曇った刃 012

禁転載

アージェはケグスに連れられて屋敷の外周にあたる回廊を一周した。
庭を含めればそれだけで、彼の住んでいた村の三分の一が入ってしまうのではないかと思えるほどの広大な敷地。
見るものほとんど全てが目新しいアージェに、ケグスはしかし、呆れることなくいちいち説明してやりながら、他の見張りの配置を教える。
「で、俺たちが担当するのはここからあそこまで」
男が指し示したのは屋敷の北東から北にあたる外回廊部分だ。
地面より半階分ほど高い空中を通る回廊は、下を柱によって支えられており、欄干から身を乗り出して覗き込むと並ぶ橋脚を確認することが出来る。
彼らが担当する場所は、途中、直角に折れた部分を含んでおり、屋敷全体の角に位置していた。
これより外にはまばらに生える低木の庭と高い塀があるだけである。
更に塀の外には街自体を囲む防壁が控えており、二枚の壁の間はちょうど濠になっていた。
「まったく幅がなくて猫でもなければ歩けない」とケグスは塀の外側について説明する。
アージェは一通り聞き終わると、担当場所の回廊を見回した。
「じゃあこっち側からはほとんど入って来られないってこと?」
「逆逆。こっちから来るってことだよ」
「え?」
目を丸くしたアージェに、ケグスはにやりと笑う。節くれだった指が、高い塀とその向こうの防壁を指した。
「あのな、本職の盗賊や暗殺者なら、猫道くらい普通に歩いて来るんだよ。むしろ見回りが来ない分、そっちの方が楽だ。
 件の盗賊は侵入時も逃走時もまったく目撃されていないらしいからな。警備の盲点をついて、油断してる奴らの傍をすり抜けてったんだろう」
「げ……」
大変そうだとは思っていたが、予想以上である。
アージェは自分が猫道を歩くところを想像しかけたが、すぐに想像上の自分は濠の中へと落下していった。
「というわけで。ぐるっと回ってきたけど、本職ならまずこっち側を選ぶな」
自信はたっぷりらしいケグスだが、凄いと言っていいのか違うのかアージェにはいまいち分からない。念の為少し水を差してみる。
「違ったらどうすんの?」
「そしたらお前、そっちを担当してた人間の責任になるだろ。まぁ他にもいくつか目星つけてるから、上手くすりゃ罠にひっかけられるけどな」
「うーん」
よくは分からないが、これはケグスに任せるしかないだろう。
アージェは大きく溜息をつくと欄干に寄りかかった。
「結局、おやっさんは間に合わなそうだね」
「だな。まぁお前のおかげで何とかなりそうだ。ありがとな」
「別に何もしてないよ」
ややそっけなく少年が返すと、ケグスは笑って「そんなことないさ」と彼の肩を叩いた。

二人は配置を決めると交代で簡単に夕食を取った。
―――― ひょっとして今回傭兵を二人一組で募集したのは、こういう細かい交代の時間などまで屋敷で指示するのが大変だったからなのかもしれない。
アージェは匙を口に運びながらそんなことをぼんやり考えたが、それは彼一人で考えても答が出ることではないだろう。
食事を終えて既に日が落ちた回廊に戻ると、ケグスは欄干にもたれかかって目を閉じていた。アージェは何となく音を立てないよう男の傍へ近づく。
「普通に歩いて来いよ」
「げ……」
目を開けたケグスは、飛び上がったアージェを見ておかしそうに笑った。寄りかかっていた体を戻すと少年を手招く。
「どうやって気付いたの」
「音がした」
「しないように歩いたよ」
「してたよ。させてないつもりだっただけだろ」
どうしても釈然としなさを感じるアージェに、ケグスは「剣見せてみろ」と手を出した。
言われた通り彼が鞘ごと長剣を渡すと、男は中の刃を検分する。
「これ、一度鍛えなおした方がいいな。頑丈だけどその分重いし。お前くらいの年じゃまだもっと軽い剣の方がいいかもよ」
「別にそれほど重くはないけど」
「そうか? あー、お前、妙に鍛えてあるもんな。何やってるんだ、その腕とか」
「何も。薪割りくらい」
「なるほどな」
ケグスは鞘に戻した剣をアージェに返すと、頭の後ろで両手を組んだ。背を逸らし夜空を見上げる。
「こんなことに巻き込んだ俺が言うのも何だけどさ。
 お前、もし長く一人で旅していくつもりなら、こういう機会に経験積んどけよ」
「こういう機会? 盗賊退治とかの?」
「違う違う」
男は笑って手を振る。日に焼けた肌は充分に若々しいものであったが、よく見ると顔の中にさえうっすらと古い傷跡が見て取れた。暗い青の瞳が夜空のような不透明さを湛える。
「もししくじっても大人が庇えるような機会に、ってことさ。
 いずれ嫌でも自分一人で自分の命を守らなきゃいけなくなるんだから」
「…………」
アージェは自分より十歳近く年上であろう男をまじまじと見つめた。
今、大人である彼はいったいどのような少年時代を送ったのか。
そんなことが気になったのは、今の言葉に僅かながら年月の重みを感じたからかもしれない。
欄干から背を離したケグスは何も言わぬまま回廊の角へと歩いていく。かがり火に照らされた庭を眺めると、軽く頷いた。
「よし、まだ来てないな」
「何で分かるの?」
「それはな……」
連れの少年を振り返ったケグスは、しかしそこで言葉を切った。姿勢を正すとアージェの背後に向かって頭を下げる。
つられてアージェが振り返ると、ちょうど回廊を三人の男が歩いて来るところであった。
そのうちの一人は太った中年の男で、遠目からも分かるほど豪勢な服を身に纏っている。男はアージェに気付くと驚いたような顔になった。
「何だ。随分若い人間がいると思ったら、君も傭兵か」
「あ、あの、ち、父の代理で……」
「ああ、分かった。報告は受けている。『迅雷』に息子がいたとはね」
様子からしておそらく彼が雇い主のマクランなのだろう。緊張しているアージェにマクランは鷹揚な笑みを見せた。
彼はケグスに視線を移すと「変わったことはないかね」と確認する。
「ええ。まだ何も」
「ならいい。気をつけてくれたまえ。この屋敷にあるものは街の人間皆の財産でもあるのだからね」
マクランはそのまま部下二人を引き連れると、回廊を渡って姿を消した。
再び二人きりに戻るとアージェは息をずっと止めていたかのように深く吐き出す。
「め、めちゃくちゃ緊張した……」
「お前、演技とかはったりとか苦手そうだなあ」
「あの人が屋敷の主人? であってる?」
「あってる」
「何か思ってたより優しそうな人だね」
実際、名の知れた傭兵本人ではなくその子供が来てしまったとあっては、もっと失望されるのではないかとアージェは心配していたのだが、マクランはまったく気にしていないようである。
それとももしかして「息子」ということでアージェ自身にその期待が引き継がれてしまっているのだろうか。
―――― 何だか緊張に嫌な汗をかきそうである。
黙り込んだアージェの考えていることは、しかしケグスには予想の範囲内だったらしい。苦笑と共に軽い声が降ってくる。
「あんま気にすんな。大丈夫だから」
「緊張するよ、これは」
「まぁまぁ。二人一組での募集なんてアホかって思ったけど、こうなるとかえってよかったな。お前は出来る範囲で注意払ってればいいから」
「二人一組じゃなかったら、俺ここにいなくてよかったと思うんだけど……」
いつの間にか原因と結果が捻れている気がする。憮然とする少年に男は笑い声で返した。

それからの二時間、アージェは自分なりに見回り範囲を行ったり来たりして過ごした。
時刻は日を跨ぐほどの深夜であろうが、気を張っているせいか眠気はほとんど感じない。
ただふと息をつく時、身体に僅かばかりのだるさを覚えるだけである。
暗い夜の庭はところどころにかがり火が焚かれているものの、見通せない闇の部分の方がずっと多い。
それは自然とあの森での出来事を想起させ、アージェは手袋に覆われた左手に視線を落とさずにはいられなかった。
「彼女」は村を出たあの時より一言も言葉を発していない。以前に戻ったかのように黙している。
それを思うと事態は手の黒い範囲が広がっただけで、これまでの三年間と同じようにも思えたが、一度「彼女」が自分の左手にいると気付いてしまった以上、元のように暮らすことはできないだろう。
―――― 自分は憎むべき仇を身に宿している。
それは突き詰めれば気が狂いそうな異常であり、だが仇を見失うことがないということは意外と幸運なのかもしれない。
アージェは年に似合わぬすさんだ苦笑を浮かべると、回廊に落ちていた小石を蹴った。小さな石は欄干付近にまで転がり、そこにあるより大きな石へぶつかる。
「……ん?」
少年が首を傾げたのは、その石が欄干の柱の外側、少ししかない出っ張りの部分にあった為だ。
彼の拳と同じくらいの大きさの石は、庭から跳ね上がってくるにはさすがに大きすぎる。柱の影にあるのもまるで誰かが意図的に隠し置いたかのようだ。彼はその石に少しの不審を覚えた。
何の変哲もない石かもしれない。だが、そうではないのかもしれない。
アージェは屈みこむとそれに向かって右手を伸ばす。
だが少し思いなおすと、彼は伸ばす手を左手に変えた。手袋に包まれた指が、石の表面へとかかる。
「おーい」
暢気な呼び声は、連れの男のものだ。
しかしアージェは、そうと分かっていたものの不意をつかれて、飛び上がってしまった。
後ろに転びかけ、咄嗟に右手をつく。
だがそれでも止まらぬ勢いに、少年は思い切り尻餅をついた。したたかに打った腰に眉を顰める。
「いって……」
「何やってるのお前」
「いやだって、石が―――― 」
言いかけたアージェは、ふと回廊の奥、ずっと先に見える扉の上で視線を止めた。
屋敷の中へと続く両開きの扉は、彼が知る限りずっと閉ざされたままだ。
或いは担当区域外にあるのでちゃんとは見ていないが、鍵がかかっているのかもしれない。
しかしアージェはそんなことを頭の片隅で考えながら、暗い回廊にひっそりとある扉から目を逸らすことが出来なかった。
忘れ去ったはずの記憶の中から、子供の声が訴える。

『くろいんだよ。くろいきりがある』

「アージェ?」
転んだまま動かない少年にケグスは声をかける。その視線の先を追って、彼もまた扉を見た。
「どうかしたのか」
「霧が」
「ん?」
少年の声は固い。それはまるで自らの目を信じきれていないかのようだった。だが同時に自身が見たものを無視することも出来ていない。
アージェは少し、何かを言いよどんでいるようであった。けれど意を決したのか手袋に覆われた左手を上げる。
その指が、真っ直ぐに扉を指し示した。
「黒い霧が、染み出してる」
ケグスは眉を寄せ、扉をもう一度見やる。そこには何もおかしなところはない。彼は少年の手袋に覆われた手に視線を戻した。
「霧?」
かがり火が静寂の中、ぱちぱちと爆ぜる。
深い闇。そして風のない夜。
ケグスはまったく感じられぬ異常に、だが険しい表情になると腰の剣に手を伸ばした。