扉 047

いくつもの部屋を越え遺跡の奥へと向かう道行き。左手に潜む「彼女」はしかし、あれからずっと沈黙したままだった。
アージェはケグスの後ろを行きながら、時折暗い背後を振り返る。
何も聞こえぬ声。だがそれは、黙認を意味するわけではないと、アージェは気付いていた。
今もすぐ耳元で、誰かが固唾を飲んで成り行きを見守っているような気配がする。
「彼女」はそうして忠告する時を待っているのかもしれない。少年は手袋を嵌めた左手で、ひんやりとした壁に触れた。
「これさ、イクレム軍はどうすればいいのかな。どっかに隠れてやり過ごす?」
「どうするか。リィアがいればよかったんだけどな」
ケグスはぼやくように言って自分の肩を叩いた。彼女を知らないカタリナは首を傾げ、ダルトンは「あのお嬢ちゃん、転移使えたのか」と返す。
ほんの数日だけ一緒だった魔法士の少女について、ケグスはそっけなく説明した。
「個人転移は使える。あー、転移門を開けられるのかは知らないな」
「そんな腕がいいのに何で旅人なんかやってるんだろうなあ」
「世の中協調性がなくて宮仕え出来ないって変人も多いだろ」
さりげなく酷いことを言っているな、と思ったが、アージェはそこには触れなかった。
足下を行くルトの尻尾が左右に振られ、彼の脹脛をくすぐる。
今は蜥蜴の姿も見えないようであるし、少年は気になっていたことを聞いてみることにした。
「個人転移と転移門ってどう違うの?」
「ん? そのままの意味だ。個人転移は一人だけ空間転移をする。転移門は自分以外の複数人を運べる。
 さっきイクレムの魔法士が俺たちを転移させただろ? あれが転移門。よっぽど腕の立つ魔法士じゃないと出来ない」
「へえ……じゃあさっきの人凄いんだ」
「一応宮廷魔法士だからな」
ケグスの忌々しげな相槌に頷きつつ、アージェは上着越しに首から下げている指輪を探った。
リィアから貰った指輪。渡された時に何か色々言われた気もするがもうよく思い出せない。
アージェは非常に気の強かった魔法士の少女を思い出しつつ、質問を重ねる。
「魔法士ってどうすれば強くなれるの? 修行?」
「そりゃ修行は必要だけど、剣なんかとは違って……ってお前、ひょっとして魔法のこと何も知らないのか」
「あ、うん」
辺境の村に住んでいたアージェにとって、魔法士とは隣村に住む医者のような存在だ。
今も治療の腕が卓越しているというログロキアの魔法士を訪ねて旅をしているのだが、実際魔法士というと「不思議な力を使える人間」という印象しかない。その為カタリナが言っていた「魔法の限界」とはどのようなものなのか、少し気になってもいたのだ。
ケグスは返答を聞いて頷くと、隣を行くカタリナに「教えてやれ」と言った。学府所属の女は目を丸くする。
「私でいいのー? えっとね、魔法士は元々どーん、って魔法士なんだよ。で、魔力を見て別階層に力をびゅーんって」
「俺が説明する」
いきなり意味の分からない説明が始まったことにアージェはのけぞりかけたが、それはケグスも同様だったらしい。手振りを交えて力説するカタリナを途中で制止した。一番前を行くダルトンが肩を揺すって笑っている。
ケグスは溜息を一つついて説明を始めた。
「まず魔法士ってのは魔力がある程度ないとなれないんだ。で、その魔力は生まれつき決定される。
 持ってるか持ってないか、持ってるとしたらどれくらいの大きさか―――― これは普通、一生変わることがない」
基本となる前提にアージェは頷く。ふとリィアの発言を思い出して、彼はケグスを見上げた。
「そういえば、ケグスも魔力があるんだっけ」
「ああ。少ししかないから魔法は使えないけどな。
 んで、魔法士の奴らはこの魔力を使って、『構成』を組む」
「構成?」
どのようなものか分からぬ言葉を聞いて、アージェは首を傾ぐ。男は前を見たまま返した。
「魔法を動かす仕掛けみたいな奴だ。魔力で作られるから普通の人間には見えないけどな。
 たとえば俺たちは、井戸から水を汲み出す時に釣瓶って仕組みを使うだろ?
 それと同様に、魔法も結果を得る為に仕組みを作るんだ。それが構成」
空中に円を描くように、男は人差し指を動かす。
アージェはその仕草に、遺跡内で見た魔法陣を思い出し納得した。
おそらく魔法士はああいった図形を不可視のものとして作り出すのだろう。
真面目な少年が、ここまではついてきていると見て取ったケグスは、話を続ける。
「で、出来上がった仕組み―― 構成自体を、更に魔力で動かす。これで魔法が発動するわけだ。
 魔法士は生来の魔力量を増やすことは出来ないが、構成が巧みなら少ない魔力でも大きな効果が得られる。
 だから魔法士の修行ってのは基本、構成の修行だな。
 それでも魔力が足りなくて出来ないってことはあるが」
「ああ、それが魔法士の限界なんだ?」
生まれつきの要素で力量差が決定されてしまうとは世知辛い気もするが、構成とやらが上手くなればある程度はその不利が補えるのだろう。
アージェは自分より少しだけ年上のリィアも、早くから厳しい修行を積んできたのだろうかとぼんやり考えた。
カタリナが横から口を挟んでくる。
「それも限界だけど、もっと全員平等な限界があるんだよー。
 魔法には魔法法則ってのがあって、それに従ったことしか出来ないの」
「え。そうなの?」
「そう」
彼女の発言をそのまま信じられないアージェは、ケグスに確認を取った。
端的に肯定した男は、だが何かを考えるような表情になると話を付け足す。
「結局、魔法ってのは法則に基づいた現象で、奇跡じゃあない。無から有を生み出すような真似は出来ないわけだ。
 だからアージェ、もしお前が将来『人間と戦う』ことを生業とするなら、魔法士についてもちょっと学んどけ。
 何が出来て何が出来ないか―――― それを知れば、大体の魔法士は下せるようになる」
―― もっとも、宮廷魔法士なんかの中には化け物がいたりするけどな、とケグスはこの話を締めくくった。
ちょっとした好奇心から途方もないことまで言われてしまった気がするが、魔法士にも個人差と、そして絶対に不可能なことがあるのだろう。
アージェは教えてもらったことにお礼を言うと、ふと最初の話題を思い出す。
「あ、それで結局奥行ってどうするんだっけ……」
「……忘れてたな」
会話の終わりにダルトンがまた笑い出す。
薄暗い通路を行く道中、背後にまだ追っ手は見えない。



イクレム軍の応援が到着し、彼らが中に入ってくるとしても、目的が「発動状態の遺跡の調査」である以上、そうすぐに追いつかれることはないだろう。彼らはあちこちを調査しつつ奥へと進んでくるはずだ。
一方アージェたちには、既に一通り探索を済ませているダルトンがいるのだ。
三人と一匹は彼の案内で、広い遺跡を寄り道せず最深部へ向かっていく。
とりあえずの目標は「開かなかった扉」であり、そこには一抹の期待がかけられていた。
何しろ考古学を専門するカタリナ曰く、「遺跡によっては稀に最深部に、外への転移陣が残っているものがある」らしい。
魔法士たちが高度な技術を用いて作るという転移陣は、魔法士がその場におらずとも陣に乗れば指定地への転移が発動する為、壊れていなければ彼らでも遺跡からの脱出が可能だろう。一度脱出してしまえば、あとは何食わぬ顔をしてノーグたちの前に出て行けばいいのだ。
疑わしくても確信が得られなければ罰されない。アージェ一人の時はそう上手くはいかなかったが、ダルトンがいるならばもう少し何とかなるはずだ。とりあえずはそう片付けて、彼らは先へと進む。
左右に青白い灯りの並ぶ階段を下り、一行は最下層へと到着した。
ケグスは己の長剣の刃を確認して嫌そうな顔になる。
「こりゃ、研ぎなおしても駄目そうだな。新しいのを買うしかない」
「蜥蜴の相手で痛んだか」
「アージェ、お前のも駄目だろ。あとで一緒に見繕ってやる」
振り返ったケグスにアージェは首肯する。
この長剣は元々父の持ち物で取り替えることに抵抗はあるのだが、さすがに使い物にならなくなった剣をいつまでも使うことは出来ない。
何だかんだですっかり刃こぼれしてしまった剣身を少年は残念そうに眺めた。
先頭を行くダルトンが苦笑混じりの声音で言う。
「俺が金出すさ。こりゃ俺のせいだしな」
「どうだろ……」
アージェは「この一件がダルトンのせい」という意見には異議を唱えたかったが、あまり「自分が継承者とやらで、そのせいで遺跡が発動しているらしい」とは言いたくない。結果として歯切れの悪い相槌を打ってしまったが、傭兵二人にはその意味が当然分からないようだった。ただカタリナが振り返って少年の肩をぽんぽん叩く。
このまま彼女は黙っていてくれるつもりなのだろうか。
黙っていていいのか悩むアージェが顔を上げた時、暗がりの中に突き当たりらしき扉が見えた。
ケグスがダルトンに問う。
「おやっさん、あれ?」
「いや、あの部屋の中」
先程の階段を下りてから、まだ蜥蜴は一匹も現れていない。
だが彼らは用心して、扉の前で一旦周囲を確認し、いつでも戦えるよう準備を整えた。ダルトンがそっと両開きの扉を押し開ける。
扉の隙間から見える向こう側はそう広い部屋ではなかった。
今までの通路と同様、壁に魔法の灯りが据えられた石室。
目立つものは何もなく、幸いなことに蜥蜴がうろついているということもない。
四人は様子を窺いながら中へと入る。
奥の壁には二つの扉があり、その間には一枚の壁画が描かれていた。
カタリナと二人で探索していた時に見たものと同じ壁画。ディテル神と彼に跪く王の絵を、アージェは剣を提げ見やる。
ダルトンは左右の扉のうち左の扉を指差した。
「そっちが開かなかったんだよ。右は何もない部屋だった」
「じゃ、試してみるか」
ケグスが左の扉へと向かう。
草花の紋様が彫り込まれた表面を、彼は左手で押した。
息を飲んで見守る彼らの視線の先で、扉は音もなく奥へと開く。
隙間の向こうにも青白い光が窺え、カタリナは細く息を吐き出した。
「開いたね」
「開いたな」
「ちょっと書き付け取り始めていい?」
「何があっても見捨てていいか?」
生産性のないやり取りをしているケグスとカタリナを、ダルトンが「まぁまぁ」と収める。
「お嬢ちゃんは俺の後ろにいればいいさ。坊主、大丈夫か?」
「あ、うん」
その時アージェが気を取られていたのは、「彼女」の沈黙についてであった。
一度は遺跡の奥に行くなとまで言った「彼女」が、今は何故か何の忠告もしてこようとはしない。
ダルトンたちがいるせいなのか違うのか、アージェは意識を集中しその真意を読み取ろうとしていた。
だが「彼女」は変わらず黙したままである。彼はダルトンたちに続いて、左の扉の奥へと踏み入った。
その先は小さな部屋になっており、中央部分の床に魔法陣が彫られている。
カタリナはそれを一目見て明るい声を上げた。
「あ、転移陣だ!」
「まじか? 何処に出る奴だ」
「うーん、この記号からして多分外だと思うんだけど……」
魔法陣の傍にしゃがんでそれを調べ出すケグスとカタリナを見ながら、アージェはふとダルトンを横目で窺った。
巨躯の傭兵は穏やかな表情をしつつも、何処か少しだけ残念そうにも見える。
しかしともあれ、これで外に出られるとしたら事態は幾分かましなものになるだろう。
アージェは追いついてくる人間がいないか、元の部屋の方を振り返った。
その時、頭の奥で何かが閃く。

発動した遺跡。
その最深部にあったものは、外へと帰る転移陣だ。
「彼女」はおそらくそれを知っていて、だから止めない。
―――― ならば何故、一度は止めたのだろう。

アージェは一人、前の部屋に戻る。
そして壁画の前を過ぎ、もう一つの扉へと向かった。頭の中で「彼女」が叫ぶ。
(やめなさい、アージェ!)
「坊主? どうした」
制止の声が意味することは一つだ。アージェは左手を右の扉の上に触れさせる。
歯車に似た円環が彫られている扉。それは、触れただけでゆっくりと奥へ開き始めた。
傍にやって来たダルトンが首を捻る。
「何か気になるのか?」
「多分、こっちが―――― 」
開けていいのか、その先に何があるのか。
二人は開いていく扉の奥に視線を集中させる。
今までの部屋とは違う、真白い光が零れる部屋。
そこは言い知れぬ神秘と静謐を湛えて、二人の前に秘された姿を見せようとしていた。