女皇の騎士 069

ただ一人のあなたに変わらぬ忠誠を。
たとえそれが、神の意志に背くことであろうとも。






宿屋に戻ってきたアージェから一通りの話を聞いた傭兵二人は、すぐには何も言わなかった。
ケグスは弟子から「気付いてた?」と聞かれ、ようやく重い口を開く。
「いや、そこまではっきりとは疑ってなかったけどな。俺が気付いたのも別口で、昨晩のことだ」
「別口って?」
「イクレムの王太子がお前に聞いてただろ? ……あー、いやまぁ、その辺は直接本人から聞け」
「本人?」
出来ればもう二度とフィレウスには会いたくないのだが、ケグス自身は教えてくれる気がないらしい。
アージェはぽりぽりと頭を掻くと、質素な寝台の上に座り片膝を抱えた。
「というわけで、一応魔法士を訪ねるっていう当初の目的は果たしたよ」
「解決してないけどな」
「うん。まぁ仕方ない。それよりここまで付き合ってくれてありがとう。本当助かった」
抱えていた膝を下ろし頭を下げると、テーブルを囲んでいるダルトンは苦笑し、ケグスは軽く眉を寄せる。
それは彼らからすると「大したことではない」という返答の表れなのだろう。
しかし彼ら自身がそう思ったとしても、アージェが彼らに助けられたことは確かだ。
深々と頭を下げた少年は、顔を上げると一息つく。
憑き物が落ちたとは言わないが、ほんの少しだけ気が楽になったような気がした。この旅が一人ではなくてよかったと思う。
ケグスはそんな弟子の姿を、頬杖をついて眺めながら問う。
「んで、どうするんだ? ケレスメンティアにでも行くか?」
「行かない」
「だが村にも帰らないんだろ? ケレスメンティアだったらお前の異能が重宝されるかもしれんぞ」
「重宝っていっても俺が自分で身につけたものじゃないし。単に生まれつきだ。
 使いこなせてると思えないし、それに頼って生きてく気もないよ。俺は俺でやってきたい」
ちりちりとやまない腹立たしさ。それはつまるところ、自分の知らぬところで用意されていた何かが、今になって大きく呈されたということに起因しているのだろう。
澱によってそれまでの生活が一変したことも、継承者だと追い掛け回されることも、女皇の騎士と言われることもそうだ。
アージェ自身はそれらを選択したわけでも、そうなりたいと努力したわけでもない。
見たこともない両親からもたらされたもの―――― それはどのようなものであっても、彼にとっては自分に似合わぬ服のように思えて仕方ないのだ。ましてやその服に頼ってケレスメンティアに行こうなどとは思わない。

潔癖とも言える少年の態度に、ダルトンは宥めるような微苦笑を見せた。
「でもなぁ……ケレスメンティアに行けば本当の親父さんに会えるかもしれないぞ?」
「別にいいよ。俺、わざわざ遠くの国まで来て捨てられたわけだし。
 向こうにとって不要の子ってことだろ? 俺も育ての親が本当の親と思ってる。ケレスメンティアに興味ないよ」
「そうか」
アージェの言葉は強がりでもなんでもなく、本当にそう思っていると分かるものだった。
納得するダルトンに苦笑して、アージェは言を続ける。
「だから俺、出来ればこのまま剣の修行して、一人で生きていけるようになりたい。
 すぐには無理かもしれないし、途中で死ぬかもしれないけど……」
「その辺は運もあるからな。稽古も始めたばっかりだし、まだこれから一通りは見てやるさ」
当然のように請合うケグスを見て、アージェは安堵と感謝を覚える。稽古を続けてもらえればいいなと思いつつ、それを断られる可能性も考えていたのだ。
ケグスは礼を言う少年に対し鷹揚に頷く。
「お前が使えるようになれば俺も楽になるからな。とりあえず必要なもの買い揃えたらこの街を出て西に行くぞ」
「うん」
「あ、俺はしばらくこの街に残るわ。少し休みたいしな」
あっけらかんとそう告げたのはダルトンである。
アージェはそれがしばしの別れを意味すると気付き、まるで長年の仲間と別れるような寂しい気分になった。
巨躯の傭兵はにっと笑うと両手を広げてみせる。
「すぐにまた会えるさ。おっと、先に坊主の剣も買わないとな」
「金は自分で出すよ」
「まぁそう言うな。餞別と思って受け取ってけ」
快活な笑声を上げるダルトンにつられてアージェも微笑する。
その様子を、ダルトンの向かいに座るケグスは、薄布がかったような目で見ていた。
何も言わぬ彼が静かに目を閉じてからしばらく、部屋の扉が叩かれる。
「やっと見つけたー」
やって来たカタリナは、朝とは違いすっかりいつも通りであるようにアージェには思えた。
「いやー、先生に絞られちゃってさー」
「お前を怒らない人間なんていないだろ」
「そうなんだけど。でも一通り調査資料を出してきたから、また調査の日々に戻るのだよ」
言いながらケグスとダルトンの間に座ったカタリナは、アージェたちが西に発つと聞くと「私も行くー」と言い出す。
ある意味アージェよりも手間がかかりそうな女の同行申し出に、ケグスは面倒くさげな顔になったが、彼女がアージェに読み書きを教えていることもあってか反対は口にしなかった。
「勝手にしろ。あと俺たちは遺跡には行かないからな」
「えー。遺跡楽しいよ。大きい蜥蜴とか出てくるし」
「それがこないだ食われかけた奴の言う台詞か」
ケグスは笑っている女を白い眼で睨んだが、一向に堪える様子はない。
カタリナはその後日が暮れる間際まで、茶と菓子を散々飲み食いして帰っていった。
二日後にこの街を発つと決めた彼らは、その晩は平穏な夜を迎える。






早々に床についたアージェがその夜見た夢は、奇妙なものだった。
何処とも知れぬ長い通路。彼が立っているそこは、床も天井も壁も継ぎ目のない白い石で作られている。
音はない。外界から遠く離れているのか窓もなく、ただ辺りには充分な光が満ちていた。
夢の中の彼はそれを疑問に思うこともなく、ただ通路の突き当たりにある扉を見上げている。
両開きの大きな扉に彫り込まれた壁画。それはいつか、レアに案内された遺跡にあったものと同じであった。
ただ一つ、違うところがあるとすれば、人々の輪から離れて立っている男の下に、ぎっしりと何かの文章が彫られているということである。
アージェは読み取れないその文章を注視した。

白い空間には、時の流れなどまるで存在していないかのように思えた。
アージェは壁画を見上げていた視線を下ろすと、扉の継ぎ目に手を伸ばす。
ひんやりとした感触。
彼が力を込めて扉を押そうとした時、だが背後ですすり泣きが聞こえた。振り返るとそこには幼い女の子が立っている。
透き通るような金糸の髪。小さな両手に覆われた顔。
肩を震わせて泣く子供を、アージェは驚いて見つめた。考えるまでもなく彼女の名が口をつく。
「レア」
頼りない体がびくりと震え、泣声が止んだ。
それでも顔を上げない彼女の前に彼は屈みこむと、その頭をぽんぽんと叩く。
「泣くなよ。俺、ちゃんといるだろ」
「……アージェ」
掠れた声は、舌足らずの稚いものであったが、紛れもなく彼の知る少女のものであった。
アージェは彼女の髪をゆっくりと撫でる。
宥めるような落ち着かせるようなその手に、やがて彼女は顔を覆っていた手を下ろした。
青紫の瞳。涙に濡れている頬を指で拭うと、アージェは小さな手を取る。
そうして彼は彼女の手を引き、再び扉に向かおうと踵を返した。
―――― しかし扉の前には、いつの間にか一人の少女が立っている。
真白い服。下ろしたままの髪。
じっと彼を見つめるその貌は、一点を除き現実のレアリアと同じものだった。
彼の手の中で子供の手が震える。一方アージェは驚きもせず赤紫の瞳を見返した。
少年は、彼女の名を呼ぼうと口を開く。
「―――― 」

夢はそこで途切れた。






翌日、アージェはダルトンらと買出しに行き、武器をはじめ一通りのものを買い込んだ。
ダルトンが彼に選んでくれた長剣は、柄に黒い蔦の意匠が施されているもので、長さといい重さといい今のアージェにしっくりと馴染む。
ダルトンは他にも自分とケグスに長剣を選んでしまうと、新たな剣に感心する少年に笑った。
「本当は俺たちみたいなのは、あまり一つの得物に拘らない方がいいんだがな。最初は慣れも必要だ」
「うん。ありがとう」
「思い切りやってその剣が使い物にならなくなる頃には、坊主も大分成長してるだろうさ」
力強い言葉は、アージェに幾許かの自信と期待を与える。
少年はそうであればいいと思いつつ頷いた。はっきりとした行き先のない二度目の旅立ちを前に、決意を新たにする。
この左腕が、一生背負わねばならぬ己の血だというのなら、それに揺るがされぬほど強くなればいいだろう。
つまりはそれだけのことだ。大人は皆、望まぬものと望むものの間で生きている。
たとえ逃れられない重みを抱えていたとしても、押しつぶされずに立つことは出来るのだ。
アージェはそのことを既に、今まで出会った大人たちから薄々感じ取っていた。
新たな鞘に長剣を戻した少年は、自分が知る限りもっとも強い男を見上げる。
「俺もいつか、親父さんくらい強くなれるかな」
「ずっとやってりゃあな。けど、あんま楽しいもんでもないぞ?」
笑って見せる男の顔には陰惨さはない。
けれど日に焼けた肌を走る皺には、彼の長い労苦が刻まれている気がして、アージェは改めて男に深い敬意を抱いたのだった。






「ほら、置いてくぞ」
「待ってよー」
昼過ぎにログロキアの城都を出る乗合馬車。その荷台にさっさと乗り込んだケグスは、もたもたと走ってくるカタリナに冷たい目を注いだ。見送りに来ているダルトンが、彼女の手から荷物を取り荷台に押し上げる。
風のない日。少し汗ばむくらいの陽気は、野営をするにも困らぬくらいであろう。
アージェは手を伸ばしてカタリナの体を引き上げると、隣のルトの背に置いておいた地図を広げた。これからログロキア国内を伸びる街道を、西に向かって移動していくのだ。
街道の終わりは隣国コダリスの国境へと繋がっている。少年はそこまでを確認して顔を上げた。
「コダリスまで行く?」
「まだ決めてない。途中で北に進路を取ってセーロンに行ってもいいが、万一あの馬鹿王子に会ったら面倒だしな」
「あ、私、アデノ遺跡に行ってみたい!」
「遺跡は行かないっつってんだろ」
騒がしい出発。ダルトンは笑ってそれを眺めている。
ケグスはカタリナを黙らせると、神妙な顔を見送りの男に向けた。
「おやっさん、気をつけろよ」
「ああ」
短いやり取りは、傭兵同士らしい別れ方なのであろうか。アージェはそんなことを考えつつ、自分もダルトンに向かうと頭を下げた。
「親父さん、ありがとう」
「元気でな」
「また会おうねー」
カタリナが大きく腕を振ると同時に、馬車が揺れた。二頭立ての荷馬車はゆっくりと街道に向かい走り出す。
アージェはその荷台から、手を振っているダルトンを見つめた。
―――― いつかまた会える日が来るだろう。
その時はもっと強くなっていようと、強い意志を込めて彼は剣の柄に触れる。

しかしこの時のアージェは、ダルトンとの再会の日がそう遠くないことを、まだ知る由もなかったのである。