乱を回避することとなる。
エズルの傍について統治の手法を助言し、周到な情報操作によって政敵を排除していた女の名を知る者は宮廷内でもほとんどいない。
ただ彼女は「影の寵姫」として密かに恐れられていただけだ。

ティナーシャは砦から姿を消した。
彼女の魔法によって攻撃を受けたミラードは、怪我は治ったもののここ一年程の記憶を失ってしまったらしい。
すぐに彼は城都に送還され、軍を離れて静養することになった。
また、遅れてモーラウも砦からいなくなった。家を継がなければならない彼は、城都に戻って城で文官として働くことになったという。
果たしてあの彼が城でちゃんと働けているのか、城砦内にそれを知る者はいない。
四人部屋だったラジュの部屋は、デファスを失って三人部屋になった。
デファスを殺したことでラジュは審問を受けたが、上からの圧力がかかったのかすぐに不問とされたのだ。
彼が夜眠る枕元に小さな黒猫はいない。彼女の気配も感じない。
ティナーシャは、ついには二度と砦に戻ってこなかった。