石鏡 090

ログルの主人が治めていたという街は、領内でも南西に位置する街道沿いの要所にあった。
三つの領で構成された国。その国内を伸びる大きな街道二本が交わる場所こそが、そうである。
街道に面する大きな街は、民の中から選ばれた議員と、領主によって任じられた総督が合議の上、治めている。
しかし現在総督は代替わりしたばかりで、街はいささかざわつきぎみであった。
そのざわつきに乗じて街に入ったアージェとログルは、憲兵たちの目を逃れて一通り情報を集める。
結果として分かったことは、新総督の下、この街がケランとの同盟の為に税率を上げ、武器を集め始めているという事実だった。
人の目につかぬ裏路地に移り、積まれていた木箱に腰掛けたアージェは、ログルに確認する。
「前総督はそういう方針じゃなかったのか?」
「あの方は徒に武力を用いることを好んでいらっしゃらなかった。
 ケランについても評価はしていたが、同盟などという話は聞いたことがない」
「だから客人が来たのかもな」
アージェが指摘すると男は顔を曇らせる。主人の辿った結末が思い返されたのであろう。場には重い沈黙が流れた。
しかしその沈黙を断ち切るように、ログルは大きくかぶりを振る。
「だとしても、納得は出来ない」
「ああ」
理由があるから、理由が理解出来るから、策謀を許せるという訳ではないだろう。
アージェは木箱から立ち上がると路地の向こうを窺った。
予想通り行方をくらましたログルは捜索対象に入っているようだが、この街に潜入する為、思い切って髪を切り服装を変えた彼に今のところ目を留める者はいない。頭まで覆う灰色のローブは、アージェが時折見かける神学者を参考に選んだものだが、ゆったりとした服は上手く男の体格をも誤魔化しているようだった。自身は普段通りの格好のまま、青年は顎に指をかける。
「俺としては情報は大体得られたからいいや。ログルは―――― 」
「墓地に行ってくる」
それが今回の主な目的である。
貴族ばかりが葬られるという墓所。アージェは見張りがいるかもしれないそこに、用心する必要を感じて頷いた。
「俺が先行して様子見てくるよ」
「……すまない」
見るからに流れ者の傭兵である彼が、貴族墓地に出入りするというのは怪しい光景ではあるが、かえって見張りがいればそれで気付くことが出来るだろう。アージェは簡単に道を確認すると、ログルに先んじて路地を出た。人通りもまばらな裏道を、不自然ではない程度に辺りを見やりながら歩いていく。

アージェが傭兵として仕事を請け負い始めたのは十五歳の時、他の傭兵たちと比べ早くも遅くもない年齢ではあったが、彼はそこからの二年間、ひたすら経験を積むことに専念していった。
初めの頃は休みもせず次から次へ依頼を受け続け、ケグスに自己管理がなってないと叱られたこともある。
後になって思えばそれは一種の逃避だったのであろうが、どのような切っ掛けであれ、受けてきた仕事の経験は、彼にとって無駄にはならなかった。
今では彼個人を指名してくる依頼主も増えてきた中、しかしアージェは基本的に、複数依頼がある場合は雇い主にかかわらず、一番難しい仕事を受けることを常としている。
それは生き抜くことを最低条件とする大半の傭兵からすると、異端に映るのかもしれないが、アージェ自身は一刻も早く実力を身につけるには、それくらいしなければならないと考えていた。

そういった彼の経験からすると、今回の件は厄介ではあるが、まだ何とかなるものであろう。
アージェは頭を動かすことなく、視界全体を意識して周囲の様子を把握した。
貴族墓地は街の東の郊外にある。彼は北側を迂回しながら、墓地の方角へと向かった。
途中通りですれ違う憲兵たちの中には、威嚇するような目で彼を睨んでくる者もいたが、それはアージェが一目で旅の傭兵と分かるからであろう。
彼らは牽制の視線を送るだけで呼び止めるまではしない。それはアージェも分かっていることであった。
彼は何食わぬ顔で北側の入り口から墓地に入る。
真白い石柱が等間隔にならぶそこは、昼であるにもかかわらず薄暗い鬱屈とした空気が漂っていた。
景色だけ見れば静謐とも言えなくない整然さ。しかしアージェの目には、そこかしこに薄黒い靄が漂って見える。
風に揺らぐ黒い影は、無言のうちに捻れた人の情念を示しているかのようだ。アージェは冷めた目でそれら靄を眺めた。
―――― 彼にだけ見える「澱」は、日によって濃くなることもあれば薄らぐこともある。
はじめはそれを、場の空気によるものだとアージェは考えていたが、どうやら彼の精神状態に負うところも大きいらしい。
二年前に別れたきりのコデュはそれについて、「感度が変わる」というようなことを言っていた。
本来ならば世界全ての下層に広がっているという澱。そのほんの上澄みを、青年は眉を顰めて見やる。

広い墓地の中は、墓参りの人間もほとんどいないようだった。
アージェは案内板を見て、名前の並びから大体のあたりをつける。
比較的奥まった場所にあるその墓は、遠目からでもすぐにそれと分かった。
白い花々で作られた花鎖が、六角の石柱に巻き付いている。その花鎖は、まだ葬儀から一月経っていないということの証だ。
アージェはまっすぐその墓に向かうのではなく、円を描くように墓柱の間を行きながら周囲を確かめた。
まばらな人影。その中に一人、若い憲兵の姿が見える。
その男はアージェに気付いたらしく、探るような目で彼を見てきた。
アージェ自身は遅れてそれに気づいたかのような素振りを演じると、あえて自分から憲兵に近づいていく。
青年は不審気に自分を睨む憲兵の前で足を止めると、花鎖がついた石柱を指した。
「あれは誰の墓なんだ?」
「前総督の墓だ」
「ああ、なるほど」
彼が納得の声を上げると、憲兵は問い返した。
「お前は何故こんなところにいる? この街の人間ではないだろう」
「昔の雇い主の墓を参りに来た。亡くなったらしいって人伝に聞いたから」
「傭兵が人の死を悼むのか?」
若い憲兵のそのからかいには、いささかの嘲弄が含まれていたが、アージェは怒ることもなく「おかしいか?」と返した。
男は彼の瞳を見返し、言葉に詰まる。アージェの緑の瞳にその時浮かんだものは、まぎれもない死者への慚愧の念であり、それに気付いた憲兵は一瞬、己を恥じるような表情を浮かべた。
アージェは男を気まずい空気から救うように話題を転じる。
「総督が代替わりしたばかりとは聞いたけど、病没か何か?」
「殺された。犯人は捕まっていない」
「物騒な話だな。警備の人手は足りているのか?」
「足りている。余所者を雇うような余地はない」
―――― なら何故、とはアージェは聞かなかった。
聞かずとも憲兵は、溜まったものを吐き出したそうな顔をしていたのだ。予想通り男は逡巡の後、軽い溜息をつく。
「……最近いくつか事件が続いている。この街に限らず、有力者やその関係者が数人亡くなった。
 しかもいずれも犯人が捕まらない。特定出来た時には皆死んでいる」
「死んでいるって……犯人が?」
それはアージェも初めて知る話だ。目を丸くする青年に、憲兵の男は疲れたような目で返す。
「ああ。おまけにどの事件も、殺された人間自らが犯人を手引きしているらしい。
 だから手の込んだ自殺じゃないかって考える人間も増えていてな……。
 その点前総督は、明らかに『殺されている』。死体は護身用の短剣を抜きかけてたんだ。
 だからこの一件が糸口になるとは思うんだが、上がな」
浮かない表情と共にぼやいた憲兵は、しかしそこで「喋りすぎた」といった顔になった。
進展の見られない事件で疲れていたのか、余計なことまで口にしてしまったのだろう。男は途端に不機嫌そうに地面を蹴ると、踵を返した。何の挨拶もなく去っていく。
しかしアージェの目線はもはや、男の後姿を追ってはいなかった。彼は前総督の墓を横目に首を傾ぐ。
「―――― そういうことか」
おぼろげに分かってきた事実は、だがアージェにとっては瑣末な違いしかもたらさない。
それでもそれは、ログルにとっては意味があるのかもしれないだろう。彼は顔を上げると、遅れて墓地に入ってきた男に軽く頷いて見せたのだった。



墓の前に立つ人の背は、いつも何処かで自分と重なって見える。
アージェはだからログルに最後まで付き合うことなく、先に墓所の外に出ていた。
しばらくののち戻ってきた男は、アージェと並んで歩き出す。傭兵の青年は、フードを被った男の顔を覗きこむような真似はしなかった。ログルはぽつりと呟く。
「やはり現実味はないものだな」
「そうかもね」
身近な人の死を目の前で見たアージェでさえ、彼らの死を現実と思えなかった期間があった。
ましてや記憶を奪われていた間に主人を埋葬されたログルなどは、更に実感が湧かないものだろう。
だがそれも、やがては目を逸らせない現実となる。
単純に自分が生きる日常―――― それがもはや変わってしまったことに、誰もがいつか気付くのだ。
アージェは半歩先で曲がる角を指示しながら、小声でログルに告げる。
「あのさ、あんたの主人を殺したのって、やっぱその客人じゃないか?」
「だから始めからそう説明したじゃないか。石鏡を私に見せて……」
「いや、そうじゃなくて。その男が自分の手で総督を殺したんだろ。
 他の事件は殺された人間も殺した奴も精神操作されてる感じなのに、総督の事件だけ明らかに殺人らしい。
 総督も他と同じように操作すればもっと面倒がなかったはずなのに、おかしいだろ。
 だから多分、その男が総督を殺してしまって――――
 あんたが操作されたのは口封じの為か、別の事件に使われたかなんじゃないか?
 石鏡見た時のこと思い出してみろよ」
ログルからは、「石鏡を見せられた」という話は聞いたが、「その時主人がどうしていたか」は聞いていない。
客人が自分の護衛に怪しげなものを見せている間、総督は黙ってそれを見ていたのだろうか。
アージェは一つの可能性を疑って、ログルを見やった。彼は震える手で自分のこめかみを押さえている。
「石鏡を……見せられた時……」
「ああ」
「あの方は確か……」
頭が痛むのか、ログルはしきりとかぶりを振った。その様子をアージェは振り返って見やる。
彼が異能によって打ち消したのは男の外に張り付いていた澱だけで、内部のことはさすがに分からない。
だがアージェは、人の精神に潜む類の残滓もあるとよく知っていた。それは未だログルのうちにあって、彼の記憶を蝕んでいるのかもしれない。
苦しげな表情の男は、途切れ途切れの言葉を紡ぐ。
「あの方は……私たちの方を見ていなかった」
「何処見てたんだよ」
「……テーブルを」
「テーブル見てた?」
「…………突っ伏して、いて」
崩れ落ちそうなログルの肩を、顰め面のアージェは叩いた。
―――― そこまで聞けばもう充分だ。あとは聞かずとも分かる。
総督を訪ねてきた男は、意見の不一致か何かで咄嗟に相手を殺してしまったのだ。
そしてその場に居合わせたログルを「針」で操作した。
「山へ行く」よう命じてあったのは、彼が山中で目撃されずに死ぬことを狙った為だろう。だがログルは死なずに山を越えてしまった。
そこまでの推論をさらったアージェは、隣の男を見やる。
愕然とした面持ちで立ち尽くす男。その彼にとって「目の前で主人を殺される」方と、「自分が操られて主人を殺した」方、どちらが許しがたいのか、アージェには分からない。
アージェ自身にとっては大した違いはないことなのだ。原因は客人の男で、総督は死に、ログルは復讐の念を抱いている。
だが真実は、ログルにとっては意味のあることだろう。
アージェは男が混乱から覚めるまでの間を待って、口を開いた。
「じゃあ、ケランに行く? それとも憲兵に話してみる?」
後者も一つの手段だろうが、効果があるかは分からない。墓所であった憲兵も、上からの圧力を受けているようだった。
この国自体が今、ケランと共に歩もうとする中、ログルの行いは誰にも味方されぬ暴挙だろう。
男にとって唯一の味方であるアージェは、何の気負いもなくフードを被る男を見つめた。
ログルの震えがぴたりとやむ。
「……私は……ケランに行きたい」
「分かった」

相手が誰であるかは分かっている。秘密裏にやってきた客人は、総督の前ではその名を名乗った。
ケラン王の片腕である男―――― その男を目的として、二人は密やかに街を出立する。
どうやって相手の男にこの一件の贖いをさせるのか、まだはっきりとした手段は見つからない。
だがそれでもアージェは、この仕事をまるでいつか明ける夜のように捉えて、先へ先へと進んでいくのだ。