灰の剣 055

元の部屋に戻ってすぐ、ケグスに「馬鹿か」と小突かれた。
その理由はアージェ自身分かっていることであったので、少年は大きく溜息を吐き出す。
「やっぱばれた?」
「だろうな。お前、顔に出すぎなんだよ」
同じ継承者だというアリスティドと引き合わされた面談は、はなから継承者同士通じ合うものを期待してのことではなかった。
フィレウスは最初から、友人を紹介した時の反応を見るつもりでいたのだろう。
まんまと引っかかり動揺を見せてしまったアージェは、椅子の背もたれに両手をついて項垂れる。
「あれは予想外だって……驚くよ」
「驚いても表に出すな。お前その癖早く直せよ。いつか命に関わるぞ」
「ごめん」
自分でも不味いとは思うのだが、今回はとりあえずどうにもしようがない。
救いがあるとしたら彼が神具を持っていない上、既にそれが破壊済みだということくらいだろう。
アージェは、気まずそうな顔をしている女を振り返った。
「カタリナは知ってたの?」
「んー……セーロン王家が古き国からそのまま血を継いでるってのは知ってたよ。
 ああいう風にぶつけてくるとは思わなかったけど」
「アリスティドは庶子王子だからな。割合気軽に動けるんだろう」
ケグスの声を聞きながら、アージェは執務室で出会った男のことを思い出す。
気さくで快活そうな青年。甘めの整った顔立ちも含めて、きっと人に好かれやすい人間なのだろう。
人を寄せ付けそうにないフィレウスとは正反対に見えるが、友人関係とは得てしてそういうものに違いない。
アージェの友人の一人であるレアも、彼自身とは何の共通項もないのだ。
そんなことを考え現実逃避していると、ケグスの苦い声が耳に入ってきた。
「しっかし、ここまでされるとは思わなかったぞ。普通継承者や神具なんて妄想の類と思われるだろ」
「コダリスを警戒してるんじゃないの? イクレムにとってもセーロンにとっても国境を接してるわけだし」
「阿呆か、いくらコダリスが危ないつったってイクレムとセーロン両方が組みゃ潰せるんだよ。
 おやっさんを引き入れるくらいならともかく、神具にまで拘るのは馬鹿馬鹿しい。
 あの現実的な王太子の性格からいってもおかしいだろ」
それは、アージェも少し気にかかっていたことである。
いくら遺跡が発動状態になったからといって、即神具の実在についても信じられるものだろうか。
フィレウスにとってそれは「あれば儲けもの」くらいのつもりかもしれないが、さすがに隣国の王子まで引き出されては異様さを感じる。
一体彼らが何を考えているのか、薄ら寒さを覚えてアージェは窓の外を見やった。曇り空に、ふと灰色の瞳をした少女のことを思い出す。
その時唐突にカタリナの声が思考に飛び込んできた。
「ひょっとしてさあ、コダリスに神具があるとかじゃないの?」
「―――― は?」
「え?」
虚を突かれた二人に向かって、カタリナは腕組みをする。
「だからやたら継承者に拘ってるんじゃないかな。向こうが神具持ち出してきたら不味いから」
「……まさか。それはないだろ」
ケグスが顔を強張らせながらも返すと、彼女は「そうだよねえ」とあっさり相槌を打った。
そしてこれきりこの話題は放り出されてしまったのだが、カタリナの指摘には実際幾分かの真が含まれていたと、後に彼らは苦々しくも思い知ることになったのである。






「テス」
探して、名を呼ぶ。
それはディーノリアにとって、息をするほどに慣れ親しんだ行動の一つだ。
ほんの子供の頃はする必要がなかった。彼女が泣いている時、テスはいつも傍にいてくれたのだから。
だがある時、幼馴染は何の知らせもなく隣国へと行ってしまい―――― その日からディーノリアは、テスを探してその名を呼ぶようになった。
父の前ではそれをしたことがない。
見つかればまた怒られ、殴られてしまうだろう。
だから彼女は一人の部屋でそっと名を呼ぶ。
その秘密の名を口にする時は少しだけ、苦しいことを忘れられる気がしたのだ。






昼食はダルトン合流後、城で出された。
丁重かどうかは分からぬが、もてなされていること自体に気詰まりを覚えて、アージェは言葉少なになる。
大人たちも給仕や女官がいるところでは込み入った話をするわけにいかず、自然食事中の会話は当たり障りないものになっていた。
ほとんどの皿が下げられた頃、ダルトンから騎士の訓練場についての話を聞いたアージェは感心の声を上げる。
「馬上訓練なんてあるんだ」
「そりゃあるさ。騎士ってのは馬に乗って戦うもんだからな。
 坊主も今のうちからある程度は出来るようにしておいた方がいいぞ」
「うん」
それについてはまったく異論がない。いざという時「出来ません」では困るのだ。
アージェが一人頷いていると、衛兵の一人が来て「訓練場を案内しましょう」と言ってきた。
彼はぎょっとして顔の前で手を振る。
「いや、別にいいです」
「王太子殿下よりあなたに騎士舎をお見せするよう仰せつかっておりますので」
「…………」
てっきりダルトンとの会話を聞きつけて誘ってくれたのかと思ったが、元からの予定で拒否権はないらしい。
アージェが嫌な顔になると、背後からケグスがあっさり手を振った。
「気をつけていけよ」
「あー、うん」
「結構面白かったぞ。折角見せてくれるっていうんだから見といた方が得だ」
ダルトンにまでそう言われては仕方ない。少年は困惑しつつも立ち上がった。
案内するよう命じられているのは本当にアージェ一人らしく、大人たちは暢気にお茶を飲み始めている。
今までどのような窮地にあってもある程度の余裕を失わなかった彼らであるからして、今回も何とかなると思っているのだろう。
三人への信頼もあって、アージェは気分を切り替えることにした。案内の衛兵の後について部屋を出る。
城の長い廊下。直線に伸びるそこは、高い位置に小さな窓がいくつも並んでいた。採光を計算してあるのだろう。柔らかな光が注ぐ廊下を、少年は衛兵について歩いていく。
彼はふと興味を覚えて、先を行く兵士に問うた。
「騎士って家柄のある人間がなるものなんですか」
「ああ、貴族出身の方々もいらっしゃいます。ですが兵士の中から実力を認められ騎兵となる者もおりますよ」
「平民でも?」
「ええ。勿論国によって差異はありますが、イクレムはそうです。
 ですから殿下が『迅雷』を城に迎え入れたいと仰っても、異を唱える者はおりません」
「でも他国の人間だ。他の国に情報を洩らすかもしれない」
頑なさを窺わせるアージェの態度に、衛兵は少し煩わしげな目で振り返る。
だがすぐに男は「王太子殿下は全てお見通しでしょう」とこの話題を打ち切った。
アージェは男の態度に呆れなくもなかったが、それ以上何も言わず歩を進める。
しばらくして階段を下り外へと出た先の訓練場には―――― 偶然か予定通りかアリスティドが待っていた。



騎士舎の裏にある訓練場。
馬に乗った男たちや剣を振るう者たちが多々見られるそこは、おおまかに分けられているいくつかの領域をあわせれば、かなりの広さを持っているようであった。
片手に槍を携え片手で手綱を取っている騎士たちを眺めていたアージェは、広場の中央にいる男に気付いて思わず固まる。
一方アリスティドは少年を見るなり楽しげな表情になった。
「ああ、お前か」
彼の一歩後ろでは若い女が控えていて、少年を申し訳なさそうな表情で見ている。服装や様子からいって、彼女はアリスティドのお付の人間か何かなのだろう。
先程とは違い動きやすい服装に着替えている隣国の王子は、練習用の剣を手に取るとアージェを手招いた。
「ちょうどいい。手合わせをしてみたいと思っていた。剣を借りるといい」
「は?」
見学に来てまさかそのようなことを言われるとは思っていなかった。
アージェは素っ頓狂な声を上げたが、周囲にとってはアリスティドの言の方がはるかに重い。
すかさず鞘に入った剣の柄を衛兵に差し出され、少年は異物を見るような目でそれを見下ろした。
アリスティドは重みのある長剣を両手で構える。
「よし、行くぞ」
「ちょっと待っ……」
制止の言葉を最後まで言い切ることは出来なかった。
数歩で踏み込んでくる男。アージェは慌てて柄を掴み剣を抜く。
正面から打ち込まれた一合目を、彼はかろうじて練習用の剣で受け止めた。交差した剣越しにアリスティドは笑顔になる。
「遠慮はいらないぞ。怪我をしても魔法士がいるからな」
「遠慮って……」
それ以前の問題だと言う余裕さえない。
アリスティドは軽く剣を押して離れると、再びそれを構えなおした。
楽しんでいるような笑顔のまま、双眸だけがすっと細くなる。アージェは相手の気に押されて息を飲んだ。
何の前触れもない、先程よりも早い打ち込み。
右肩にかかろうとする剣を、彼は紙一重で横に避けた。
だがその代わりに重心が崩れ、僅かによろめく。
不味いと思った瞬間、しかしアリスティドは追撃するわけでもなく剣を引いた。アージェが体勢を立て直す一秒を待って、再び剣を振るってくる。
―――― 強い。
少年がそれを理解するには数合だけで充分だった。
ダルトンやケグスとは違う剣筋。だが間違いなくこの男は強い。
アージェは焦りそうになる自分を律して意識を集中させた。稽古をつけようとしているかのように、鋭い速度で万遍なく襲ってくる剣を一合ずつ受けていく。
アリスティドは手を止めぬまま頷いた。
「なかなかよく鍛錬しているようだ。師は迅雷か?」
「違う」
ダルトンも稽古をつけてくれることはあるが、アージェの教師はケグスだ。
だが少年にそのことをきちんと説明する余裕はない。蹴りを放って後ろに跳んでも、アリスティドはぴったりその間を詰めてくる。
反応を試されているかのような動き。
あくまでも格上として振舞う男に、アージェは腹立たしさを覚えて剣を上げた。
しかし感情のまま振るった剣は、すぐにアリスティドの剣で受け流され、次へと続けることが出来ない。
粗さの中を突いてくる反撃に、少年は実戦でないにもかかわらず何度かひやりとした思いを味わっていた。

みぞおちへと向かってくる切っ先。
その軌跡を捉えたアージェは、刹那左手が疼くような錯覚を覚える。
彼は咄嗟に剣を左手へと持ち替えた。そのままの勢いで、突き込んで来た剣を外に払う。
そのような反応は予想していなかったのだろう。アリスティドは軽く目を瞠って笑った。
「面白い!」
空へと刺さる男の声を聞いた直後、アージェの視界は真っ白に染まる。
―――― 肺を手で突かれたと理解したのは、反射的に蹲りかけた時のことだった。
一体いつアリスティドが片手を開けたのか。少年にはまったく分からなかった。
圧倒的な力量差。
生理的にこみあげる唾を何とか嚥下するアージェに、剣を下ろした男は穏やかな声をかける。
「いい動きだ。これからもっと伸びるだろう。次の手合わせが楽しみだ」
「……っ」
衝撃はまだ消えず、呼吸も上手く戻らない。
だがそれ以上にアージェは返す言葉がなく、体を震わせた。
アリスティドはそれに気付かず、控えていた女を振り返る。
「エル! 一応怪我をさせていないか見てくれ」
「もう少し自重なさってください、殿下」
呆れた声を上げつつ魔法士の女が近づいてくるのが見えた。
だがアージェは、彼女に診られることを嫌って体を起こす。
いいようにあしらわれた上そこまでされては、本当に自分が何も出来ない子供になってしまうような気がしたのだ。
「いいです……平気だから」
少年は矜持を以って姿勢を正しアリスティドに一礼すると、吐き気を堪えてその場から立ち去った。
悔しさが腹の中を焼いているような不快感。
彼は誰の目も届かぬ木々の影まで行くと、体を折って血の混じった唾を吐き出す。
拭い去れない敗北感と眩暈を抱えてしばらくそうしていると、近くの木の影から細い声がかかった。
「具合が悪いのですか」
日の差さない草の上を踏み分けて現れた人間は、いつかと同じ二人である。
ディーノリアは感情の薄い灰色の瞳でアージェを見つめると「テス、この方を部屋にお連れして」と傍らの小間使いに命じた。