鳥籠の女 24 - 悠久を収めし櫃

mudan tensai genkin desu -yuki

ぶつかり合う軍刀のあげる金属音は、終わりの広間に高く響き渡った。
皇帝の命によって始められた余興。しかしそれは、観客の目を愉しませるものであると同時に、盤上においては確かに最終幕の一つであるのだろう。アルファスは指し手の意図を感じ取って歯噛みする。
皇帝はおそらく、長く続いた帝国の瓦解に相応しい幕引きを望んでいる。
帝都が沸き立ち、宮殿が血で洗われ、欺かれ続けた者たちの憤りが晴らされるような決着を。
だがそれには、アルファスの為したことだけでは届かない。誰もが納得するすっきりとした結末が得られないのだ。彼は混沌の中にあって、全てを早々に終わらそうとしている。
まるで消化不良の終焉。
しかしそうと知っていても、彼は己の出来ることをしようと思っていた。

ワルド少将の剣が、空を切る速度で打ち込まれる。アルファスはその剣を己の軍刀で受けた。衝撃を受け流しつつ、それでも手に軽く痺れが走る。
しかし彼はそこで押されることなく、右足で踏み込んだ。内から軍刀で斬り上げる。
以前同じ場所でこうして軍刀を手に戦った時、その相手は見慣れぬ双剣を使う魔女であったが、ワルドの剣はアルファスが修めたと同じ軍式のもので、しかも彼の剣より遥かに重かった。
油断すれば即叩き落されそうなサーベルを、アルファスは巧みに操りワルドと切り結ぶ。
彼よりも十以上は年上であり、だが鍛えられた巨躯を持つ少将は、容赦ない斬撃をアルファスに向けていった。
皇帝の忠臣として迷いのない剣筋。
いつまでもそれをサーベルで受けていては、刀身が折れてしまうかもしれない。
アルファスは右肩に振り下ろされる軍刀を、体の向きを変え避ける。
そのままワルドの側面に回りこんだ彼は、研ぎ澄まされた速度でサーベルを振るった。
しかしその剣は、ワルドの腕に届くまでに軍刀の柄によって弾かれる。
アルファスは追撃を予期して剣を構えなおした。頭の奥に迷いがよぎる。
―――― まるで無意味な戦い。
だがその果てに皇帝が待っているというのなら、戦うしかないだろう。戦って望む結果を得るしかない。
しかしそれでも彼は、戦った結果ワルドを殺すようなことは避けたかった。
勿論元は味方であり、高く評価している上官相手であるから、という思いはある。
けれどそれ以上に、終わりを間際にしたここで人死にを出すことは、いささか馬鹿げたことに思えたのだ。
見る者の目を奪う攻防。
皇帝はそれを愛でるような表情で眺め、アルファスの部下たちは信頼の目で見やった。
壁に寄りかかる魔女は淋しげな声で呟く。
「…………貴方は確かに優しいです。でも今の貴方には、その優しさを支えるだけの力がないんですよ」

そして二人の戦いは、唐突な終わりを迎えた。



乱暴に扉が開かれる音。それが彼らの耳を打った直後、扉からは武装した兵士たちがなだれ込んできた。
階級章のない軍服、叛乱軍の突入に、アルファスやワルドをはじめとした帝国兵たちは臨戦態勢を取ろうとする。
しかしその時には既に、彼らには数十の銃口が向けられていた。
兵士たちの後ろから入ってきたラディクが、壁際のティナーシャを見やる。
「待たせたか?」
「ほどほどに」
魔女は体を起こし、ラディクの隣に並ぶ。
この時になってようやくアルファスは、彼女がそこにいたことに気づいた。
闇色の目の女は感情のない瞳で広間を見渡す。その視線が、広間の奥に座す皇帝を捉えた。
皺の中に埋もれる透徹の目。彼に相対する魔女の声が遊戯の終わりを宣言する。
「これで『詰み』です」
彼女はそう言って、哀惜を隠した表情で微笑んだ。

長い帝国の歴史を終わらせる時間。
ラディクは兵たちに命じて道を開かせると、玉座へと歩み始める。
皇帝に対そうとする叛逆者。威嚇され下がらされた兵たちの中で、ワルドだけがその進路を阻もうと躍り出た。
しかしラディクは、微塵の迷いも見せず短銃で男の両脚を撃ちぬく。
膝を砕かれ崩れ落ちるワルドを、彼は通りざまに蹴り転がした。ワルドは苦痛の声を上げぬまでも、顔を歪めて蹲る。
その上でラディクは、長い空間を抜け皇帝の前へと立った。
かつて皇帝の臣下であった頃には気品を感じさせた秀麗な顔立ち。
しかし今は野性味の濃い目をした男は、乾いた笑いと共に銃口を皇帝の胸へと定める。
老皇帝は穏やかとも言える目で、叛逆者を見仰いだ。
「ようやく来おったか」
「その席を空けてもらおう」
「空けて、何とする? おぬしで代わりが務まると思うか? 人を治めることを強いられたこの座が」
「務められるに決まっている。貴様以上にな」
「ならば好きにすればよかろう」
勝者を嘲る声。
ラディクは瞬間で怒気を顕にした。引き金にかけた指に力を込める。
世界から音がなくなる刹那。
続く銃声は軽いものだった。
皇帝の胸元に血が飛び散る。ラディクは倒れかけた老人の髪を掴むと、乱暴に椅子の上から引き摺りおろした。
投げ出された軽い体。皇帝の閉ざされた目を見て、アルファスは息を飲む。何も言わぬまま老いた男が持ち去っていったものの多さを思った。
だがラディクは既に、床の上の老人に一瞥もくれていない。
彼はまるで、生まれた時からそうなることが定まっていたかのように傲然と玉座に座す。血塗れた手が肘掛の彫刻を掴んだ。
男は朗々とした声で謳う。
「ここからが新しい時代だ」
その瞬間アルファスは、白々とした広間から暗い空間へと放り出された。



はじめはただ、照明が落とされたのだと思った。
宮殿内で起きているのであろう制圧。それに伴う障害で電気系統に異常でも起きたのかとアルファスは思ったのだ。
しかしそれはすぐに違和感へと変わった。
―――― 空気が違う。
先程までいた広間よりも今いる場所はひんやりと澄んでおり、血やガスの微かな匂いもしなかった。
アルファスは息を殺しながら辺りの様子を窺う。つい先程まですぐ傍にいたはずのワルドの気配が感じ取れない。
それだけではなく、突如辺りが暗くなったというのにざわめきや身じろぎの音さえ少しも聞こえては来なかった。
彼が異変にぞっとしかけた時、だが前方からラディクの声が響く。
「ティナーシャ! 何だこれは!」
「―――― 貴方も来てしまったんですか」
すぐ傍で呟かれた言葉。左腕に女の手が触れる。
その様子からして彼女の言う「貴方」とは、ラディクではなくアルファスを指しているのだろう。
軽く手を叩く音がして、暗い空間が白光に照らされた。
何処であるかも分からない場所。壁や天井などは見えず、ただティナーシャの生んだ光で照らされた範囲には、白い床が広がっている。
何の継ぎ目もない透きとおる床。その上には血や埃の跡はなく、アルファスが置いたはずの銃もなくなっていた。
光の届かぬ外周は深い闇が広がっている。そして暗く見えない先はそのまま、何処までも遠くへ続いているようだった。
アルファスは部下や兵士たちの消えた周囲を見回す。
「……ここは何処だ?」
「櫃の中です」
ティナーシャはいつの間にかすぐ傍に立っていた。闇色の目は、彼ではなく前方の男を見ている。
アルファスと同様突然見知らぬ空間に放り出されたラディクは、座っていた玉座から立ち上がり、愕然と視線を彷徨わせていた。その視線が、傍で倒れている老皇帝を見出す。
「貴様の仕業か……?」
「違いますよ」
皇帝に向かい再び銃口を上げようとした男に、ティナーシャは指を弾いた。途端ラディクのもっていた短銃が跡形もなく消失する。
彼女は倒れている老人の傍に歩み寄ると、床に膝をつきその頭を抱いた。白い手が血塗れた胸元に添えられる。
アルファスの居る場所からは、皇帝が生きているのか死んでいるのかは分からない。
ただラディクはそれを見て苛立ちを顕にした。彼女の腕を掴んで引き上げようとする。ティナーシャは男の手を軽く払った。
「何だここは! 何をした!?」
「私は何もしてませんよ。あなたが櫃を開いたんです」
「櫃?」
「この国の名を忘れたんですか?」
呆れたようなティナーシャの指摘は、確かに男二人の虚を突いた。
帝国の正式名称は「ディノケディルム・ラサヌム・カドエデラ」。その意味するところは「神より託された櫃」だ。
魔女は皇帝の頭をそっと床に横たえると、音もなく立ち上がる。
白い服の腰に佩いた短剣。ティナーシャは柄に指をかけ鞘から抜いた。アルファスはそれを見て我が目を疑う。
以前同じ短剣を彼が抜いた時、そこには何の刃もなかったのだ。
だが今は確かに、柄の先で漆黒の刃が煌いている。ティナーシャは黒い短剣をラディクの方へと構えた。
「この帝国は神より託された櫃を核としているんです。つまり、この国自体が大陸の管理者として作られたんですよ。
 そして皇帝は神の遺志に従い人間を管理している……だからこそ、異例な代替わり時には櫃が開くんです」
「櫃が、開く?」
「ええ。新たな皇帝に使命と力を与える為に」
ラディクの遥か背後に、ゆらりと影が浮かび上がる。それは人型のようでありながら、人よりも遥かに大きく見えた。
ティナーシャは黒い刃の短剣を影へと向ける。
「私はずっと、玉座が空になる瞬間を待っていた。―――― ここが歴史の裏側、私の舞台です」
魔女は優美な足取りでラディクの脇を通り過ぎた。しなやかな後姿。けれどそこには恐ろしいまでの力が凝っている。
曖昧な形を変じさせて何かに成ろうとしている影を前に、彼女は足を止めるとこの上なく美しい微笑を見せた。澄んだ声で囁く。
「ようやく生身で来れたぞ、神代の残滓よ。さぁ約束どおり、完膚なきまでに殺しつくしてやろう」