青の花 023

禁転載

席を立つ。
それが許されるのは、ほんの短い間だけだ。
彼女はいつも最後には冷たい椅子に戻る。
いつも、いつまでも。
ただ一つの椅子が、彼女に課せられた居場所なのだ。






街道沿いにある小さな町。
そこはけれど、北へと道が枝分かれしていく要所にある為か、絶えぬ旅人で賑わっているようだった。
乗合馬車が本来停まるはずだった町―― カウロへと到着したアージェは、同行者の傭兵二人と宿を選ぶと、ひとまず小さな食堂に入る。
そこで適当に何品かを頼んでしまうと、ケグスはアージェに向き直った。
「で、お前は何処まで行くんだって?」
「あー、ログロキアのドミスって街」
「まだ国境二つも越えるのか」
「みたいだ」
彼らが現在いる国の名はギネイ。
アージェはこのギネイで育った人間なのだが、目的国であるログロキアへは西にあと二つ、国を移動しなければならない。
ギネイから見て西の隣国である国は、強国の一つと言われるイクレム。その更に西にある小国がログロキアなのだ。
アージェは懐から地図を取り出すとテーブルの上に広げる。向かいから覗き込んだケグスが肉の刺さった串で
「ここが今いるカウロだな」
と地図の一点を指した。
「やっぱイクレムを越えるのが最短だ。検問もあるが、多分通れるだろ。またこの町で乗合馬車を探せばいい」
「うん」
「一度イクレムに入っちまえば、こないだみたいなことはなくなる。あの国は野盗に厳しいからな」
旅慣れぬアージェに一つ一つ助言してくるケグスに対し、ダルトンは酒を煽っているだけである。
若い二人を見る男の目は、子供の砂遊びを見る大人のようであり、口出しせずその一挙一動を楽しんでいるように見えた。
ケグスは最後に肉のなくなった串を皿に放り出す。
「ま、俺たちも今は仕事がないし、ログロキアに入るまではついて行ってやるよ」
「え、別にいいよ。さすがに悪いし」
「ついでだついで。普段からそうやって流れてるしな」
苦笑する男に少年は目を丸くした。
それはアージェにとっては予想外の幸運である。
一人でも行きつけるとは思っているのだが、物慣れた同行者がいるのならそれにこしたことはないだろう。
アージェは色々なものを飲み込むと頷いた。長い袖と手袋に隠れた左腕を見、次にテーブルの横で寝ている犬を見やる。
便宜上「ルト」と名づけられたこの犬は、実は純粋な犬ではない。
黒い靄によって汚染され、一度魔物へと変質したものをアージェが左手を使って犬の姿に戻したのだ。
ルトは、おそらく怪我を負って瀕死の状態で靄を取り込んだのだろう。全ての靄を体内から吸い上げてしまえば、その命も失われてしまうだろうことを、アージェは内部に触れた際に直感していた。
だからこそぎりぎり普通の犬と言える状態まで靄を取り除いたところで止めたのだが、肝心のルト自身がそれについて何を思っているかは不明のままだ。
別に頼んでいた塩抜きの肉がテーブルにやってくると、アージェはそれをルトの前へと置く。
お互い何も言わず、ただルトが億劫そうに体を起こして肉を食べ始めると―――― 少年は少しだけ安堵を覚え、自らも料理の盛られた皿に手を伸ばした。



今は暇だということだが、それでも情報収集をはじめ彼らには色々やることがあるらしい。
食事が終わるとダルトンとケグスはそれぞれ別々に店を出て行った。
とはいえ取ってある宿屋は同じなので、はぐれる心配はまずない。
アージェは真っ直ぐ宿屋に戻ろうかとも思ったが、まだ日は高い。少しだけ見知らぬ町を見て回ろうと、人通りの多い道を歩き始めた。
カウロはさして広い町ではないが、充分に栄えているようである。
彼は服装も年齢もばらばらな人ごみを見回しながら、ふとこの町で別れた少女のことを思い出した。
実は魔法士であったというリィアは、この町までは彼らと一緒に来たのだが、その後別れて今は何処にいるのか分からない。
ただ彼女はアージェよりも余程世慣れているらしく、あれならば若い女性の一人旅であっても問題なく渡っていけるだろう。
少年は彼女の本性を思い出し、疲れた顔で軽く頭を振った。
「ああいう人って初めて会ったからな」
彼の育った村には「元気のよい娘」という人種は存在したが、リィアのように口が悪くて気の強い少女は一人もいなかった。
もっともただ気が強いだけという条件なら当てはまる人間もいなくはないのだが、彼女はそういった田舎育ちの娘たちとは違って、研がれた刃物のような鋭さを感じさせるのである。
とは言えその切っ先を向けられていたのは常にケグスで、アージェは年下ということもあってか色々見逃されていた感もあったのだが、居心地が悪いことには変わりない。
「魔法士か……」
少年の呟きに、隣を歩いていたルトが彼を見上げる。
だがアージェはそれに気付かず、少し先の地面を睨んだまま足を止めなかった。

生まれながらに特異な力、魔力を持って生まれた人間たち。
その中でも特に魔力を使うことに長けた者は「魔法士」と呼ばれるが、彼らの力量には大分個人差が見られる。
簡単な傷や病に対応出来るだけの者ならば、田舎でも五つの村に一人くらいはいるものだが、それ以上の腕となると大きな街に行ってようやく捕まえられるくらいだ。更に上級魔法士となれば各国の宮廷にしか存在しない。
だが宮廷に仕える魔法士など、何の伝手もない平民が接触することは出来ず、だからこそアージェも己の左腕を治してもらう為に「在野で力ある魔法士」を訪ねようとしているのだが、それなりに腕が立つらしいリィアは彼の左腕を見て「私には無理」とだけ評していた。―――― そのことが、アージェにはどうしても気にかかる。

「これって本当に治るようなもの……なのか?」
リィアの言っていた通り、これが瘴気を取り込んだせいだとして、その瘴気を外に出してしまえばはたしてアージェの左手は元に戻るのだろうか。
少年は足下を行く灰色の犬を見下ろす。
ルトは何も応えない。
そしてアージェの中の「彼女」も、無言のままだった。



何処となくすっきりしない気分のまま町を見て回っていたアージェは、店などが多い場所を行過ぎると、人通りが若干少ない通りに足を踏み入れた。
取り立てて見るものもなさそうな薄暗い道を、少年は足早に通り過ぎようとする。
だが通りの半ばに差し掛かった時、彼は横の道から一人の少女が出てきたのに気付いて歩調を緩めた。彼女の顔を一瞥して目を丸くする。
波打つ淡い金色の髪。清んだ瞳と高い鼻梁。作り物と見紛うほどの繊細な美貌は、確かに見覚えがあるものだった。
紫がかった青い瞳がじっと少年を見つめ、アージェはつい背後に何かあるのか振り返ってしまう。
しかしそこには何もなく―――― 彼は困惑の面持ちで少女を見返した。前の町でも見かけた彼女に声をかけてみるべきか、無視するべきか迷う。
「あの」
よく響く鐘のような声。
先に口を開いたのは彼女の方だった。
アージェはそのまま二、三歩動いて、そうして彼女が確かに自分を見ていると分かるとようやく足を止める。少し考え、けれど率直に聞き返した。
「何?」
「あの、旅の人、ですか」
「うん。一応」
見て分かるのか、とアージェは聞きたくなったが、二日前に別の町で会っているのだから、そう予測されるのも当然だろう。
彼は自分の帯びている剣を一瞥した。
「そっちも旅人……? 前の町でも会ったよね」
社交辞令というか、他に言うこともなかったので少年はそのことを口にしたのだが、彼女は一瞬瞳を大きく瞠ると、激しく狼狽した。
「え、や、嘘……じゃなくて」
「あれ、違った?」
「ええと、その……」
何故か赤面した彼女の貌を、アージェはまじまじと眺める。
同一人物だとぱっと見て思ったのだが違ったのだろうか。そう言えば瞳の色が少し異なる気もする。
彼はあっさり自分の勘違いと結論づけると、「ごめん、気のせいだった」と断った。
少女は複雑そうな表情になりながらも頷く。
「それで、あの、もしお時間があるのなら、お願いがあるのです」
「お願い?」
時間はあるが、見も知らぬ人間の頼みに即答出来るほど余裕があるわけではない。
アージェが聞き返すと、彼女は真剣な目で通りの向こうを指差した。
「この近くの遺跡に薬草を取りに行きたいのです。ですが一人では心許なくて。
 よろしければお礼はいたしますので、一緒に行っては頂けないでしょうか」
「遺跡?」
そんなものがあったとは知らなかった。
アージェは少女の指した方角を見やったが、当然目に入るのはただの町並みだけでそれらしきものは見つからない。
彼は自分の剣の鞘を軽く叩いた。
「俺、帯剣してるけどあんまり強くないんだ。ちゃんとした人に頼んでみようか」
「え」
護衛のようなことを期待されて大変なことになっても困る。
そう思ってアージェはきちんと断りを入れたのだが、彼女は妙に慌てて手を振った。
「だ、大丈夫なのです! 危険なところじゃないですから」
「なら一人でもいいんじゃ。お礼を貰うようなことは出来ない」
「お願いです!」
(いって、あげたら?)
二つの声が重なる。
そのこと自体に大きく驚愕を受けて、アージェは眉を顰めた。左手をきつく握る。
今まで何でもない時に「彼女」が話しかけてきたことはほとんどない。
何か裏があるのではないかと疑って、少年は目の前の少女を睨んだ。
紫がかった青の瞳に、怯んだような影が差す。
そのままアージェが何も言わないでいると―――― 彼女は一歩下がり頭を下げた。
「御免なさい。私、あまり抜け出すことが出来なくて……。気が急いていたようです。失礼いたしました」
肩を落とし踵を返した少女。
元来た路地へ消えていこうとするその後姿があまりにも消沈して見えて、アージェは途端、罪悪感に駆られた。
年上に見える少女が、まるで妹と同じくらいの頼りない存在に思える。
足下にいたルトにも服を引っ張られ、彼は苦い顔になると大きく溜息をついた。
「待った。分かった。一緒に行ってもいい」
「本当ですか!」
ぱっと振り返った少女は、花のように顔を綻ばせた。
美しい顔があどけなく笑い―――― だが一抹の不安がその双眸によぎる。
アージェはそれに気付いたが何も言わなかった。
不安というのなら自分の方が余程不安だ。ケグスの「あまり人を信用するな」という幻聴が聞こえるようである。
しかし、少年の内心などおかまいなしに彼女はすぐ前に駆け寄ってくると、笑顔のまま手を伸ばしてきた。
小さな白い手。その手が躊躇いもなくアージェの左手を取る。
「よろしくお願いいたします。私は……レア。―――― レアと、呼んで欲しいのです」
僅かにぎこちなさを感じさせる挨拶。
アージェは右手でこめかみを掻くと「俺はアージェ、よろしく」とだけ答えた。