鳥籠の女 13 - 罅割れる籠

mudan tensai genkin desu -yuki

何も持っていない細い腕。
それが床に落ちる様を、アルファスは呆然と見ていた。共に斬られた髪の一房が宙に舞う。
この戦闘が始まってから、彼にもっとも隙が出来たのはこの時であったろう。
ティナーシャは平然とした表情で、落ちた腕を拾い上げた。
既に短剣は腰の鞘に戻されている。彼女はそのまま立ち尽くす男の前を離れた。銃撃戦を続けているラディクの方へと向かう。
ラディクは、駆けてくる彼女とその腕が切断されているのを見て苦い顔になったが、ティナーシャは構わず彼の懐に跳びこんだ。
不可視の力によって弾かれる銃弾。女は、玉座を振り返る。
皇帝は微笑を湛えて闇色の瞳を見返した。
お互いの視線がぶつかる一瞬。ティナーシャは目を伏せて告げる。
「時間です。退きますよ」
「……仕方ない」
ラディクは口惜しさも色濃く皇帝を睨んだが、彼に皇帝が返したものは明らかな嘲笑だった。
憤りを顕にする男に向かってワルドが声を張り上げる。
「このまま逃げられるとお思いか!」
「思っているさ。―――― 貴卿らも、この帝国の欺瞞を知れば気が変わる」
言い放つ男は、己の襟に手をかけると首筋を曝け出した。
本来《鍵》が埋まっているはずの場所。
そこに今は、《鍵》も、傷痕の一つもない。ワルドたちは思わず硬直する。
「馬鹿な……」
「これが真実だ」
刻限を示す言葉。
ティナーシャが床を踵で蹴る。
それを切っ掛けに、彼らの目前には水鏡のようなものが現れた。
広間に残る襲撃者のうち、まだ生存している者たちの前にも同様のものが現れる。
そして彼らは次の瞬間、水鏡に飲まれてその場から忽然と消え去った。
荒れきった広間には空白が訪れる。
後に残されたものは、唖然としている兵士たちと物言わぬ躯、そして亀裂の入った柱や壁の破片だけで、全ては虚しい静寂の中にあった。
ただ幕の終わりを賞賛するように、皇帝の笑い声だけがその場に響く。
悪夢のような十数分。喜劇か悲劇かも分からぬ混乱の果て。
アルファスは一人、目の前の床を見つめた。
そこには彼が斬った女の鮮やかな血溜まりが残っており―――― アルファスは左手で顔を覆うと、きつく奥歯を噛み締めたのである。






「嫌な女だ」
襲撃に携わっていた部隊が本拠である旧軍基地に帰還した後、ラディクがぽつりと口にしたのはそのような言葉であった。
宮殿襲撃の報告と各地での陽動の成果、自軍の被害状況と帝国軍の動きを矢継ぎ早に整理してしまうと、彼は鉄の机越しに女を睨む。
ティナーシャは指揮室の隅で椅子に座り、魔法で己の腕を継いでいるところであった。彼女は傷口を見たまま男に返す。
「皇帝の弑逆は本来貴方の役目だったでしょう。
 手が塞がっていたようなので私も出ましたが、私は私で一番厄介な人間を足止めしてたんですから、文句を言われたくはないです」
「違う。腕を斬らせたことだ」
批難が混ざる声にティナーシャは顔を上げた。冷徹な目がラディクを捉える。
「それがどうかしましたか? 大したことではないでしょう」
「痛覚を殺した上でわざと斬らせたな。奴に隙が出来るようにと」
「あの人と斬りあいしながら構成を組むって大変なんですよ。こっちの方が手っ取り早いです」
「だから嫌な女だと言っている」
堂々巡りをして元の場所へ戻ってきた話に、ティナーシャは肩を竦めた。
彼女は腕の継ぎ目を支えながら、そっと左手の指を動かして問題がないか確認する。
ラディクは次々新しい報告が入るディスプレイを横目で見つつ、鼻で笑った。
「奴も斬ることに怖気づくような人間であれば、いっそ気が楽だったろうに」
「すべき時にすべきことを出来ないような男なんて願い下げです」
「そこに付け込む女が恐ろしい」
婉曲に比較され批判されたラディクは、しかしまったく怯むことなく皮肉で返した。
継ぎ目の傷口を消したティナーシャは椅子から立ち上がる。
「自分を基準にして考えないで下さいよ。あの人はそんな弱い人じゃないです」
ティナーシャは両手の埃を払うと「少し寝ます」と言い捨て部屋を出て行った。
数年前に放棄された軍事基地。
その指揮室に残る男は、毒のある声で嘯く。
「強い人間ならまったく苦悩しないとでも思っているのか?
 単に迷いを押し隠しているだけだ。特に、お前のような女の前ではな」
棘のある忠告はしかし、女の耳には届かない。
ラディクは乾いた笑いを零すと、これからのことに向けて意識を切り替えた。






帝国の長い歴史において初めてとなった叛逆。
その第一撃は帝都に浅からぬ傷をいくつも残していった。
宮殿内の設備は、記録機器・通信機器をはじめ全体の六割が破壊され、沈黙していた無人機は七割が炸裂弾によって激しい損傷を負った。
勿論人的被害も多く出ており、死者重傷者はあわせて三百二十三人と記録されている。
だが、もっとも大きな衝撃を与えられたのは人々の意識そのものと帝国の礎であろう。
起こるはずがないと皆が思っていた「叛逆」。
けれどそれは起こり―――― そして帝国には、皇帝の支配に異を唱え反旗を翻す者たちが立つことになったのである。

宮殿の襲撃が起こった時、カーティスは非番であったらしい。
翌日話を聞いた彼は「大変だったなあ」とアルファスを労った。
閑散としているカフェの奥まった席で、カーティスは蜂蜜牛乳を飲みながら指でテーブルを叩く。
「なんかなあ、西方基地でも騒ぎが起きてたって知ってるか?」
「いや……初耳だ」
アルファス自身、昨日の戦闘後も現場の事後処理や何だかんだで駆けずり回り、解放されたのは深夜を過ぎてからのことなのだ。
当然宮廷外のことまでは知る由もない。そんな友人に、カーティスは声を潜めて言った。
「こっちについては緘口令が敷かれてるみたいなんだよな。
 どうやら昨日、西方基地でちょっとした暴動があったみたいだ。
 で、それについて『何か』があって、かなりの人数の士官や兵士が脱走したらしい」
「は? 脱走?」
「そう。ほとんどが妻帯してない若い人間みたいだけど。で、実はケストナーと連絡が取れない」
「それは……」
アルファスはそこで絶句した。
彼は、友人が騒動に巻き込まれ怪我でもしたのかと考えかけ、だが別のことを思い出す。
最後にケストナーと会った時、彼は歯切れも悪く何かを言いかけていたのだ。
しかしアルファスは結局それを聞かなかった。異変はもしかしたら、あの時から既に始まっていたのだろう。
まるで虫食い穴があちこちに空いているような現状。
アルファスは困惑しつつも、ケストナーと会った時のことを話した。
行儀も悪く、ストローでコップの水を汲みだしていたカーティスは、それを聞いて頷く。
「あ、俺も何か言われたな。変なこと」
「変なこととは?」
「確か……『どうして叛逆はあり得ない事柄と看做されてると思う?』……だったかな」
「どうして、叛逆が?」
それは、アルファス自身昨日の襲撃から頭の片隅に引っかかっていたことだ。
「あるはずがない」と思っていたからこそ、いいように翻弄されてしまった。
だがこの常識は、あっけなくも覆されてしまったのだ。
ならば何故、「叛逆の不可能性」は人々の中に深く浸透していたのだろう。
アルファスは頬杖をつこうとして、ふともう一つのことを思い出した。服の上から自らの《鍵》に触れる。
「《鍵》が……」
帝国臣民一人一人を、一生を通じて管理する《鍵》。
しかしあの時のラディクにはそれがなかった。アルファスも確かにそう見ている。
元からなかったはずがない。彼は貴族として軍人として、常に身体検査を受けていた。
だから今、彼の《鍵》がなく、にもかかわらずラディクが「イド」によって死亡していないということは、すなわち――――
「俺たちは、欺かれているのか?」
アルファスは思考から零れ落ちた言葉を呟く。
足りない断片ばかりの推論。
何とかそれを組み立てようとする彼の脳裏にはその時、淋しそうに微笑する女の問いがよぎったのだった。






ケストナーは西の基地において起きた暴動の「失踪者」として位置づけられた。
だが本当は「脱走者」であるのだろう。軍部内にも多重に敷かれている緘口令は、起きている事態が単純ならざることを間接的に士官たちへ伝えてくる。
そして急激に帝都へ兵力が集められる様はまた、彼らにもう一度より大規模な襲撃があることを予想させた。
国境の守りなどどうでもいいことのように集中させられた帝国軍。
その過程で各地の基地から三万七千を越える無人機が姿を消していることも分かり、軍部は騒然となる。
おそらく先の襲撃は水面下で動いていることの、ほんの氷山の一角だったのだろう。
ラディクは数ヶ月前から、或いはもっと昔から、あちこちに働きかけ味方を引き入れ、反皇帝派を作り上げていたのだ。
正面から帝国と戦える準備を整えながら、だが彼は何故強引な攻撃を宮殿にしかけてきたのか。
皇帝を討ち取り、早い決着を見たかったからなのかもしれないし、宮殿内の設備やデータを破壊することで後の争いを有利にしたかったのかもしれない。
けれどそれも、ティナーシャの存在なくしては踏み切れぬことだったろう。
アルファスは《鍵》について密かに調べつつ、先日の一件をそう結論づける。



「あの時」のことは、思い出す度彼の心に暗い重石を抱かせる。
ティナーシャがわざとよけなかったのだと、それを理解することは出来た。
だがそこから先、彼の思考は塗りつぶされたかのように、自分でもよく分からない。
何故彼女を斬ったのか。何故止められなかったのか。―――― 何故これ程までに動揺しているのか。
その答は出ない。自問することは苦痛だった。アルファスはそこに至る度、我知らず奥歯を噛み締める。
鳥は鳥籠には戻らない。
彼女は結局、何も彼に教えていくことはなかった。ただ淋しそうにしていただけで。
それとも「大事なことを聞きにいく」と言っていた、約束の時には全てを教えてくれるのだろうか。
アルファスの思考は、そこで止まる。
もしもっと早く彼女を鳥籠から連れ出していたなら―――― そう考えることは、今の彼には出来なかった。