薔薇の魔女 のおまけ

mudan tensai genkin desu -yuki

とりあえず「人の女にベタベタ触るな」と言いたかった、が、オスカーは現在の自分の立場上飲み込んだ。
どうも彼の少女は警戒心がないのか、目を離すとついふらふらと自分に好意があるらしき王のところに寄っていってしまうのだ。
それで彼女も王に好意があるのかと言ったら感謝や親愛以上のものはない。彼女の関心は専ら自分の上にあるのだから当然だ。
ならば期待を持たせるだけよくないだけなのだと自覚して欲しかったが、昔からそういう意識が希薄だった上、幼い今の彼女では無理な相談だろう。
それでも彼は内心こみ上げてくるむかつき加減に黙っていられるはずもなく。
少女と並んで図書室に向かいながら、オスカーは浮かびそうになる青筋を隠していつも通り笑って見せた。表情だけは。
「姫、陛下にあまり近づいてはいけません」
「え、だめなの?」
「陛下は姫に触りますからね。私はそれが好きではありません」
「―――― はい。ごめんなさい」
少女は歩きながらぺこりと頭を下げる。こんなに素直だと妙なことを教え込みたくなるがやめておいた方がいいだろう。
遥か昔、オスカーは自分の娘とすぐ下の弟に「鶏はたまに鴉を生むんだ」と教えて、後でそれを聞いた妃にこっぴどく怒られたことを思い出した。
同じ事を教えても末弟だけは「父上、馬鹿ですか?」と返してきたのだからまったく可愛くない。多分姉か兄に入れ知恵されていたのだ。
今はその時の記憶がないティナーシャは闇色の瞳を傾けて恋人である男を見上げていた。
「じゃあ私は?」
「何ですか、姫」
「私は、オスカーに触っていい?」
また答えにくいことを聞かれた。オスカーは思わず小さく吹き出す。
別に好きにすればいいと思うのだが、一応聞いておきたいことなのだろう。
彼女は自分の小さな手を握ったり開いたりしながら彼の返事を待っていた。許可を出したらその手で彼の服でも掴む気なのだろうか。
「お好きに、姫。ただしあまりおおっぴらだと立場が悪くなりますが」
「はい。気をつけます」
ティナーシャは大きく頷くと一度後ろを振り返る。
誰もいないことを確認すると自分の右手で彼の左手をぎゅっと握った。
「じゃあ、図書室まで」
そう言って彼女は、まるで親に手を引かれる子供のように笑う。
無防備に存在を委ねてくる小さな手は柔らかく温かかった。オスカーはその温度に目の眩むほどの思いを覚える。
沈黙する男と並んで歩きながら、ティナーシャは長い睫毛を揺らして一度目を伏せると呟いた。
「私ずっと、こうやって誰かと、歩いてみたかった」
それが彼女のどんな過去を意味するのか、オスカーはよく知っている。少なくない後悔が喉の奥でチリチリと爆ぜた。
もっと早く彼女を連れ出してやりたかった。誰よりも自分こそが彼女を待っていたのだから。
もしオルトヴィーンがアンネリを攻め落とさなかったら、彼女は自分の記憶を取り戻すまでずっとあそこで一人の時を過ごしていたのだろうか。
夢の中でしか会えない人間をただひたすら待ちながら。
「……すまない」
「何か言った? オスカー?」
口の中で呟いた声にティナーシャは顔を上げて聞き返す。
我に返った彼は苦渋を飲み込むと彼女に不安を与えないよう微笑み直した。繋いだ手も指を絡めて握り直す。
「姫がお望みなら、百年でも千年でも、こうして一緒に歩きましょう」
「本当? 途中で私に、飽きてしまわない?」
「まさか。私には姫しかいません」
率直な口説き文句に少女は顔を赤らめる。人形と揶揄される彼女のこんな表情を見られるのは彼の特権だろう。
ティナーシャは視線を前に戻すと小さく囁いた。
「きっとあなたとだから、こんなに嬉しいのだわ」
真っ直ぐにしか響かない言葉。
オスカーはその意味に打たれて軽く目を瞠る。握る手に自然と力がこもった。
彼らは時折片翼を失い、孤独を経て再び出会い直す。
それは耐え難い痛みでもあるが、やはり人としての精神を持つ自分たちには必要なことなのかもしれない、と彼はこの時感じた。
だがそれでも、出来るだけいずれ来るその日が遠くあればいいともまた、オスカーは強く願っていたのだが。

その日ティナーシャに勉強を教え終わったオスカーは、手を回してさりげなくオルトヴィーンの仕事量を2倍にしてやった。
王は突然増えた書類の山を不審に思ったが、最近情勢が揺れているせいだと思い黙々と処理に励むようになる。
結局仕事は日が変わる深夜近くまでかかってしまったのだが、その本当の理由を知る人間は一人を除いて誰もいなかったという。