扉 040

「転移魔法」というものを、アージェはケグスから説明され知っていたが、その力を目の当たりにしたのは初めてだった。
空中に出現した姿見のような楕円状の転移門。水の膜がかかったかのようなそれを越えた先は、見たこともない風景が広がっていた。
辺りをきょろきょろと見回す彼に、後から来たノーグは平穏な町の風景を指差す。
「ここがカムーカですよ」
「すごい……」
「さて、迅雷は何処にいらっしゃるのでしょうかね」
答えられない問いかけに、アージェは顔色を読まれないようさりげなく視線を逸らした。
彼には嘘をつくことは得意ではないという自覚があるのだが、真剣に問われても本当にダルトンが何処にいるのかよく分からないのだ。
デオ・ディディオという禁足地の遺跡。
そこにダルトンが何を求めて赴いているのか、アージェは知らないが、ケグスの方には心当たりがあるようだった。
「おやっさんもな……」と言ったきり、男が苦い顔で黙り込んでしまったのを、アージェは昨晩見ている。
そのケグスが窮地において、どういう判断を下すのか。
アージェは早く彼と相談したくて仕方なかったが、ノーグたちの手前それも出来なかった。
最後に転移門を越えて来たケグスは、驚いた風もなく町の風景を一瞥すると嘯く。
「次はここの町の情報屋だ。もっともこんな朝に捕まるとは思えないけどな」
「それは行ってみなければ分からないことです」
にこにこと笑うノーグと不機嫌そうなケグスの間には、昨晩から不可視の火花が散っているようである。
アージェは首を竦めつつ、ケグスの後について歩き出した。
何ら変わったところのない平凡な田舎町。
だがかつて町中が戦場となったことでもあるのだろう、町の壁のあちこちには焼け焦げたような痕が残っていた。
通りを行く町人たちは変わった一行が珍しいのか、ぎょっとしたような目で彼らを見てくる。
アージェは居心地の悪さと苦さを同時に抱いて、だが罪人のように俯くことはしたくなかった。
顔を上げて前を睨む少年に、ノーグは柔らかな眼差しを向ける。
しかし少年は、その眼差しが作られたものに思えて余計不愉快になっただけである。ざりざりと音を立てて歩む足に力を込めた。
「あんたたちは、親父さんと会って何がしたいんだよ。あの人、城に仕えるって感じの人じゃないぞ」
せめてもの抵抗のような確認に、ノーグは苦笑した。
「迅雷をどう遇するかは殿下のお決めになることです。
 ですが……人口に膾炙するほどの『強さ』というものは、それだけで別種の力を持ちうるものなのですよ」
「別種の力?」
「ええ。彼の名を知る者は、彼を恐れる、或いは打ち勝ちたいと思う。そこに揺らぎが出来るわけです。
 優秀な将は一人で戦況を左右することさえ時には可能です。
 それと同様に、圧倒的な強さを持つ戦士というものは味方の士気を高め、敵の足並みを乱す力を持っているのですよ」
分かるような分からないような理屈にアージェは眉を顰めた。頭の後ろで腕を組んだケグスが言い直す。
「単にあれだ、おやっさんがイクレムについたって聞いたら、傭兵連中は嫌がって敵側に雇われたがらない。
 逆に騎士はおやっさんを討って功をあげたいって思うから、功名心の強い奴を引き寄せられる。
 大雑把に言えばそんなとこだろ。そんな上手く行くとは思えないけどな」
「はあ」
気のない相槌を打ってしまったのは、それ以外何の感想もアージェが抱けなかったからだろう。
ダルトンを「迅雷」という道具としてしか見ていない騎士たち。そこに共感を抱くことは出来ず、反感を抱くことさえ呆れてしまって不可能だった。
ケグスの補足にノーグは困ったように笑う。
「戦というものは必勝に限りなく近い開戦はあれど、必勝は存在しないものです。
 ですからどのような可能性も一つ一つ拾い集めて勝率を上げていくしかない。
 迅雷の協力はその点、大きな勝率の欠片と、私は思っております」
「真剣に聞くなよ、アージェ。馬鹿馬鹿しい」 
二人の男が吐き出す反対の言葉に悩みつつ、アージェは舗装されていない道を先へと進んでいった。
隣を行くカタリナはこの町の風景が物珍しいのか、子供のようにきょろきょろと辺りを見回している。
ややあって一行は、広場に面した一軒の古物屋へと辿りついた。
まだ店は開いている時間ではないらしく、硝子窓のある扉には内側から黒い布がかけられている。
ケグスは二、三度扉を叩いて返事がないと分かるとノーグを振り返った。
「で、どうする?」
「こちらの店の主人が情報屋なのですか?」
「ああ。老齢の男で、アゴーからの紹介だと言えば通じる」
「ならばその情報屋は我々が訪ねましょう」
ノーグがシュマに頷いてみせると、彼は店の裏へと回った。名前を知らない魔法士はノーグの傍に留まる。
手持ち無沙汰になったアージェたち三人は、少し離れた広場中央の枯れた噴水の縁に腰掛けた。
しきりと欠伸をするケグスに、アージェは小声で問う。
「これからどうなるの?」
「俺たちは情報が得られ次第、デオ・ディディオ方面へと向かう。
 ただな、デオ・ディディオ自体の入り口は城によって固く封印されてるんだ」
「じゃあ、親父さんは」
「デオ・ディディオのすぐ傍にある無名の遺跡に、今は入ってるはずだ。
 そこは地元の一部の人間しか知らない隠された入り口があって、魔法で結界破りをしなくとも中に入れる」
「え、そんなのあるの? 私、初耳だ」
「いわゆる秘された伝承って奴らしいからな。中がどうなってるのかはまったく伝わってない」
「でも何でケグスは」
その情報を知っているのか。この町の情報屋に会ってもいないのに。
まさか最初から知っていたのだろうかと訝しむアージェに、男は片目を瞑って見せる。
「昨日の晩最初の情報屋から聞いておいたんだよ。
 で、そん時に流れの魔法士に依頼して、夜のうちにこっちの情報屋にも連絡させたってわけ。
 だからあいつらは当の情報屋を見つけても漠然とした情報を得るだけだ。
 ―――― おやっさんはデオ・ディディオ方面に向かったってだけのな」

悪戯っぽく締めくくる男の言葉に、アージェは思わず口をあんぐり開いてしまった。
昨晩は何も教えてくれなかったにもかかわらず、彼は彼で打てるだけの手を打っていたというのだ。
呆気に取られている少年に、ケグスは「お前、嘘苦手だからな」と肩を叩いてくる。
その言葉についアージェが身じろぎしたせいか、枯れた噴水に小石が落ちて、カラカラと転がった。
小石は緩やかに傾斜している石板を落ちて行き、排水溝らしき窪みへと落ちる。
丸い窪みはそうやって転がってきた小石たちで、既にほとんど塞がってしまっていた。
人通りもまばらな広場。
店の前で何かを話し合っていたノーグと魔法士が、ちらりと三人の方を振り返る。
ちょうどよく顧みられてアージェは思わず身を硬くしたが、ノーグは別に彼らの会話に気づいたというわけではないようだった。
再び向けられた背にほっとして、アージェはケグスを見やる。
「じゃあ親父さんは俺たちが追っても見つけられないってことでいいのかな」
「いや。そう上手くいったらいいんだろうが、おやっさん自身道中で目撃されてるだろうし、あいつらはしつこいからな。
 放っておけば結局は、周辺の遺跡に踏み入った形跡がないか調べようとするだろ。
 だからしばらくはここで時間を稼いで、俺たちはその後、ちゃんとデオ・ディディオ方面へと向かうんだ。
 でな、アージェ、ここからが重要だ」
「何?」
聞き返す声音に緊張が現れたのは、ケグスの声が一段低くなったからだろう。
男は足下の小石を蹴り上げると、欠伸をしながら言う。
「デオ・ディディオ付近についたら、俺が機会を作る。
 だからお前たちはその隙に別行動をして……遺跡に入っておやっさんを探すんだ」
「え?」
一瞬、言われたことがよく分からなかった。
虚を突かれたアージェを見ずに、ケグスは続ける。
「おやっさんを見つけて外に出てこられたら、後はいくらでも誤魔化せる。
 怪しまれるだろうが、所詮向こうもちゃんと把握していない無名の遺跡だ」
男の蹴り上げた小石が、歪な石畳を転がっていった。
平静を崩さないケグスの様子に、アージェは我に返ると驚きをそれ以上出さないよう気を引き締める。
カタリナが隣で目をまたたかせた。
「中、どれくらいの広さなの?」
「知るか。ただ地表から考えて、デオ・ディディオよりは小さいって話だ」
「なるほどね。ま、先行してる人間の後を追うくらいなら出来るかな」
「入り口の場所は今から教える」
薄ぼやけた青空を、ケグスは見上げる。
遠目からは世間話をしているようにしか見えない姿で、男はぼやくように呟いた。
「やれるだろ。行って来い、アージェ」
剣の師である男の声に潜んでいるものは、命令でも懇願でもなく信用だ。
アージェは無意識に息を詰める。
自身がこの事態を招いてしまったということ―――― それさえも瞬間薄らいで、ケグスの言葉だけが頭の中で点滅した。
城の騎士を出し抜いて不利を拭おうとする行為。危険な賭けにも思える一手が、彼の目の前に突き出される。
「……やれる」
「よし、なら入り口の場所を言うぞ。一回しか言わないからよく覚えとけ。後で明かりの魔法具を渡す」
ケグスはにやりと笑うと足元の小石を拾い上げ、枯れた噴水へと投げ込んだ。

ノーグたちが情報屋を捕まえたのは、昼近くなった頃のことだった。
慌しく昼食を取った一行は、更に南のデオ・ディディオ方面へ向かって出発する。
本来ならば更に馬で二日はかかる距離を、転移魔法は無いものとして、遺跡最寄の村へと瞬時に六人を移動させた。
そこで更にダルトンの目撃証言を集めたノーグは、すっかり見慣れた笑顔でアージェたちに告げる。
「迅雷のはっきりとした目的地は分かりませんが、禁足地に踏み込んでいるのならいささか問題です。
 これから私たちはデオ・ディディオへと向かいましょう。そこに迅雷がいなければ更に南へ。よろしいですね」
「分かったよ」
忌々しい表情でケグスは舌打ちした。それが演技なのか半ば以上本気なのかアージェには判断出来ない。
少年は荷物の中に潜ませた明かりを上から手で確認すると、頭の中で入り口の場所をもう一度反芻したのだった。