扉 046

ケグスがノーグたちと共に忘れ去られた遺跡の入り口にたどり着いた時、そこには明らかに「誰かが最近入り口を塞いでいた石を破壊した」痕跡が残っていた。
「誰でしょうねえ」と遠回しに嫌味を言ってくるノーグに、ケグスはそ知らぬ顔をしながらも内心嘆息したものである。
だがもっとも重大な問題は、そこではなかったのだ。
手分けして始められた捜索。
その最中において、兵士の一人が遺跡全体に仕掛けられた大掛かりな罠を動かしてしまったらしい。あちこちの廊下や壁が揺れ動き、捜索隊はいくつかに分断された。
そしてそれからしばらく―――― 遺跡内の様子は更に一変したのだ。
見たこともない生物が次々現れ、捜索隊を屠っていく。
廊下のあちこちに魔法のものと思しき明かりが灯り、それはこの遺跡が今「動いている」ことを意味していた。
指揮を執るノーグは険しい表情で魔法士を使い、城へと連絡を取ろうとする。
残る者たちは初めて見る生物に戸惑いながら、ある者は戦い、ある者は探索を続けようとした。
その混乱に乗じて一行を離れたケグスは、ようやく合流できた連れたちに事情を説明すると、心から面倒そうに頭を掻く。
「そういう訳で、連絡取ってたノーグの様子から察するに、イクレムはこの機に遺跡を再調査するみたいだな。
 今は上で手こずってるが、応援が来れば奥まで来ると思う」
「んじゃあ、どうすっかなあ」
さして困っているようでもなく相槌を打つダルトンは、床に転がった白い尾を跨いだ。
根元から斬り落とされたそれはまだぴくぴくと動いていたが、本体は首を刺されてとうに絶命しており、廊下の端に腹を見せて転がっている。
アージェは、諸国にその二つ名を知られる男の実力を目の当たりにし、驚きを通り越して何だか乾いた笑いを零したくなった。隣には元の灰色に戻ったルトが欠伸をしながら歩いている。
ケグスと合流してからすぐに、アージェはルトを元に戻し糸を引き上げたのだが、ダルトンやケグスはともかく、彼の左手のことを知らなかったカタリナまで、ルトの一連の変化には軽く目を瞠ったものの、深く突っ込んで理由を聞いてくることはしなかった。
押し付けがましいところのない大人たちの距離感。
居心地がいいと言っては語弊があるが、そこに安堵を覚えて、アージェは再び嵌めた手袋を見やる。
剣の修行を始めてから一月半。少しは成長したかと思いたかったが、現実はそう甘くはなさそうだ。
もっとも比較対象がダルトンではまったく自身の変化が分からない。少なくともケグスにはまだまだ追いつけそうにないということが分かって、アージェは改めて気を引き締めた。

一行はとりあえず、といった様子で奥へと向かっている。
踏み込んでくるであろうイクレム軍に向き合うのか、隙を見て逃げ出すのか、まだ方針は決定されていない。
それでもどちらかと言えば危険な先へ進んでいるのは、ダルトンがそうしたいのではないかと全員が薄々察しているからだった。
巨躯の傭兵は、眠いのか目を擦っているカタリナに尋ねる。
「お嬢ちゃん、『発動状態』ってのは具体的にはどう違うんだ? 罠が増えるのか?」
「んー。その辺は記録されてる事例も少ないんで確信持てないですけど、あれかなあ。活動状態になってるっていうか」
「言い換えただけだろ、それ」
ケグスの冷たい突っ込みにもカタリナはめげることない。「にゃははは」と笑って頭を掻いた。
「いやでも、本当にそうとしか言えないんだって。
 遺跡ってのは基本眠ってるか死んでる、って感じで、精々侵入者に自動反応で罠が動くくらいなんだ。
 でもたまにそういう反射的な動作じゃなくて、全部が動き出す、ってことがあるらしいんだよね。今みたいに」
「おかしな蜥蜴が現れたりか?」
「うん。あれ、単なる罠って範囲を越えてるよ。多分遺跡の守護獣なんだと思う」
「蜥蜴は獣とは言わない」
「守護蜥蜴なんだと思う」
ケグスとカタリナのやり取りは、わざとやっているのではないかと思うくらい一進一退である。
アージェはその会話に呆れつつ背後を振り返った。けれど最後尾を行く彼の後ろには暗闇しか見えない。
何の光も見えず、気配も感じられないことを確認すると、少年は前を向く。
先頭を行くダルトンが、進まない二人の会話に割って入った。
「で、『発動状態』の記録は少ないけれど残ってるんだって?」
「そうですー。ほんとに少ないけど。真偽も怪しいけど」
「発動してるとどうなるんだ?」
「遺跡は意図されてた本来の役目を果たすようになる、んじゃないかなあと言われてたり言われてなかったり。
 たとえばヒスディアの集団催眠事件とか、あとはシノンの弓の継承とかの時も、近くにある遺跡が発動状態になってたって記録されてますねー。どっちも大惨事になってますが」
「それは初耳だな」
ダルトンはどうやら、例に挙げられた話の両方を知っているらしい。
その上で「遺跡についての情報は初耳だ」と言ったのだろうが、アージェはそれら事件からして聞いたことがなかった。
分からない、と思ったことが顔に出たのか、振り返ったケグスが教えてくれる。
「シノンの弓はあれだ、伝説級の武器の一つだな。俗に神具って言われてるやつ。
 目に見えないほどの遠距離から広範囲を焼く矢を打ち出せた、って話だ。……嘘くさいだろ?」
「えー。私は本当だと思うけどなー。だってシノンは当時滅亡寸前の小国だったんだよ?
 それが急に連戦連勝で周囲の国を押し返したっていうんだから、何かはあったんだよ。
 実際、遠距離から陣を燃やされたって記述が数ヶ国に残ってるわけだし」
「そんな凄い武器があるならなんでシノンは滅んだんだよ。おかしいだろ」
「そりゃ、強すぎる力は畏れを買うからねー。
 仲悪かった同士のはずの周辺国が、みんなで同盟して攻めてきたら滅んじゃうでしょ。
 弓だって一つしかなかったわけだし」
カタリナは明かりを持っていない方の手で指を弾く。
軽い音に、アージェはまるでそこから一本の矢が闇に飛んでいくような錯覚を覚えた。
だが束の間の幻影を、ケグスの呆れ声が打ち消す。
「だから、弓の話は法螺だってことだろ。腕の立つ魔法士がいたとかなんかじゃないのか?」
「そんなあ。どんな魔法士だって、生来の魔力に限界はあるし、魔法法則に従ってる以上、限度はあるよ。
 そんなこと出来ないと思うけどなあ」
ケグスは普段学問など鼻にもかけないような男であるのだが、カタリナと議論出来るほどの知識はあるらしい。
それとも自分が何も知らないだけなのか、アージェは魔法の限界についてなど色々尋ねてみたいことはあったが、無言で聞き手に回った。
ダルトンの低い声が、広い通路に反響する。
「じゃあこの遺跡も今、何か本来の役目を果たそうとしてる、ってことか?」
「かもしれない。違うかもしれない。
 ―――― あれ、ひょっとしてこれって大発見の好機!? すんごい論文書けそう?」
「イクレム軍に捕まらなかったらな。ぼけ学者様」
どう足掻いても緊張感の足りない一行は、長い通路の突き当たりに差し掛かると、ダルトンの案内で左に曲がった。まもなくひらけた場所に出る。
壁に灯る魔法の明かり。青白いそれらが照らし出す広い部屋には、壁や天井に五匹の白蜥蜴が張り付いていた。
ケグスの隣にいたカタリナが頷く。
「よし。まずはこの遺跡を蜥蜴遺跡と名づけよう!」
「お前が名づけんな」
ダルトンがいるせいか焦りの微塵も感じられない会話に、アージェは溜息をつきつつ剣を構える。
部屋の中央へと落下してくる一匹の蜥蜴。
その緑の瞳に少年は意識を合わせた。前に立つケグスが、近づいてくる蜥蜴を顎で示す。
「アージェ。あれの注意を引きつけろ。食われるなよ」
「了解」
ゆったりとした動きで彼らへと向きを変える蜥蜴たち。
ダルトンは左側面の壁を這ってくる一匹に向かい、その場を駆け出した。
蜥蜴が彼に向かって跳躍しようとする、その瞬間に振るわれた大剣が開きかけた顎を薙ぐ。
斬るというよりも叩きつけるような衝撃。頭の半分を割られ、蜥蜴の高い鳴き声が響き渡った。
ダルトンは、落下しのたうちまわる敵の弱点らしき首を狙い、落ち着いた動作で剣を深々と突き立てる。
そのあっという間の立ち回りを横目で見ていた少年は、思わず呆然と口を開けてしまった。
「……すげ」
「余所見すんな、アージェ!」
師の叱責に、彼は意識の一片までもを切り替える。
自身を排除、或いは捕食しようとする蜥蜴に対し、アージェは剣を向けた。己の血の流れる音が耳の奥に響く。

何処まで強くなれるのか。
何処まで強くなりたいのか。
それは分からない。まだ自分には見えてこない。
けれどいつか、充分な力を持つ大人になって―――― そうして差し伸べた手を、クラリベルが笑顔で取ってくれたなら。

アージェは構えた剣越しに緑の目を見つめる。
短い四肢がゆっくりと曲げられた、次の瞬間。
彼は跳びかかってくる蜥蜴を右へ避けた。両手で長剣を振るい、左前足に斬りつける。
僅かに均衡を崩す巨体。ケグスがその隙に白い背へと飛び乗った。アージェは止めを刺そうとする男を視界の隅で見止めながら、別の蜥蜴へと注意を払う。右側の壁を這っていた蜥蜴が、床の上に下りてくるのが見えた。



忘れ去られた遺跡。
ダルトンはそして、一度調べた最奥へと戻りたがっているように思える。
それはカタリナが「発動している状態だと、新しい通路が現れたりするらしい」と言ったことと無関係ではないだろう。
彼が何を探しているのか、この遺跡の本来の役目とは何なのか。
アージェは剣を振るいながらふと考える。カタリナの挙げた言葉が、先ほどから頭の片隅に引っかかって仕方ないのだ。

―――― シノンの弓の「継承」。
(『けいしょうしゃ』だと、いいなさい)

大陸に未だ残る伝説と、その継承者。
この二つははたして無関係なものなのか。彼はまだ何も知らない。