青の花 024

禁転載

レアと名乗った少女は、着ている服の型こそ簡素なものであったが、上質そうな生地を見るだに裕福な家の娘なのかもしれない。
アージェは彼女の半歩後ろを行きながら、淡い金色の髪を眺めた。
同じ金髪でも彼女のそれは、妹のものより大分白金に近い。まるで雲間を抜ける日の光そのもののようだ。
背丈は彼より少し低いくらいだが、細い体つきのせいか、彼の目にはひどく頼りない生き物に見えていた。
彼女は、時折振り返ってはアージェがちゃんとついてきているか確認する。
彼は「さすがに逃げ出さない」と言ってやるべきかどうか考えて、だが無言を保った。
やがて少女は細い路地へと入ると、その奥を指差す。
「あそこを越えるの……です」
「あの枠?」
白い指が指し示す先には、小さな石の門があった。
路地の途中に何故そのようなものがあるのか。扉の嵌っていない石枠だけのような門をアージェはまじまじと見やる。
門の向こうは普通に道が続いており、単なる通過点にしか思えない。
どうしてわざわざ注意したのか、怪訝に思いつつもアージェはレアについて石枠を通り過ぎた。
―――― 一瞬だけ、気圧が変わるような感覚があった。
少年は思わず振り返って門を見たが、おかしなところは何もない。
気のせいかと首を振ったが、足下を行くルトも同じように足を止め、背後を見つめていた。
アージェが何となく門枠に触れてみようと手を伸ばすと、レアが慌てた声でそれを留める。
「き、気にしないで。もうすぐだから行きましょう」
「……別にいいけど」
何だかかなり帰りたくなってきた。
挙動不審な少女の後を、アージェは半ば惰性でついていく。
辺りは妙に静かだ。
薄曇の空に飛ぶ鳥はおらず、町の喧騒も届かない。
アージェは頭の後ろで何かがざわめくような感覚を覚え、無意識のうちに眉を寄せた。空の左手を何度か握りなおす。
レアの言う通り、緩く右へと曲がった路地はその後すぐに行き止まりになっていた。
突き当たりの地面には四角い穴が開いており、そこから続く地下への階段が見て取れる。少年は訝しげな顔になった。
「こんな何でもないところに遺跡なんてあるんだ」
「何処にでもあるのです。ただ人々が気付きにくいというだけで」
「あからさまに階段があって気付かない奴もいないと思うけど」
呆れ気味に少年が呟くと、レアは振り返って苦笑した。
小さな手がアージェに向かって伸ばされる。
「手を」
「平気だ」
「暗くて危ないの」
少女の言葉は柔らかくはあったが、それだけではない何かをまた感じさせた。
アージェは暗がりの中へと続いている階段を見下ろす。
その先がどうなっているのか、上からでは分からない。少年は明かりが必要なのではないかと思ったが、彼女はただ手を差し伸べてくるだけだ。
右手ではなく左手に向かって差し出された手。
アージェは躊躇いを覚えながらも、手袋を嵌めた指をその上に乗せる。
それだけのことで、レアは安堵に顔を綻ばせた。彼女は小さく頷くと、光の届かぬ地下へと下りていく。
一段下がるごとに、空気は澄んで冷えていくようにも感じられた。アージェは慎重に足下を確認しながら石段を下る。
階段は二十段ほどで終わりになっていた。
上からの光でかろうじて左右の壁が分かるくらいの状況で、レアはアージェの手を取ったまま、前に進み出す。
そこには扉か何かあったらしく、少女が左手を伸ばすと音もなく奥へと開いた。中から淡い光が漏れ出す。
アージェは更に奥へと続く石の廊下を見て、目を丸くした。
「何これ」
「遺跡、です」
「そりゃそうかもしれないけど……」
広くはない廊下は、光源が見当たらないにもかかわらず、うっすらと明るかった。
滑らかに切り出された白い石は明らかに人工的なものであり、整然と積み上げられ廊下の四方を形作っている。
真っ直ぐに伸びる通路は奥に大きな扉が見て取れ、そこには複雑な彫刻が施されていた。
何処か神殿の内部を思わせる荘厳な空気に、アージェは胡散臭いものを見るような視線を注ぐ。
「これ……帰っていい?」
「ど、どうしてですか!」
「いやなんか思ってたのと全然違う。凄く怪しい」
「そんな……」
振り返ったレアは軽くよろめきそうな目で少年を見つめた。
あまりにも真剣な面持ちに、ひょっとして泣き出すのではないか、と彼が危惧した時、だが思ってもみなかったことにレアは両手を広げて飛びついてくる。
そのままアージェの左腕にしがみついた少女は、ぎりぎりと奥歯を噛み締めながら彼を前へ引き摺っていこうとした。華奢な体に見合う程度の負荷が、彼の片腕にかかる。
「絶っ対、付き合って、もらう、のです、よ」
「……そこまで必死になられると怪しさが増していくんだけど」
「せっかく、来たのに……」
「何だか分からないけどすっごく怪しい。何なんだ」
これではまるで生贄にでもされそうな勢いである。
もう彼女を振り払って本格的に逃げ出そうか……そんなことをアージェは思って、だが結局その考えを放棄した。
一つには美しい顔を顰めて必死に彼を引っ張っていこうとするレアの横顔が、あまりにも子供に似て見えたので。
とめどない疲労感に彼は天井を仰ぐ。
「―――― 俺って、ひょっとして運悪くない?」
「うっ、ううっ、重い……自分で歩いて……」
「だって何か変だし、ここ」
不信感を表明してはみたものの、彼女の力だけではいつまで経っても奥の扉につかなそうである。
アージェは少女の肩を叩いて振り向かせると、改めて問うた。
「この奥に何がある? 何を取りに行くって?」
「は、花を……」
「花? こんな地下に?」
「特別な花、なのです」
真剣な顔で頷く少女が嘘をついているか否か、見破ることの出来るほどの経験を少年は持っていない。
彼はだから率直に「嘘じゃないよな?」と確認して肯定を得ると、諦めて自ら歩き出した。その横にルトがついてくる。
レアは、突然気が変わったかのような彼の行動にぽかんとした顔で足を止めたが、すぐに慌てて追いかけてきた。
「信じてくれたの?」
「あんまり」
「うっ」
「でも何か困ってそうだし……嘘じゃないって言うんだから、付き合うよ」
半分は投げやりに言った言葉。
しかしレアはそれを聞いて息を飲むと―――― すっと表情を変えたのだ。
頼りなげな、必死な色が失せ、代わりに静かな透徹が現れる。
まるで彼女自身が遺跡の一部であるような粛然。
多くを孕む青紫の瞳が、真摯な一筋を投げてアージェを見返した。
少年はその瞳の奥、深い蒼を見つめる。
「ありがとう」
小さな囁きは、白い廊下に重く響く。
その重みの理由を未だ知らぬ少年は、繋がれた手に視線を落とすと、自分とはあまりにも違う少女の白い指をじっと見つめたのだった。



通路の行き止まりにある扉は、アージェの背丈の二倍はありそうな大きなものであった。
だが真ん中に開くと思しき切れ目が縦に入ってはいるものの、手をかける場所が何処にもない。
その表面には何かの一場面であろうか、十数人もの人物の彫刻が為されていた。
中央の一番高いところに彫られている像は、どうやら聖衣を纏った男であるらしい。ただその顔は天上から降り注ぐ光の線によって掻き消されていて、どのような貌か分からなかった。
彼の一段下に立っているのはおそらく少女だろう。彼の娘なのか、顔を上げて背後を仰ぎ見るような姿勢である。
そして更に低いところには、十数人の男女の姿が彫られていた。
それぞれ体つきも服装も違う彼らはだが、そろって壇上の男を見上げており、そこには強い忠誠に似た何かが感じられる。
アージェは一通り彫られた人物たちを眺め―――― 最後に彼らから遠く離れた場所に、ぽつんと彫られている男に気付いた。
剣を携えた男は、険しい顔立ちに強い意志を覗かせて、輪の外から一同を見つめている。
孤立に怯むわけでもなく不安を見せるわけでもない。ただ傍観者のように、或いは観察者であるかのように、男は彼らの方を注視していた。
少年はその人物に違和感を覚える。
一枚の壁画とも言える彫刻において、その男だけが妙に浮いて見える。
何の情景かは知らないが、彼の存在が場の空気を一部歪に欠けさせてしまっているような気がした。

―――― 元々遺跡のことを知っていたレアなら、これが何の彫刻か知っているかもしれない。
そう思ってアージェは隣の少女に質問しようと口を開きかけたが、彼女は一瞬早く彼の手を離すと、両手で扉を押し始めた。弱弱しい気合の声が小さな唇から洩れる。
「うっ、うっ、もう! えい! 重い……」
「…………」
彼女が遊びではなく本気で押していることは、真っ赤な顔と小さな足が石床を精一杯蹴っていることで分かる。
分かるのだが、余程非力なのか扉が重いのか、それが開きそうな気配はまったく感じられなかった。
アージェは空回りしているようにしか見えない少女を眺め、次に微塵も動かない扉を見上げる。
「俺がついてきてるのって、こういう時の為?」
「ううう、うう」
納得いくような、いかないような気もするが、このままただ見ているわけにもいかない。
レアと並んでアージェは扉に両手を伸ばした。
手袋を嵌めた手とむき出しの手、両方がひんやりとした壁画に触れる。
―――― 最初から全力を込めようと思っていたわけではない。
だがレアの様子を見て、ある程度力を入れるつもりだったのは確かだ。
だからその結果、彼はあまりにもあっさりと向こう側へと動いた扉に、つんのめって転びそうになってしまった。
何とか態勢を保って踏み止まると、アージェは跳ね上がりかけた心臓を押さえて隣の少女にぼやく。
「すっげ軽いじゃん。どんだけ力ないんだ」
呆れた声を上げ……けれどアージェはそこで止まった。
レアは何も答えなかった。
ただ瞠目して、彼を見ていた。



「凄いのですね!」
という尊敬の詰まった言葉は、しかしアージェにとってはまったく感慨を生まぬものである。
少年は曖昧な表情のまま彼女と二人、扉の先へと進んだ。
そこからはもう少し広い廊下が続いており、何処か外と繋がる隙間でもあるのか、壁には一部緑の蔦が這っている。
薄い緑は天井から壁の両脇にある高い段差にまで伸びており、二人の立つ場所から全貌を窺うことは出来ないが、どうやら段差の上には草花が生い茂っているようだった。
アージェはそこからちらりと見える小さな青い花弁に気づいて足を止める。
「ひょっとして、探してるのってあれ?」
「え? あ! そうです!」
「分かった」
最初は何故自分のような人間を連れていこうとするのか、理解に苦しんだものだが、先程の扉のことといい、確かに彼女だけで花を採ってくることは出来ないだろう。アージェは足をかけられそうな場所を探すと、両手の指をぎりぎり届く段差の端へとかけた。勢いをつけて壁を蹴り、体を上へと跳ね上げる。
「よっ、と」
段差の上は、彼が体を横にして何とか歩けるほどの幅があった。
アージェは落ちないよう壁に手をつきながら、青い花目指してじりじりと移動する。
レアは下からそれを不安そうな目で見ていた。
「気をつけて」
「大丈夫だ」
花のすぐ傍まで来た少年は、身を屈めて手を伸ばす。左手の指が、細い茎へとかかった。
鮮やかな色。澄んでいながら何処か見通せない青は、少女の瞳に似ているような気もする。
アージェは二つの青を同時に視界に入れると、溜息をつく代わりにそっと指に力を込めた。
だがその瞬間彼は何かに足元を掬われ―――― 何もない空中へと放り出されたのである。