鳥籠の女 28 - 永遠の女

mudan tensai genkin desu -yuki

瓦礫の塔に近づく者はいない。
南部禁域の荒地に立つ塔。それはある日突然出来上がり、何の意味もなく天に向けて異様な姿を曝している。
岩や砂、壊れた無人機の部品や、遺棄された機器などで作られた外壁。
中に何があるのかさえ分からぬそれは、国境警戒にあたる南部基地からまるで怪談のように恐れられていた。
出来てまもなくその存在に気付いた士官たちは、調査のため無人機や偵察兵を塔へと送り込んだが、彼らは何故か付近に到達することさえ出来なかった。ただぐるぐると方向を見失い、何も得ぬまま帰ってきただけである。
隣国の企みの一種かもしれないと、その結果を重く考えた南部基地は、瓦礫の塔について帝都に報告を入れたが、返ってきた皇帝の命令は「放っておけ」というだけのものだった。



不気味な塔は何もすることなく、その姿を帝国の片隅に佇ませている。
砂の混じる風。温められた空気は、塔にいくつかある窓からも入り込み、そこに住む女の髪を揺らしていた。
遥か昔にそうして暮らしていたように、一人穏やかな生活を送る魔女は、ふと本から顔を上げ、窓の外を仰ぐ。
まもなく夕暮れへと移り変わる空の色は深い青であり、それは彼女がただ一人愛した人間を思い出させた。
ティナーシャは微笑んで目を閉じると、椅子の背に体を預ける。
こうしてあと数十年、彼を守護する結界に力を注いだら、その後は元の大陸に帰ろうと考えていた。
長かった旅路の果て。異質の魔女は、澄んだ気分で記憶を辿る。
悠久を経た結果、彼はようやく運命から解放され、人として最後の生を送るのだ。
それは二人でいた時間の終わりをも意味していたが、彼女はこれでいいと思っていた。
むしろ今まで気の遠くなるような年月を共にいられたことこそが幸運である。
もう充分過ぎるくらい生きて、戦ってきたのだ。彼の魂もそろそろ穏やかな眠りを得られてもいい頃だろう。
ティナーシャは懐かしい記憶を抱え空を見上げた。美しい青。優しい思い出に胸が詰まる。
―――― たとえ彼がおらずとも、この記憶さえあれば時を渡っていける。
そうして呪具として最後まで戦い得るだろう。残された二つを探して。



南部の日が落ちる時間は早い。
彼女は肌寒さに気付くと、ショールを取りに行くため立ち上がった。散らかっているのかいないのかよく分からない部屋を歩いていく。
衣装部屋へと続く扉。色硝子を繋いで作ったそれに彼女が手をかけた時、背後で何かが軋む音がした。
頭の中をよぎる記憶。始まりの出会いを、ティナーシャは刹那想起する。
あの時とは異なる機嫌の悪そうな声が響いた。
「何だこの塔は……登る道くらいちゃんと作っておけ」
息を飲み、凍りつく。
信じられないという思いが勝った。
自分はきっとあの頃の夢を見ているのだとも。
だがそう思いつつもティナーシャは、彼の顔見たさに振り返った。
そしてそこで彼女はもう一度、ずっと探していた男に出会ったのである。



アルファスは雑然とした部屋の中を見回すと、窓の外から見える景色に一瞬気を取られた。
だが彼はすぐに立ち尽くすティナーシャの前へと歩いてくる。魔女は震える声で尋ねた。
「どうやってここに」
「噂で聞いた。お前から聞いた御伽噺を思い出したぞ」
「でも、結界が」
「あの塔が全然近づかない仕掛けか? あれのせいでえらい目にあった。
 カーティスがでたらめに駆動車を運転して走り回って、急に塔にぶつかりそうになった」
「……すみません」
規模が大きいため、簡単な目晦ましの結界を仕掛けておいたのだが、そんなことになるとは思いも寄らなかった。
塔の中もまともな階段などは存在しない。おそらくかなりの苦労をして登ってきてくれたのだろう。
ティナーシャは手袋越しでも分かる彼の切り傷に気付くと、その手を取った。無詠唱で治癒を施していく。
そうしている間は、彼の顔を見なくて済む。
彼女はもう一度その目を間近で見たら、恋しくなってしまいそうで顔を上げられなかった。
アルファスはじっと小さな彼女の頭を見下ろす。
「お前は」
「はい」
「人の話を聞かない。何も教えない。好き勝手に暗躍して独断専行ばかりで、敵としても味方としても最悪だ」
「……はい」
何だか懐かしい説教は、しかし何も言い返すことが出来ない。
ティナーシャは項垂れたまま、彼の右手を両手で握り続けていた。男の厳しい声は続く。
「あと結論ありきで人に質問するのはやめろ。形式だけを整えて間を飛ばすな。落ち着きがないのか」
「あんまりないです……すみません」
「分かっているなら何とかしろ」
ここまで畳み掛けるように怒られることは、数百年ぶりである。
彼も彼でこの三年弱、色々溜まっていたのかもしれない。
ティナーシャはかつて自分が子供たちに「怒られている時は相手の目を見なさい」と教えたことを思い出すと、逡巡しながらも顔を上げた。
そして息を止める。
空と同じ色の瞳。彼女が焦がれた双眸は、真剣な感情を帯びて彼女を見つめていた。
そこに変わることのない男の温かさを見て、ティナーシャは我知らず泣きそうになる。大きな手が黒髪を撫でた。
夕暮れを告げる風。冷えかけた髪を、彼は丁寧に梳いていった。
無言のひとときにティナーシャは男の手をきつく握る。
随分長いようにも思える時間、二人はそうして沈黙していた。
だがアルファスは彼女の髪から手を離すと、抑えた声音で問う。
「あの剣は何処だ?」
その言葉は、半ば予期していたものではあったが、ティナーシャに少なくない動揺をもたらした。彼女は男の手から指を放す。
「何故そんなことを?」
「あれは元々俺のものなんだろう?」
「貴方は違います。ただの人間です」
「お前も元はそうだった」
彼女を見下ろす瞳は、何もかも見透かしているかのようである。
強い視線。ティナーシャは目を逸らしたくて仕方なかった。隠したい弱さが曝け出される気がする。
「私は人であった頃から異質な魔女でした。貴方とは比べようもない」
「それでも、一人は嫌なんだろう?」
隠したかった心。
ティナーシャは、ついに耐え切れず顔を伏せた。
もう泣くことはないと思っていたはずなのに、泣いてしまいそうになる。
いつでも優しかった彼のその優しさが、今は少し恨めしかった。



アルファスは俯いた女を見下ろす。
正直で、だが嘘つきだった女。
彼に執着しながら最後にはその手を放した女を、男は単純ならざる感情をもって見やった。細い肩を抱き寄せたくなる。
―――― 愚かなことをしているのかもしれない。或いは彼女の厚意を無にしているのかも。
ただそう迷いながらも彼は、どう転んでも彼女のことを一生忘れられないであろうことは、既に確信していた。
ならばその一生を、彼女の孤独を想像して過ごすのか、それとも傍で重荷を分かち合うのか。
どちらを選んでも悔いは残る気がする。永遠の覚悟などしようもない。
しかしそれでも、悠久を生きてきたという彼女は、変わらず彼を愛してくれていたのだ。
その想いを、彼女と自分を、アルファスは信じようと思った。

白い頬に触れ、顔を上げさせる。
涙が滲む瞳。迷子を思わせる不安げな目が、今は素直に愛しかった。
彼は女の頭を抱きこんで薄い背を叩く。
「お前を一人にしとくと何をするか分からないからな。半分くらいは付き合ってやる」
「とっても……長いんですよ……本当にずっとずっと……」
「生まれ直すだけで死なないわけじゃないんだろう? メリハリがあるなら何とかなるだろ。
 それに、一人でいるよりはましだ」
女の細い腕が、彼の背にしがみつく。震える指先が服を掴み、小さな嗚咽が零れた。
アルファスは彼女の髪を引く。彼は居心地の悪さを感じ、彼女の耳元で囁いた。
「泣くな。悪いことをしている気分になる」
「悪いことなど……」
苦笑と共にティナーシャは手を解いた。一歩下がって距離を取ると、彼女は白い手を己の胸元に当てる。
透き通るような肌。何の装飾品もない柔肌に、ティナーシャの指先は音もなく沈んだ。
アルファスが思わず息を飲んで見守る前で、彼女はゆっくりとその手を上げていく。
女の躰を鞘として引き抜かれていく長剣。よく磨かれた両刃を彼は凝視した。
魔女は深く息を吐き出して、無二の一振りを自身から抜き去る。
力を、記憶を、運命を封じ込めた剣。
未だ逡巡が残る目で差し出されたその剣の柄を、アルファスは黙って受け取った。
どう扱えばいいのか戸惑った時、けれど剣は音もなく霧散し、彼の手の中に消え入る。
アルファスは思わずぎょっとして己の掌を見直した。
「おかしな感じだ」
「そういうものなんですよ」
苦笑を吐いて、彼の胸にティナーシャが飛び込んでくる。涙に濡れる美しい声が歌った。
「永遠に、お傍に」
変わらぬ思いを誓う言葉。瓦礫の塔に澄んだ風が吹く。
そうしてこの日アルファスは高い塔の頂で―――― 鳥籠の女を、腕の中に捕らえたのだった。






遥か上空からの景色は、感嘆を通り越して薄ら寒かった。
精神的にだけではなく、実際に吹き付ける強風に肌寒い思いをしていたアルファスは、隣に座る女を抱き上げると膝の間に抱え込む。
そうして暖を取りながら彼は問うた。
「で、この生き物は何だ?」
「ドラゴンっていうんですよ。勿論この大陸にはいませんけど」
「高い。高すぎる。少し高度を落とせ」
「あー、この大陸って空を飛ぶものないですもんね。あはは」
「笑ってないで落とせ」
みるみる過ぎ去っていく景色。やがて目的地の街が見え始める。
帝国と開戦状態の隣国。そこへ彼らはこれから潜入し、《鍵》と同じ管理錠を外す為の技術を地下から浸透させていくのだ。
長い髪を一つに編んだティナーシャは微笑んで男を見上げた。
「うまくいけば三ヶ月ほどで帰ってこられますよ」
「そうなればいいがな。……逸脱者ってのはこんなことまでするものなのか?」
「気分屋なんです」
悪びれず言う女の頬をつねって、アルファスは再び前を向きなおす。
澄み切った青空。広がる大地。
初めて見る世界に胸のすく思いを覚えて、彼は寄り添って永遠を生きる女を、強く抱いた。


-End-