扉 048

真白い光の溢れる部屋は、左の部屋のゆうに五倍の広さがあるようだった。
開ききった扉の向こう、部屋の奥側に白い石の祭壇らしきものを見つけ、アージェはダルトンに尋ねる。
「あれ、さっきもあった?」
「……いや、なかった」
ダルトンは信じられないものを見たかのように呟くと、「さっきはもっと狭い部屋だった」と付け加えた。
遺跡の発動によって現れた祭壇。その上には、何か複雑な発条仕掛けが乗っているようである。
仕掛けはまず、大人の男がようやく両手で抱えられるほどの台座を持っていた。
そして台座の中央辺りから一本の細い支柱が真っ直ぐ上に伸びており、白いその支柱を中心としていくつもの大きさの発条が、台座と平行に、或いは斜めになって静止している。
それぞれの発条には細い鎖らしきものが止められており、それらはゆるりとした曲線を描いて他の発条に繋がっていた。
複雑に絡み合う発条と鎖は、まるで白銀のレースがかかったかのような繊細な様相を生み出している。
遠目からでは何に使うかよく分からないそれを、アージェは近くで確かめてみようと足を踏み出しかけた。
だが頭の中で「彼女」が制止の声を上げる。
(アージェ! とまりなさい!)
「何故止める」
言いながらもアージェは足を止めた。転がっていた床の破片を後ろへ蹴る。
何となく辺りを見回すと、周囲には隣にダルトンがいるだけで、彼は眉を顰めて祭壇を見つめていた。
ケグスやカタリナ、ルトの姿は見えない。まだ左の部屋にいるのだろう。
少年は左手の手袋を忌まわしげに睨む。「彼女」は焦りを完全に消せないまでも、落ち着いた声音で返してきた。
(それ以上、すすんでは、いけないわ)
「だから何故」
(あなたの、そんざいに、はんのうする)
「何が」
(神具の、しゅごが)
「……坊主?」
独り言を呟いているように見えるのだろう。ダルトンが顔を覗き込んでくる。
アージェは我に返ると、発言を取り繕おうとし―――― だがその欺瞞に耐え難さを覚えた。
少年は溜息をつきつつかぶりを振る。
「声が聞こえるんだ。俺の中に……女が棲んでる」
「女?」
それまでアージェから単に「闇を取り込んだせいか幻聴が聞こえる」としか聞かされていなかったダルトンは、目を丸くした。窺う目で少年をまじまじと見やる。それはアージェが正気かどうか見極めようとしているというより、少年の表皮の下に何が潜んでいるのか、見つけ出そうとしているようだった。
アージェは男の視線に応えて、手袋に覆われた左手を上げる。
「ここに、棲んでる。時々話しかけてくる。―――― 母さんを殺した奴だ」
「それは……」
「俺、こいつが嫌いなんだ。色々忠告してくるけど……こいつを消したい」
絞り出した声は、少し震えていた。
アージェは痛みを堪えるように目を閉じる。
三年前のこと、二月前のこと、今までのことが瞼の裏に過ぎ、彼は深い溜息を洩らした。
閉ざされた瞼の裏には夜の森が浮かぶ。
誰よりも彼の傍にいる「彼女」は、今は何も応えない。
ただ少し淋しげに「閉じる」気配が感じ取れた。



真白い部屋には何の音もない。
ダルトンは眉を寄せて少年の左手を見つめる。労わるように穏やかな、だが芯の強い声が問うた。
「それは魔物の類なのか?」
「分からない」
「今も聞こえるか?」
「先には行くな、って言ってる」
「ふむ」
広い部屋と奥の祭壇を男は眺め渡す。
発条仕掛けは動いていない。それはまるで時を制止させているように沈黙し続けていた。
アージェは目を開けて祭壇を見据える。
―――― ここから先を言うべきだろうか。
彼は少なくない抵抗を覚えて、だがすぐにその迷いを振り切った。ダルトンを真っ直ぐに見上げる。
「俺が、継承者ってやつだって言ってる。だから遺跡が発動したって言うんだ。
 今も俺がこの先に行くと、神具の守護が反応するって言う。……だから行くなって」
「継承者……神具?」
彼の表情が、何かを考えるように真剣味を帯びる様を、アージェは緊張して見やった。
そして、その緊張の中には僅かばかりの期待も混ざっている。
彼は、ダルトンが何かを探し続けている手助けを、自分が出来ないかと考えているのだ。
遺跡を発動させてしまったことは本意ではないが、それはもう仕方ない。
だがもしこのことが怪我の功名となって何かが得られるのなら。
アージェは自分の保護者をやってくれている彼に、一つ恩返しをしたかった。

故郷の村を出て異国へと旅する少年にとって、ケグスとダルトンに出会えたことは本当に幸運であった。
彼らは未熟で物知らずな少年を煩わしがることなく、その道程に伴ってくれている。
そして彼が一人でも生きられる大人になれるよう、剣の扱いから細々とした知識まで伝えようとしてくれているのだ。
職人のもとに住み込んで技術を学ぶに似た猶予期間。
自分が運良くそれを得られたことに、アージェは常日頃から感謝の念を抱いていた。
勿論これらの親切心は、彼らの持つ余裕から来るものであると少年は知っている。
だがそれだけが理由でもないだろう。今のアージェには、彼らに返せるものが何もないのだ。
しかし大人たちはそれを気にしている様子もない。
アージェはそのことがいささか心苦しかった。

少年は期待と不安、そして一滴の後悔を込めてダルトンの様子を窺う。
巨躯の男は、アージェと祭壇の間で何度か視線を往復させた。細められた目が、祭壇の上を捉える。
「継承者なあ……やっぱそういうもんがあるんだな」
「本当かどうか分からないけど」
「いや、納得出来る話だ。いくら探しても見つからないものはある。……普通の人間にはな」
ダルトンの声音は翳りのあるものではなかった。ただ少しの苦笑があるのみで、アージェはそのことに安堵する。
魔法についての話を聞いた時も思ったのだが、生まれながらに何かが決してしまうということは、若い彼にはいささか不条理なことに思えて仕方ない。
自分の意思では変えられない「何か」。
それによって望むことが叶えられず、望まぬことが降りかかるのなら、人は一体どうすればいいのだろう。
アージェは無形の反抗心をそこに抱きつつ、だがそれをさして気にしていないらしき男を見上げた。
ダルトンは軽く頷くと少年の肩を叩く。
「ってことは、坊主をここに置いて俺だけ調べてくるってことは出来るのか?」
「あー…………出来る、と思う」
間を置いて反応を待ったものの、「彼女」はそれについて異を唱えてくる様子はない。
アージェが首肯すると、ダルトンは部屋の奥へ向き直った。動かない発条仕掛けを見やる。
「神具か」
ぽつりと洩らされた言葉からは、彼が何を考えているかを読み取ることは出来ない。
アージェはカタリナから聞いた伝説の槍の話を思い出し、我知らず身を竦めた。
ダルトンはそれに気付いたのか笑って頷く。
「ちょっと見てくるだけだ。坊主はここにいろ」
「……気をつけて」
少年は、すぐ目の前に見えない境界線を感じて立ち尽くす。
そんな彼に背を向け、ダルトンは一歩一歩慎重に歩を進めた。
罠が仕掛けられている可能性も考えられたが、それが発動する気配はない。
彼はまもなく祭壇の前へと到着した。ダルトンは周囲を窺いながら発条仕掛けに手を伸ばす。





隠された遺跡の入り口。その付近へ数度の転移を経て到達した男は、離れた木の影から辺りの様子を窺った。
破壊された岩の前を右往左往している若い騎士、そしてその傍にいる魔法士を彼は気づかれないよう盗み見る。
さすがに彼らの会話が聞こえるような距離ではないが、男は唇の動きから大体を読み取ることが出来た。
彼は覗いていた顔を引っ込め木の幹に寄りかかると、小さな溜息を零す。
癖のある明るい茶色の前髪を、男は指で払いのけた。
「神具を求める? 分を弁えない不信心者どもめが。―――― 大陸に神の火を放つ気か?」
男は指を何度か弾くと懐から通信用の魔法具を取り出す。
それを使い祖国に現状を報告する彼の後方、遺跡の前にはまもなく、転移門を通じてイクレム軍本隊が到着しようとしていた。






ダルトンのごつごつした指が、もっとも大きな発条の一つに触れる。
だがそれは微塵も動く気配がなく、ただ繋がる鎖が僅かに揺れただけだった。彼は身を屈めて発条仕掛けを覗き込む。
アージェは強い緊張を覚えつつ男の動きを見守った。沈黙が息苦しく思え、それを振り払うように口を開く。
「おやっさんの探してるものって、神具?」
「どうだろうなあ。単なる伝説だ、伝説。御伽噺と言ってもいいかもしれん」
「御伽噺?」
「ああ。この大陸のどっかには、神さんが『本当のこと』をしまった部屋の扉があるんだそうだ。
 そこを開けて中に入れば、全ての謎が解ける―――― 単なる御伽噺だ」
ダルトンは苦笑ぎみに振り返った。
十代半ばの少年からすると、想像もつかない人生を送ってきたのであろう男の声。
そこには苦味と乾きと郷愁と、そして砂粒のような子供心が混ざっているように思える。
アージェはその御伽噺をもっと聞きたく思い、口を開きかけた。
だがその時、背後から底の抜けた女の声が届く。
「少年、何してるのー? 転移陣はやっぱり外行きだったよー」
「カタリナ」
振り返ったそこには、カタリナとルトの姿があった。カタリナはアージェの肩越しに奥の祭壇に気付くと、目をまん丸に見開く。
「え。あれ何?」
「ああ……」
どう説明したらいいか、アージェが口ごもる間に女は駆け出した。彼の脇をすり抜け祭壇に向かおうとし……その直前で転がっていた床の破片に躓く。
顔から床に突っ込もうとする女を、アージェは慌てて手を伸ばして支えようとした。
だが突然のことで態勢も悪かったのだろう。二人はもんどりうって床に転がる。
アージェは後頭部を派手に打ち付けて呻いた。痺れの走る頭の中で女の声が呟く。
(ばか……)
「へ?」
溜息でもつきたそうなその声が何を意味するのか。
体を起こしたアージェは祭壇を振り返って悟る。
ダルトンの背後の床から立ち昇る白い煙。曖昧な輪郭を持つそれは、まさに人型を取ろうと集まっていた。
息を飲む異様な光景を見た少年は―――― 自分が転んだ弾みに「越えてはならない境界線」を越えてしまったことに気付く。
「どうしたの? 少年」
「……馬鹿だ……」