扉 050

遺跡に応援の本隊が到着すると、内部の入り口付近を調べていたノーグは地上に上がり、手早く彼らと情報伝達を済ませた。
当初捜索で中に入った一隊は、既に三分の一が守護獣の犠牲になっており、応援なくしては探索も進められる状況ではない。
しかしこれは、腰を据えてかからねばならぬ好機であるだろう。―――― もし本当にこの遺跡に「古代の遺産」が眠っているのなら。
「神代の遺産か……手に入れねばならんだろうな」
それは間違いなくイクレムの力となるだろう。異名を知られる傭兵よりもずっと逃してはならぬものだ。
伴っていたはずの傭兵がいつの間にか姿を消していることも、少年や女が見つかっていないことも今はどうでもいい。
何故今、遺跡が発動しているのか。その問題さえ、過去の行方不明事件と共にノーグの頭の片隅に押しやられていた。
彼は数人の騎士と魔法士を連れ、再び遺跡の階段を下りていく。
『神の国ケレスメンティアに対抗するには、神代の遺産が必要なのだ』と、心の中で呟きながら。






左手に握る黒い剣は、長剣と短剣の中間程の長さを持っていた。
刃の幅は狭く、どうやら両刃らしい。まったく光を反射するとろこのない剣を、アージェはまじまじと見やる。
変色していた左腕は、いまやほとんどが元の肌の色に戻っている。
黒く染まっている部分は人差し指と中指の第二関節より先だけで、それは母を喪った晩染まった箇所と同じであった。
少年は左手の剣を手元で返してみる。
「こんなもん?」
(りょうが、たりないの。ここでは、くみだせないし)
「ああ」
つまり、彼の左腕を侵食していた「黒」では、これくらいの剣を作り出すのが精一杯ということなのだろう。
アージェはよく手に馴染む剣を軽く上げた。重さはあまりない。おそらく片手でも充分だろう。
彼はそれを右手で持ち直すべきか迷い、だが結局左手に持ったまま右手を添える。
交戦しているディスヴィウェルドとダルトンとルト、三者の戦闘を見ながら、少年は割って入る機を待った。
アージェは低い声で呟く。
「クレメンシェトラって何だ?」
初めて聞くその単語は、だが不思議としっくり彼の中に馴染んだ。
何を意味するのか分からぬ一語。その指すものが気になって彼は問う。
「彼女」は即答はしなかったが、やがて小さく答えた。
(最古の、女皇)
妙にはっきりと聞こえた声は、それ自体が力を持っているようにも聞こえる。
アージェは口の中で「女皇」と反芻した。最近誰かとの会話で同じ単語を聞いた気がする。
しかしそれがいつのことかは思い出せない。彼は黒い剣を握りなおした。
「行く」
(ええ)
分かることはあまりにも少なく、だが圧し掛かる問題は多い。
それでも一つずつを片付けていかねばならないのだと、アージェはディスヴィウェルドに向かって床を蹴った。



跳びかかるルトを振り払った白い腕。その腕を、少年は身を屈めて避ける。ディスヴィウェルドが僅かにさざめくのが分かった。
白い人型は振り返ると、アージェの黒い剣を見止める。
「継承者よ」
感情が窺えないはずの声。
しかしそこには、確かに苦さが感じられた。アージェはディスヴィウェルドの脇腹を狙って剣を突き出す。
咄嗟にそれを防ごうとした白い剣を、ダルトンが己の大剣で止めた。
黒い切っ先が、間をおかず人型の中へと侵入する。
悲鳴は上がらない。上がったものは別のものだった。
アージェは剣を差し込んだ傷口から、二色の煙が上がり始めたのを見てぎょっとする。
「ちょ……っ、またか!」
それと同じものを、彼は蜥蜴と戦った時に既に見ていた。絡み合う白と黒の煙。
その時は確か「彼女」に、「押し負けるな」と叱咤されたのだ。
アージェは充分には理解せずとも全力をこめて剣を押し込む。
白い人型越しに男の声が響いた。
「坊主! 伏せろ!」
太い声に頭を押さえられるようにしてアージェはしゃがみこむ。頭の上を何かが薙いでいった。
ぞっとしつつも彼は左手の剣に視線をやり―――― そして再度ぎょっとする。
元々長くなかったはずの剣。その長さが、今は更に短くなっている。
刃幅も狭くなり、まるで一回り縮んでしまったかのようだ。
アージェは、ダルトンがディスヴィウェルドを止めている間に跳び下がる。
「これってつまり、あの煙が……」
(そうよ)
ダルトンと切り結んでいるディスヴィウェルドは、左脇腹にぽっかりと穴が開いたままだ。
その空洞を見やってアージェは唾を飲む。おおよそを把握した少年は、残された剣を握りなおした。

彼の持つ「黒」とディスヴィウェルドの「白」。
この二つはどうやら相殺関係にあるらしい。そしてそれらはどういう仕組みか、接触によって少しずつ煙となり消えてしまうのだ。
ディスヴィウェルドの体は穴が開いたとはいえまだ多くが残っているが、アージェに残されたものは短剣ほどの長さの武器しかない。
ここから先、闇雲に攻撃することは出来ない―――― そう悟った彼は何処を狙うべきか悩んだ。
「頭か……胸か?」
(むずかしい、わ。どこかに核が、あるというわけでは、ないの)
「それきついだろ……」
短剣一振りで大人と同じ大きさのものを消すことは不可能だ。
残された武器をどのように使うか、そこを誤ってはならない。
アージェはどうするべきか、決心がつかないまま再び駆け出した。背を向けているディスヴィウェルドの首を切り落とそうと狙う。
しかし死角からの攻撃は、二度は成功しなかった。
人型は素早く振り返って己の剣でアージェの短剣を受ける。
白い光を放つ剣は、交差した箇所から黒い短剣の刃の中に食い込んでいき、それを見た少年は慌てて剣を引いた。切れ目が入ってしまった刃を庇い、次の攻撃をよける。
「ま、不味い。競り負ける」
白煙で出来た体ならともかく、剣の方には太刀打ち出来ないらしい。
アージェはルトに場所を譲って右に跳ぶと、あらためて短剣を一瞥する。「彼女」が小さく溜息をついた。
(なおすわ)
「ああ」
―――― 本当は「彼女」は、アージェの軽挙を批難したいのかもしれない。
だがその気配を感じさせこそすれ、言葉にはしてこない「彼女」に、アージェは居心地の悪さとほっとする思いの両方を抱いていた。
「彼女」は母を死に至らしめた存在であり、憎い仇と言っても過言ではない。
けれど同時に「彼女」は、何を思ってかアージェに助言し続けているのだ。
「彼女」を排除しようとし、だがその「彼女」に助けられている旅路。
一概に割り切れないこの関係に、少年はまだ納得出来る結論を持ってはいなかった。



アージェは埋まっていく剣の溝を見つめる。
短剣の長さは変わっていないように思えたが、欠損を直すにはやはり全体から少しずつを寄せなければならないのだろう。
彼は後のなさを胸にディスヴィウェルドを見やった。
相手の剣を受けることも出来ない現状、彼は迷いながらもルトの後に続く。
頭の奥で「彼女」が息を詰めたような気がした。






カタリナにダルトンとアージェを呼びに行かせたケグスは、三人がちっとも戻って来ないことに気付くと、転移陣の傍から立ち上がった。背後の扉を振り返る。
「あいつら何やってんだ?」
得体の知れない遺跡の中ではあるが、それほど心配しているわけでもない。
何しろダルトンがついているのだ。危険な目に遭ってどうしようもないなどということにはなっていないだろう。
しかしそれにしては―――― 時間がかかりすぎている気もする。
ケグスは、どうせカタリナが何かにつっかかっているのだろうと判断すると、転移陣のある部屋を出た。誰もいない元の部屋を見回し、右の扉へ向かう。
「ん?」
歯車に似た円環が彫られている扉は、左の扉とは違い押しても引いても動かない。
ケグスは眉を寄せ首を捻った。
「おやっさん、こっちの部屋には何もなかったって言ってたような……」
彼は開かない扉をもう一度押してみたが、それがびくとも動かないと分かると、廊下にまで戻ってみた。青白い灯りのともる通路を注視し、気配を窺う。
だがそこにも三人がいる様子はない。ケグスはようやく異常事態と悟ると、右の扉の前に駆け戻った。開かない扉を蹴りつける。
「おい! おやっさん! アージェ! 中にいるのか!?」
反応はない。ケグスは抜いた剣を扉の隙間に捻じ込もうとしたが、そのような余地は何処にもなかった。
今更ながら彼は「遺跡は危ない」というノーグの言葉を思い出す。
「馬鹿な……」
開かない扉。振り返った廊下にはいずれイクレム軍がやって来るだろう。ケグスは状況の不味さに蒼ざめる。






「とにかく最深部へ早急に行き着き、開かなかった扉を調べること」
それが王太子フィレウスよりもたらされた命令だ。ノーグは当時作られた地図を手に、遺跡の中を進む。
白い蜥蜴が出たという話は、発掘時の記録には残っていない。
だが、「大型の顎を持つ何かに噛み千切られたらしい死体」の記述は確かに在った。
ならばこれは、かつて行方不明者が出た時と同じ状況であるのだろう。
彼は緊張を抱きつつ、埃くさい遺跡の通路を進んだ。魔法士たちが何重にも張っている結界が、時折発動する罠を防ぐ。






なかなか攻撃に踏み切れないアージェは、短剣を振るおうとしては白い剣に牽制され、後ろに下がるということをもう何度も繰り返していた。
一対一であればまず一分と持たず敗北していたであろう状況。
そんな中でアージェが無事でいられるのは、ダルトンとルトのおかげである。
歴戦の傭兵は体格に似合わぬ速度を持って、挑戦者である少年の援護をし、時には攻撃を、時には防御を補ってくれている。
間近で共に戦うことで分かる彼の実力に、アージェは感嘆を越えて感動すら覚えつつあった。
黒い短剣を狙って振り下ろされた剣を、ダルトンは己の剣で弾く。
音を生まない攻防。しかしそれは、長引けば人間である彼らの方に分が悪いように思えた。
アージェは首筋を伝う汗に気付きつつ、また小さくなった短剣に目を落とす。
何も言わず「彼女」が欠損を直してくれる―――― だがそれも、長くは続かないことは明らかだった。
ルトと交代でディスヴィウェルドから距離を取ったアージェは、背後の祭壇を顧みる。
動かない発条仕掛け。呪われし継承者という言葉が頭の中でまたたいた。少年は軽く歯噛みする。
―――― このままではいけない。ならどうすればいいのか。
アージェはふと壁際に立っているカタリナを見た。何故なら彼女がそこで両手をばたばたと動かしていたからだ。
カタリナはアージェの視線を得たと気付くと、真っ直ぐに少年を指差す。
何を言いたいのか、何をしているのか、声に出して聞こうとした時……だがアージェは「それ」に気付いた。自然と言葉が喉を滑り出る。
「そうか……」
これで勝てるのかは分からない。だが、やってみる価値はあるだろう。
アージェは素早く決断すると、左手の短剣を思い切り振り上げた。