鳥籠の女 01 - 歌わぬ鳥

mudan tensai genkin desu -yuki

これは、幾度目かの出会いのお話。
鳥籠の中から歌われる歌。






噂には聞いていた。
一年前突如皇帝の前に現れた少女がいると。
その少女は皇帝と重臣たちの目前で不可思議な力を示し、その力と引き換えにあることを要求したという。
彼女が何を要求したのか、そこまでの話をアルファスは知らない。
ただ皇帝がそれに応えなかったことと、彼女を幽閉したことだけを耳に挟んだだけだ。
宮殿において、彼女のことは虚実含めてまことしやかに囁かれている。
今は老いた皇帝があと二十歳若ければ傾国となったであろう少女。
彼女は「鳥籠」と呼ばれる部屋に閉じ込められ、今日も一人無為の時間を過ごしている。






「来たか。クロイツァー少佐」
鷹揚に言って振り返った中年の男は、階級上はアルファスの上に位置する人間だった。
だが戦場に出て指揮をするアルファスとは違い、男は広大な宮殿内の警護を任務としている。普段は言葉を交わすことさえない相手に何故直接呼出しを受けたのか、彼は内心訝しく思いつつも敬礼で返した。
薄暗く広い部屋には宮殿内に置かれた数百もの監視カメラの映像が映し出されており、小さなモニタが壁の三面に広がる様は何処か昆虫の複眼を思わせる。
その中央に置かれた椅子に座る男は、アルファスを手招きしながら立ち上がると、奥に見える扉へと案内した。
個人コードを読み取って開かれた扉の先には、やはり十数個のモニタが置かれている。
誰もいない小部屋はそれらモニタだけを光源としており、淀んだ空気はアルファスに若干の息苦しさを感じさせた。
男は「見たまえ」と言って一つのモニタを指し示す。

そこに映っていたのは一人の少女だった。
長い黒髪は濡れて深い艶を放ち、細い四肢はおそろしく白い。
風呂から上がったばかりらしい彼女は、惜しげもなくしなやかな肢体を曝しながらカメラの前を横切ると、広い寝台に座り込んだ。そこにあった白布で体の水気を拭き取っていく。
女と言うには未成熟な部分を残した、だが完成しきっていないゆえに不安定な美しさを持つ少女の体は、まるで意図して作り上げられた芸術品のようであった。
アルファスは眉を寄せ、少女の何もない首筋を見つめる。
「これは……」
「噂には聞いているだろう。『鳥籠』の娘だよ」
「本当に存在していたのですか」
話には聞いていたが、半ば作り話であろうと思っていたのだ。
だがその少女は実在して、今彼の見つめる先に座している。
アルファスは突如沸き起こってきた嫌悪感に顔を歪めたくなった。しかし男の手前、何とか平静さを保つ。
皇族の退廃などありふれた話で、一つ一つ挙げていけばきりがない。
そうはいっても、実際大人になりきらない少女が罪もないのに幽閉されているという事実を知って、よい気分になれるはずがなかった。
アルファスはそれだけとも言えない気分の悪さに、気付かれないよう息を吐き出す。
モニタの中の少女に見入っていた上官は、顔を上げると陰惨な笑みを浮かべた。
「君にはこれから、彼女のところに行ってもらう」
正式な手順を踏んでいない命令は、だが状況から言って逃れられるものではなかった。
瞬時にそれを悟った彼は、全ての感情を殺して上官に応える。
「何をすればよろしいので」
「陛下は彼女を『崩してみたい』と仰っている」



噂の一つにおいて、彼女のことはこう語られている。
「皇帝の寵愛を拒否した少女」と。
だから彼女は鳥籠に閉じ込められた。
そうして触れられぬまま、しかし彼女は確かに愛でられ続けているのだ。



アルファスは唾棄したい衝動を堪えると、黙ってその命を受諾した。これから自分が相対するであろう少女を画面越しに一瞥する。
その時、モニタの中の少女は初めて顔を上げ―――― 誰もが目を瞠るほどの美貌に冷ややかな微笑を浮かべて、彼の視線に応えた。






「鳥籠」は宮殿の奥深くにひっそりと存在している。
そこに行くまでの廊下にはいくつもの認証扉があり、最終的には何もない小部屋を経て籠の内へと至ることになっていた。
アルファスは、これ見よがしに監視カメラが等間隔で置かれている廊下を歩きながら、皮肉げに口元を歪める。
「凄い用心だな」
「これくらいでそれを言っては何も出来ません。『鳥籠』の中には死角がありませんから。全て監視されています」
「悪趣味だ」
吐き捨てる言葉に、案内を命じられた大尉は苦笑した。
この廊下において映像は監視されていても音声は拾われていない。
そのことを知っているからこそ彼らは本音を滲ませた発言が出来ているのだが、それも「鳥籠」内にあっては不可能なことだろう。案内役の大尉は「部屋の内部は小声であれば聞き取れませんが、普通に話している分には記録されます」と補足した。
アルファスは溜息を飲み込んで前を見やる。
「『鳥籠』の直前は小さな部屋になっています。そこだけは何の監視もありません。来訪者へのちょっとした配慮です」
「馬鹿馬鹿しい」
「そう仰らないで下さい。そういったものを必要としている人間もいるのですから」
「鳥籠の娘がその小部屋へと出られるわけではないのだろう?」
事実を指摘され大尉は肩を竦めた。
壮麗な宮殿の秘められた廊下。その終わりは、もうすぐそこに迫っていた。



小部屋の奥にある扉を認証コードで開いた時、少女は彼に背を向け立っていた。
黒の長衣を床に引き摺り、手に持ったティーポットからお茶をカップへと注いでいる。
長い髪は下ろされたままであり、服の隙間から白い素足が僅かに見えた。
細い体には大きすぎる長衣を彼女は腰帯で緩く止めており、脇には鞘に入った短剣が携えられている。
硝子の天窓から降り注ぐ月光。
鮮やかな青光と闇。
その光景はまるで不可思議な印象を彼に与えた。
自分がよく出来た夢を見ているような非現実感が、アルファスの脳裏を過ぎる。
「また客人か」
少女の声は、凛とした響きを持っていた。
自分が囚人であるなどとは思ってもいないのだろう。傲然とさえ聞こえる声音に彼は少し驚く。
しかしその驚きは、もっと別の驚愕で塗り替えられることになった。
気だるげに振り返った少女は彼を見て凍りつく。
限界まで見開かれる瞳。
白い指先から力が抜け、落下したティーカップが床の上で砕け散った。続く熱湯の飛沫に小さな悲鳴が上がる。
「何をやっているんだ!」
長衣の下は何も履いていなかったらしい。
アルファスが咄嗟に駆け寄り少女を抱き上げると、細い足はお茶でびっしょり濡れていた。火傷をしたのか肌が赤くなっている。
そのまま浴室へと運び込もうとする彼を、だが少女の手が留めた。
「だ、大丈夫です。失礼しました……」
「すぐに冷やした方がいい。後で痛む」
「平気です」
少女は自分の足先に指を伸ばす。そこは割れたカップの破片で切ってしまったのか、薄く血が滲み出していた。彼女は己の傷口を指でなぞる。
アルファスが唖然としたのは、彼女の指が離れた時、そこには何の傷も残っていなかった為だ。
噂には聞いていた異能を目の当たりにした彼は、まじまじと小さな足を見やった。
その間に少女はそっと彼の顔を見上げ―――― 驚きを宿す目を認めると、ほろ苦い微笑を零す。
「ようこそ、『鳥籠』へ。アルファス・クロイツァー少佐。
 私の名はティナーシャ。どうぞそのようにお呼び下さい」
彼が見た少女は、鮮やかに笑っていた。
だからこの時彼は気づくことが出来なかったのだ。
何故彼女が自分の名を知っているのか。そして彼女が、どのような精神を抱えて鳥籠にいるのかも、何も。



自分が何を期待されているのか、アルファスは勿論察していた。
だが皇帝の趣味の悪さに不快感を覚えた彼は、あからさまに命じられてないことをいいことに、その期待を無視した。少女を寝台に下ろすと、自分は数歩下がって彼女に相対する。
今までに何人もの気に入らない「客人」を叩き出してきたという少女は、しかし案内係の忠告とは逆に、何故か嬉しそうな表情で彼を見つめていた。月光を映す闇色の瞳が大きく瞬く。
「声を、聞かせて下さい」
「……お前は何だ?」
「私は私です」
少女の両手。月光に照らされ蒼白な腕が彼に向かって伸ばされた。
触れられることを望んでいるような姿。無視出来ぬ妖艶が、ゆらりと少女の躰から立ち昇る。
だがアルファスは眩暈を誘う視線に捕らわれる直前、反射的に一抹の警戒心を抱いた。彼女の手を取らぬままその目を睨む。
「お前は娼婦か?」
「貴方が私にそれを望むのなら」
「望んでいない」
「ならば私は歌わぬ鳥でいましょう」
その声は、歌のように美しかった。



アルファスはそれ以上彼女に近づこうとはしなかった。ただ時間の終わりを待って、鳥籠を後にする。
命令無視とも言える己の行動について、彼はてっきり叱責されるかと思っていたのだが、実際のところ上からのお咎めは何一つなかった。
むしろその日から定期的に鳥籠に送られるようになった彼は、この後少しずつ鳥籠の女と運命を交差させていくことになったのである。