鳥籠の女 18 - 悠久を収めし櫃

mudan tensai genkin desu -yuki

冷たい金属製の手すりと足場は、広い格納庫の上部を一周して細い通路を確保していた。
その欄干にもたれかかり、格納庫の壮観な眺めを見下ろしていた彼女は、ふと人の気配を感じて顔を上げる。
近くのドアから現れたラディクは長身を軍服に包み、超然たる態度で眼下に居並ぶ無人機を一瞥した。
ティナーシャの隣に立つと、男は皮肉げな声をかけてくる。
「面白いか?」
「ある意味」
「お前にとっては全て玩具と大差ないものなのだろう」
嚆矢たる襲撃時にはその異能を以って全ての無人機を沈黙させていた女。
ティナーシャはあからさまな揶揄に、だが一筋たりとも表情を変えることはなかった。むしろ清清しさえ感じさせる声音で言う。
「いえ、面白いです。独立兵器自体が戦争の主体を担うとは。血の流れない戦闘ですね。合理的です」
「お前の大陸では未だに人同士の戦闘をしているのか?」
「多大な犠牲を払わずに済むのなら、人間はただの遊戯であるかのように容易くその一線を越えてしまうでしょう」
場合によっては痛烈な皮肉ともなる返しに、しかしラディクは鼻で笑っただけだった。
戦争への抵抗感がなくなると言われても、事実彼らの行っていた戦争は結果の定められた遊びにしか過ぎなかったのだ。
いつ何処で誰と戦うか。どちらがどれだけ犠牲を出し、最終的な被害はどれほどのものか。
全てははじめから決まっていた。決まっていなかったのはせいぜい「誰が死ぬか」くらいのもので、世代別死者の人数でさえ水面下でおおよそ決されていたのである。
そうしてだが、予定上にあった敗戦を覆してしまった彼は、当然のことながら上に疎まれることとなった。
内地に飛ばされ戦線から遠ざけられ―――― けれどそこで終わらず、ラディクは自ら転機を選び取ることになる。
はじめはただ、もっと自分を高く買ってくれる国はないかと思った。
しかし独自に周辺国へ密偵を送り、他国上層部の情勢を探った彼は、半ば偶然の結果として茶番の絡操を知るに至ったのだ。
その時より彼が抱いた野望は「帝国を覆すこと」。
或いはそれは復讐心のようなものだったのかもしれない。
駒として動かされ続けた男は、真実を知ってゲームの指し手へと牙を向く。
そしてその過程で、やはり「指し手」である女と出会ったのだ。

「最低限の情報は周知されたようだな。帝都は今、混乱の極みにあるそうだ」
「そうですか」
ティナーシャの返事には熱がなかった。
この女はいつでもそうで、ラディクは彼女が感情的に振舞っているところなどまったく目にしたことがない。
ただそれでも彼女に接触を図る前、秘密裏に入手した鳥籠の映像記録には、まるで別人のように柔らかく微笑む彼女の姿も映っていたのだ。
鳥籠の女がただ一人執着を見せていた男―――― 有能な対人戦闘の指揮官で知られる彼は、ラディクの陣営には加わっていない。
「明日には攻勢を開始する。北東部の無人機基地を皮切りに、七つの基地を無力化する」
「そうですか」
先ほどと同じ返答。
それをラディクは予想していたが、実際聞くと小さな苛立ちが沸き起こった。
自分を振り向かないティナーシャの肩に、彼は手を置く。彼女は煩わしげにその手を見ただけで振り払おうとはしなかった。
少しの毒を込めてラディクは女の耳に囁く。
「お前は動かないのか?」
「動かなくてもいいと、言質は取ってあるつもりなのですがね。
 言っておいたでしょう? ―――― 私の為に玉座を空けて来いと」
一段低くなった声に、ラディクは乗せていた手を引いた。
確かにそれは、襲撃の援護や、更には《鍵》を取り去る為の技術を彼女が教授することの見返りとして、ラディクが約束していたことである。
ティナーシャは詳しくは語らなかったが、鳥籠にいた二年間、《鍵》を人間から取り去る為の情報と技術を密やかに集めていたらしい。
それをすぐさま実行出来るほどのレベルで提供されたことはかなりの幸運であろうが、彼はまだティナーシャの本当の目的は何であるのか、そこからして見極め切れていなかった。
第一、何故玉座を「奪って来い」ではなく「空けて来い」と言うのか。
他にも色々と不審なところがある魔女を、ラディクは冷ややかな目で睨む。
「多大な犠牲とやらを問題視しているのなら、お前自身が戦線に立てばいい。大分犠牲が減らせるぞ」
彼女の力は、既にはじめの襲撃時において証明されている。
あれだけの力が加わるなら、そもそも無人機同士の戦闘さえ避けられるのだ。
そうなれば圧倒的有利な立場から、相手に降伏を勧めれば済む。
ラディクは本気でそれを願っているというより、むしろティナーシャへの嫌味を込めて皮肉に口元を歪めた。
女はふっと笑う。
「遥か昔に、似たことを問われたことがありますよ」
「似たことだと?」
「ええ。―――― 大陸最強の力を持っているにもかかわらず、何故争い続ける人々の歴史に介入してそれを留めないのかと」
ティナーシャはその時、ようやくラディクを正面から見据えた。
計り知れぬ奥底を持つ闇色の瞳。昏い双眸が、彼を通して遠い過去の「誰か」を捉える。
ラディクは自分が深淵を目の当たりにしている気がして、緊張に息を飲んだ。内心の動揺を悟られぬよう、あくまでも傲然と聞き返す。
「それで? 何と答えた」
「私は人の思考を殺す気はない、と」
それは、今の帝国に対する彼女の答でもあるのだろう。
思考を殺された国に生まれ、その中で反旗を翻した男は、けれど女の物言いに反感を覚えて自嘲気味に返した。
「思考を生かして、代わりに命が失われてもいいということか?」
「与えられることを当然と思う家畜の生で満足なら、いくらでも支配して差し上げましたよ。
 もっとも―――― 私が与えられたものは精々『恐怖』くらいでしかなかったでしょうが」
細い欄干越しにティナーシャは整然と居並ぶ兵器を見渡す。
たった一人でこれら全てと戦い得る彼女は、穏やかとも言える声で言った。
「人は、神にはなれない。そして神は、必ずしも人を救うわけではない」
謳うような言葉。
悠久を渡る女には何が見えているのか。
ラディクはいつか聞いた「永遠の生」について思い返した。未だ正体の知れぬ女に、畏れを抱きつつも向き合う。
「それが、お前の答か?」
「いいえ。事実ですよ」
人ならざる魔女は、そう言って笑った。



分かるような分からないような彼女の態度だが、攻勢に参加する気はやはりないということだけは分かった。
元々単なるあてつけで聞いてみただけのラディクは、別段その返事に失望することはなかったが、代わりにあることを思い出して指を弾く。
「そうだお前、あの男に会って来い」
「誰ですか。皇帝ですか?」
「違う。お前が付きまとっている男だ」
その言葉に、ティナーシャは愕然としたような虚を突かれたような、何とも形容しがたい表情になった。
ラディクは溜飲の下がる思いに指を差して笑い出したくなったが、それをしては彼女の機嫌を冗談では済まぬほど悪化させることは明らかである。彼は内心を押し隠して、表では平然と続けた。
「まずお前は、あの男を篭絡出来そうなのか? こちらにつけられそうなのか?」
「……別に篭絡しようともしてないですけどね……。
 あの人がどちらにつくのかは分かりませんよ。対処療法的に立ち回りそうな気もします」
「ならちょっと揺さぶって来い」
「ええ?」
怪訝そうなティナーシャに、ラディクは最終的な帝都攻撃の手順を伝える。
それをアルファスに教えて来いという男に、彼女は嫌そうな顔になった。
「やめた方がいいですよ。不確定要素が増えるだけです」
「内通者は他にもいる。あの男が教えられた情報をどう扱うかによって、大体の旗色も読めるだろう。
 こちらにつくなら利用すればいい。そうでないなら教えたことの裏をかけばいいだけだ」
「そうは言いますけど……あの人を巻き込むと時々完全にひっくり返されたりしますからね……」
こめかみを掻くティナーシャは、苦い表情にも当の男への高い評価を窺わせている。
ラディクはいささか面白くない気分を味わいながら、重ねて後押しした。
「手をこまねいていては皇帝に奴を使われるぞ。せめて中立におけるよう努力したらどうだ」
「気が進みませんよ。それが貴方の戦略の一つっていうなら別にいいですけどね」
「面白いことを言うな。お前は俺に従う気があったのか?」
嘲りを込めて女を見下ろすと、ティナーシャは目を閉じて微笑んだ。
何物にも囚われぬ漂白された貌が、彼女の存在を遠いものとして見せる。
鐘を鳴らすような声が男の耳を打った。
「従う? 私が膝を折るような相手なんて、誰一人いませんよ。―――― 今、この世界には」



女はそれだけを言い捨てて前触れもなくその場から消え去る。
何度見ても慣れることのない異能。ラディクは一人に戻ると舌打した。
神には非ず、人にも非ざる女。
だが彼女の今の言葉が、どれだけの異常を含んでいるのか、人たる彼には知る由もなかったのである。






初めて出会った日のことを、彼はもう覚えていない。
記憶を消してしまったのは彼女だからだ。
泣きながら、その日会った記憶を全て消した。そうするしかなかった。
重い花の香が漂う寝台。
彼は眠っている。もう目覚めない。目覚めることはない。
彼女は泣いている。ない記憶を探して力を紡ぎ続ける。
永遠に限りなく近い旅路。
望んでいたものは終わりか、それとも終わらないことか。
ただ「それ」はとうに奪われてしまったもので―――― 彼女はあの日、己の進む道を確かに束の間見失った。