女皇の騎士 072

父は遺跡を巡ることを生業としていた。
といっても学府の学者のようにきちんとした所属があったわけではない。元はただの盗掘屋だった。
小さな遺跡を探して暴き、中に残されていた物を闇で売りさばくけちな生業。
それがいつからか、金儲けの手段としてではなく、遺跡自体に執心するようになっていったのだ。幼い時から父の仕事に同行していた彼は、気付けば夜毎熱く語られるようになった神代の話に、内心うんざりしていたものである。
主神ディテルの話。神が選んだ王たちの話。そして与えられた神具とその後の歴史。
多岐に渡る話のほとんどを、彼はもう覚えていない。
ただ絵空事のような無数の話は、お互い矛盾しているのではないかと父に問うたことは記憶に残っている。
たとえば王たちを選び、大陸の統治を命じた神は、その絶大なる力にもかかわらず、何故止まない戦争を放置しているのか。
そう尋ねた時父は、はっきりとした答を返してくれなかった。
盗掘屋あがりの彼には学がなかったからもしれない。神学者であればまた違った答があっただろう。
ただ父は代わりに、あることを教えてくれたのだ。
―――― 神が全ての真実をしまった部屋。そこに続く、扉のことを。

父は彼が十二の時、遺跡の中で忽然と姿を消した。
その時の真実を、彼は未だに知りたいと思っているのかもしれない。



ログロキア北東部に広がる丘陵地帯。
イクレムとの国境へ向かい緩やかに傾斜していく大地を、ダルトンは茫洋とした目で眺めていた。
ところどころに広がる黒い森。密集する木々は、まるで日の光を嫌うかのように鬱蒼とした佇まいを見せている。
丘を覆って波打つ青草は彼の膝ほどの高さを有し、土を踏む足元はほとんど窺うことが出来ない。これでは足場が悪くても気付くことは難しいだろう。
彼はしかし、そのようなことを気にもせず丘の上を歩いていった。近くの森影に設営されつつある本陣へと歩み入る。
そこにいた若い騎士は、傭兵の男を胡散臭いものを見るような目で見上げた。ダルトンは構わず問う。
「リオン公は?」
「会議をしておられる。諸侯と足並みを揃える必要があるからな」
固い返答をダルトンは笑わなかった。
「足並みを揃えた程度では勝てない」と、思っていても口に出来る段階は過ぎた。彼は「そうか」とだけ返す。
―――― 敗色濃厚な陣営についたことは、これが初めてではない。
駆け出しであった頃から勘が鋭く機転が利いていたケグスと違って、ダルトンは非常に不器用な道を歩んできた。
勿論死に掛けたことも一度や二度ではない。判断を誤ったことは更に多かった。
それでもかろうじて運を掴み、苦し紛れの足掻きを続け、何とか窮地をも切り抜けてこられたのだ。
そんな数年を越え傭兵として名が通り始めた時、彼は既に三十歳を過ぎていた。
いつの間にかつけられていた「迅雷」という異名。それは当時の彼にいささかの違和感を与えた。
自分の名が通っているのは、第一に自分が今まで「死ななかった」せいだ。
ほんのささいな偶然が傭兵仲間との生死を分けたこともある。その時自分ではなく仲間が生き残っていたなら、彼が「迅雷」と呼ばれた可能性もあるだろう。
戦場において確かなものは何もない。
あるのは泥と血と鉄と、妄執に似た本能だけである。
だから、高名な傭兵などという評判は、別段誇りに思うようなものではない。
それはむしろ足跡を語るだけの称号で、どれほど評価されようともダルトンは己の腕に驕ることは決してしなかった。
彼はざわめく草の海を見下ろす。
「さて、今回はどうなるかなあ」
普通に考えるなら、はなから勝負にもならぬ戦争。
だがそれが大方予想される通りになるか否か、不確定要素は確かにあるのだ。
一つの隊を任されることとなるダルトンの存在は、そのような戦争においてどの位置に当たるのか。彼は深く考えるわけでもなく苦笑する。

天は高い。
だがそこに神はいない。ダルトンにとって神とは、とうに失われていたものだ。
けれど何処かにある扉の向こうには、きっと語られぬ真実が眠っているのだろう。
―――― ただその扉を開く者は、もはや自分ではないとダルトンは思っていた。






バーズルの街付近には遺跡がない。
そのため現在カタリナは調査といった調査に出かけていないのだが、この街には代わりに古い資料館がおかれている。
勉強がてら彼女に付き添って資料館を訪れたアージェは、遺跡から出土したという展示品の数々を眺めた。
薄暗くがらんとした建物の中、無造作に棚へと並べられている壷や石板。
埃被ったそれら一つ一つにつけられている説明書きを読むことが、勉強に来た彼の今回の主目的である。
勿論分からないところはカタリナが補足し、ついでに豆知識も教えてくれるが、彼女の話はいかんせん脱線しやすい。
聞かずに済むのならその方がいいだろうと、アージェはひたすら説明書きの読解に勤しんでいた。そのせいか内容自体はあまり頭に入ってこない。
「この箱はログロキア歴八十七年に、ジナ遺跡から出発し……」
「出土だよ、少年」
「出土した。中には二振りの短剣と、三つの首飾り、一匹の猫が入っており」
「猫じゃなくて珠。やだよ、猫とか入ってる箱が出土したら」
「棺とか人間入ってるじゃん」
もっともな切り返しにカタリナは唸った。アージェはそれを無視して続ける。
「二振りの短剣のうち、一つははじめから崩れており、破片から復元されたものだけが現、現……」
「現存」
「現存している。もう一振りは、二百十八年に盗難にあって以来、今も見つかっていない」
「そそ。よく出来ました」
カタリナに拍手され、アージェは頷く。
そうしてようやく、彼は説明されていた当の箱をじっと見てみた。
両手で抱えられるほどの石の箱。その表面には蓋にも側面にもぎっしりと蔓に似た模様が掘り込まれており、棺よりも宝石箱を連想させる。
遮るもののない展示品の棚は、手を伸ばせば出土物に直接触れることも出来るのだろうが、少年は若干の忌まわしさを覚えてそれらを見るだけに留めていた。
ふと隣に立つ女を見て、アージェはもう一つの「箱」のことを思い出す。
「そういえばカタリナが探してる『終わりの箱』ってやつもこんな感じなのかな」
「どうだろうねー。四角くないかも」
「大体何でそれで箱開けたら戦争なくなるんだよ。中に何入ってんの?」
「私が聞きたいよ、少年」
珍しく呆れたような顔のカタリナの返答は、彼女からするともっともなものであろうが、アージェにすれば釈然としないこともまた確かである。
どうしたら箱を開けて大陸から戦乱が消えるのか。それは普通には説明がつかないことであろう。
少年は一つしか考えられない可能性を呟いた。
「やっぱ神具?」
「じゃないかなあ、と私は思ってるけどねー」
おそらくこの大陸において、神具を目の当たりにしたことのある人間は極少数であろうが、彼ら二人は二人ともその少数に入る。
しかし実際その力を見たことがあるわけではない彼らは「可能かもしれないし、不可能かもしれない」という微妙なところを揺れ動いた。アージェが今まで得た断片的な知識から問う。
「でも神具っていうなら継承者しか使えないんじゃないの?」
「どうだろ。誰でも使えるらしい神具ってのもあるよ」
「ああ。そういうのもあるのか」
ならば「終わりの箱」も、実際開けてみるしかないのかもしれない。
実在するかどうかも分からぬその箱に加え、アージェはダルトンが探しているという「扉」の話も思い出した。
一体そのような話がどれほど大陸には転がっているのか。期待や好奇心よりも途方もなさを、少年は覚える。
「全部一部屋に纏めちゃえば楽そうなのにな……扉置いて、中に箱置いて」
「なになに。なにそれ」
「いや、伝説級のものをさ、あちこちに散らばってると面倒だから一箇所に纏めちゃえばいいのにって」
「それ少年が面倒って思ってるだけじゃん。何で若いのにそんな後ろ向きなの?」
「…………」
随分な言われようだが、アージェが遺跡探索に魅力を感じていないことは確かである。
彼はそれ以上煩く言われる前に次の説明書きにいこうと歩き出しかけた。
しかし次の瞬間カタリナの手が彼の耳を引っ張る。
「痛い。何だよ」
「いや、少年には一度ちゃんと説教しとこうと思って」
「説教……」
それは非常に身構えたくなる響きである。
興味がないと面倒がったことがそれほど不味かったのか、アージェは憮然とした表情になった。
カタリナはおかまいなしに続ける。
「少年は平和な地方の出だから戦争って実感ないんだろうけどさ。この大陸って本当常時あちこちで戦争してるのね。
 これがどれだけ異常なことかって、むしろ慣れちゃってる私たちは分からなくなりがちだけど、余所と比べると分かる」
「よそ?」
「うん。西の大陸。あっちにもやっぱり戦争ばっかりしてた時代っていうのがあるらしいんだけどね。
 それはもう何百年も前のことで、今の人々は当時を暗黒時代って呼んで忌み嫌ってる。
 でも私たちは、神代からずっとこんな状態なんだよ。
 どんなに大きくて強い国が生まれても、すぐに周りが協力して足を引っ張っちゃう。抑止力が生まれないの。
 勿論大きな国もそうされないよう積極的に周囲を突き崩していくし、戦争を回避しようなんてはなから考えない。
 ―――― どうしていつまでもこんななんだろう?」
カタリナの言葉は、説教というより慟哭のように彼の耳に響いた。
明かりに乏しい資料館。他に誰の姿もない埃臭い空間で、女の声は世界を嘆く。
アージェはそこに、悲しみよりも虚ろを見て言葉を失った。
灰色の瞳は何処か遠くの景色を見据えているかのように、少年を突き抜けて空間を見つめる。
「たとえばね、少年。私の生まれた国は、もうないんだ」
「もうないって……ログロキアじゃないの?」
「違うよ。ログロキアには親族がいたから亡命してきただけ。
 本当の祖国は十七年前コダリスに滅ぼされてるの」
カタリナは軽く息を吐いて目を伏せる。
過去を反芻し、そしてしまいなおす数秒間。
それだけの時間、彼女の貌は確かに永遠に追いつくことのない年月を秘めていた。
沈黙する少年に、女は口元だけで微笑む。
「もうずっと昔のことだけど。……あの日の光景は、きっと一生忘れないと思う」
―――― そう言った彼女の微笑は、ただただ優しかった。



「だから終わりの箱を探してる」とは彼女は言わなかった。
ただアージェは自分の発言を幾分恥じ、彼女の抱える希望を思う。
広い大陸全土には一体今まで、どれほどの足跡が刻まれてきたのだろう。
そうして積み重なる過去へと思いを馳せたアージェは、この日から、大陸の抱える業というものを、少しずつ意識するようになっていったのである。