扉 043

もたらされた報告は、フィレウスにとって予想外としかいいようのないものであった。
出来るなら麾下に加えたいと思っていた戦士。その向かった先は、南部にある忘れ去られた遺跡であるという。
南部の封印遺跡というと、イクレムではデオ・ディディオを意味する言葉であるが、その傍にもう一つの遺跡があることを知る人間はそう多くない。
城でもそこに関しては封印資料扱いなのだ。宮廷外で存在を知っている者がいたとしたら、せいぜい当時の発掘に携わった者たちの縁者であろう。
フィレウスは保管庫で埃を被っていた発掘資料を手に、重い息をついた。
その中に書かれていることは決して多くない。運び出された発掘品も目新しさはそうないものばかりだ。
だが彼は、最後の方にある記述に見過ごせないものを見つけて、先程から表情を険しくさせていた。
記録によると発掘に携わった者は、宮仕えの学者、魔法士、騎士、周辺住民を合わせて百六十三人。
―――― だがそのうちの二十二人が、遺跡の中で忽然と姿を消しており、ついには帰ってこなかった。
フィレウスはその一件についての調査記録を指で辿る。
「開かない扉が遺跡の奥にあった。その扉が失踪事件時に開いていたと証言する者がいる。
 ……だが、事件後その扉はどれほど調べてもやはり開かなかった。それどころか破壊しようとも傷一つつかず……」
読み上げていた言葉をそこで切ったのは、馬鹿馬鹿しいと思ったからと、薄ら寒さを感じたからの両方であった。
フィレウスは資料を閉じると古ぼけた表紙をまじまじと眺める。既に何度も読み返した末尾の文言が、脳裏に浮かんだ。
『この遺跡には遺産が眠っている可能性が高い』
未知のものに対する強い誘惑と禁忌。その両方が彼の脳裏を行き来する。
はたしてそれは手に入れられるものなのか。彼の力となり得るのか。
男は溜息を一つついて目を閉じた。
焦燥と喪失を思わせる表情。
だが彼が顔を上げた時、その両眼には既に、貪欲に力を欲する者の意思が浮かび上がっていたのである。






遺跡の内部は奥に行くにつれ、先行者の追跡が容易になっていった。
それは道が単純になったというわけではなく、単に罠の破壊跡が大きなものになっていったからである。
アージェは叩き割られている壁の石板を見て何とも言えない表情になった。床に散らばった破片の一つをカタリナが拾い上げる。
「勿体無いなー。これ、魔法陣だよ。未だに稼動してるものは貴重なんだけど」
「やだよ。罠にかかったら困るだろ。割ってくれて正解」
「勿体無いいいい!」
喚いている女を放置して、アージェとルトは先へ進んだ。
一体何処がこの遺跡の終わりなのか。だが同じ方向へ向かっている以上、いつかはダルトンに追いつけるだろう。
彼は入り口から大分離れた為か、息苦しさを感じて手を喉元に差し入れた。襟を緩めた指が、首からかけている革紐にかかる。
その紐には二つの指輪が通されており、上着の下で時折ぶつかりあって軽い音を立てていた。
銀の指輪と水晶の指輪。一つはレアに、もう一つはリィアに貰ったものである。
彼は紐の先で揺れるそれらを一瞥すると、再び視線を通路の先へと向けた。
ルトが僅かに先行している分、通路の床付近が薄白く照らし出されている。
灰色の犬はしきりに床の匂いを嗅いだり顔を上げたりしていたが、ふと何かに気付いたのかアージェを振り返って鋭く吠えた。
「何だ?」
「あ、ダルトンさん見つかったとか?」
「だったらいいんだけど」
軽やかに通路の奥へと駆け出すルトを追って、二人も小走りになる。
どんどんと近づいてくる廊下の先はどうやら突き当たりになっているようで、左右に道が分かれていた。
アージェはルトを追って右へ曲がろうとする。その時頭の中で女の声が叫んだ。
(とまりなさい!)
「え?」
久しぶりに聞いた声。
その厳しい声音に驚いて、アージェは思わず足を止める。崩れかけた態勢を壁に左手をついて留めた。
それだけではなく彼は咄嗟に反対側の手を伸ばして、カタリナの襟首を掴んだ。走っている彼女の体を思い切り後ろへ引っ張る。
「ぐええ!」
「ごめん、ちょっと待って」
「首が絞まって死ぬかと! 何すんの少年!」
「いやちょっと」
―――― てっきり罠があるかと思ったのだ。
だが先を行くルトには何も変化が見られない。アージェは自分の左手を見た。
「何で止まらなきゃいけないんだ?」
「私が聞きたいよ、少年」
申し訳ないとは思うのだが、アージェはカタリナを無視して「彼女」に問う。
「言え。何がある?」
埃くさい通路には何ら変わったものは見えない。
だが「彼女」は何も無い時に意味のないようなことを言ったりはしなかったのだ。
アージェは、幼さが残る顔に険しさを乗せて左手を睨んだ。頭の中に「彼女」の返答が響く。
(あなたは、ここに、のこりなさい。その人と犬は、いってもいいわ)
「何だそれ。カタリナとルトだけなんて行かせられるわけないだろ」
「少年、誰と話してるの?」
怪訝そうなカタリナに、アージェは再度「ちょっと待って」と断りを入れた。
彼女に説明をしたくない訳ではないが、今は先に事態を確認したい。彼は左手を一度握ってまた開く。
明かりをつけたルトが足を止め、二人を振り返った。
「何がある? 何故俺を留める?」
(なにもない。あなたが、いかなければ)
「意味が分からない」
(あなたが、すすむと、『うごきだす』)
「動き出す? 何が?」
まるで霧の中を棒で突くかのようなやり取り。アージェはうんざりして、応答を投げ出したい気分になった。
何があるのか、動き出すのか、断片しか分からないこの状態ではまったく飲み込めない話である。
そもそも何故自分がカタリナたちと違うのか、少年はそこからして心当たりがない。
彼は、「早く来い」と吠えて急きたてるルトに追いつこうと歩き出しかけた。
左手を壁につき―――― だが、その指先に痺れが走る。
(アージェ、待って)
「煩い」
(彼女に、いいなさい。じぶんは『けいしょうしゃ』だと)
「継承者? 俺が? 何の」
(ここは、いまの、あなたでは、むりよ)
次々に繰り出される半端な情報に、アージェは苛立ちを顕にした。
これでは知りたいことが分からず、意味を為さない欠片だけが積もっていくだけだ。
だが舌打ちしようとした彼は、カタリナの目に気付いて思わず息を飲む。
先を急いでいるというのに今まで何処か暢気さが抜け切らなかった女。
しかしその彼女は今何故か、愕然とした顔でアージェを見つめていた。






白く広い机の上はいつも通り整然としている。水晶で作られたペン立てと黒い柄のペン、そして目を通すべき書類があるだけだ。
余分なものも予定外なことも何一つない。それは公人としてのレアリアには当然のことで、だがこの時彼女の意識は別の心配事に向けられていた。
昨日から何度も内密理に報告させている件について、レアは芳しい情報がいつまで経ってももたらされないことに苛立ちを覚える。
扉を叩く音がして紺色の服の男が入ってくると、彼女は血の気の薄い彼の顔を斜めに見上げた。
「それで? 彼はどうなったの」
「城には既にいないようです。宿にも姿が見られません」
「それを調べるようお前には命じてあったと思うのだけれど?」
いささかの棘、という言葉には収まりきらない批難に、けれど男は顔色一つ変えない。姿勢だけは美しく一礼すると、彼は口を開く。
「確証のない情報でよろしければ一つございます」
「言いなさい」
「彼とその連れは、イクレム南部の遺跡に、城の人間と共に向かったらしい、と」
「イクレム南部?」
レアリアはそれを聞いて多分に洩れず、まずデオ・ディディオを思い出した。
かつてその場所にあった国の神殿跡だという遺跡。未だに魔法仕掛けが張り巡らされているとは聞くが、そこ自体には大して意味はない。レアリアはそのことを知っている。
むしろ問題であるのは――――
「ベルラはいる?」
「なりません」
主人とは遠縁関係にあたる少女、よくレアリアの身代わりとして使われる彼女について聞かれ、男は首を横に振った。
その答に彼女は整った眉を上げる。
「私はお前に許可を求めているわけではない。ベルラはいるかと聞いているのよ」
「昨日の今日で抜け出されては困ります」
「お前は何も分かっていない。口を慎みなさい」
「私どもに分かる事柄を保つことも、貴女様のお役目です」
煩わしくはあるが、正論。
それが分かるからこそレアリアは腹を立てはしたが、席を立たなかった。多くを見渡すだけの双眸が、一滴の私情に揺れて閉ざされる。
僅かな不安と焦燥。
だがそれは、単なる私情で終わる問題でもないのだ。
デオ・ディディオの傍にある遺跡。あの場所には少々厄介なものが眠っている。
今のイクレム王家にはそれを取り出すことは出来ないが、アージェがいるのならば話は別だ。
もしそれをイクレムが手にすることになったなら―――― 彼女は白い指先を己のこめかみに当てる。
「ならば転移の使える誰か……そうね、ロディを現地に向かわせなさい。遺跡の中で彼らが何をしているか確認して」
「かしこまりました」
「結果によっては、イクレムに対する警戒態勢を取る」
主人の決定は、他の者が聞けば動揺を隠すことが出来なかったであろう。
だが男は黙って頭を下げただけだった。彼が執務室を退出すると、レアは物憂げな息をつく。






「継承者」という言葉が何を継承する者を意味するのか、アージェには分からなかった。
ただそれは彼に限ったことで、カタリナは何のことだか分かるらしい。彼女は驚きから覚めると同行する少年をまじまじと眺めた。
「え、本当に? 少年って『継承者』なの?」
「それ何?」
「っていうか現存するとは思わなかった。半分くらい伝説みたいなものだと思ってたし。でも……えー?」
「いや、だから何だって」
自分を置き去りに驚いて納得するのはやめて欲しい。
アージェがそう文句を言いかけた時、カタリナは遺跡の壁を叩いた。
「『継承者』っていうのは、さっきのディテル神の壁画に登場する昔の王や戦士の血を継ぐ人間たちのことなの。
 彼らはかつて神から直接命を受けた。その命を、継承者は代が替わっても継承し続けてる。
 ―――― もっともかなり眉唾な話で、昔の支配者が自分の正当性を示す為に創作したんじゃないかって言われてるんだけど」
カタリナは肩を竦めると「えー、でも実在してるの?」と改めてアージェに問うた。
その問いにどう答えていいのか。一番分からないのは彼自身である。アージェは自分の左手に目を落とした。
「……何だそれ」
まったく意味が分からない。だからどうしたと聞きたいくらいだ。
アージェは「彼女」に向かって悪態をつこうとし―――― だが次の瞬間、転びそうになって態勢を低くする。
何かの罠が発動したのか、廊下が急に奥に向かって傾斜しだしたのだ。
「ちょっ、何だよ、いきなり!」
明かりをつけたルトが、耐え切れず闇の中へと転がっていく。同様に滑り落ちそうなカタリナの腕をアージェは掴んだ。
壁に捕まろうとして、しかし何処にも指をかける場所がない。その間にも傾斜はますますきつくなっていく。
何とか床にへばりつこうとしつつも足が滑るカタリナは、気弱な声を上げた。
「しょ、少年、これはもう無理かもー……」
「諦めるな、ってかカタリナ重い!」
「むーりー」
傾斜の限界に来たのか、大きな振動が周囲の壁や床を襲う。
その振動に弾き飛ばされた二人は、悲鳴を上げる間もなく見えない先に向かって転がり落ち始めた。
アージェは何とか速度を緩めようと床に指をかけつつ、カタリナに引き摺られて滑っていく。
その行く先は「行ってはいけない」と警告された、遺跡の深部に繋がっていた。