鳥籠の女 12 - 罅割れる籠

mudan tensai genkin desu -yuki

皇帝の鳥籠には一人の女が入っている。
女は少女。そして魔女。
歌わぬ鳥は、籠を出でてようやく囀る。
皇帝の望みしその歌は――――






広間に立ち込める白塵。
その向こうに見えるティナーシャは、普段の薄着ではなく厚地の黒いコートを着ていた。
腕と腰、そして両腿にあたる箇所には複数のベルトがあり、その全てがしっかりと止められている。
激しい動きにもついて来られるであろうその服装は、彼女がこの襲撃において戦う意思があることを示していた。
眩しい日差しを遮るかのように、ティナーシャは右手を顔の前にかざす。
それだけの動作で、彼女は自分を狙って撃たれた銃弾を全て防いだ。弾は彼女に触れる直前で静止し、そして床へと落ちる。
引き金を引いた兵士と、それを見ていたアルファスは混戦の中唖然となってしまった。
奥の玉座から皇帝が笑う。
「臆するな。あれはそういうモノだ。その代わり、あれを殺せば無人機は動き出す」
「は……?」
思わず振り返ったアルファスは、皇帝の目を見た。
眼前に迫る死と銃弾を、余興としてしか見ぬ目。
皇帝は薄く笑うと、背後で蒼ざめていた侍従に何事かを指示する。
老年の侍従はすぐに一振りのサーベルを持って、アルファスの方へと駆けてきた。彼は緩やかに湾曲した軍刀を受け取る。
「おぬしは銃よりもそちらを使う方が、あの女には効くであろう。『あの剣』には及びもつかぬがな」
「……確かに、拝領いたしました」
―――― 分からないことが多すぎる。
アルファスはそう思いながらも、「皇帝の言うことは本当だ」と直感もしていた。
無人機を全て沈黙させるなどあり得ることではない。だがそれも、異能が関係しているのならば可能性は無でないだろう。
そして同様にあり得ないはずの「叛逆」も、《鍵》を持たぬ程の異端者が絡んでいるのなら、あるいは。

周囲の戦況はいつの間にか拮抗状態となり、護衛兵も襲撃者もかなりの速度でその人数を減らしつつあった。
遮蔽物が少ないせいか、彼らは身を伏せては転がる死体の影から狙いを定めるが、それでも飛んでくる銃弾は容赦なく人間のこめかみを撃ちぬいていく。
襲撃者も時間に制限があるのでなければ、ここまで強引な攻勢をかけることはしなかっただろう。
恐慌に陥った誰かが敵味方問わず炸裂弾を投げたのを見て、アルファスはぎょっとした。
本来ならば生身の人間相手に使うことは条約で禁じられている投擲兵器。
だがそのようなことも、この混乱の中にあっては見失われてしまうのかもしれない。護衛軍は戦闘経験のなさのゆえに。そして襲撃者は、既に禁忌へと踏み込んでいるがゆえに。
アルファスは死体の上を転がる炸裂弾に向かって走り出す。
不発であるかもしれないが、さすがに放置は出来ない。彼はそれを混戦の中心から蹴り出そうと距離を詰めた。
だが小さな炸裂弾を女の白い手が拾い上げる。
ティナーシャは掌に収まるそれを、空中に放り投げると、跡形もなく消滅させてしまった。
そのまま彼女は足を止めることなく歩いていく。小さな爪先が血溜まりに触れ、赤い滴が跳ねた。
女は何に妨げられることもなく、皇帝へ向かって歩を進める。
まるでとうに定められていた一幕のように玉座へと近づいていく鳥。
それはまるで一枚の絵画のようで、現実味のない光景だった。



アルファスがあと十分と見積もった刻限は、宮廷内の護衛部隊以外の軍が事態に気付いて駆けつけてくるまでの時間であったが、それよりも一足早くこの場に現れた者がいた。
平民上がりであり、戦場での勇猛さと穏やかな人格で知られるワルド少将。壮年の将官は、数人の部下を伴って広間に現れるなり叫ぶ。
「ラディク公! 一体これはどういうおつもりだ!」
叩きつけるような激しい声に、護衛兵たちと戦いながら玉座へ向かっていたラディクは振り返った。
かつて戦場を共にしたこともある年上の僚友に、男は皮肉げに笑ってみせる。
「見て分からないのか? 皇帝を廃す」
「馬鹿な……!」
あり得るはずもない発言に、ワルドは刹那絶句した。
だが彼はすぐに我に返ると、銃口を向けてくる襲撃者を短銃で撃ちぬく。
彼はそのまま入り口近くに残っていた者たちを蹴散らし、部下と共にラディクの方へと向かった。
ラディクもさすがに無視出来ぬと思ったか、ワルドに注意を払いつつ、銃弾を避けて柱の影に隠れる。

そろそろ広間には無防備に動く者も少なくなり、物陰から双方の威嚇射撃が断続的に続けられるだけになっていた。
この戦闘もあと数分で幕が下りるのだろう。
アルファスは多くの飲み込めなさを抱きながらもティナーシャの前に立つ。
今まで飛び交う銃弾など露ほどにも気にしていなかった女は、ようやく意志のある目で彼を捉えた。抑揚のない声が小さな口から洩れる。
「下がっていてください。貴方に物理攻撃は効きませんが、邪魔をされても困るので」
「お前は何をしている」
「見たままです」
ティナーシャは左手で彼の体を押しのけようとする。アルファスはその手を掴んで後に捻り上げようとした。
しかし彼の手は、女の腕に触れる寸前で電気が走ったかのように弾かれる。ティナーシャは顔を傾けて男を見上げた。
「下がっていてください、と言ったのが聞こえなかったんですか? 
 私を捕らえようなんて無駄ですよ。玉座に用があるんです」
「……何の為に」
「椅子を空ける為に」
彼女はそれだけ言って、アルファスの脇を通り抜けようとする。
恐るべき異能者。その侵攻を止める為に、彼は半ば無意識のうちにサーベルを抜いた。少女の背に切っ先を向ける。
「止まれ」
鼻孔を侵す血の匂い。
転がる死屍は凄惨さよりも無常を強く感じさせた。
ティナーシャは、目を見開いたまま絶命している兵士に視線を落とし―――― アルファスへと振り向く。光を返さぬ双眸が男を見据えた。
「アルファス……一つ教えてさしあげましょう」
「何をだ」
「今の貴方は、私には敵わない」
少女は言うなり左手を前に差し伸べる。その手の中にサーベルよりも短い細身の剣が現れた。
ティナーシャは抜き身の剣を長身の男に向かって構える。右手に持つ柄だけの短剣に、刃の形をした青白い炎が灯った。
目を疑わざるを得ない光景。だがアルファスは瞬時にそれを現実として受け止める。
荒れきった広間。限られた時間で、二人は剣を手に相対した。
やけに遠く聞こえる銃声。代わりに皇帝の吐き出す息の音が重く響く。
「殺せ」
乾いた風のように吹き抜ける言葉。
ティナーシャは微かに苦笑を洩らした。焦がれる目で男を見つめる。
だがそれも一瞬の幻のように消え―――― 彼女は吐く息と共に、アルファスへと剣を振るった。



不思議な女だと思っていた。
鳥籠で初めて出会った時からずっと、彼女は見通せない闇を抱えているように見えた。
だがそれでも時折ふっと理解出来るような気がすることもあったのだ。
彼女の目が、淋しさに翳っているような時など。

けれど彼は、何も思い出せない。
思い出すことがない。



振りかかる斬撃は重いものではなかったが、かなりの速度を持っていた。
アルファスは咄嗟にサーベルで彼女の剣を受ける。だがそれも束の間、ティナーシャは右手の短剣を同様に振り下ろしてきた。
青白い炎に見える刃。アルファスは未知の武器を受けることを嫌って、彼女の腹に蹴りを放つ。
軽い牽制をティナーシャは身を斜めにして避けた。一度引かれかけた左手の剣が、だが角度を変えて再び突きこまれる。
アルファスはその剣先をサーベルで弾き上げた。向かってくる青白い炎をすんでのところでかわす。
ティナーシャは態勢を崩すこともなく、一旦剣を引くと彼から距離を取った。人形のような目が二度瞬く。
「退きなさい」
「…………お前は」
アルファスは背筋の冷える感覚に緊張の息を嚥下した。
いくら対人戦闘が本分とは言え、彼自身軍刀を用いての実戦経験は少ないのだ。
一方ティナーシャは、双剣での戦闘に慣れているらしい。この上異能もあるとあっては、確かに彼女には「敵わない」のかもしれなかった。
この数合でアルファスがそれを理解したと見て取った彼女は、感情のない目で退くことを促す。
アルファスはしかし、構わずティナーシャに向かって踏み込んだ。
彼女の体を薙ぐように振るうサーベル。
思考は冷えて回り続けているが、応援が駆けつけてくるまでの間と思えば、迷いや困惑も薄らぐ。
アルファスはティナーシャをこの場へ縫いとめるように、無言でサーベルを振り下ろした。
男の鍛えられた体躯が繰り出す攻撃は、速く強力である。
その攻勢を前に彼女は防戦一方になりつつも、けれど表情には焦りの一滴も落ちない。
巧みに彼の剣を捌き続けるティナーシャの肩越しに、アルファスは広間の反対側にいるラディクたちを見やった。
数本の柱を挟んで銃撃戦を続けているラディクとワルドは、しかし少しずつワルド側が優勢になっているようである。
襲撃側は時間が過ぎるごとに焦りが募っていくせいか、強引な攻撃をしようとして少しずつ撃ち倒されていった。
アルファスはこの戦闘の終わりがすぐそこへ迫っていることを感じ取ると、避けられぬ角度から刃を彼女に振るう。
ティナーシャが短剣でその刃を受けると、彼は声を潜めて囁いた。
「行け。二度と戻ってくるな」
「アルファス」
鳥籠から自由になりたかったのなら、そして皇帝に意趣返しをしたかったのなら、もう充分すぎるくらいだろう。
彼女は好きに場所を移動出来る異能者だ。もうここを出て、何処かへ行ってしまえばいい。
そうして広い空を飛べばいいのだ。二度と誰に飼われることなく、繋がれることもなく。
アルファスは女の黒い双眸を見つめる。
失われた悠久。
彼女は瞬間、泣き出しそうな目で男を見返した。
「でも……それでは私は、永遠に一人です」



胸に刺さる棘のような言葉。
アルファスはその意味を問おうと口を開きかけた。だがラディクが大声で彼女の名を呼ぶ。
「ティナーシャ! 時間がない!」
「……予定外のことはしないと言いましたよ」
言い捨てる女の貌は、既に無表情へと戻っていた。
ティナーシャは牽制で短剣を振るうと、サーベルが引かれた隙に身を翻そうとする。
戦闘の最中において致命的な動きは、彼女がラディクのもとへ駆け寄ろうとした為だろう。アルファスはそれをさせまいと追撃をかけた。彼女は半身のままサーベルを受け流す。
―――― このまま彼女を足止めし、ラディクが捕らえられれば。
アルファスはそう考え、剣を振るう速度を上げた。ティナーシャは僅かに眉を寄せながらも彼の猛攻を捌き続ける。
だがその時二人の耳には既に、広間へと近づいてくる数十の軍靴の音が聞こえていた。女の目に諦観が浮かぶ。
鳴り響く剣戟の音。
彼女は両手の剣を交差させると、双剣で男のサーベルを受けた。
拮抗するはずもない力。ティナーシャは押されて後ろに跳ぶ。
彼女は長い髪を揺らめかせてアルファスを一瞥すると、左手の剣を押し出すように投擲した。
アルファスはサーベルの刀身でそれを弾く。ラディクの方へと走ろうとする彼女に向かい、剣を振り下ろした。
ただ進路を妨害するだけの、きっと避けられるだろうと予想していたた剣筋。
しかしティナーシャはサーベルの軌跡を見上げただけで動かず――――

軍刀は、彼女の左腕を肩から切断した。