鳥籠の女 17 - 悠久を収めし櫃

mudan tensai genkin desu -yuki

「牢」から出された翌朝、アルファスはまずその足でカーティスのところへと向かった。
昨晩ケストナーから聞いた話を彼にも伝えようと思ったのだが、ケストナーはカーティスの前にも現れていたらしい。
おそらくはティナーシャがアルファスと話をしている間に、彼は友人の家までその足を伸ばしていたのだろう。
一通り情報を照らし合わせた二人は、カーティスの部屋で苦いお茶を啜った。
部屋の主である男は、手元の小皿に角砂糖を積み上げている。
「吃驚な話だよなあ。《鍵》が嘘で、色んなことも嘘で」
「《鍵》の方についてはあいつが現れなかったら、今でも騙されていただろうな」
《鍵》を持たぬ皇帝の小鳥。彼女の存在が、今日の混乱を招いたと言っても過言ではないだろう。
なにしろ「叛逆」という概念が薄れるほどに、密やかな統制が為されていた帝国だ。
ラディクについても、ティナーシャが《鍵》を外してしまうという処置を施していなかったら、謀殺で終わらせた可能性が高い。
アルファスは、長い帝国の歴史において、一体何人の人間がそのように葬り去られたのかをふと考え、薄ら寒さを感じてお茶を手に取った。
カーティスは七つ目の角砂糖を慎重に砂糖の塔の頂上へと乗せる。
「でもラディク公も準備が早いよなあ。帝都に呼び戻されて、猫のお嬢ちゃんと出会って、すぐにこれだもんな」
「猫のお嬢ちゃん……?」
それがティナーシャのことを指しているのだとは分かったが、もう彼女は「お嬢ちゃん」といった姿ではないのだ。
アルファスは昨晩のことを思い出し微妙な表情になりつつも、友人の感想を訂正した。
「いや、おそらくラディク公は前々から今回のことを準備していたんだろう。
 下手をすると南の内地に飛ばされた時から、根回しをしていたのかもしれんな」
「そんな早くにか?」
「あの人は多分、飛ばされたから気付いたんだ。北部戦線の英雄とは皮肉なものだな。
 ―――― ラディク公は、本来あの戦いで勝利してはいけなかったんだろう」
ほぼ決しかけていた敗戦を覆した男。彼は、その勝利を妬む大貴族たちの工作により南部に異動させられたというが、実際の理由は「嫉妬」ではなく「排除」だったのだろう。
周辺国との分割統治が本当ならば、全ての戦争はおそらく「あらかじめ結果を決められた戦闘」なのだ。
現に禁域が発生してから約四百年、帝国は周辺国と大規模戦争から小競り合いまで多くの衝突を繰り返しているが、その国境が大きく揺らいだことは一度もない。
気付いてしまえばまるで茶番劇だ。彼らが従事する戦争は結局皆、予定調和の線上に配された出来事だったのである。
ラディクはしかし、その予定調和を覆してしまったがゆえに戦場から遠ざけられた。
そして彼は不当な待遇を受けることによって、帝国の違和感に気付く切っ掛けを得たに違いない。
《鍵》自体の真相はティナーシャに接したからこそ得られた情報かもしれないが、彼には彼なりの下地があってこの叛逆に辿りついたのだ。

アルファスがそう説明すると、カーティスは面白くもなさそうな表情になる。
無理もない話だろう。今まで自分たちが命を天秤にかけて携わってきた戦争が、盤上のゲームのようなものだったのかもしれないと言われたのだ。
カーティスは角砂糖の塔を崩してしまうと、頭の後ろで腕を組む。
「だがなあ、なんでわざわざ戦争なんてするんだ? 色々勿体無いだろう」
「産業活性化の為……ってだけでもなさそうだな。俺たちの目を外に向けさせたかったとかか?」
「だったら最初から軍人なんて枠自体をなくせばいいと思うんだがなあ。それくらい出来そうな感じする」
素朴とも言える友人の疑問にアルファスは首を傾げる。
なくてもいいはずの、だが事実行われている戦争―――― そこにはまだ何か意味があるのだろうか。
もし何かあるのだとしたらそれを知っているのはティナーシャか皇帝か。
そこまで考えて彼は改めて皇帝の存在を思い出した。
この茶番の中心たる存在。彼は、何処までを知り、何処までに関係しているのだろう。
皇帝が全てを操っているのだしたら、今回のことはいささか彼の意図が読めない。
何故わざわざ危険なラディクを帝都に呼び戻すような真似をしたのか。何故襲撃を読みながら先手を打とうとしなかったのか。
アルファスは未だ欠けた真実の断片に思考を巡らす。無意識のうちに右手が服の下の《鍵》を探った。
「お前は……ケストナーについて行かなくていいのか?」
「ん? 様子見中。すぐにはそう陣営を変えられないだろ」
「まぁな」
子供のように奔放な性格のカーティスと、細かいところに煩いケストナー。
彼らはよく逆に見られるのだが、実際にはカーティスの方が保守的で、ケストナーはリベラルだ。
彼らの出自を比較してみればそれらは至極もっともな性質であるのだろうが、表面的な性格からすると意外と思われることもあるらしい。両者の大体中間に位置するアルファスは、ケストナーの思い切りのよさを思い出して苦笑した。
「まさか《鍵》を取り去るとはな……」
それは彼らにとって日常の欠如そのものだ。
あるべきものを捨て去っての日々とは、一体如何なる気分がするものなのだろう。
アルファスはお茶を手に目を閉じる。小さな頭痛がその時、彼を苛んだ。



街角に立つ女。
娼婦ではなかった。彼女が娼婦であるはずがない。
だが、彼女はまるでそうであるかのように彼を手招いた。
赤く塗った唇で、薄紅の貝のような爪の手で、彼を誘ったのだ。
美しい女だった。二人といない女。
その瞳に一目で惹かれた。
だから彼は彼女の手を取り――――

女は泣いている。
彼は目覚めない。
あの時、彼女は何と言ったのか。



「アルファス?」
怪訝そうな友人の声に、男は我に返った。
まるで白昼夢を見ていたかのようなぼんやりとした感覚。彼は頭を振って思考にかかる紗幕を振り払う。
それに伴って思い出すことの出来ない記憶が零れ落ち、毛足の長い絨毯に潜り込んでいった。
アルファスは気を取り直すとカップに口をつける。
「何でもない」
「そっか? 何か疲れてないか?」
「疲れていると言えば疲れているかもしれないが、大したことじゃないだろう」
謹慎明けの男は冗談めかして肩を竦める。
それきり話は切り上げられ、彼らはそれぞれの居場所へと戻っていったのだ。






ティナーシャとケストナーが現れてから二週間、表面的には平穏な日々が続いた。
審問への召喚はなくなり―― だがそれは単なる休憩期間なのかもしれない―― アルファスは通常の軍務に戻る。
彼は審問の合間もそうしていたように、叛逆の余韻でまだざわついている部下たちをまとめ、有事を想定した訓練を執り行った。そうして皇帝に仕える指揮官の一人として過不足なく役目を果たしながら、だがアルファスは、部下一人一人の声にさりげなく耳を傾けていく。
部下たちの多くは、ラディクが己の処遇に不満を抱いて叛逆したと思っているようだが、何人かは噂を耳にしたのか、今回の件に懐疑的な目を向けているらしい。
その中の一人、数年来の付き合いがある下士官から「西部基地では何があったのか」と聞かれて、アルファスは苦笑した。
「かなりの人数がいなくなったようだな」
「それは離反してラディク公についた、ということでしょうか」
「断言は出来ない。だがその可能性は高いだろう。―――― これを言うと上に睨まれるが」
緘口令はその一件に関しても敷かれているが、西部基地での真相を知らないことになっている彼には、当然ながら緘口命令も下っていない。だがそれでもアルファスは上に睨まれているということもあり、たとえ推論であってもおおっぴらに口にすることは出来なかった。
下士官は納得がいっていないような表情になったが、上官の立場を慮ってかそれ以上は追及して来ない。
しかし似たような不信感は彼に限らず、そこかしこに小さな芽を出しているようだった。



アルファスは、その日の軍務を終えると一人帰路につく。
―――― 少しずつ、皆の常識が傾いている。
それはやはり叛逆の事実があってこそだろう。あの襲撃は、そういった点では大きな効果をもたらしたのだ。
ラディクやティナーシャがそこまで計算していたのかは分からないが、あれが単なる失敗に終わらず次への布石となったことは確かだ。
そして「次」はそう遠からずやって来る。
アルファスはその時が迫っていることを、上層部の混迷や街中の空気から薄々感じ取っていた。
白光灯が等間隔に埋め込まれた舗道を、彼は宿舎に向かって歩いていく。近道をしようと薄暗い路地を曲がった時、光の差さぬ影に何やら人影が蹲っているのに気付いた。
アルファスは銃の存在を意識しながら暗がりを覗き込む。単なる酔っ払いかとも思ったが、具合の悪い人間なら声をかけようと思った。
しかしその人物はアルファスに気付いて身を固くする。大して年も変わらないであろう若い男。その表情が恐怖と緊張で固まった。
アルファスは訝しく思いつつも誰何する。
「何者だ? こんなところで何をしている?」
男は答えない。彼の視線はアルファスの襟元に集中しており、そこには軍の階級章がつけられていた。
それ以外は私服であるが、これを見れば彼が上級士官であると分かる。アルファスは男の目に軍を忌避する感情を見て取って、顔を顰めた。
「何だ?」
「……何でもない。少し飲みすぎただけだ。放っておいてくれ」
「酒の匂いがしない」
図星を突かれた男は押し黙る。その時路地の奥から複数人の足音が近づいてきた。
駆け足のそれらは、アルファスが聞けば軍人のものだと分かる。彼は顔色を失くした男を一瞥すると、近くにあった木箱の陰を示した。
「隠れろ」
男は慌てて言われた通り身を隠す。一瞬遅れて現れた男たちは、アルファスの予想通り軍服に身を包んだ兵士たちだった。
彼らはアルファスとその階級章に気付くと敬礼を返す。彼は自分もそれにならいながら問うた。
「何かあったのか?」
「それが、上官殿の命令で思想犯を追っておりまして」
「思想犯?」
それはまた「粛清」や「叛逆」に並ぶ耳慣れない単語だ。
兵士たちもその違和感は同様らしく、アルファスを前に困惑した表情をしている。
彼らは上級士官を前に、まるで納得のいく説明を得られるのではないかと仄かな期待を窺わせる顔になったが、アルファスはただ「誰も見なかった」とだけ返した。落胆の目を押し殺して兵士たちが表の通りに消えると、彼は改めて溜息をつく。
「出てきていいぞ」
「……何で庇ってくれたんだ?」
「さぁな。それより何故追われているんだ? ラディク公に関することか?」
ラディクの名を出した途端、男が息を飲んだのが分かる。アルファスはもう少しだけ探りを入れた。
「《鍵》のことか。報道関係の人間か?」
それは、男の服装や雰囲気からの推察であったが、的を外していなかったらしい。
相手は蒼ざめたきり何も言わなくなってしまった。強張った手が、肩から掛けていた小さな鞄を背後へと押しやる。

おそらく「次」はもうすぐそこに迫っているのだろう。
今の状態は水が溢れる寸前のコップに似て、最後の一滴を待っている。
だから或いは―――― これが最後の一滴になるのかもしれない。
アルファスは通りと路地を見回し、何処にも兵士たちがいないことを確認すると男に言った。
「行け」
相手は困惑と疑いの目を彼に向けつつも、小さく頷いて路地の闇に消える。
アルファスは途端襲ってくる疲労感にこめかみを押さえた。頭痛の欠片が指の下で疼く。
何がどう転ぶかは分からない。この帝国に変革が訪れるのか、それとも再び「元通り」になってしまうのか。
だが、最後の時はきっと来るのだろう。その時には彼女が現れる。
アルファスは穴だらけの推論を抱えて、一人家に帰りついた。
―――― 《鍵》についてのラディクの声明が、ある報道機関を通じて帝都中に届けられたのは、その翌朝のことだった。