灰の剣 065

転移門を抜けた先は、がらんとした印象を受ける石造りの広い部屋だった。
周囲には一緒に転移してきたケグスやディーノリアたちの他に、元からこの部屋にいたのだろう帯剣した男たちが数人見える。彼らは思い思いの位置から転移門の様子を窺っており、アージェが現れた時も何ら驚く様子は見せなかった。
他には魔法士らしき服装をした男が二人、アージェたちを挟み込むように立っている。目を閉じて集中している彼らは、様子からいって転移門を維持しているらしい。額には軽く汗が滲み、口の中では何かの詠唱をしているようだった。
その場に立ち尽くし室内を見回していたアージェは、背後からひょいと持ち上げられて驚愕する。頭四つ分ほど高くなった視界と宙に浮く足に、思わず声をあげそうになった。背後からダルトンの声が聞こえる。
「坊主、悪い」
「出てすぐ立ち止まるなよ。後ろがつかえる」
「あ、ごめん」
どうやら転移門の前に立ったままだったアージェを、後から来たダルトンがぶつかりそうになって持ち上げたらしい。
もっともリィアに蹴られるよりはましだったろう。一番最後に戻ってきた彼女は、石床の上に立つなり吐き捨てた。
「ああもう! だるい! 三度目はやらないから!」
「ごめんなあ、嬢ちゃん。無理言って」
ダルトンが苦笑すると、リィアはぶすっとした顔で黙り込む。
その様子とやり取りから言って、彼女がイクレム城内に潜入したのは先程が二度目であったようだ。
本来一度で終わるはずの仕事に二度目があったのは、アージェたちを回収したいとダルトンが頼んだに違いない。
アージェは、それでカタリナがいなかったのかと納得した。だが、室内には彼女の姿はない。
彼女の居場所を問おうと少年が口を開きかけた時、けれど見知らぬ男の一人がテスに剣を突きつけた。
「話は聞いたぞ。裏切り者め」
「……テス?」
喉元に剣を突きつけられ、けれど彼は動かない。ディーノリアが困惑の目でテスと彼に憤る男を見上げた。
少女は躊躇いながらも剣を持った男に向き直る。
「事情は存じ上げませんが、どうか剣を下ろしてください。彼女は私の大事な幼馴染なのです」
「ディーノリア様」
「彼女?」
ディーノリアが何も知らないことを、男は鼻で笑った。
真剣に訴えた彼女を馬鹿にする態度に、アージェは思わず反論しようと一歩踏み出す。
しかしそれをダルトンが留めた。
険悪な空気。敵意と思われる圧力が充満する中、渦中にいるテスは深く息を吐き出す。
「裏切ったつもりはない。私の受けた仕事はあの短剣で宮廷魔法士十二人を殺害することだけだ」
「ならば何故短剣を渡さなかった」
「彼女を助けたいと言った。それを承諾してくれるのなら短剣を渡すつもりだった」
「何だと? ディーノリア・グルイートは―――― 」
「はいはい。そこまでな」
ますます攻撃的になっていく二人の男を、ダルトンが手で掻き分けた。間に入った傭兵は剣を持った男に笑いかける。
「とりあえずここは収めちゃくれないか? お前たちはその短剣とやらが手に入ればいいんだろう?」
「……確かにそうだが」
「なら、こっちのお前は短剣を渡す。で、貰ったらお前たちはこの二人を見逃す。これで角は立たない」
二人を仲裁するダルトンに、男は挙動不審になりながらも剣を下ろした。
おそらく彼もダルトンの名を知っているのだろう。ばつの悪い顔になると「主人に聞いてくる」と部屋を出て行った。
室内は途端、虚脱した空気に満たされる。
そのような中で、一人だけ無知である少女は幼馴染だと思っていた男を見上げた。
「……テス? どういうこと?」
「ディーノリア様」
途切れる言葉。
二人の間に流れる噛みあわなさに、アージェは苦い顔になる。
だがそれを部外者である彼がどうこうすることは出来ない。テスのことはテスが言わねばならないことなのだ。
少年は音をさせないよう大きく溜息をつくと、不機嫌そうな魔法士の少女へと尋ねた。
「で、ここ何処?」
「さぁ? 言っていいのかどうか分かんない。あの学府の女に聞けば?」
「って言われても。カタリナ何処行ってるんだよ」
「今回の雇い主のとこ」
「へ?」
素っ頓狂な声を上げてしまったところで、部屋の扉が向こうから開かれる。
そこに立っていたカタリナは蒼ざめた顔で旅の連れたちを見やると、淋しげに微笑した。
「ごめんね、みんな」
「どうしたんだよ、カタリナ」
「うん。実はね―――― 」



「ログロキアか」
執務室に戻ったフィレウスの呟きに、アリスティドは顔を上げた。訝しげに聞き返す。
「ログロキアがどうかしたのか?」
「今回の件だ。襲撃者たちを送り込んできたのはログロキアだ」
隣国の名を挙げる冷たい言葉に、椅子に座っていた男は目を丸くした。
「ログロキア? あの小国か。てっきりコダリスかと思ってた」
「けしかけたのはそうかもしれん。が、直接行動を起こしたのはログロキアだ。
 襲撃者たちの死体の中に、ログロキアの者と思しき紋章があった」
「なるほど?」
よく分かっていないながらも適当に相槌を打ってくるアリスティドは、襲撃の首謀者が誰であろうとさして変わらないと思っているようである。
よくも悪くも単純な友人に、フィレウスは笑いもせず返した。
「意外だが、意外なことではない。ログロキアはイクレムを恨んでいる」
「領地を奪い取られたんだったっか? ずいぶん昔の話だと思うが」
「だとしても、かつての一領地が自分たちの領土を奪い、大国となっている現状は楽しいものではないだろう。
 王族などには古くからの禍根を抱き続けている者もいる。
 もっとも今までは、兵力が違いすぎて何かをしてくるということはなかったのだがな」
「じゃあ、兵力の不利を覆す要素を得られたということか?」
アリスティドの率直な指摘に、フィレウスは一瞬黙り込んだ。思考を巡らす目で執務机を見下ろす。
しかしそれも長い時間ではなく、彼は軽くかぶりを振った。
「首謀者が割れないと思っていたのかもしれない。ディーノリアに罪を被せれば済むと」
「胸糞の悪い話だ!」
明らかに不快げな声音は、アリスティドの意思とは別に、フィレウスに少しの苦笑をもたらす。
事態を明快に塗り分けようとする彼に応えて、王太子は机を軽く指で叩いた。
「ともかく、このままで済ます気はない。
 ログロキアがイクレムに対する気があるというのなら、こちらも相応の対応をするだけだ」
「戦か!」
「ああ」
大陸をはるか昔から塗り替え続ける闘争。その新たなる一頁を前に王太子は皮肉げに眉を顰める。
その瞬間彼はふと―――― 黒い左腕を持つ少年のことを思い出したのだった。



カタリナからここがログロキアであることと、この国が襲撃の犯人であることを聞いたアージェは、すぐには何も返すことが出来なかった。しばらく黙り込んでから一つしかない窓を振り返る。
薄い硝子と鉄格子が共存するその窓の先は、暗い夜に未だ覆われていた。
それだけでは何処の国ともつかぬ闇夜をアージェは見つめる。
「えーっと、ってことは目的国についた、ってことだよな。俺、得した?」
「微妙だろ」
ケグスの冷ややかな声は、現実を認識させるに充分な力を持っている。
攻撃や拘束こそしてこないものの、周囲の男たちから要注意人物を見るような目で見張られているアージェは、何だかもう座り込みたくなった。黒いままのルトを元に戻しながら、誰にも聞こえぬ声でぼやく。
「俺、基本的についてないよな……」
彼の呟きを唯一聞きうる「彼女」は無言のままである。
アージェは何処かで落としたきりの手袋を諦め、左手で髪をかき上げると「……とりあえず眠い」とこの夜を結論付けた。






妹に御伽噺を話して聞かせる時、すれちがう人物たちを語りながら彼はこう思うことがある。
―――― 隠し事はよくない。何もかも話してしまえばいいのに、と。
だがそれは、外から見た際の意見なのだろう。当事者になってしまえば話せないことは、確かにある。
たとえ話しても、上手くいくとは限らないのだ。
ログロキア内の何処とも知れぬ建物に泊まった翌朝、アージェは探索に出た中庭で、木の椅子に座る少女を見つけた。
何処か人形を思わせる少女は、灰色の瞳で薄白い空を見上げている。
まるで一枚の絵のような遠さを感じさせる光景に、少年は声をかけるべきか否か迷った。
けれどディーノリアは、自分から彼に気付いて薄く微笑む。
「おはようございます」
「……おはよう」
彼女の様子は以前と変わらぬように見えた。
テスから何処までを聞いたのか、彼はどうしたのか聞きたくなって、だがアージェはそれらの問いを飲み込む。黙って彼女の隣に歩み寄ると、椅子の背に手を置いた。
「何してるの?」
「何をしようかと、考えております。このように自由な身になったことは初めてですから」
「自由なんだ?」
「この国に住むことは許されました。何も出来ぬ身ですから、これからどうすればいいのかは分かりませんが」
「何とかなるよ」
―――― あの男がいるなら、とアージェは言わない。ディーノリアは目を伏せて微笑んだ。
「テスは今朝方出て行きました」
「……そう」
少女の声は、別れを惜しんでいるようには聞こえない。
全てを聞いたのか、それとも聞かなかったのか、彼女の様子から推し量ることは出来なかった。
彼女はゆっくり立ち上がると、アージェへと向き直る。
遠慮がちに差し出された手は彼女の左手で、少年は困惑しながらも自分の左手で彼女の手を握った。ディーノリアは照れくさそうに口元をほころばせる。
「色々とお世話になりました。ありがとうございます」
「俺、何もしてないよ。助かったのも親父さんのおかげだし」
「いいえ」
きっぱりとした言葉は、柔らかな風に乗って空へと舞い上がった。
アージェはその強さに押されて彼女の瞳を見返す。
くすんで見えた瞳。その灰に朝の色が移りこんだ。ディーノリアは長い睫毛をまたたかせる。
「私、あなたに出会えてよかった」
温かな掌。年相応の少女に見えるしなやかさは、まだぎこちなくはあってもいずれ彼女のものとして馴染むのだろう。
アージェは正体の分からぬ気まずさを覚えつつ、それを表に出さぬよう真面目くさった顔で頷いた。
「ならよかった」
「ええ」
しっかりと握った手はどちらからともなく離される。
それ以上話題のないアージェは「じゃあ、また」と手を上げて踵を返した。その背に、少女の穏やかな声が届く。
「私も頑張ります。この国で、彼を待ちながら」
青い匂いを運ぶ風。昇りつつある日は、中庭を徐々に照らし出していた。
植えられた白い花の蕾が、影を帯びながらも期待を込めて慎ましやかに揺れる。
彼女の言葉を聞いた少年は、足を緩めつつも振り返ることはしない。
ただ彼は苦笑しながら―――― 正直に話せばいいこともあるのだと、改めて思った。