扉 041

神話の時代の名残を広大な地下に抱え持つという遺跡、デオ・ディディオ。
その内部に存在する施設の正体は、調査の結果、古代の神殿であると結論づけられている。
既に百年以上も前に全ての探索が完了し、当時のイクレム王によって封鎖された遺跡。
その立ち入りを禁止された理由の一つには、未だ動き続ける魔法仕掛けがあるからだとも言われていた。

馬の入れぬ森の奥、木々の間を縫って二つの人影が走っている。
彼らは時折背後を振り返りながら草を踏み越え、枝の下をかいくぐっては先へ進んでいた。
そのうちの一人、灰色の犬を連れたアージェは枝葉の間から空を見上げると、後をついてくる女に問う。
「方角あってる?」
「多分。あとで微調整出来るよー」
「了解」
アージェは目の前に折られた枝を見つけると頷いた。そこを通過点として更に先を目指す。
森の中を走る二人を追う者はいない。見渡す限り他に人影はない。
イクレムの人間は今頃、ケグスが適当に煙に巻いてくれているはずだ。
はぐれた振りをしてダルトンを探す二人は、まもなく教えられた場所付近にさしかかる。
イクレムの南部を東西方向に広がる山脈の麓。
道筋通りにその場所へと辿りついた彼らは、叢の中、割り砕かれた岩を見つけて顔を見合わせた。
アージェは破片の一つを拾い上げる。
「これかな」
「そうじゃないー? 割られた部分が新しく見えるし」
割られた巨石が遺跡への入り口を塞いでいたものなら、この辺りに入り口があるはずだ。
二人は生い茂る草をかき分け、まもなくルトの吠え声で地下へと続く階段を見出した。
カタリナが魔法具に明かりを灯し、止めるまもなく先に下り始める。アージェは自分も明かりを取り出すと、慌ててその後を追った。
「俺、先に行くよ」
「駄目駄目、少年。遺跡というのは意外と危ないものなのだよ」
階段を下りていくカタリナは足を止めることなく左手を振って返す。
初めて足を踏み入れる遺跡にもかかわらず、まるで先が分かっているかのように進んでいく彼女の背は、確かに専門家としての自信に満ちているように見えた。
普段は普通の道を歩いていても転びそうになるカタリナだが、この場においては信用した方がいいのかもしれない。
そうアージェが思った矢先に、だが警告する犬の吠え声が響く。
同時に階段を滑り落ちていく彼女を見て、彼は激しく後悔した。
数秒後、暗い下方から大きな尻餅の音と「あいたたた」というぼやきが聞こえてくる。
「大丈夫? 何やってんの」
「少年、足下気をつけて」
言われて階段を照らしてみると、確かに彼のいる二段下から、段の中央部分がゆるやかな坂になっていた。
埃もなく見るからによく滑りそうな石の上を、カタリナは落ちていったのだろう。
アージェは嫌そうな顔になりつつ坂部分を避けて階段を下っていく。下に辿りつくと、カタリナが涙目で腰をさすっていた。
「あー、もう。罠が既に発動してるなんてなあ。ダルトンさんめ」
「それに気付かないのもどうかと思う」
未踏の遺跡であるならともかく、ここは既に先行者がいる場所なのだ。
アージェは手を貸して彼女を立たせると、自分がその前に回って歩き出した。頭に明かりをくくりつけられたルトが並行する。
自分を後ろに回されたことについて、カタリナは何か言いたそうな顔になったが、結局は無言を保った。
少年は埃くさい通路の天井を見回す。
「親父さんがここに入ったのは早くて丸一日は前か……」
「といっても広さには限界があるからね。探索しながら進む人より私たちの方が早く進めるはず」
「発動してる罠に引っかからないよう急ごう」
「どうしてそこで嫌味を混ぜるかな」
灰色の髪を後ろで一つに編んでいる彼女は、どう見ても二十四歳には見えない。十代の少女と言っても通るだろう。
専門家とは言え、とろくさくて仕方ない彼女を同行者としていることに、アージェは一抹どころではない不安を抱いたが、それくらいは何とかなると思いたかった。
真っ直ぐ奥へと続く荒れ果てた通路。先は暗く見えない道を、アージェは足早に進んでいく。
あちこちに剥がれ落ちた壁の破片が転がる床。
想像も出来ぬ年月を宿した遺跡は少年の足下、今はまだ沈黙を続けていた。






「やれやれ、困りましたね」
辺りを見回しノーグはそう感想を洩らした。
遺跡デオ・ディディオの封印された入り口を前に、四人の男は周囲の森へと視線を巡らす。
石の柱と魔法結界によって封じられた石段には、人の立ち入った形跡はない。
彼らの探し人がこの中にいないことは、誰の目から見ても明らかだった。
―――― もっともその探し人はいまや三人に増えてしまっているのだが。
アージェ一人を連れて、「ちょっと先行っててー」と消えてしまったカタリナに、城から来た三人は多かれ少なかれ困惑を抱いているようだ。
ケグスは憮然としているシュマに肩を竦めて見せた。
「迷子になってるんだろうよ。遅いって思うなら探しに行ってやったらどうだ?」
「…………だがな」
若い騎士であるシュマが抵抗を感じているのは、消えたカタリナが用足しに行っていると思っているからだろう。
ケグスからすると、そういう余計なことにまで配慮をして立ち止まるのが騎士の愚かしさであるのだが、今回はそれが利用出来る。
彼は木の幹に寄りかかると日の光を遮る葉々を見上げた。
「アージェも一緒だ。迷子になってもそのうち帰って来るだろ。置いていっても村には帰れると思うけどな。
 移動する気になったら声かけろ」
「そうは仰いますが、彼らが逃げたのではないと、あなたには断言出来ますか?」
すかさず降ってきたノーグの声は、一段低いものである。
気の弱い者なら怯んでしまいそうな問いに、しかしケグスは平然と笑った。
「残念ながらあいつはそんな器用でもないし、弱くもないんだよ」
揶揄するような信じているような答。
それはまるで、権力を武器とする人間たちを挑発しているようにも響いた。
ノーグは十歳以上も年下の男を笑みを浮かべたままねめつける。
「どうでしょう。逃走することが絶対悪だと信じこんでいるような頭の固い少年にも見えませんでしたが」
「面白いことを言うな。形式を重んじる騎士様が」
「私にとって最も優先すべきは主人の命です。形式がその妨げとなるのでしたら、捨てることに躊躇いはありません」
離れたところにいたシュマが複雑な表情で振り返る。
どうやら同じ騎士であっても、ノーグとシュマの間には信念の差異があるらしい。
それはノーグが「私たち」と言わなかったことからも明らかであったが、ケグスにとって騎士の信念など路傍の石ほどの価値も見出すことは出来なかった。
―――― ただ単純に、ノーグは手強い。
姿勢や歩き方から見て、剣の技量もかなりのものだろう。
ケグスは、一対一であればシュマを下すことは可能だと予測しながら、ノーグの方を相手にすればどうなるのか計りかねていた。
もっとも戦わずに済むのならそれが一番いい。
傭兵の男は腰に佩いた剣を見ないようにしつつ、遺跡の入り口を眺める。
そのような男の様子をどう思っているのか、ノーグは魔法士に何やら耳打ちした。魔法士は頷くとその場から離れる。
無言での駆け引きが為される時間。
広がる空は薄青く、寧日そのものの様相を湛えていた。





無名の遺跡の内部は、幸いそう複雑なものではないようだった。
勿論枝分かれは各所に見られるのだが、立ち入りの禁止されていた遺跡だけあって、慎重に埃の上の足跡を見ればダルトンがどちらに向かったのか分かる。
アージェたちは足跡を辿るルトに頼りながら、暗い遺跡の中を進んでいった。
時には行きつ戻りつしている大きな足跡は、まるで何かを探しているかのようである。
少年は半ば崩れた石壁に手を触れつつ、隣の女を見た。
「親父さん、何探してるんだろ。宝物とかなのかな」
「うーん。遺跡に宝物が置かれているってことはほとんどないのだよ、少年」
「あれ、ないの?」
奥深い地下の底には金銀財宝、とまではいかなくとも、貴重な何かはあるだろうと想像していたアージェは、肩透かしを食らった気分になった。入った時より石しかない遺跡の通路を見回す。
「じゃあ何だろ。まさか親父さんまで『終わりの箱』とか言い出さないよね」
「少年、私が探しているものを妄言の代名詞として使用しないように」
「他にありそうなものって何?」
カタリナの苦情を流してアージェが聞きなおすと、学者である女は歩きながら腕組みをした。しきりに首を左右に傾けながら小さな唸り声を上げる。
「うーん、どこまで調査隊が踏み込んでるかにもよるけど、基本的には古代の記述とか壁画とかそんなんばっかだよ」
「なるほど」
「あとは武器防具とか、装飾品とかもあるところにはあるかな。古くなっててぼろぼろだったりするけど」
「武器か……」
それならばダルトンが探しているのも少しは納得出来る。
アージェは手に持った明かりで埃の中の足跡を照らし出した。
「武器ってどんなものがあるの?」
「色々だよ色々。当時使われてたっぽい青銅武器から魔法武器まで。
 中には材質不明の武器だって見つかったこともあるよ。あとは伝説級の武器とか」
「途端に胡散臭くなってきた。伝説級の武器って何?」
「いわゆる神が与えたもうた武器ってやつだね。一説では皇国ケレスメンティアにもあるって話だけど。
 中でも神の槍はね、一突きで一国を滅ぼすって言われてる」
「……何だそりゃ」
伝説であるのだから多分に誇張が含まれているとは思うのだが、それにしても思い切った威力である。
アージェは巨木よりも大きな槍を想像しかけてかぶりを振った。「強い」を即「大きい」と変換してしまう自分の想像力の乏しさが情けなく思えたのだ。
深く溜息を吐き出すアージェとは違い、だがカタリナは真剣な表情で続けた。
「馬鹿馬鹿しいって思う? でも神具が本当に実在するとしたらあり得ない威力じゃないんだよね」
「まさか。実在しないだろ」
「どうだろう」
女の声は暗い通路に反響して聞こえる。
まるで四方八方から姿の見えぬ女が語りかけてくるような錯覚。アージェは手袋に覆われた左手を握った。
もう随分聞いていない女の声を思い出しそうになって、彼は顔を顰める。
他に誰の姿も見えない道。
カタリナは明かりに照らされ、物憂げにも見える貌で口を開いた。
「少年は信じないかな。その神の槍についての記述は、あちこちの遺跡から出てきてるんだよ。
 かつて世界には大陸が一つしかなくてね。で、その大陸を神々の決裂の結果五つに割ったのが、問題の槍なんだ。
 ―――― 実は大陸の北東部の絶壁にはかなりの距離の全面に渡って、高熱の炎で焼き切られたっぽい痕跡が残ってる」
忘れ去られた遺跡に落ちていく言葉。
それは伝説を語るには硬質で、だが拭えぬ畏れを宿していた。
少年は瞬間息を止めると女の顔を見返す。
普段は泰然とした彼女の双眸はしかし、半ば暗がりの中に没して、何を考えているのか少しも読み取ることは出来なかった。