鳥籠の女 14 - 悠久を収めし櫃

mudan tensai genkin desu -yuki

寝台が変われども、眠ることに大差ない。
―――― それはしかし、ティナーシャにとっては明確に違いがあることだった。
窓のない地下の部屋。当面の本拠地となる基地の片隅で眠っていた彼女は、先程からけたたましく鳴り続ける呼び出し音に耐えかね、ようやく体を起こした。サイドテーブルに置かれた通信機に手を伸ばす。
白い指の操作で、小さなモニタにラディクの姿が映った。
「……何の用ですか?」
「手術の件だ。お前がいなくて大丈夫なのか?」
「大丈夫ですよ。全部やり方は教えてありますから。問題が発生したら呼んでください」
「ならば呼んだ時にさっさと起きられるようにしておけ」
捨て台詞のような言葉を残して通信が切られると、ティナーシャは絡まった髪をかき上げつつ息をついた。
言われたことに腹立たしさを覚えなくはなかったが、緊急時に寝過ごして不味いことは事実である。
彼女は寝台の上でしばし座ったまま覚醒の為の時を過ごした。ぐらぐらと覚束ない頭を手で押さえる。

情報の海に潜ることは既にしていない。
それはもう終えたことだ。だから彼女は鳥籠を出た。
今はただ休息の眠りを重ねるだけである。そのことは初めからラディクに断っていたことでもあった。
宮殿を襲撃した時のように、直接的に大勢に影響を与えるようなことは、二度はしないと。
材料は既に与えた。あとはそれを調理する人間次第である。
人の世を変革する者は、やはり人でなくてはならないと、人外の魔女は疲弊しながらも考えていた。

魔女は半ば眠りの中に漂い続ける。
彼女は動かない。ただ動き出した歯車を前に、最後の時を待っている。
そしてその最後の時にはもはや、全ては人間のあずかり知らぬ、逸脱した異質の物語の内に入り込んでいるのだ。






軍部に敷かれた緘口令は、何重にも複雑に範囲と対象を変えながらも、だが充分な効果をあげていないらしい。
ラディクが叛逆したという話は士官たちや一般兵の間であっという間に広がり、更には西部基地から多くの者が彼に賛同し軍部を離反したという噂まで、まことしやかに囁かれていた。
もっとも後者の噂に関しては、ほぼ事実ではないかとアルファスは踏んでいる。
彼はティナーシャと接触が多かったこともあり、その後何度か上層部の審問を受けていたが、彼らの混迷振りを見るだに、どうやら事態は帝国にとって不味い方向へと進んでいるようだった。
審問の場において、知らないことと知っていることの両方を搾り取られ、恣意的に判断される日々は、アルファスに少なくない精神の消耗を与える。
だがそれを繰り返しても一向に具体的な処罰が与えられるということもない。
アルファスは情報を自由に手に入れることの出来ない一人として翻弄されながら、しかし《鍵》について密かに帝国の記録を遡っていった。
彼は夜、帰宅すると、まず自宅の端末から公共のデータベースにアクセスする。
そして《鍵》関係の記録や記述を抜き出し、その研究と適用の歴史を整理しようと試みていた。
勿論《鍵》の内部に関する情報などは最重要機密であり、そのような手段では手に入れられない。
だが外的な情報からでも見えてくることはあるのだ。アルファスはその糸口を、長きに渡る記録から掴みかけていた。

《鍵》が人々の体に埋め込まれ始めたのは、約三百七十年程前のことだ。
それは「イド」が大陸のあちこちで発生し、多くの死者が出始めた二年後のことであり、当時の対策は迅速であったと言っていいだろう。
だが《鍵》は、その施行の初めから個人を管理する機能をも持ち合わせていた。
何故なら《鍵》には前身というべき存在があり、それ以前人々はその《腕輪》によって、一生を管理されていたのである。
《鍵》と《腕輪》の違いは、まず第一には体内に埋め込むか、外から装着するか、の差異がある。
《腕輪》は生まれてすぐは薄い金属片を子供の足首に巻きつける形を取り、成長と共にその形と大きさを変えて付け替えられていった。当時人々は《腕輪》の外観によって、相手の年齢をおおよそ推し量ることが出来たそうである。
だが外部装着とは言え、基本的には《腕輪》も許可なく外すことを禁じられており、時にそれは「粛清」に使われることもあった。

「―――― 粛清?」
記録を探っていてその記述を見つけたアルファスは、穏やかではない言葉に引っかかりを覚える。
今の帝国において、過度な言論統制は存在せず、その為人々が処罰されるということはない。せいぜい貴族に楯突いて謀殺される人間がいるくらいだ。
だがかつてはそういったことも僅かながらあったという。
彼はそのことに違和感を覚えつつも、何がおかしいのか答を出せないまま、手元に問題のレポートを保存した。
当時の或る報道機関が編纂した管理技術史―― 昔のこととあってその報道機関はとうに存在していない。
アルファスは《腕輪》について、一週間ほどを費やし大体の資料に目を通すと、次は《鍵》への移行について調べ始めた。
―――― そして彼は、一つの推論に辿りついた。






帝都にある軍事施設の一角。地下にあるその部屋には当然ながら窓がない。
灰色の厚い壁はひんやりとした空気を醸しだしており、薄暗い照明が鬱屈とした雰囲気に拍車をかけている。
さして広くもないこの部屋に置かれる椅子は、八つ。
そのうちの一つは被審問者のものであり、部屋の中央に置かれたこの椅子を、残る七つの椅子が扇状に取り囲むという形になっていた。
七つの椅子のうちの一つから、棘のある声が飛ぶ。
「ラディクに口止めを命じられたとしても、本来君は皇帝陛下の臣であり、彼の臣ではない。そのことは承知しているのかね?」
ここ一ヶ月の間に何度聞いたか分からぬ言葉。
アルファスは審問官からの嫌味に「承知しております」とお決まりの答を返した。
既に軍の上層部にとって、ラディクとティナーシャがあらかじめ共謀していたことは、動かしがたい事実と看做されている。
鳥籠自体の監視映像には何故か密談の光景は記録されていないが、その代わり付近でラディクを見たという者が複数おり、彼らはラディクに命じられて何も分からぬまま、彼を目撃したことを口止めされていた。
アルファスは、自分もそうであるとは言わなかったが、彼を責めようとする上官と庇おうとする上官の狭間で、自然と「そういうこと」にさせられている。そして報告しなかったことは事実であるので、彼は延々と繰り返される審問に不毛さを感じつつも、大人しく弾劾を受け続けていた。
審問官の一人、伯爵位を持つ壮年の男が、鼻で笑うような息を洩らす。
いつもであればこの後、ティナーシャとの関係について更に色々と嫌味を言われるのだが、この日は違った。
上官への礼儀を守りながらも何処か泰然とした態度を崩さぬアルファスに、貴族出の男は嘲るような言葉をかけたのだ。
「君も優秀な士官であったと聞くが、やはり血は争えぬのであろう?
 君の父上は、金さえ積めばどのような手術でも請け負う医者だったそうじゃないか」
「父のことは、この度の小官のこととは無関係です」
否定の言葉は、予期せぬ当てこすりに返した為か、苛立ちを完全に隠すことは出来ていなかった。
強い声音に男は驚いたのか顔を強張らせる。だがすぐに彼はわざとらしくも穏やかな声を作って語りかけてきた。
「だがそうはいっても一つの教訓にはなったのだろう? 後ろ暗いことを続ければいずれは命にかかわる。
 君がそうなる前に気付いてあげられたことは、我々にとっても幸運だったと思っているのだよ」
上から下へ、貴族から平民へ、慈悲を与えてやっているのだという欺瞞に満ちた目。
その目を見返したアルファスは口を開いた。言うべきではないと分かる言葉が喉の奥から滑り出る。
「父が死んだのは、確かに父自身の責でもあるでしょう。
 ですがその父を殺したのは、貴族の体面を重んじ醜聞を封じようとした人間たちだった。
 ―――― 確かにいい教訓になりましたよ。『彼ら』がどのような人間か、子供心にもよく理解することが出来た」
男もまた貴族であることを承知した上での皮肉は、確かにこのような場で言うべきことではなかった。
だがその先のことは更に、するべきことではなかっただろう。
顔をどす黒くさせ沈黙した男の隣で、より若い貴族の男が立ち上がる。
伯爵の甥にあたる彼は、審問机を乗り越えると無言でアルファスに殴りかかった。その腕を、彼は軽く払いのける。
本来ならば、相手に隙を作り攻撃する為の動き。
その動きに乗せられた男は、無様に顔から床へ転がった。
一瞬の接触は男が机にぶつかる重い音で終わり、場は一気に騒然となる。
物音が外まで聞こえたのか、警備兵が二人駆け込んできた。
彼らは転がる貴族の男と、その男を冷ややかに見下ろすアルファスを見て、当然のように両脇からアルファスを拘束する。
鼻を押さえた男は震える声で怒鳴った。
「その男を牢にぶちこんでおけ! 反逆者の可能性がある!」
事実を指摘しているとは言えない告発に、だがアルファスは反論する気にもなれなかった。引き摺られる前に自分で席を立ち、審問室を出て行こうとする。その背に、今日の審問が始まってからずっと沈黙していた老中将が声をかけた。
「君は最近、《鍵》について調べているようだね」
その一言に、審問官たちの約半数が硬直する。
しかし彼らに背を向けていたアルファスは、それには気付かなかった。腕を拘束されているので首だけで振り返り、中将に問い返す。
「公開されている資料を集めているだけです。何か問題がありますでしょうか」
「問題はない。だが問題と疑われる行動は取らない方がいい。そのことを君は一晩学んで来るといいだろう」
話は終わったと、手振りで示す男に応えて、警備兵たちは再びアルファスを連行する。
欺瞞と偽りが彩った審問の終わり。こうして彼は、軍部の地下にある「牢」へと収容されたのだ。






帝国において軍部と警察は異なる組織である。
軍人にはその為、本来非常時を除いて逮捕権が与えられていない。
よってアルファスが入れられた場所も正式な「牢獄」ではなく、単に問題行動の懲罰時などに使われる軟禁用の小部屋であった。
特権をかさにきた若い貴族たちからはよく「牢」と揶揄される部屋は、天井付近に小さな窓が一つあるのみであり、他には何もない。
精神的圧迫を与えるよう計算された狭い部屋は、明日の朝に出されると分かっていても、居心地のよさを感じることは到底出来なかった。
色々と反省することも罵りたいこともあるが、ここで腹を立てても体力の無駄である。
アルファスは早々にそう結論付けると、床に座り眠ろうと試みた。
だが日が落ちて一時間も経った頃、不意に扉が軽く叩かれる。
眠りかけてはいても異常に鋭敏になっていたアルファスは、その音を怪訝に思いつつ立ち上がった。
もし警備兵であれば、扉を叩く必要などない。何も言わず入ってくるだろう。
ならば誰か訪ねて来ているのか。アルファスは身構えつつも「誰だ」と声をかけた。
内からは開かない扉が、音もなくスライドして開く。そこに立っていたのは、意外な人物だった。
「よ、元気だったか?」
あの日の騒動以来行方不明になってしまった友人ケストナーは、そう言ってアルファスに苦笑して見せた。