扉 042

暗い遺跡の通路はしばらくすると左へ折れていた。
青白い明かりで足下を照らすルトを先頭に、アージェとカタリナは道を曲がる。
埃臭い空気に息苦しさを感じながら、少年は見通せない先を睨んだ。
神話に語られているという神の武器。
凄まじい威力を持つ神の槍が、生み出したのではないかという絶壁の話を聞いても、普通の人間は信じられるはずもない。
妄想か絵空事としか思えぬ内容にアージェは呆れ顔になりつつも、だが場所柄のせいか一笑に付すことが出来ずにいた。
彼は半歩後ろをついてくる女に、前を見たまま問う。
「カタリナは、神話の神とかが実在したって信じてるの?」
伝説に語られる「箱」を探して遺跡を研究する彼女は、神の実在までもやはり信じているのだろうか。
好奇心というには疑いが多分に含まれた質問に、女の笑う気配が続く。
「神様についてはさー。どういう存在なのかって定義がそもそもあちこちで違うんだよね。
 信仰を持っている人間の間でも違うし、学者の間でも学説が分かれてる。
 勿論信仰と研究は別だから、学徒の中でも信じてない人とかいるしね。
 だから一概に信じてるかって聞かれたら答えられないんだけど、私は少なくとも――――『神と呼ばれるような何か』は居たんじゃないかなって思ってる」
「神と、呼ばれるような?」
「そそ。一人だったのか複数だったのか、人間だったのか魔族だったのかは分からないけどさ。
 少なくとも何かはいたんだよ。そんでそれが、神って呼ばれるようになった」
カタリナの腕がすっと前方に向けて上げられる。
その先には石で出来た扉があり、白砂色の表面には壁画が彫られていた。
前に見たものと似ていると言えなくもない図。アージェはその中に描かれた人物に見入る。
壇上に立つ一人の男。聖衣を纏った彼の顔は、だが天上から降り注ぐ光によって見えない。
そしてその前には別の男が跪き頭を垂れていた。
他に人の姿は彫られていない。
以前見たものよりも大分人数を減らしながら、だが「似ている」と確信出来るそれを、アージェはまじまじと見つめる。
通路を塞ぐ扉を前にカタリナは足を止め、壇上の男を指差した。
「これ、誰だと思う?」
「誰だろ……王様?」
アージェからすると他に考えられない。
彼は世のことをあまり知っている方ではないが、祖国であるギネイもイクレムも、宗教家が権力を持っているという話は聞いたことがなかった。
しかしカタリナはにやりと笑ってその答を否定する。
「これが神だよ。ディテル神。跪いている方が王」
「え? 何で?」
どうしてそう思うのかと、アージェは疑問を覚えた。
何か説明書きの文字が刻まれているわけでも何でもない。
ただその人物は一段高いところに立っているというだけで、他は人間と変わらぬように見えるのだ。
読み書きの授業を受けている時より怪訝な顔になる少年に、カタリナは補足する。
「確かに何も確定的な記述はないけど、これがディテル神ってことは多くの学説で一致してる。
 あのね、こういう壁画ってこの大陸中にいっぱーいあるんだよ。
 で、それらは跪いている人の服装や人数がそれぞれ違ってるわけ。
 たとえばこの壁画の人は、服装や佩いてる剣、髪飾りからして、千八百年前にこの辺にあった国の王だって分かる。
 でもねー、全部の壁画において、壇上の男だけはまったく共通なんだよ。
 当時は街道もなくて隔絶された場所も多かったし、中には、三百年前まで本土と交流がなかった島だってあるのに。全部同じ。
 ―――― これって凄いことだと思わない?」
女の両手は、壁画の左半分に触れるとそれをゆっくり押し始めた。
両開きであった扉は奥へと軋んで開き始める。壇上の男は動かぬままの右半分に残った。
ルトが扉の隙間をすり抜けて先へと進み、カタリナが手招きする。
先を急がねばならぬ状況にあって、しかしアージェはまるで何かに取り付かれたかのように、生まれた訝しさを拭い去ることが出来なかった。
少年は、神の姿だという壇上の男を見ながら、扉の先へと進む。
「俺は……よく分からない。不思議なことだと思うけど」
「そうだよね。不思議だね」
これで話はおしまいと言わんばかりに両手を軽く上げてみせるカタリナに、アージェは頷いた。
二人と一匹は再び黙して通路を歩き始める。
けれどその時少年の頭の中には、壁画の共通性に関する疑問が跳ねており、彼は「それらの壁画を彫った人間たちなら、この謎の真実を知っていたのだろうか」とぼんやり考えたていたのだった。





二人がダルトンを探して遺跡の通路を進んでいるその頃、ケグスは相変わらずデオ・ディディオの入り口前に立っていた。
既にアージェたちと別れてから、一時間近くが過ぎようとしている。
これ程待っても二人が帰って来ないということは問題で、シュマは先ほどから険しい視線をケグスに送るようになっていた。
だがその視線をものともしない男は、木の幹に寄りかかりながらさりげなく辺りを窺う。
―――― 先ほどからノーグの姿が見えない。
「ちょっと辺りを探してきます」と彼が魔法士を連れこの場を離れてから、既に二十分以上が経過しているのだ。
それが一体何を意味するのか。ケグスは拭えぬ危惧に耳を注意深くそばだてる。
ややあって遠くから聞こえてきた音に、彼は寄りかかっていた体を素早く起こした。剣の柄に手をかけ音の聞こえる方を睨む。
はじめはその様子を不審そうに見やったシュマも、すぐに同じ音に気付いたのか顔色を変えた。
二人の男が注目する中、垂れ下がる枝をかき分けてノーグが姿を現す。
「やあ、お待たせしてしまいましたね。すみません」
「……何だよ、それは」
「いえ、お二人とはぐれたことを殿下に報告したのですが、その際に重大な話を窺いまして」
にっこりと笑うノーグの背後には、三十人ほどの武装した兵士の姿が見えた。
そこには数人の魔法士と二人の騎士の姿も見られ、到底迷子になった女子供を捜す為のものとは思えない。ダルトン一人を捕まえるのにも大仰過ぎるだろう。
少なくない足音を立てる彼らはノーグに率いられ、デオ・ディディオの入り口前に整列した。
円環に交差する剣というイクレムの紋章をつけた者たちを、ケグスは感情を殺した目で見据える。
―――― これ程までの人員を、イクレムが割いてくるとはまさか思わなかった。
王太子フィレウスがノーグに告げた重大な話とは、一体何だったのだろう。
それについてケグスが探りを入れようとした時、ノーグは唇の両端を上げて笑んだ。
「実はこの近くには公にはされていないのですが、もう一つ遺跡があるのです」
既に二人が中に入っているだろう遺跡。
その存在がばれたことに、しかしケグスは動揺を表に出すような真似はしなかった。
「ふうん?」と相槌を打った男にノーグは続ける。
「そちらはデオ・ディディオとは別に、訳あって封印され立ち入りが禁じられています。
 しかし、迅雷やお二人がその中に迷い込んでいるのだとしたら一大事です。
 彼らの命に関わる前に救出せねばならない。―――― その為の人員を、殿下から借りて参りました」
「……何だそりゃ……」
件の遺跡の内部がどのようになっているのか、そこまでは情報屋も知らなかった。
ケグスはだから一通りの情報を聞いて、デオ・ディディオの中には未だに動く魔法仕掛けもあるというのだから、もう一つの遺跡にもまたそれに似たものがあるかもしれないと思ったくらいだ。
だがそれが、命に関わるようなものだとすれば、話がまったく異なってくる。
「遺跡の中は危ない」というノーグの主張が真であるか、それともアージェたちを捕らえる為の単なる口実か、ケグスは目を細めて思考を回転させた。
穏やかなノーグの声がかえって耳に障る。
「あなたとシュマはこちらでお二人を待っていただいても構いません。その間に私たちはもう一つの遺跡を見てきましょう」
これ見よがしに踵を返すノーグの所作は、まるで誘っているかのようにも見えた。
これが罠であるのか違うのか、ケグスは用心しつつも、一歩を踏み出す。
「待てよ。俺も行く」
「そうですか? 別に構いませんが、何かお心当たりでも?」
「いや。単にあいつらが帰ってこないから気になるだけだ。あとは好奇心だな」
「ならばお好きなように」
ケグスが一行に加わると、シュマも無言のままそれにならった。
森の中密やかに動くイクレムの部隊は、知られざる遺跡へと向かう。





視界は見渡す限り闇に塗りつぶされ、自分の手足でさえ見ることが出来ない。
上下の感覚さえもあやうくなる漆黒。
抜け出す糸口さえ分からぬ暗闇に閉じ込められたダルトンは、頭上を仰ぎ息を吐き出してみた。
当然上には何も見えず、何も返ってくることはない。
八方塞がりの中にあって、だが力を失わぬ声で彼は慨嘆する。
「まいったな。まさかこんな罠があるとはなあ」
探索の途中で入った部屋の一つ、単なる暗がりに見えたその部屋は、しかし足を踏み入れた直後扉が閉まり、途端に魔法の明かりも効かぬ暗闇に支配されたのだ。
ダルトンは勿論その時背後を振り返り、扉を開けようと試みたが、そこにあったはずの扉や壁は既になく、ただ四方にだだっ広い空間が広がっていたのみである。
何処に向かえば出口があるかも分からぬ状況。彼の中では、時間の感覚さえあやふやになりつつあった。
「四千五百四十八、四千五百四十九、四千五百五十っと」
歩数を数えながら暗闇を探索する。
それは、最初の地点を出発点として、外側へ渦を描くように為されていた。
きりのよい歩数まで来たダルトンは、その場に腰を下ろし休息を取る。
今のところ、この部屋を出る手がかりらしきものはまったく見つかっていない。
このまま探索を続けて無事戻れるのか、確証は持てぬまでもダルトンはあるものを探して、少しずつ歩く輪を広げていった。
石畳のひんやりとした感触に現実を感じながら、歴戦の傭兵はぼやく。
「俺が死んで困る奴なんて誰もいないとはいえ、こんなところで戻って来れなくなったら、ケグスの奴は怒るだろうなあ」
子供の頃から付き合いがあるケグスは、ずっとダルトンの探しているものについて「夢物語だ」と否定し続けてきたのだ。
大人になると彼もあからさまな批判は口にしなくなったが、それが原因でダルトンの命が失われれば、ケグスは怒るだろう。それは少しつまらないことだ、とダルトンは思った。
束の間の休息を終え、彼は再び立ち上がる。
そうして一歩一歩を数えながら進み始めた―――― その矢先、彼は床の感触がそれまでと少し異なることに気付いた。にやりと笑って剣を抜く。
「ようやくか」
真っ直ぐに床へと突き下ろした剣。
それは寸分違わず、暗闇の中に刻まれていた魔法陣を割り砕いた。
霧が晴れるように周囲の空気が変わり、魔法の明かりが光を取り戻す。
青白い光をかざしてダルトンが周囲を調べると、そこは元の部屋の片隅だった。床には罅割れた魔法陣が見て取れる。
「やれやれ、時間食っちまったな」
この分ではかなり長い時間閉じ込められていたのかもしれない。
ダルトンは欠伸をしながらただ一つの扉へと戻ると、一人探索を再開した。