扉 039

扉を開けて入ってきた者は、二人の男だった。
一人は柔和な顔立ちをした壮年の男。もう一人はケグスより少し年下に見える男で、どちらも長剣を佩いていた。
おそらく騎士か兵士なのであろう。壮年の男はケグスに向かって軽く微笑みかける。
「殿下の命により同行を仰せつかりました。私はノーグ、こちらはシュマと申します」
「あっそ。俺たちは自己紹介する必要ないよな」
「ええ。既に伺っております」
笑顔を保ったまま答えるノーグに、ケグスはますます顔を顰めた。
だが彼は何の文句も口にすることはなく、アージェたち二人を振り返る。「行くぞ」という声に少年は目を丸くした。
「夜だけど平気なの?」
「これくらいの時間ならまだな。出発は明日にしても行き先くらいは決めといた方がいいだろ」
不機嫌そうな傭兵の男は、二人の男の間をさっさと通り抜けて部屋を出た。アージェは小走りにその後を追う。
若い方の男、シュマの前を行過ぎる瞬間、少年は何となく横目でその顔を見上げてみた。
平凡で印象の薄い顔立ちの男。だが憮然とした表情の男は険しい目でアージェを睨んでおり、その視線は少年に現状の不条理さをより一層感じさせたのである。

ケグスが一行を引き連れて訪れた場所は、狭い路地裏に入り口を持つ薄汚れた風の酒場だった。
彼は扉の見える手前の角で全員を止めると、その場を指差す。
「ここでお前ら待ってろ」
「逃げるつもりか?」
すかさず食い尽きてきたシュマを、ケグスは鼻で笑った。
「誰が逃げるかよ。ただ女子供や騎士を連れて入ったら目立ちすぎる。情報屋に怪しまれて逃げられたら困るからな」」
「分かりました。では私たちはこちらでお待ちしていましょう」
物腰も柔らかく、ノーグはアージェの肩を軽く叩いた。
その意味するところは、もしケグスが一人で逃げることがあったなら、残されたアージェとカタリナが捕縛されるということだろう。
笑顔とは裏腹に隙を見せない年上の男を、ケグスは冷ややかに一瞥する。
彼は、厳しい表情のアージェを見て軽く頷くと、一人で角を曲がり店の中へと消えた。
音もなく閉められた扉。
路地裏に訪れた静けさは、誰にとっても居心地がよいものではなかった。
我知らず溜息をついたアージェに、ノーグは優しく問いかける。
「君はどうして彼らと一緒に行動しているのですか」
「別に。なりゆき」
答えた言葉が、嘘ではないが真実でもないぶっきらぼうな内容となったのは、今のこの状況を鑑みれば無理からぬことだろう。
アージェはしかし、ノーグが困ったように苦笑すると、何だか悪い気になって付け足した。
「俺、村を出るの初めてで物知らずだし。剣も教えてもらってる」
「そうですか。……しかし君くらいの年の若人なら、本当は騎士の剣を習った方がいいと思うのですがね」
「どういうこと?」
ダルトンは勿論、ケグスもアージェから見て文句なく強い部類の人間である。
だから彼は、ケグスが師であることに何の不満も抱いていないのだ。
けれど、そのことに文句をつけているようなノーグの言葉に少年は憮然となった。
壮年の男は苦笑しつつも教え諭すかのように補足する。
「傭兵たちの剣は大概が我流です。それゆえ、いささか余計な癖がついていることがあるのですよ。
 けれど他人に剣を教える上でそれらは邪魔なものです。若いうちはまず正統な剣術を基礎から身につけた方がいい」
「何だそれ」
アージェは半ば反射的に語調を荒げた。
勿論ノーグの言わんとするところは理解出来る。傭兵の技とは、実戦の場において研ぎ澄まされたものなのだ。
そこには荒削りな部分もあるであろうし、人によって癖もあるだろう。
だが、たとえこの指摘の出所が厚意からであっても、今この時にそのようなことを言われては、自分たちの関係に難癖をつけられているとしかアージェには思えなかった。
少年は苛立ちが窺える目でノーグを見据える。
「自分たちの剣の方が優れてるって思うなら親父さんを探す必要もないだろ。城に帰れよ」
「そういうことを言ったのではないのですよ。気を悪くさせてしまったのならすみません」
「悪くしてるっていうかさ」
「こらこら、少年」
肩に手を置かれてアージェは続く言葉を飲み込んだ。
隣を見るとカタリナがおどけた仕草で肩を上げてくる。
だがその目と乗せられた手からいって、彼女が真面目な意図を持っていることはすぐに分かった。
少年は大きく息をつくと、熱くなりかけた頭を冷やそうと試みる。路地の冷えた壁に寄りかかると、しんとした寒さが背に伝わってきた。
空を見上げれば欠けた月が上がっている。アージェは今の事態を招いた自分の迂闊さを呪い、小さく舌打ちした。
カタリナは笑って隣の壁に寄りかかる。彼女は腰に下げていた小袋から何かを取り出すと、それをアージェの掌に落とした。
「はい、あげる」
「あ、これ、カタリナも持ってたの?」
「少年が喜ぶかと思って買ったのだよ」
手渡されたものは数粒の紅い木の実である。
少し前にイクレム国内の小さな村で初めて見たものだが、アージェはそれを口寂しい時の間食として常にいくつか持ち歩いていた。
彼は素直に感謝するとその数粒を口の中に放り込む。
躊躇いなく噛み砕いていると、何故かノーグもシュマもぎょっとした目でアージェを見てきた。
だが彼らのどちらも何も言おうとはしない。ただ信じられぬものを見るような目でアージェを凝視しているだけだ。
少年はその視線の理由を問おうかとも思ったが、結局は口を閉ざす。
一度空気の悪さに割れ落ちてしまいそうになった会話はそして、その後も再開されることはなかったのだ。

四人は黙してその場で待ち、もうどれだけ時間が過ぎたか分からぬ頃、ケグスが戻ってきた。
ノーグは笑顔で彼を迎える。
「どうでしたか」
「カムーカの町に向かったって話だ」
「南部ですか。なるほど。では明日の朝出発ということでよろしいですか」
「ああ」
「今夜は宿に戻られてもよろしいですよ。見張りはつけさせて頂きますが」
「好きにしろよ」
ノーグはシュマに何やら小声で指示を出した。
若い男はそれに応えて闇の中に走り去る。おそらく夜の間の見張りでも呼びに行ったのだろう。
宿の場所は既に知られているということもあり、ケグスは見張りの到着を待たず歩き出した。
そこから五分程で宿に戻ると、三人は宿屋の建物の前でノーグと別れる。
「では明日からよろしくお願いいたします」と言う年長の男に、三者は三様の挨拶を返して、一旦一つの部屋へと戻った。
窓の下でルトが眠っている宿屋の一室。半日ぶりの部屋を妙に懐かしく見回したアージェに、ケグスは声を潜めて囁く。
「ちょっと不味い感じだぞ」
「見張りのこと? ごめん」
「違う違う、おやっさんの行った先」
「ああ。南部の町だっけ」
町の名前は思い出せないが、おそらくイクレム国内の町なのだろう。
何が問題なのかとアージェが首を捻っていると、ケグスはちらりとカタリナを見た。
その視線の意味はすぐに判明する。男は乱暴に引き寄せた椅子に座ると、長い足を組んだ。
「カムーカってのは通過地点の町だ。どうやらおやっさんは……国から立ち入りを禁止されてる遺跡に向かったらしい」
「へ?」
それはもしかしなくとも不味い事態なのではないだろうか。
城の人間を連れて、禁足地に行ってしまったダルトンを追うという行為は、どう転んでも行き着く先が墓穴にしか思えない。
言葉を失ったアージェの隣で、カタリナが天井を指差した。
「南部の禁足地って言ったらデオ・ディディオ?」
「当たり。さすが専門家だな」
「なーんだ、だったら私も連れてってくれればよかったのに。一度行ってみたかったんだよね」
「お前みたいにとろい奴連れて禁足地なんて行けるかよ」
「でも明日から行かないといけないんでしょ?」
「…………」
沈黙は肯定したくない肯定と同義である。
ケグスは乱暴に髪をかき回すと半ば独り言のように呟いた。
「途中で見張りを撒くか」
「別にいいけどー。それって後々不味くない? 私たち手配出されたりして」
「かもな」
そうなれば下手をしたら二度とイクレムを大手を振って歩くことはできなくなる。
手詰まりとも言える状況に、アージェは後悔しても到底しきれなかった。
もう何度目かも分からぬ溜息に、ケグスは手を振って「気にするな」と笑う。
「おやっさんに会う前にやばいって連絡出来ればいいんだけどな。こういう時魔法士がいないときつい」
「魔法士がいれば連絡出来たの?」
「おやっさんがそれ用の魔法具を持っていればな」
それはつまり、持っていないということなのだろう。
三人は顔を見合わせ沈黙した。呈されない解決策に、しばらくしてケグスが立ち上がる。
「とりあえず今日は寝るか。デオ・ディディオまでは普通に馬で行ったら一週間はかかる。
 おやっさんもその間に移動してくれるだろうし、道中で考えよう」
「分かった」
着替えだけして自分の寝台に入ったアージェは、疲れきっていたせいか瞬く間に眠りの中へと落ちていった。
暗闇の中へと沈んでいく数秒の間。
彼は刹那の夢の中で―――― あの日レアと訪れた遺跡の通路に立った。



とりあえずの目的地としたカムーカへは、通常馬で街道を南下し五日はかかる。
しかし、それを計算にいれていたアージェたちの前に、翌朝現れた人間は、イクレム宮廷に所属する魔法士だった。
魔法士を伴ったノーグは、唖然とする三人に「爽やかな朝ですね」と言わんばかりに笑いかける。
「あなたたちも早く迅雷と合流して疑惑を晴らしたいのでしょう?
 ご要望もあったことですし、転移を使える魔法士を連れて来ました。これでカムーカへは一瞬で行けますよ」
「……そうかよ」
苦々しさを堪え切れなかったケグスに、ノーグは一枚上手の微笑で応えた。