鳥籠の女 09 - 罅割れる籠

mudan tensai genkin desu -yuki

帝都の東にある小さなカフェは、あまり目立たない場所にあることもあって、よく仕事帰りの人間が休息に訪れる場所となっていた。
夕暮れにはまだ早い時間。二十数席ほどしかないテーブルはほとんどが空である。
そのような中、たまたま非番が重なった三人は、久しぶりに顔をつき合わせてお茶を飲んでいた。
一人だけジュースを飲んでいたカーティスがふと顔を上げる。
「そうだ。最近おかしいらしいぞ」
隣に座る友人が洩らした言葉は、その内容とは別に暢気な声音で語られた。
一拍遅れてその発言を認識したアルファスは、考え事に気を取られていたせいか、苦い顔で手を振る。
「別におかしくない。少し疲れただけだ」
「いや、本当におかしいらしい」
「二人とも食い違ってるぞ」
アルファスは向かいに座るケストナーに指摘され、ようやく自分が「おかしい」の対象を取り違えていることに気付いた。
カーティスは彼の様子がおかしいと言ったわけではなく、何か別のものについて言っているらしい。
勘違いしてしまったことにアルファスは一瞬気まずい顔になると、「何がおかしいんだ」と尋ね直した。
「それが、貴族? いや軍部か?」
「どっちだ」
「うーん。どっちもか? 何かどこが中心なのかはっきりしないんだよなあ。ただおかしい」
要領を得ない説明に、アルファスとケストナーは顔を見合わせた。
一体そのような状態で何がおかしいのかと聞き返したくもなるが、カーティスは何の理由もなくこういうことを言い出す人間ではない。
彼がおかしいというのなら何かはあるのだろう。
以前そうして命の危機を警告されたアルファスは、お茶のカップを置いて問うた。
「連携が取れていないのか? また内部で揉めてるとか」
「そうなのかもしれないけど、それとはまた何か違うような気もする。ざわざわしてるんだ、ざわざわ」
「……分からん」
ただざわついているというのなら、いつでも貴族はそうなっている気もする。
彼らは皇帝という山の裾野に広がる茅のようなもので、常に風の吹くまま向きを変え、揺れ動いているのだ。
そのことをよく知り、また慣れきっているはずの三人は微妙な表情を浮かべ考え込む。
ケストナーが何かを思い出したのか、指を弾いた。
「そういえば、ラディク公がしばらく前から帝都にお戻りになっているようだな」
「ああ。北部戦線の英雄か」
ラディク公―――― 若くして英雄と呼ばれる彼のことを知らぬ軍人は、この帝国に存在しないだろう。
三年前、敗北がほぼ決しかけていた戦局から、思い切った有人部隊の投入と奇襲によって勝利をもぎ取った男。
少年の頃から公爵家の異端児と言われていた彼は、しかしその大勝利で他の貴族に睨まれたらしく、戦いが終息すると共に前線から南の内地へと飛ばされてしまった。
能ある指揮官が正しく評価されないことに、若い士官たちは憤然としたものだが、その彼が今は帝都に帰ってきているらしい。
アルファスは少し興味を持って友人に問うた。
「配置変えがあったのか? 帝都で何処につかれるんだ」
「いや、そこまでは分からない。噂で聞いただけ」
「皇帝陛下が直接ラディク公を呼び戻されたって話だぞ」
貴族であるカーティスが付け加えた情報に、二人はまたも顔を見合わせる。
ラディクが帰ってきたことが、はたして「ざわざわ」と関係があるのか。情報が少ないこともあって全貌が掴めない。
だがそうは言っても、やはり自分とは関係ないと思っていたアルファスは―――― おかしな場所で件の人物と顔を合わせることになった。






気まずいし会いたくないと思っても、召喚命令は遠慮なくやって来る。
約二週間ぶりの鳥籠。アルファスは苦虫を噛み潰したかのような顔で、監視のある廊下を歩いていた。
小部屋に着くと、扉は修理されたのかすっかり元通りになっている。
あの日あの一時だけ鳥籠の扉をくぐり抜けた女を思い出し、彼は思わず足を止めた。何の痕もない壁を見やる。
―――― いつまで彼女はあのままなのか。
姿を変えぬまま同じ場所に留まり、何かを探し続けている女。
彼女は、どれほど時が経てば変わるのだろう。どこで変わることを選ぶのだろう。
アルファスは悲しげな女の眼差しを思い出す。
『もし、貴方が。私を外へ連れて行ってくれるというのなら』
鳥籠の女。彼女を籠の外へと連れ出した時、何か変わるものはあるのだろうか。



個人コードに感応して扉が開く。
やたら白い印象を受ける鳥籠の部屋。いつもと同じ壁。いつもと同じ寝台。
だが一つだけ、いつもと違うものがあった。
寝台に座る女の前に立ち、白い頬に触れている男。
ティナーシャに顔を寄せ何事かを囁いていたらしい人物は、顔を上げるとアルファスを見た。
その顔を知っていたアルファスは思わず息を飲む。
「……ラディク公」
「私を知っているのか。所属と階級は?」
「帝都第六部隊所属アルファス・クロイツァー中佐です」
動揺を見せない名乗りに、ラディクは不敵な笑みを見せて頷いた。座ったままのティナーシャがアルファスを見る。
闇色の瞳には温度がない。
美しい顔には何の表情もなく、まるでよく出来た人形のようだった。
彼女はアルファスを一瞥すると、また目の前の男へと視線を戻す。手袋を嵌めたラディクの指が、彼女の顎を支えた。
容易には掴めぬ状況にアルファスはその場に立ち尽くす。
今まで、鳥籠で別の来訪者と出くわしたということはない。時間は全て調整されているはずだ。
そしてそれも、彼がここに送られる前までのことで、アルファスがティナーシャに気に入られてからというものの、ここに来る来訪者は激減したと、彼女は言っていた。
―――― ならばラディクが呼び戻されたのは、鳥籠に送られる為なのか。
くすんだ金の髪に灰色の瞳。気品と豪胆さを兼ね備える顔立ちは、平民の娘から貴族の淑女まで非常に人気があるという。
鍛えられた長身の体は、公爵家の現当主である彼が紛れもない軍人であることを示しており、指揮だけではなく有人戦闘においてもかなりの技量を要していることを窺わせた。
ラディクは軽く笑って自身の襟元を直す。
今まで乱れていたそれは、彼が《鍵》を見せていた為のものだろう。
二人の間に一体どのような話があったのか、ティナーシャの彫像のような横顔からは推測することが出来なかった。
ラディクは彼女の瞳を見下ろす。
「彼に場を譲った方がいいか?」
「どちらでも。どうせもう小細工は失敗です。監視映像をごまかしても彼の報告には記されます」
「なら私を見たことは黙っておいてくれと頼むべきか」
「好きになさい」
そっけなく言い捨てるとティナーシャは目を閉じた。
美しい鳥籠の女。何を考えているか分からぬ彼女は、全てを拒絶しているようにも見える。
アルファスは溜息を飲み込むと、ラディクに向かって「失礼します」と断りを入れた。その上で、彼女を呼ぶ。
「ティナーシャ」
「はい」
「何を考えている?」
ラディクと彼女の会話から言って、二人は何らかの手段で監視を誤魔化し会っていたのだろう。そこにたまたまアルファスが来てしまった。
今まで気に入らない来訪者は全て叩き出していたという彼女が、どういう理由をもってそのような危険を冒しているのか。
アルファスは帝国軍人として、そして自分でもよく分からぬ苛立ちと共に尋ねた。
彼女は目を開けぬまま清んだ声で返す。
「アルファス、全てが終わったら―――― 大事なことを一つだけ聞きに来ます」
「大事なこと?」
「ええ、ですから今は……」
そこから先の言葉は消えてしまった。ティナーシャは少しだけ肩を落としたようにも見える。
細い腕にかかる黒髪。その先をラディクが指で絡め取った。
微動だにしない女を挟んで「英雄」は、無言でアルファスに立ち去ることを要求する。
気分を悪くさせる圧力。だがアルファスは、階級が上であり爵位も持っている相手にこの場は従った。
報告をすべきか否か、考えながら踵を返した彼にティナーシャの声が届く。
「報告していいです。貴方が嘘をつく必要はない」
「お前はいいのか」
それをしたら彼女は罰せられるのではないか。
若干の心配を匂わせる問いに彼女は微笑む。
「私は、もともと嘘つきですから」






アルファスが鳥籠から姿を消すと、ラディクは寝台の上の女を見下ろした。自分を見ない女に優しげな声をかける。
「奴は、お前にとって特別か?」
「いいえ」
「お前は嘘つきなのだろう」
「そうですね」
指で支えられたままの顎を持ち上げられ、ティナーシャは男を見上げた。
焦点があってないようにも見える黒い瞳が、ラディクをその中に映す。
「皇帝に知られるぞ」
「既に知られていますよ」
「監視映像は干渉しているのだろう?」
「していますけど、皇帝は知ってますよ。だからわざわざこの時間に来訪者を当てたんです」
淡々と返す女にラディクは少なくない苛立ちを覚えた。
まるで自分が彼女にとって単なる盤上の駒の一つで、彼女の視線はただこの場にいない皇帝だけを相手として捉えているように思えたのだ。
宮廷を、ひいては帝国を舞台とした勝負。たちの悪い駆け引き。
だがそれも、彼の気のせいであるのかもしれないだろう。
ラディクは皇帝の飼う異能者に囁く。
「俺にはお前の力が必要だ」
「構わないと言っているでしょう。貴方が私の望みを叶えてくれるなら」
「お前をここから出せばいいのだろう」
他に望みなどあるはずないと、笑みを浮かべる男に向かってティナーシャは薄く笑う。彼女は軽く男の手を払った。
「いいえ? まずはその《鍵》を……抉らせてください」
思ってもみなかった条件に、男は絶句する。
その驚愕を塵芥とも思わぬ彼女は後ろ手に寝台の中へと右手を差し込むと、美しい装飾の短剣を握ったのだった。