鳥籠の女 11 - 罅割れる籠

mudan tensai genkin desu -yuki

決められた時間は、すぐそこに迫っている。
鳥籠の寝台。ティナーシャは仰向けに目を閉じて、その時を待った。
時計を見ずとも問題はない。既に構成は組み終わっている。
決められた時になれば、構成は半ば自動的に展開するのだ。
だからティナーシャが開幕の成功を知ったのは、遠くから鳴り響いて聞こえる警報の音によってであった。
彼女はゆっくりと目を開ける。
硝子越しに注ぐ日の光。彼女の体に降り注ぐ檻の影は、所詮ただの虚構にしか過ぎなかった。
ティナーシャは体を起こし、寝台脇の飾り時計を見やる。
「さて、間に合いますかね」
おそらく今この瞬間、鳥籠へと向かってきているであろう男。その男を待って彼女は立ち上がる。
持って行くべきものは一振りの短剣で、それ以外はない。ティナーシャは二年以上を過ごした鳥籠を見回した。
愛着も何もなく、ただ体を置いておくだけだった場所。
それでも彼と共にいられた時間は、狂おしく記憶の中に残っている。
鳴り止まない警報。
ティナーシャは放り出してあった黒いコートを羽織った。腰や腕のあちこちにあるベルトを一つずつ締めていく。
長い髪を束ねようか、彼女は迷ったが結局そのままにした。
最後に冷めてしまったお茶に手を伸ばしかけた時―――― 鳥籠の扉が音もなく開く。低い男の声が彼女を呼んだ。
「ティナーシャ」
伸ばされた手は、血に汚れている。
彼女は唇の片端を上げて笑った。その手を取る為に歩き出す。
ラディクはその時間も惜しいというようにティナーシャの前に歩み寄ると、彼女の手を掴んだ。黒髪の少女は斜めに彼を見上げる。
「遅刻しませんでしたね。よいことです」
「行くぞ。時間をかけていられない」
「ええ」
男に手を引かれ、彼女は鳥籠を出た。
壊れた扉は彼らが行過ぎてもまだ開いたままだ。ティナーシャは走りながらその扉を振り返る。
罅割れた鳥籠。
鳥はもう、その中には帰らない。






警報が鳴り響いた直後、謁見の広間には皇帝を護衛する為の直属部隊がなだれ込んできた。
国境で無人機を用い他国と戦闘する部隊とは違う、有人戦闘が主分である部隊。
普段は所属が違う為、顔をあわせることも少ない彼らを、アルファスはまじまじと見やった。
標準武装である短銃と自動小銃、厚刃のナイフまでは変わりがないが、彼らの様子には見過ごせない動揺が漂っている。
皇帝は避難を勧める侍従らを手で下がらせると、玉座の上から余興でも見るように兵たちの展開を眺めた。
皺の中に細められた目が、アルファスを捉える。
「おぬしは並ぶ必要はない。自由に動け。それが一番戦いやすいであろう?」
「……御意」
何が起きているか皆が全貌を掴めていない中、皇帝だけは全てを見通しているようにも見える。
動かない水のように静かな空気を湛える君主。
すぐに護衛部隊の中から指揮官である部隊長が歩み出て、玉座の前に跪いた。
「御宸襟をお騒がせ奉り、誠に申し訳御座いません。
 現在、未確認情報ではございますが、帝都に配備された全ての無人戦闘機への通信が不可能になっており―――― 」
信じられぬ報告に、アルファスは愕然となった。
戦争において根幹要素の一つである無人機の操作。
それを妨害する手段と保護する手段は、もう何十年もの間いたちごっこのように研究され続けている。
だがその研究の歴史においてでさえ、通信を狂わせることは出来ても、完全に妨害することなど出来なかったのだ。
宮殿だけで千機近く配備されている無人機が、まるで死体のように沈黙している。
あってはならぬ、あるはずのない事態に兵たちが動揺を隠せないのも無理からぬことであろう。
しかしこの報告の先には、更に信じられぬ言葉が続いた。
「この混乱に乗じて武装兵が有人戦闘にて宮廷を襲撃しております。
 彼らは報告では、どうやら我が帝国軍に所属していた者たちであるとのことで……その首謀者は……」
「ラディクか」
食べ飽きた林檎を放るに似た皇帝の呟き。
その一言を聞いた部隊長は、額を床にこすり付けて平伏した。「ご慧眼恐れ入ります」と消え入るかの如く返す。
けれど皇帝のその指摘は、アルファスに別の疑惑を呼び起こしただけだった。
この帝国において、裏切りはあっても叛逆はあり得ない。
あるはずがないのだ。「皇帝」を覆そうなどと誰も考えようとさえしない。
だからこれはきっと―――― 仕組まれた騒動だ。
急に呼び戻されたラディク公。動かない無人機。見透かされていた襲撃。
全ては皇帝の意図によって動かされた事態で、彼らは皆そこに巻き込まれている。
一体何の意味があってこのようなことをさせたのか、アルファスは臣下であるという立場も忘れ、皇帝を凝視した。
その視線に気付いた老皇帝は、陰惨な微笑を浮かべる。
「おぬしのそのような顔を見たら、あの女は悲しむであろうな」
「あの女……?」
それはおそらく鳥籠の女のことであろう。
皇帝は更に何かを続けようとしたが、述懐が口をつく直前、外からは爆発音が聞こえてきた。
たちまち広間の中では緊張感が高まる。アルファスは扇状に展開した護衛部隊を、その後ろから見やった。
無人機を動かす「操手」を含まぬ護衛部隊。
けれどそれは、彼らが有人戦闘の精鋭であるということを意味しているわけではない。
むしろ戦場で切り札として用いられる有人部隊とは違い、宮廷直属の護衛部隊は「実戦の機会がない」のだ。
叛逆などというものが存在しない以上、彼らは戦う必要がない。そのようなところに優秀な人材は回されない。
いわば彼らは、式典の時などに勇壮な整列を見せるだけの張りぼてのような存在で、今この時も、皇帝の御前だというのに、多くの者が戸惑いを全身に漂わせていた。
アルファスは装備していた短機関銃を持ち直す。
いくら広間とは言え、室内ではあまり銃身の長い武器は使いづらい。
普段は戦場指揮官として短銃を抜いていることもあるが、今彼はこの状況を「自身が一兵士として戦わねばならない場」と判断していた。
彼は視界の先に両開きの大きな扉を捉える。
この広間の出入り口は、皇帝が奥宮へと出入りする反対側の扉を除き、一つしか存在しない。
だから敵は、あの扉から入ってくるだろう。―――― 皇帝がそれを望んでいるのであれば。
ただこの部屋には遮蔽物が少ない。あるのは等間隔に立っている白い円柱だけで、護衛部隊はそれらとは関係なく扇形に整列していた。扉に向けて全員が銃口を構えている。
もし誰かが扉を開けて入った来たなら、その人物は一瞬で無数の銃弾を浴び蜂の巣にされるだろう。
しかしそれは、相手が無警戒に入ってきた時の場合だ。
アルファスは、実際に戦場で有人戦闘に携わる者にとっては常識である忠告を口にすべきか迷う。
けれどその時既に、扉の向こうには黒く奇怪な影が近づきつつあった。



扉が軋んで開かれた時、その扉にかけられていた手は、人間のものではなかった。
黒く先の尖った杭のような手。その形状に見覚えがあったアルファスは、近くの柱の影に隠れる。
しかし他の護衛兵たちは、部隊長の号令を受け一斉射撃を開始していた。扉の表面を覆っていた木材が砕け落ち、その下から厚い鋼鉄板が顔を覗かせる。
だが、太い杭は銃弾によって動きを妨害されながらも止まることはない。
もう一本、更にもう一本が加わり、合計三本の手が扉をこじ開けた。
黒い体の中にある受光窓が歪んだ扉の向こうに現れる。
姿を覗かせた巨大な迎撃虫は、激しい銃弾の雨に傾きながらも、兵たちに向かって口を開いた。
「伏せろ!」
アルファスが咄嗟にあげた声。
しかし一瞬早く、迎撃虫の口からは太い光条が走る。
それは整列していた兵士たちを右から左へ薙いで行き、広間には一瞬で絶叫と多量の血が爆ぜた。
間を置かずして、膝をついた迎撃虫の横から炸裂弾が二個、部屋の中へと投げ込まれる。
響く爆音とたちこめる白煙。
謁見の広間はそうして―――― たちまちのうちに混戦の場となった。



後から分かったことではあるが、この時謁見の間にまで到達した襲撃者たちは、ほんの二十人ほどであったらしい。
それ以外の襲撃者は宮殿の各所で陽動と機器破壊に走り回っており、「叛逆」など念頭にもなかった帝国軍はその動きにすっかり翻弄されてしまっていた。
当初の人数で言えば、護衛部隊と襲撃者では三倍ほど戦力に違いがあったはずの、謁見の間での戦闘。
だがそれは、襲撃者たちが特製の迎撃虫を以って先制攻撃をしかけてきたことにより、衝突時点からまったく人数差を感じさせないものになっていた。
身を屈めたアルファスは、舌打したい気分で混戦の中を移動する。
柱の影で銃弾を避けると、彼は接近してきた敵を狙って引き金を引いた。
小刻みに訪れる反動。防護服越しに相手の胸が爆ぜたのが分かる。
普段は味方だけが着ている帝国の防護服。昨日までの仲間が倒れ伏す様は、アルファスに忌々しさしか抱かせなかった。
彼は、皇帝がどのような顔をしてこの戦闘を鑑賞しているか振り返りたくなり、だがまた銃弾を避けて柱に背を預ける。
―――― 状況は決して芳しくない。
人数での有利は既に意味を持たず、守るべき皇帝はすぐそこに座したままだ。
しかし勝機がないわけではまったくない。
帝都に駐留する軍全て、少なくとも宮殿周辺に配備されている兵たちが皆動けば、襲撃者は退かざるを得なくなるだろう。
今この場も、応援が来るまで持たせればいいだけなのだ。アルファスはそれを、混乱を差し引いてもあと十分弱と計算していた。
つまりこれは、あと十分、皇帝を守れるか否かの勝負。
だがそもそも、皇帝が望んだ状況で皇帝が死すなどということがあるのかどうか、アルファスはそこからして迷っていた。「儂を守る駒だ」と言われたことが気にかかる。
―――― もしこれが、駒を使ったただのゲームであるのなら。
皇帝の対面に座す者は誰なのであろう。襲撃を指揮しているというラディクなのか。

アルファスは空になった弾倉を入れ替える。
その時、混戦の中広間に入ってくる男が見えた。正確な狙いで護衛兵を打ち倒していくラディクは、真っ直ぐに玉座へと向かっているらしい。
アルファスはそれを止めようと、柱の影から走り出す。
けれど背後から、静かに響く声が彼の名を呼んだ。
「アルファス・クロイツァー。おぬしに命ず」
奥まった玉座。皇帝の前には二人の屈強な兵士が盾となって立っている。
その隙間から枯れ枝のような指が、震えることもなく広間の入り口を指した。
「あれを殺せ」

皇帝の指し示す先に立っていた者は、ラディクではなかった。
そこには黒衣の女が氷の如き無表情で、刃のない短剣を手に立っていたのである。