鳥籠の女 22 - 悠久を収めし櫃

mudan tensai genkin desu -yuki

ラディクの宣言によって《鍵》の真実が明かされた時、帝都の一般市民たちの反応はまず「そのようなことがあるはずがない」というものだった。
長い年月をかけてゆっくりと狭められていった思考。それをもってしては、問題を提示されても自分たちの土台そのものを疑うことは難しいらしい。
ただそれでも一部の知識層は《鍵》の内部情報がまったく公開されていないことなどを改めて訝しく思い、真偽を求めて動き出した。
そして彼らはそれぞれ、ラディクの主張を裏付ける《鍵》のない人間たちと秘密裏に接触することが出来たのである。
帝国上層部は、問題の宣言の後もそれを否定するわけでもなくただ沈黙したままである。
その代わり報道機関全体への無言の圧力は増し、人々は何かがおかしいということを肌で察した。
そうこうしているうちに、水面下で《鍵》のない人間についての情報が出回り始める。
外部からの衝撃的な宣言と、その後の内部での意識改革と煽動。
二つの方策を使って帝都市民を動かしたラディクは、満を持しての蜂起の知らせに、けれど軽く頷いただけであった。
整った眉の下で、男は僅かに懸念を見せる。
「皇帝が市民を無差別に殺す、ということはないだろうな?」
「それを私に聞くんですか?」
自分だけに向けられた問いに、ティナーシャは肩を竦めた。
今まで中立であった市民たちをあえて蜂起させたのは、皇帝を廃した後の統治を円滑に為す為ではあるが、今の状況によって皇帝側がやけにならないとも限らない。
帝国は帝都のみではない為、帝都の一般市民に危害を加えるようなことがあれば、たとえ勝利してもかなりの不利益を蒙ることになる。それは、まともな神経を持っている人間なら分かるはずだが、窮地に追い詰められた者が判断力を失わないとは断言出来なかった。
無人機などによる制圧なら妨害することも出来るが、《鍵》に隠された機能を使って虐殺などをされれば防ぎようがない。
その可能性をも考えながら、今回の作戦に踏み切ったラディクは、しかし否定しきれない危険性に楽観的ではいられなかった。
せめて《鍵》を動かす操作を中継させないよう、通信基地を優先して制圧しようとしているのだが、制圧よりも蜂起が先行してしまった始末である。
危機感ある話を振られたティナーシャは、だがどうでもいいことのように嘯いた。
「仮に提案する者がいたとしても、皇帝がそれを許可しないでしょう」
「あの老害がまともな判断を下せるとでも?」
「……貴方は叛逆の準備をしている自分が何故、この時期に帝都に呼び戻されたのか分からないんですか?」
「何だと?」
指揮席から振り返ったラディクは、飄々とした様子の魔女を睨む。
しかし彼女は真意を問う眼光にも怯まず、皮肉でも揶揄でもない声音で返した。
「別にいいんですけどね。貴方が気付いてても気づいてなくても。
 けどその件については、もしもの場合も私が何とかしますよ」
「あれだけ言っていたのに動く気があるのか?」
「逸脱しようとする駒を弾くくらいのことは」
ティナーシャは言い終わると同時にその場から消え去る。
誰もいなくなった背後に、ラディクは刺々しい視線を向けた。だがすぐに彼はモニタへと向き直る。



ラディクの懸念は《鍵》の真実を知る人間であれば皆が一度は抱くものだ。
事実アルファスも、蜂起の知らせを聞いてまずはじめにそのことを考え、部隊を通信基地内へと移動させた。
彼には《鍵》の遠隔操作をし得る人間が、どのような地位にある人間なのか分からなかったが、万が一にでもそれが近くで行われるとしたら、様子を窺い牽制をせねばならない。
しかし、彼が基地内の状況を尋ねた時―――― 既にその件に関してはかたがついていた。
慌しい様子で通信室に呼び出されたアルファスは、そこのモニタに映っていた光景を見て、さすがに絶句する。
宮殿内の何処かにあるのであろう通信室。そこはモニタ越しでも分かるほどに、一面血の海と化していた。
パネルの上に突っ伏し絶命している男には、アルファスも見覚えがある。
貴族出身の壮年の将官。だが犠牲者は彼だけでなく床の上にも数人いるようであり、その中には審問の場において彼に《鍵》について問うた老中将らしき姿も見えた。
凄惨としか言いようのない光景。その中にはしかし、一人の女が佇んでいる。
返り血一つついていない白い服のティナーシャは、カメラを一瞥して笑った。研がれきった刃物のような声が回線を伝う。
「―――― 独断で《鍵》の機能を濫用しようとすれば、こうなる」
明らかな警告の言葉。それを聞いて、この映像を見た者たち全員は、殺された人間が何をしようとしたかを悟った。
ティナーシャは底知れぬ笑みを湛えたまま指を鳴らす。途端映像は途切れ、モニタは暗転した。誰かの吐いた溜息が聞こえる。
アルファスはいち早く我に返ると、通信兵に問うた。
「今の映像は?」
「……宮殿内の何処かから帝都中の通信室に発信されたものです」
「具体的な場所は?」
「それが特定できませんで……」
その報告にアルファスは苛立ちを覚えたが、おそらく機能を考えても元々秘された部屋だったのだろう。
ティナーシャが何かせずとも、そこからの通信は発信地を特定し得ないような仕組みになっているに違いない。
傍観するはずの彼女が出張って来た以上、《鍵》を操ろうとする行為は「ルール違反」と看做されたのだろうが、アルファス以外の者は当然ながらこれを自分たちにも及ぶ重大な危機と見て取った。
第三通信基地の責任者であるアーレ少将は、アルファスの視線に気付いて顔を険しくする。
「クロイツァー中佐、君の部隊は今ここに待機しているのだったな」
「はい」
「ならば私の独断になるが、部隊を率いて即刻宮殿へ向かい給え」
その命令はアルファスを一瞬驚かせたが、すぐに彼は納得した。
蜂起が起きている今、地上では無人機が動かせない。かといって地下の狭い通路では、無人機の運搬には手間がかかってしまうだろう。
宮殿には宮殿で無人機が配されているが、前回彼女が襲撃に加わった際、全ての無人機は無力化されたのだ。
ならば優秀で知られる有人部隊を、主君を守る為に送りたいという判断はもっともである。
アルファスは現在地から宮殿への移動を計算しつつ敬礼した。
「確かに命を承りました」
「頼むぞ」
通信室を出た彼は、休む間もなく部隊を移動させに戻る。
狭い通路を歩きながら思い出す凄絶な光景。
しかしそれを為した女は逆に、「人を守ること」を忘れていないよう彼には思えたのだった。



「あの女が奴らを排除したとな?」
「既にその姿は見えませんが、犠牲者は六人ほどに……」
「構わぬわ。儂の忠告を聞かぬ方が悪い。あのような真似をされては興を削がれるわ」
私欲と混乱に突き動かされ、皇帝の意に反して《鍵》を操ろうとした者たちに、かけられるものは憐れみの一片さえない。
老いた皇帝は宮殿の奥にある広間にて乾いた笑声を上げた。
濁った瞳の中にけぶる異様な光。老皇帝は声を収めると目を閉じる。
古くからある玉座。不可侵の席に座す男の望みが何であるのか―――― それを知る者は誰一人いない。



アルファスの部隊は地下通路を連絡用の駆動車に分乗して、宮殿へと移動した。
想定し得る最悪の事態としては、既に宮殿までもがラディクの部隊に踏み込まれ制圧されているという可能性であったのだが、単に宮殿内は押し寄せる民衆への対処と、高官が数人殺害されたことで混乱しているだけらしい。
問題のティナーシャは単独で潜入し事を為したらしく、その行方は誰も掴めていなかった。
アルファスは、市民たちの蜂起に対し宮殿側が無人機を出そうとしていると聞くと、さすがに眉を顰める。
「人間の前に無人機を? 正気か」
「威嚇になると思っているようです。上も相当混乱しているようで……」
「そんなことをして、何かあったら大惨事になるぞ」
無人機と民衆を向かい合わせるなど、万が一衝突が起きれば目も当てられぬ事態になってしまう。
アルファスは困惑する警備兵から、カーティスが操手部隊の指揮官の一人として動いていることを聞くと、友人と直接相談しようと操手室へ連絡を取った。数分の通信不通を経て、ようやくカーティスへと繋がる。
システム不全か音声のみにて繋がった通信で、アルファスの声に応えた男は、のんびりとした口調ながら少し困ったように言った。
「ちょっと面倒なことになっちゃってなあ」
「どうした? 民衆への威嚇に無人機を出すってのは本当なのか?」
「いやそれでな、ブラント中将が出せ出せうるさいから反対したら殴られて、部下がそれ見て怒って、何だかもう訳わかんないことになって」
「………………」
「とりあえず中将を殴り倒した」
「そうか」
内部の瓦解は予想通りいたるところで起きているようである。
ただ本当はもっと深刻な事態なのであろうが、カーティスの口調のせいであまりそうには聞こえない。
アルファスは手短に問うた。
「で、今はどうなってる? 応援が必要か?」
「今は操手室に立てこもり中。けど応援はいいや。俺のところはこれから、第二無人機部隊を止めてみる」
「……第二は上の命令を聞いたのか」
「みたいだな。とりあえず無人機を市街へは出させないようにしてみる。民衆を抑えてる警備兵がその分しんどいだろうが」
宮殿内で、同陣営同士の無人機が衝突する事態。それは混乱の極みとも言えたが、民衆に無人機の銃口を向けさせない為にはやむを得ないだろう。アルファスはもう一つを尋ねた。
「今、ラディク公の攻勢がどうなっているか分かるか?」
「んー。こっちに入ってくる情報も大混乱だからなあ。でも南門はもうほぼ制圧されたって話だ」
「もう制圧か」
「ただそっから先、民衆が道を塞いでて無人機が進行してこられないみたいだ。
 代わりに北東部の地下に別の無人機部隊が現れたそうだぞ」
「なるほど」
そちらの方には、アルファスにも心当たりがある。彼が封じ込めた有人部隊を救出する気なのだろう。
となれば、宮殿に攻撃の手が届く時間もそう遠くはない。アルファスは加速度的に絡み合っていく状況に、こめかみを指で押さえた。
友人の「お前はどうする?」という反問に、彼は一瞬両眼を閉ざす。
短い逡巡。
だがそれは、今日に至るまでの間幾度となく考えていたことだ。
足下が崩れ落ちていく今、もはや迷う時間はないと彼は目を開ける。きっぱりとした声で答えた。
「俺は、皇帝のところに行く」
「陛下のところに? またどうして」
叛逆するのか? とはさすがにカーティスであっても口にしづらいらしい。
だがアルファスはその気配をも汲み取り、苦笑して付け足した。
「いや、終わりを少し早めに行く」



盤上に広げられた駒。
混迷し左右されるそれらの中で、指し手が待っているものはおそらく、「決着」という形だ。
つまりは、「ラディクが皇帝のもとへと辿りつく」という終わり。
だがそれは、別にラディクでなければいけないというわけでもなかったのだろう。
ただ指し手にとって、彼は動かしやすく、そして英雄と呼ばれるほど映える駒だっただけだ。
―――― だからアルファスは、その駒の到達を前に、指し手に一人向かい合う。
そしてこの形式だけのゲームを繰上げ、何とか被害の少ないまま衝突を終わらせようと思っていた。

多くを語らぬ友人に、カーティスは少し無言になった後「気をつけてな」とだけ言った。
通信は切られ、それぞれがそれぞれの場へと戻っていく。
アルファスは自分の部隊をどう動かすか悩んだが、叛旗を翻すのではない以上、彼らを徒に伴って護衛兵たちと衝突するようなことになっても困る。彼は「事態を収拾するために皇帝のところに行く」と率直に部下たちに打ち明け、ほとんどの兵士たちをカーティスのいる操手室への援護に回した。自分に賛同しついて行きたいと申し出た十人程のみを連れて、宮殿の奥へと向かう。



混乱の渦の中にある帝都の中央、宮殿の上空には一人の女が佇んでいる。
彼女は冷えた目で街路を埋めつくす人の波と、それを掻き分ける叛乱軍、そして少しずつ進んでいく無人機を見下ろしていたが、不意に目を閉じてその場から掻き消えた。
人がもたらす人の驕りの終わり。
その最後は、歴史から逸脱する物語へと繋がっているのである。