羽を纏う 037

人里もなく戦場にもなったこともないイクレムの南部山脈。
その森に覆われた麓に一週間をかけて辿りついた男は、叢に隠された入り口を前に、案内をしてきた青年を振り返った。
草を斬り進む為の短剣を携えた青年は、半ば驚いた目で地下へと下る階段を見つめている。
ダルトンは軽く口笛を吹くと、自ら割り砕いた巨石の破片を蹴り散らした。その巨石が塞いでいた入り口を見下ろす。
「本当にこの下に?」
「という話です。僕は祖父から伝え聞いただけなので何とも……」
旧知の情報屋からこの遺跡の情報を得た男は、その手かがりを拾いながらようやくここまで辿りついたのだ。
神話時代から残るという遺跡の一つ。情報が正しければ、ここにダルトンが長らく探していたものがあるという。
久方ぶりに感じる緊張に、歴戦の男は笑みを浮かべた。
彼が野営用の荷物を手に一歩を踏み出そうとすると、案内の青年は顔色を変える。
「な、中に入るんですか? 遺跡への侵入は城が禁じていますよ」
「イクレムはそうだろうが、この分じゃここも長く封印されて埋もれてたっぽいしなあ。多分ばれないだろう」
「でも、何かあったら……それに、中には何もないかも……」
ダルトンが探しているものは、古い伝説にしかその存在を語られていないものである。実在するのかどうかも疑わしい。
そんなものの為に得体の知れない場所へ赴こうとする男を、青年は理解出来ないといった目で見上げた。
男は豪快に笑ってみせる。
「何、世の中には『終わりの箱』を探してる学者もいるくらいだ。俺が『扉』を探したっておかしくない」
晴れ晴れとさえしているダルトンの表情に、青年は何も言うことが出来ない。
ただ彼は、明かりを手に階段を下りていく男を、困惑の目で見送ったのである。






「それでこうなったというわけか?」
明らかに不快げな王太子の声に、隊長は恐縮して頭を下げた。既に失態は明らかながらも、何とか責を軽減しようと言い募る。
「た、確かにその店の地下からは血液を保管した瓶が複数見つかりました。
 ですが女一人の手で、見咎められず死体を運べたかといいますと、疑問の声も上がっておりまして……」
「台車などを使えば充分可能だろう。むしろ女であるからこそ目撃されても不審に思われなかったかもしれん」
蒼ざめて黙り込んでしまった憲兵隊長に、フィレウスは冷めた視線を投げかける。
解決の糸口を見つけて焦っていたのか、隊長が己の手際を後悔していることは明白だったが、後悔しているというならフィレウスもまたそうだ。
たまたま急用で城を空けていた間に、ここ最近の懸案事項だった事件が急展開を見せたのだ。
しかも彼がそれを知った時にはもう、事件に関係していると思しき女は行方を眩ましてしまっていた。
これでは一体何をしていたのかと、現場にいた全員を怒鳴りつけたい気分である。彼は肘掛に頬杖をついて、心からの溜息をついた。
問題の女は今現在、城都中を捜索しているとの報告を受けて、フィレウスは頷く。
「捕らえた少年と、娘の方はどうしたのだ」
「娘の方は、ログロキアのモディーグ家の娘ということで、迎えの者から証明書を確認した後解放しました」
「モディーグ家……ああ、ケレスメンティアの遠戚か」
西の隣国であるログロキア自体は小国であり、多少の問題が起きてもそれほど痛手にはならないが、問題の家は確か大陸北部に存する皇国ケレスメンティアの姻戚と関係があったはずだ。まさかそのようにちょっとしたことでケレスメンティアが乗り出してくるとは思えないが、フィレウスとしてはあの皇国につけこまれるような隙を作っておきたくはなかった。
彼は、おそらく単に「他国の貴族だから」という理由で娘を解放したのであろう部下を、尊大に頷いて労る。
「娘に関してはそれで構わぬ。少年は貴族ではないのだな」
「娘は友人だと言っておりました。数日前に証明書を発行しておりますが、ギネイの辺境出身のようです」
「そうか」
件の少年は最初から、店の主人が犯人だと言っていたらしいが、肝心の女が捕まらない以上彼を無実と断定することも出来ない。
そもそも何故彼女の店にあたりをつけたのかと聞けば「死臭を辿った」などという理解しがたい返答をする少年に、フィレウスも憲兵たちも拭えぬうさんくささを覚えていた。
イクレム王太子は簡素な報告書を捲ると、その中の一項目に目を留める。
それは、捕らえた少年が旅の連れだと申告した人間たちの名前だった。
―――― 同名の人間が他にいないわけではない。だが、無視出来ぬ名を見つけてフィレウスは考え込む。
ややあって彼は一つの結論を出すと、それを実行するため別の人間を呼ぶよう、文官に命じたのだった。






アージェが飛び出していった宿の部屋には、夜更けても当然ながら彼の戻ってくる気配はなかった。
本を開いて書きつけを取っていたカタリナは、日の落ちた空に気付くと首を傾げる。
「少年、全然帰って来ないね。あの娘も来ないし」
「二人でどっか遊びにでも行ってるんだろ」
「わんこ連れて?」
「…………」
彼女の素朴な聞き返しに、窓枠に座っていたケグスは嫌な顔になった。
言われるまでもなく、アージェが帰って来ないのはおかしいと、彼も感じている。
これが他の少年ならいざ知らず、アージェは娘を連れて何の断りもなく何処かへ行ってしまうような性格ではないのだ。
出て行った時の様子からして、何か揉め事に出くわして帰れないでいる可能性が高い。ケグスは暗くなった外を横目で睨んだ。
―――― ぎりぎりまで待ってみたが、そろそろ放っておけないかもしれない。
男は黙って窓枠を下りると己の長剣を手にする。部屋を出て行こうとする彼に、カタリナが暢気な声をかけた。
「何処行くのー?」
「ちょっと一回りしてくる。アージェが帰ってきたら勉強でもさせとけ」
「分かった」
何が起きているのかは分からないが、大体のことなら何とか切り抜けられるだろう。
そう思って部屋の戸を開けた男は、だが廊下をやって来る三人の憲兵に気付いて目を細めた。そのうちの一人は腕に、布でぐるぐる巻きにしたルトを抱えている。
憲兵への敵意をむき出しに唸る灰色の犬を見て、ケグスは爪先の向きを変えた。いつでも剣を抜けるよう注意を払いながら、男たちに向き直る。
戦闘の経験がある者にしか分からぬ緊張感。ぴりぴりとした空気が狭い廊下に立ち込めた。
憲兵はケグスに気付くと軽く首を斜めにする。






狭い牢獄は日が落ちて、ひんやりとした冷気の満ちる場となっていた。
アージェは明かりのない室内で、することもなく床に座し目を閉じている。
このままあまり何日も閉じ込められれば風邪を引きそうな気もするが、今のところどうしようもない。
あれから何度も入れかわり立ちかわり現れた男たちが事情を聞いていったのだから、いずれは真相が判明するだろうと、期待するしかなかった。
彼はもう寝てしまおうかと考え―――― だが扉が開けられる気配に目を開ける。
外から差し込む光が眩しく、アージェは繋がれたままの手で瞼を押さえた。片目だけで戸口の様子を窺う。
そこに立つ人物は、憲兵ではないのか武器を持っている様子がなかった。黒い影だけに見える男は、アージェを見下ろすと手元の紙を読み上げる。落ち着いた声が牢の中に響いた。
「王太子殿下からのご命令だ。お前は今回の連続殺人において、極めて怪しい人間と疑われている」
「だからそれは違うって……」
「最後まで聞きなさい。―――― ただ、状況を鑑みるだにお前を犯人と断定出来ない部分も多い。そこでだ」
続く言葉にアージェは目を瞠る。
冷えた石床に鳴る鎖の音。
冴え冴えとした風が扉の隙間から吹き込み、少年の髪を揺らした。






白い月だけが照らす街道。夜の中に伸びる道を、馬影が一騎走っていく。
厚手の布を頭から被った騎手は、その体格からして女であるらしい。彼女は器用に手綱を操り、人影のない街道を駆け抜けていった。
鞍の後ろにはいくつかの荷物が革紐でくくりつけられている。その中には布でくるんだ大きな硝子の瓶も一つ混じっていた。
瓶の中身は馬身が揺れるにあわせて、たぷんと柔らかな音を立てる。
女は馬蹄の鳴らす激しい音に混じってそれを聞くと、楽しそうに顔を綻ばせた。愉悦に満ちた目が月を見上げる。
「次はどんな娘にしようかしら……」
古い子守唄を歌いながら、彼女は夜の中へと馬を走らせる。
そうして闇の中に消えた女がその後どうなったのか。
それはイクレムの記録の何処にも記されてはいない。