鳥籠の女 19 - 悠久を収めし櫃

mudan tensai genkin desu -yuki

絶えず戦争を続ける帝国において、軍人は一通りの訓練を終え実戦に出てしまえば、以後爆音を聞かなくなる者も少なくない。
民間人は外に目を向けさせられず、戦争に関心を持つ環境にないと指摘されることもあるが、実際それら戦闘に従事している軍人たちにとってもまた、戦争とは距離を隔てた場所で行われるものなのだ。
勿論主戦力である無人機を動かす操手たちにとっては、《鍵》を通じて流れ込んでくる情報と、展開される映像が戦場そのものである。
だから彼らは、己の耳で爆音を聞くことはない。
彼らがそれを聞く時、勝敗は既に決してしまっているのである。



廊下の壁に寄りかかり目を閉じていたアルファスは、一瞬耳の奥で弾けた爆音の幻聴に目を開けた。
思わず目だけで左右を確認するが、変わったものは何も見られない。
帝都の中央地下に位置する基地は、現在叛乱軍との衝突を目前に控えて、慌しい空気が満ち満ちていた。
三日前から基地内に詰めている男は、頭の中で再度状況を確認する。
―――― ラディクの指揮する叛乱軍が、各地の無人機基地を襲撃し始めてから五日が経った。
もともと内通者がそこかしこにいたのだろう。操手部隊を直接包囲攻撃された各基地は次々降伏し、中には進んで寝返った部隊も複数あるという。
一方帝都はそのような状況において、各基地に援軍を出すわけでもなく、ただ必ず来るであろう戦闘に向けて守りを固めていた。
それは中央さえ助かればよいという利己的な意識ではなく、単にそれしか出来ないという実情の為である。
報道機関によって嘘か真か分からぬ《鍵》の真実が暴かれた今、帝都は混乱の最中にあるのだ。軍内部においてもそれは変わらず、いまやこの国はそこかしこで急速な瓦解が始まっていた。
アルファスは皮肉な思いで己の《鍵》を探る。
かつて医者であった彼の父親は、貴族の娘が産み落とした私生児に《鍵》を埋め込もうとして、殺された。
通常《鍵》は、赤子が生まれてすぐに処置を施さねばならない。逆に言えば、医者のいない場所で子供を産むということは、死産も同然であると思われていたのだ。
だから家を飛び出した娘も、伝手を辿って医者である父を頼った。
父は非合法なことにも手を染める医者であったが、それは単に日頃から融通のきかぬ法よりも人命を重んじていただけのことである。
彼は話を聞いて娘を快く匿い、その出産に立ち会った。
そして父は、取り上げた赤子諸共、彼女を連れ戻しに来た者たちに殺されたのだ。
貴族にとって体面とは、時に人命よりも重んじられるものである。
父の死体は路地裏に捨てられ、《鍵》を得られなかった赤子は存在すら記録されなかった。
家に連れ戻された娘は後に、自ら《鍵》を抉り取って自殺したというが、それは後味の悪さを増しただけだろう。
誰も救われず、何も残らない決着。―――― だがこの悲劇を回していた《鍵》は、その意義からして偽りであったのだ。

もし《鍵》がなければ父は死なずに済んだのだろうか。
そのようなことを考えるには、アルファスは既に大人になりすぎている。
おそらく、《鍵》がなくとも父は、いつか誰かの為に死んだのだろう。
そしてその息子である彼は、やはり誰かを殺してその上に生きていくのだ。



「悪い。待たせた」
友人の声にアルファスは再び閉じていた目を開けた。
やって来たカーティスは、野営用の金属カップに入ったお茶を二つ持っており、一つを彼に渡してくる。後ろに何かをつけているのか、白いひらひらとした布が男の足の間にちらついて見えた。だがカーティス本人はそれには触れずに、友人と並んで廊下の壁に寄りかかる。
そうして二人でお茶を飲むと、自然と士官学校時代の演習を思い出した。アルファスは思わず苦笑する。
「懐かしいな、このカップ」
「冷めにくいかと思って手近にあったの選んだんだが、あんま変わらないな」
「あの時は三人で本隊からはぐれかけた」
それは生意気な平民として睨まれていたケストナーとアルファスに、他の士官候補生が嫌がらせで誤った伝達をしてきた為なのだが、何故かカーティスまで巻き添えになり、処分者まで出る面倒ごとになったのだ。
既にあの時から十年近くが経過している。アルファスは時の流れに透徹を見て沈黙した。
物思いに耽るほんの数秒。彼は気を取り直すと隣の友人に尋ねる。
「それで? どのような感じだった?」
「うーん、とりあえず何が何でもラディク公を討ち取る、って方針みたいだなあ。
 正直叛乱の規模が大きくなりすぎて、正面から戦ったら不味いって意識はお偉方にもあるみたいだ」
「結果の決まっていない戦争なんて数百年ぶりだろうからな」
おまけに帝国軍の内部も、今は疑心と不安で崩れかけている。
これではまともに戦えるかどうかも分からない。アルファスは実際の衝突が起きた際、どう部隊を動かせば一番被害が少なくて済むかを頭の中で演算した。そこに、カーティスの声が割り込んで聞こえる。
「で、なあ。こっちは不確定情報なんだが……お前の部隊、直属の護衛軍に回されるかも」
「は?」
それを聞いて、帝都周辺、状況が悪化しても帝都内での戦闘を計算していた男は、つい素っ頓狂な声を上げてしまった。
カーティスは頭を掻いて困惑を顔に浮かべる。
「いや、噂っぽい感じなんだけどな。前の襲撃で護衛部隊が壊滅しちゃっただろ?
 あの穴を埋めないとってことで、で、お前は前回陛下に直接呼びつけられてたからその可能性もあるんじゃないかと……」
「まったく聞いていない。そうならそうと早く言って欲しい」
「じゃあ単なる噂か」
友人の言葉に頷きながら、だがアルファスはふと皇帝のことを思い返す。
何かを知っていて、だが読み取れぬ動きをする主君。彼が今回の叛逆をどう見ているのか改めて気になったのだ。
前回アルファスが御前に呼び出されたのは、おそらくティナーシャを抑える為なのだろうが、次はどのような采配を振るうつもりなのだろう。皇帝に問い質せるものなら問い質してみたい。アルファスは臣下である立場の不自由さに苛立ちを覚えた。
しかしカーティスの方は、この話題は終了したと思ったのだろう。ついでのようにもう一つを付け加えてくる。
「あとな」
「うん?」
「ちっちゃい猫のお嬢ちゃんがお前を探してたから、案内してきてやったぞ」
「…………は?」
カーティスの横に並んでいた「白いひらひらした何か」は、体を起こしてアルファスの前に立つ。
気まずそうな顔をした五歳くらいの幼女。しかしその顔は見間違いようもない女のものだった。
ティナーシャは当惑した顔で彼を見上げる。
「あの……お邪魔してます」
アルファスは彼女の顔に向けて、飲んでいたお茶を思い切り噴き出した。



「何を考えているんだ、お前は!」
心からの叫びに、ティナーシャは渡されたシャツを見下ろした。それとは別に、お茶の染みが出来てしまった自分のワンピースを見やる。
「私が悪いってのは分かりますけど、この仕打ちはないですよ……」
「ここはお前の敵地だ!」
もっともな発言にティナーシャは頷く。彼女はタオルで濡れた前髪を拭った。
さすがにあのまま廊下で立ち話をしていては不味いということで、アルファスは基地内に割り振られた自室に彼女を連れてきたのだが、目の前にいるティナーシャを見るだに頭痛がして仕方ない。まるでおかしな夢を見ているようだ。
大体カーティスもティナーシャが敵であることは知っているはずなのに、少し小さくなったくらいでどうして無用心に連れてきてしまうのか。「妹さんだよな? 可愛い可愛い」と言って引き渡された女もアルファスも、双方が微妙な表情になってしまったくらいだ。
大して広くもない士官用の部屋で、ティナーシャは着ていたワンピースを脱ぐと、アルファスのシャツを羽織った。ずるずると床についてしまう裾を見て、彼女は眉を顰める。
その間彼は少女に背を向け、寝台に広げていた書類を片し、情報端末にロックをかけていた。
今更情報漏洩を警戒しても仕方がない気もするが、気分的にそこはきっちり線を引いておきたい。
アルファスは不味そうなものを全部片付けてしまうと、もういいだろうと振り返った。振り返ってすぐ、所在なげな女にシーツを投げつける。
「何勝手なことをしてるんだ、お前は!」
「着替えて外見年齢戻しただけで、何故怒られるんですか……」
本来の姿に戻った女は、膝より少し上のシャツを摘んだ。白い足は子供の靴が入らないので今は素足である。
少女姿の時とは異なる艶かしい形の脚を、しかし彼女は無造作に振って見せた。
「裾引き摺るよりいいかと思いまして」
「引き摺れ! それが嫌なら下を履け! お前に羞恥心はないのか!」
「この年になると、もうあんまり」
言いながらもティナーシャは男の怒気を感じ取ったらしい。投げつけられたシーツをスカートのように腰に巻きつける。
「そもそも貴方がお茶を噴き出さなきゃよかったんですけど……」というぼやきを無視して、アルファスは彼女を睨んだ。
「それで? 今度は何しに来たんだ」
「伝言ですよ、伝言。貴方に情報を流してくれと言われました」
「誰から」
「ラディクから」
「……何故」
「さぁ……」
たちこめる沈黙に、二人は何ともいえない顔を見合わせた。