鳥籠の女 20 - 悠久を収めし櫃

mudan tensai genkin desu -yuki

唐突に敵地へとアルファスを訪ねてきた女。
ティナーシャは無言の圧力に耐えられなくなったのか、彼の了承を得ぬまま問題の情報を話し始めた。
具体的な日程こそ伏せられていたものの、北東部の地下と南門に攻勢をしかけ、帝都内を制圧するという内容に、アルファスは腕組みをしたまま思考を走らせる。
―――― 攻勢の戦術については、驚くほどの情報ではない。
それはアルファスが既に「もし自分が帝都を攻めるなら」と考え、幾通りか挙げた可能性のうちに入っていたからだ。
だからそれについては問題ない。むしろ問題であるのは、「何故それを自分に教えるか」である。
彼は、ティナーシャが伝言を口にし終えると改めて冷ややかな目を向けた。
「よし、じゃあ本当のことを話せ」
「と、言われましても」
「それを俺に教える意味が分からない。狙いを吐け」
「吐くことがないんですよ」
両手を上げて肩を竦める彼女は、本当に困惑しているようである。少なくとも嘘をついているようにはあまり見えない。
しかしそれはそれで、彼女が訳の分からぬままラディクの言いなりになっているようで、アルファスには面白くなかった。
彼は一呼吸置いて気分を切り替えると、ティナーシャに別の切り口を向ける。
「お前は皇帝の狙いが何だか知っているか?」
「……どうでしょう」
女の声音が微かに変わった。闇色の瞳が細められ、感情に膜がかかる。
アルファスはその変化を肯定と見て取ると、重ねて問うた。
「お前が皇帝としようとしていた取引は何だ? お前は何を探している?」
「何故そんなことを聞くんです」
「お前の目的が知りたい」
それさえ分かれば、少しは彼女の行動も読めるのかもしれない。
そうでなくとも譲歩が可能になるかもしれないのだ。
ティナーシャは何かを堪えるように目を閉じると、壁際から離れ、彼の前まで歩いてきた。白い手がいつかのように頬へと伸ばされる。
「それを聞いたら、何かしてくれるんですか?」
「内容によりだ。今のところお前が一番要注意人物だからな」
「決着がつくまで何もする気はないですよ」
「ついた後はどうする? 何をするつもりだ」
彼の言葉は、核心近くを突いていたらしい。彼女は苦い表情で黙り込んだ。その顎をアルファスは捕らえる。
かつて皇帝の鳥であった女。傾城の美貌を彼は真上から見つめた。
「吐いていけ。お前は何もかも隠しすぎる」
「貴方に話せるようなことは何もないです」
「吐かせてやろうか」
「あの時の二の舞になりたいんですか?」
揶揄の色を僅かに湛えた返答は、確かにその瞬間、アルファスの気分を悪化させた。
思い出したくない光景を想起し、男は眉を寄せる。彼女の左肩を見て、彼は苦い顔になった。
「とにかく、まずおかしな異能を使うな」
「そう言われても」
彼に顎先を捕らえられたまま、ティナーシャはゆっくりと宙に浮く。
唖然とし、ついできつく睨んでくる男を、彼女は嫣然と見下ろした。可憐な顔を寄せ囁く。
「貴方に私は止められないと言ったこと、もうお忘れですか?」
髪に触れてくる手。
贖罪のように重ねられる唇は、ひどく蠱惑的な熱を伝えながら、けれど消えない一線を思わせた。
ティナーシャはか細い躰を男に添わせる。
束の間の温もり。
最後に軽く歯を立てて顔を離した彼女は、自信と自嘲を同時に窺わせる笑顔を見せた。
結局何も明かそうとはしない女。アルファスの内心にまた、消せない苛立ちが生まれる。



滑らかな足は、彼女が浮かび上がったせいで、再びその肌を曝すこととなっていた。
アルファスは扇情的な姿を苦々しげに見やると、その膝の裏に腕を回して引き寄せる。油断しきって目を細めるティナーシャを、おもむろに引き摺り下ろし、寝台の上に組み敷いた。さすがに目を丸くした彼女は、虚を突かれた声で問う。
「な、何を?」
「今吐けば放してやる」
「だから言うことは何もないですって―――― 」
女が言い終わるのを待たず、アルファスは彼女の首筋に顔を埋めた。細い躰が震える。
ティナーシャは慌てた様子で制止の声を上げた。
「ちょっ、ちょっと待った!」
「で、お前は何を探してるんだ?」
「待って下さいって! こういう吐かせ方やめてくださいよ! 弱いんですから!」
「俺が本気になる前に言った方がいいぞ」
ばたばたと暴れる彼女は鳥籠内での様子も何処へやら、罠にかかった動物のように彼の下から抜け出そうともがいた。異能の力を振るうつもりか指をあげかけて、だがすぐにその力も抜けてしまう。
闇色の瞳に蕩けそうな光が浮かぶのを見て、アルファスは顔を顰めた。強い酒に口をつけているような気分になる。
僅かな迷いに彼が指を止めた時、ティナーシャは力ない手で男の胸を叩いた。
「す、素直に話します……」
「最初からそう言え」
「うう」
彼女の降伏に、安堵だけでなく多少の残念さも抱いた彼は、しかしそれを表情にはまったく出さなかった。体を起こそうとして、ふと来客を告げるアラーム音に気付く。
彼本来の家とは違う基地内の部屋は、就寝時間前に限って、在室時に開扉要請を出されて一定の時間反応がなければ、自動で鍵が外れるようになっている。
そのことを思い出しアルファスはコードを口にしかけた。けれど一足遅くドアは自動で開かれる。
ドアの前に立っていたカーティスは、寝台の上の二人を見て頷くと、持ってきた毛布を入り口脇に置いた。アルファスに向かって軽く手を振る。
「猫のお嬢ちゃんが泊まるならこれ使えよ。あと、あんまりちっちゃい子苛めちゃだめだぞ」
あっさりとした様子で友人が去っていくと、ドアは再び閉まった。組み敷かれたままのティナーシャが呟く。
「これは誤解って言っていいんですかね……っていうかあの人に私は何歳に見えてるんですか?」
「俺に聞くな……考えたくない」
それなりの手段を使うとそれなりに痛い目にあうらしい。
アルファスは寝台の上に座りなおすと、頭を抱えて大きく溜息をついたのだった。



ティナーシャは改めて五歳児の姿に戻ると、寝台の上で膝を抱えて座った。膝に毛布をかけ、温かいお茶を飲みながら隣の男を見上げる。
「まず何から話せばいいですかね。大陸分割神話からですか?」
「神話など要るか」
「必要だと思うんですけど。昔この世界には大陸が一つしかなかったんですよ」
胡散臭げな表情になった男に、彼女は簡単に神代の伝説を教えた。
はじめの大陸は五人の兄弟神によって統治されていたこと。
彼らはしかし、人間について意見が食い違ってしまい、その結果大陸は五つに割られたこと。
そして分かたれた大陸をそれぞれの神々が治め、五つの大陸は異なる発展を遂げていったこと。
最後にこの大陸は―――― 長男であった神が治めていたことを。
初めて聞く大陸の神話。だがアルファスは、当然のことながらその真偽には懐疑的だった。話の区切りを見計らってティナーシャに聞き返す。
「それがどうした。所詮ただの神話だろう? お前の大陸が、勝手に他の大陸の分まで作った話かもしれない」
「と、思いますよね、普通。でも残念ながらこれ、本当の話なんですよ」
「……頭大丈夫か?」
「話すのやめますよ」
愛らしい外見の幼女から氷のような声で返され、アルファスはひとまず沈黙した。
ティナーシャはお茶のカップを置いてしまうと、両膝を抱いて素足の爪先を見下ろす。
「で、この大陸を司ったシルジニアド―――― 兄弟神の長兄は『人間の完全な管理』を主張していたんです。
 結果この大陸は、神代から四千年以上が経ってもまだ、人間の管理に重きが置かれている。
 それは分かるでしょう?」
小さな指がアルファスの首元を指す。その意味するところを悟って彼は息を詰めた。
「神の意志によって《鍵》がつけられたのだと? 馬鹿げている」
「《鍵》が始まりじゃないですよ。その前も《腕輪》があったんでしょう?
 調べてみればいいですよ。この大陸はずっとずっと、全ての人間が管理されている。
 少なくともそうしようと人は自ら動いてきたんです」
「人が?」
絵空事の話から、急に現実へと寄せられた話に男は目を瞠った。ティナーシャは大人びた目で笑う。
「だって神はもういませんから。今あるものはただの遺志です。
 それに基づいて人間が自ら自分たちを管理している―――― これを四千年もの間続けているんですよ」
別大陸から来た女はそこで疲れ果てたかのように目を閉じた。白い頬に薄い翳が差す。
アルファスは彼女の話を信じるべきか否か、そこからして決められずにいた。
神の実在など、今の帝国軍人が口にしたならまず正気を疑われてしまうだろう。ましてやその影響で今の社会が作られているなどとは妄言もいいところだ。
―――― だが今は、真偽はさておき出来るだけ多くの情報を引き出した方がいい。
アルファスは素早く意識を切り替えると、彼女への話題を転じた。
「それで? お前は誰に盗られた何を探している」
「神の遺志に盗られた力を」
「は?」
即座に返って来た答は、それぞれの単語は理解出来るのだが、まったくその意味が分からなかった。
アルファスは「詳しく話せ」と膝を抱える彼女をつつく。ティナーシャは苦笑して手を解いた。
「私って、お分かりかもしれませんが、人間じゃないんですよ」
「……は?」
「死んでも生まれ直して、永い時を渡り続けていく……人を外れた異質の魔女です」
闇色の瞳が深淵そのもののようにまたたく。
細い笛のように澄んだ声。それはあたかも時を越えて、悠久を鳴り響いているかのように聞こえた。
アルファスは黒い目に見つめられ、眩暈に似た感覚を覚える。
「お前、正気か?」
「勿論。―――― でも今の私は、その力の半分が欠けている。
 生まれ直した際に奪われてしまったんです。おそらく、この大陸の体制からあまりにも逸脱しすぎているから」
女は両手を広げ、その中に小さな雷光を生む。
火花のように散る金色の光は、彼女の異質のほんの一端を鮮やかに浮かび上がらせていた。
ティナーシャは雷光を消すと、男に向かって稚く微笑む。
「だから私は、その力を取り戻したい。それはこの先を戦う為に必要なものですから」



まるで荒唐無稽な話だ。
アルファスの理性はそれを一笑に付そうとしたが、何故かどうしても笑うことが出来ない。
ティナーシャは寝台の上に立ち上がる。
愛らしく幼い容姿。だが彼女の貌はこの時、確かに永き時の研磨を経ているように見えた。
深遠を宿す目が、哀惜を込めて男を見つめる。
「アルファス……どうか最後の時は櫃の間へ来て下さい」
「櫃の間?」
「その時私は貴方に聞くでしょう」
―――― 何を、と。
問い返す前に彼女は細い腕を広げた。音もなくその場から消え去る。
アルファスは反射的に手を伸ばしたが、そこにはもう何もない。彼女のかけていた毛布だけが敷布の上に落ちていた。
神の話、人の話、魔女の話。
あやふやなそれらは、御伽噺のように歪んで彼の心に影を落としていく。
どこまでが真実でどこまでが虚偽であるのか、アルファスはそれを計る物差しを持っていなかった。

そして彼女の話を解せぬまま現実へと戻った男は五日後、帝都における最後の戦闘に直面したのである。