鳥籠の女 15 - 悠久を収めし櫃

mudan tensai genkin desu -yuki

約一ヶ月ぶりに見た友人は、最後に会った時とほとんど変わりがないように見えた。
顔色もいつも通りで、何処を怪我しているというわけでもない。
着ているものは帝国軍の軍服であり―――― ただその階級章は取り去られていた。
アルファスは、ケストナーが確かに帝国から離れたのだという事実を目の当たりにし、息を飲む。
ケストナーは友人の視線が向けられている場所に気付き、苦笑して襟を正した。
彼が小部屋の中に入ると、扉は音もなく閉まろうとする。
だがケストナーは、内側からもドアを開けられるように、隙間に小さな箱を置いて完全には閉まらぬようにした。
その上で彼は再びアルファスに向き直る。
思ってもみなかった再会は、少しの気まずさを伴うものだった。
ケストナーは狭い懲罰房を見回すと軽く俯く。
「悪かったな」
「何がだ?」
「いや。あの時ちゃんと教えてればよかったと思ってさ。はっきりしない話だから迷ったんだが、言えばよかった」
それは最後に会った時のことを指しているのだろう。アルファスは苦笑してかぶりを振った。
「お前のせいじゃないさ。何か教えてくれるなら教えて欲しいが」
本当ならば椅子に座りお茶か酒でも用意したいところではあるが、ここには何もない。
アルファスは冷たい壁に寄りかかり、友人に両手を広げて見せた。
「西部基地では何があったんだ?」
「こっちは元々、ラディク公に与していた人間が多かったみたいだ。
 事前から貴族たちの何人かがあの方についていて……俺たちみたいなのには情報が流された」
「情報?」
「《鍵》のことについてだ」
それはアルファスも、半ば予想していたことだった。
今まで調べ上げたこと、そしてそこから組み立てた推論が頭をよぎる。
彼はいささか緊張を覚えつつ、話の先を促した。
「《鍵》がどうかしたのか?」
「お前も、薄々感づいてるんじゃないか? ラディク公に《鍵》がないのを見たんだろう?」
「……見た」
「つまりはそういうことだ」
二人は顔を見合わせる。彼らが共通して持っている結論は一つだ。アルファスは口を開いた。
「―――― この大陸には、人を殺す『イド』なんて存在しないんだな?」



《腕輪》から《鍵》へと移行が行われた期間はたった二年間だった。
当時の帝国の人口は約五千二百万人。それだけの人数全てに対し、《鍵》への移行は為された。
勿論人によってはそれを、移行に関わった者たちの有能さゆえと評価しただろう。
だがアルファスからするとそれは「あらかじめ数年間にわたって準備されていた移行」にしか思えなかった。
《鍵》と関係する「イド」についての研究は危険すぎる為、帝都に置かれた直属の研究機関でしか行われておらず、そのデータも公表されてはいない。
しかしその「イド」発生時、犠牲になった者たちはいずれも、帝国辺境で当時台頭してきていた独自勢力だったのだ。
もし「イド」の存在が偽りなら、帝国はまず邪魔者たちをその犠牲者として誂え、その上で臣民に「外せば死ぬ」と思い込ませ《鍵》を埋め込んだことになる。
今では常識となり疑う者もいない生命線。
―――― だが本当に《鍵》がなければ人は生きられないのか。
アルファスの記憶の中には、禁域を伸び伸びと歩く少女の姿があったのだ。

「お前なら自力で気付くと思ったんだよな。当時の出来事は……疑ってみれば上手く行き過ぎてる」
ケストナーは忌々しげに吐き捨てる。
それは「正解」と同義だろう。アルファスは自身も苦い顔で頷いた。
「鶏が先か卵が先かは分からなかったがな。周辺国とのことも何処まで計算されていたのか」
「全部だろ。禁域の指定が恣意的すぎる。
 国境を決めてからその周辺を禁域にしたんだ。人間を閉じ込める檻のようなものだな」
「帝国から亡命した人間が、現地民に受け入れられて周辺国を作ったっていうのも、じゃあ計算のうちか」
「本当は亡命じゃなく分割統治だろう。事実、機密のはずの《鍵》の技術があちこちに伝わってる」
「なら……」
続く言葉を言いかけて、アルファスは自分の額を押さえた。
途方もない話に、頭痛がしそうになったのだ。
今まで見ていた世界が、まるで箱庭のように作られた欺瞞の代物だったという現実。
押し黙る彼に代わって、ケストナーは続けた。
「《腕輪》の頃は帝国には粛清があったんだ。
 はっきりとは記されてないが、現在地が分かる機能か、盗聴器かがついていたんじゃないか?
 だが《鍵》がそれに代わると、粛清もなくなった。問題がありそうな奴は直接殺しちまえばいいんだもんな。
 ―――― 《鍵》にはその機能が備わってる」
「体内に毒を流すとか、そんなところか?」
「ああ。《鍵》自体が壊れたり、無理に取り出そうとすれば、致死量の成分が放出される。
 これが『イド』だな。まったく……笑い話にもならないだろ?」
人を守る為の《鍵》ではなく、監視し殺す為の《鍵》。
その真実に突き当たれば、歪みは次々と見えてくる。
人々に与えられる情報が立場によってひどく左右されていることも、それを当然と思わされていることも、全ては計算されていたことなのだ。
「アルファス。お前、ラディク公に襲撃された時驚いただろ? 俺も最初聞いて驚いた。
 でもそこまで驚くってのもおかしいんだよな。―――― 俺たちはいつのまにか『叛逆』って概念を失ってたんだ」
階級差によって、職業差によって、彼らは見聞きできる範囲を制限される。
その上でゆっくりと思考まで統制されていったのだ。「粛清」という言葉に違和感を覚えてしまうほどに。
或いは貴族たちが尊大に振舞っていることも、計算された結果なのかもしれない。
支配されることへの反感はまず貴族に向き、皇帝までは届かないのだ。
皇帝は彼ら全員にとって「当たり前の存在」として意識されている。
深い忠誠や尊敬を集めるわけでもなく、強い敵意や害意を向けられるわけでもない。
ただ「在る」のだ。
その異様さは、皇帝に固い忠誠心を抱いていたわけではないアルファスにとって、気づいてしまえば不気味なものにさえ思えた。
鳥籠に少女を閉じ込めて愛でるという趣味の悪さに嫌悪感を抱きながら、だが皇帝は彼にとって何処までも主君でしかなかったのである。
一度箱庭を見る視線を手に入れてしまえば、何もかもが歪んで絡み合っているように見える。
アルファスはその中心にいた少女が言っていたことを思い出し、細く息を吐き出した。
『―――― 貴方は、自分たちがこのように管理されていることを、おかしいと思わないのですか?』
おそらく外から来た彼女には、初めからこの帝国の偽りが見えていたのだろう。



小部屋に落ちる沈黙。
それを払拭したのは、務めて場を明るくしようとするケストナーの声だ。
彼はおどけて肩を竦めると、拳で軽く壁を叩いた。
「で、どうだ? お前もこっちにつかないか?」
「それを言いに来たのか」
アルファスがつい苦笑してしまったのは、友人の口振りに、士官学校時代「寮を抜け出さないか」と誘われた時のことを思い出したからだ。
ケストナーは当然、といった顔で強く頷く。
「これ以上言いなりになるのも馬鹿らしいだろ。みんなも知れば気が変わるさ。
 こっちも情報を流してるんだが、上層部がもみ消しに奔走してるみたいでさ」
「ああ、なるほど」
貴族や軍上層部が何処までこの真実を知っていたかは分からないが、たとえ今知らされたのだとしても、彼らは既得権を守る為にラディクの叛逆を止めようとするだろう。
もしかしてこの一ヶ月間の実のない審問も、アルファスがそれを知っているか否か、探りを入れようとしていたのかもしれない。
ケストナーは自分の襟元に手をやると、首筋を開けて見せた。
―――― そこには既に《鍵》はない。新しく貼られた皮と薄い手術跡があるだけだ。
アルファスは予想していた眺めにただ無言を保つ。
彼は一つしかない窓を見上げ、注ぐ月光に目を細めた。答を待つ友人に返す。
「ここにはどうやって来たんだ?」
「ちょっとな。伝手があって」
「……あれと話したい。可能なら代わってくれ」
ケストナーはその要求に真面目な顔になると頷いた。小箱を挟んだ扉を開け出て行く。
大して間をおかず扉は再び開かれ、一人の人物が入ってきた。
随分久しぶりに見るようにも思える姿。黒衣の魔女は微苦笑して頭を下げる。
月光に浮かび上がるその姿を見て、アルファスは少なからず驚いた。
「腕は」
「治しました」
彼が斬りおとしたはずの左腕は、元通り繋がっている。
ティナーシャは義手ではない白い指を上げて動かして見せた。
アルファスの目には、罪悪感は消えないまでも、幾許かの安堵が浮かぶ。
だが彼が驚いたのは、それだけが理由ではなかった。
かつては少女の姿をとどめていた女。その彼女は一月会わぬ間に、二十歳ほどの大人の姿に変わっていた。
長い黒髪に白い肌。完成された芸術品を思わせる美貌。
外見と中身の乖離が生み出す不安定さが消え、今の彼女は静かなる女王の如き姿を夜の中に佇ませている。
ティナーシャはアルファスが驚いているもう一因に気付くと微笑した。
「そんなにおかしいですか?」
「いや」
妙な落ち着かなさを覚えて、彼は視線を逸らす。
その落ち着かなさは、罪悪感や疑問、騒動への批判と混ざり合い、何から言えばいいのか分からぬ状態になっていた。
せめて少女姿のままであれば、もう少し正面から向き合えたのかもしれない―――― そう思いかけて、だが馬鹿馬鹿しさを感じアルファスは己の困惑を振り切る。
「痛むか?」
「いいえ。完全に元通りですから。気にしないで下さい」
何処か一線を引くような声音に、彼は口にしかけた謝罪を飲み込んだ。
原因や結果がどうあれ、襲撃者は彼女であり、彼は立場上それを阻んだだけである。
謝られる筋合いはないと無言で示す彼女は、しかし彼と同様罪悪感を抱いているようにも見えた。
ティナーシャの伏せた視線に重ねるようにして、アルファスは述懐する。
「お前は……初めから全部知っていたんだな」
「ええ」
「初めから、帝国を覆すつもりだったのか?」
そのつもりで彼女は、二年もの間鳥籠の中にいたのだろうか。
断続的に重ねていた邂逅。時に淋しげに、時に鋭い姿を見せていた彼女は、ずっと終焉をもたらすことを望んでいたのだろうか。

小さな窓。
差し込む月光は、虚実をないまぜに溶かし込んでいるように見える。
ティナーシャは目を閉じて微笑むと、首を左右に振った。
「本当は違ったんです。私はただ一つのものを返して欲しくて……」
「皇帝がそれを拒んだのか?」
「いいえ。あの人が拒んだのは私との取引です。
 そうではなく、私たちから一つのものを奪い、それを返すまいとしているのは―――― 」
言葉の切れ目に、小さな溜息が聞こえる。
彼女はその一瞬に僅かな逡巡を見せた。
だがティナーシャは結局、アルファスを真っ直ぐ見上げると小さな唇を動かす。
「それは、この大陸の遺志なんですよ」