記されぬ時 100

おかしな少女と行き当たってしまったが、だからといってアージェの予定が変わるわけではない。
彼は振り払おうとも全ては消えない訝しさを抱えながら、町を巡り約束の場所へと向かった。
小さな町の北地区にはほとんど店はなく、比較的上流そうな屋敷が並んでいる。
彼は人目を避けて指定された建物の裏側へと回り、外階段を上った。薄い木の扉を叩くと、向こう側から低い男の声が返ってくる。
「誰だ?」
「レチト侯の紹介で来た。傭兵だ」
「入れ」
開けられた扉の向こうは細い廊下になっている。
アージェはその内側に立っていた男を一瞥した。用心棒らしい男は、逞しい肉体に粗野な格好をしており、その辺のごろつきにも見える。
しかし青年は僅かに目を細め、男から視線を逸らした。差し出される手に、黙って佩いていた長剣を渡す。
そして武器を預けたアージェは、男から指し示されるまま廊下を進み、突き当たりの扉へと向かった。そこでもう一度扉を叩く。
「どうぞ」
聞こえてきた声は、意外にも大人の女の優美なそれだった。
上流階級の女が傭兵を雇うことはないわけではないが、そういった人間が直接交渉の場に現れることは珍しい。
アージェは少しだけ驚きながらも、招きに応じて部屋の中へと入った。
落ち着いた雰囲気に包まれている室内。
調度品の中でももっとも目を引く紅い敷物は床いっぱいに広がっており、黒糸で複雑な模様が刺繍がされている。
青年は何となくその刺繍を踏まないよう注意しつつ、待っていた人間の前へと歩みいった。
黄昏時、窓からは黄色い光が差し込み始めている。
その窓は大きくはあるのだが、室内の空気はどちらかというと閉鎖的なものに感じられた。
それはアージェがこの依頼を「おそらく極秘のものだ」と嗅ぎ取っているからかもしれない。
奥にある二つの椅子。そのうちの一つには若い女が座っており、もう一つには身なりのよい老年の男が座して、穏やかな目でアージェを見ていた。
青年は彼らの前で一礼すると、背筋を伸ばしてかけられる言葉を待つ。
こちらから名を名乗ったり問うたりすることはしない。それをするかしないかは、相手側が決めることだ。
動かない空気の中、はじめに口を開いたのは老いた男の方だった。
「君がそうか。このようなところにまでよく来てくれた」
「いえ」
「少し面倒な事情がある。条件に合致する人間を探していたところ君を紹介された」
「どのような仕事でしょう」
「秘密裏に遺跡の探索をしてもらいたい」
それを聞いた瞬間、アージェは「お断りします」と答えて踵を返したい衝動に駆られた。
勿論表情に出したつもりはないのだが、雰囲気の硬化が分かったのか老人は苦笑する。
「厄介な仕事ということは分かっている。だから遺跡探索の経験がある人間を探したのだ」
「……俺にはそういった仕事を受けた経験はありません」
「そうだろうか」
何もかも見透かしているような反問。アージェは用心する必要を感じて意識を研ぎ澄ませる。

彼が遺跡に入った経験は、三度。
はじめはレアリアと出会った時、彼女に連れられて謎の遺跡に入った。
次にまだ傭兵でなかった頃、ダルトンを探す為にカタリナとイクレムの遺跡に入ったことがある。
最後の一度は傭兵になってから、遺跡を根城としていた野盗の討伐の為に足を踏み入れただけだ。
もし老人が最後の仕事のことを言っているなら、少し情報を集めれば分かることだろう。しかしあの仕事は「探索」と言えるものではなかった。
ならば二度目の時のことを指しているのだろうか。仮にそうだとしたら―――― アージェは内心苦い顔になる。
あの時のことをちゃんと知っているのは、もうケグスしかいないはずだ。
彼以外の人間ではイクレムのフィレウスが疑っていたくらいで、しかしそれも、他国の人間が容易く手に入れられる情報ではないだろう。勿論アージェを紹介した元雇い主も知っているはずがない。
鎌をかけられているのか、考えすぎか、それともイクレムと繋がりがある人間なのか。
アージェは相手の表情をよく観察する。
けれど老いた男はただ柔らかい微笑を浮かべているだけで、その真意を読み取ることは出来なかった。
青年は平坦な声音で確認する。
「何故遺跡の探索を傭兵に?」
「秘密裏に、と言ったろう? 新しく発見された遺跡なのだ。国の調査の手が入る前に中を確認したい」
「……国とはセーロンのことでしょうか」
「ああ。だから他国の人間を探した」
―――― 最初からきな臭くはあったが、思っていたよりもずっと厄介な依頼だ。
いやがおうにも沸き起こる緊張に、アージェは頭の中で情報を整理する。
通常遺跡の類は、新たに発見されれば国の所有物と認定されることが多い。
当然ながら小国などは対応に差があるが、セーロンのように大きな国ならまず間違いないだろう。
おまけにセーロンの今の王家は「継承者の血筋」である。遺跡の種別によっては、王家はその正統な持ち主なのだ。
その彼らの目を盗んで遺跡の調査をするとは、間違いなく盗掘、ひいては国への叛逆と言って差し支えないだろう。
老いた男もそのことに言及しておく必要があると思ったのか、大げさに肩を竦めて見せた。
「件の遺跡は、私が友人より譲り受けたものなのだ。その中には友人が私に贈りたいと言ってくれたものがある。
 私は他のものが欲しいわけではない。ただそれを手にしたいだけなのだ」
「それは何ですか」
「分からない。ただ彼は『私にとって必要なもの』があると言っていた」
男は微苦笑して目を伏せる。その瞼には、彼が歩んできた年月にふさわしい憂いが乗っているようだった。
アージェは室内の空気から逃れ、改めてこの依頼について吟味したい欲求に駆られる。
ふと顔を上げ男の隣を見ると、若い女が嫣然とした微笑みを傾けてきた。
黒い瞳が蠱惑的な女。肉感的な体を高い襟の服で押さえ込んでいる彼女を、アージェははじめ隣の男の娘かと思ったが、二人の顔立ちはあまり似ていない。彼は女から視線を外すと、再び老年の男を見返した。男はもっともらしく頷く。
「勿論他にも何人かに声をかけている。研究者も付き添う予定だ。探索に不都合はさせない。危険を冒すに足るだけの報酬も用意しよう。
 四日後には城から調査隊が来る予定なのだ。―――― どうだね。引き受けてくれるかね?」
僅かながら焦りの窺える声。それは城の調査が迫っているということに起因しているのかもしれない。
アージェは数秒の間考え、そして返答した。
「少し考えさせてください。明日にはお返事しますし、それが遅いというなら他の人間を雇ってくださって構いません」
「そうか」
この場で受けるには、一筋縄ではいかなそうな仕事である。
アージェが保留の意を示すと、だが男はそれを咎めるわけでもなく微笑んだ。
「いい返事を待っているよ」
常套句でもある言葉の中に、男の真意があるのかは読み取ることが出来ない。
不透明な思惑が沈殿しているような部屋。その空間を辞すアージェの目に映ったものは、棘を隠す花弁に似た女の艶やかな唇だった。



「さて、どうするかな」
交渉の場を後にした後、町外れの空き地に辿りついたアージェは、木陰に座り込みながら空を仰いだ。
落ちていく日によって紅く染まっている空。帯状の雲が明るく輝きながら東の方へと流れていく。
木の枝の作る影が、そのまま夜へと繋がっていく時間。彼は頭の後ろで両腕組むと、木の幹に寄りかかった。
―――― どうにも厄介さが拭えない依頼ではある。
だが依頼主の言うことが本当であるならば、アージェほど適任な人間もいないだろう。
彼は「継承者」で、他の人間が開くことの出来ない扉も開くことが出来る。
一方城の調査が入った後ではそれも意味がないのだ。調査隊に同行してくるかどうかはともかく、セーロンの城には正統なる継承者がいる。アージェはアリスティドのことを思い出し、顔を顰めた。
「まさか会ったりしないよな……」
もしそのような可能性があるならば、即依頼を断ってきたいくらいである。
アージェはささくれかけた思考を引き戻すと、再び本題について考え始めた。
―――― あの老人の言うことが全て嘘だという可能性もなくはない。
だがもしそうだとしたら何が目的であるのか。アージェが遺跡に入ったことがあるという情報は何処から得たのか。
彼の思考はやはりそこで行き詰った。目を閉じて、情報源となりうる人間を挙げてみる。
「二年前のことだとしたら、イクレムの人間は多分何人か知ってるだろうな……確証はないはずだけど。
 その中の誰かから聞いたか? っつっても、それが俺だって分かるんだろうか」
やはり二年前のことではなく、傭兵となってからの仕事のことを指していたのだろうか。
答の出ない疑問に、アージェは目を開けると頬杖をつく。

堂々巡りをせざるを得ない思考。
その中において、けれどレアリアのことだけは脇に置かれている。
勿論全ての可能性を挙げるのならば、青い花を取りに行った時のことを、彼女の口から聞いた人間がいるかもしれないと疑わなければならない。
だがアージェははっきりとした理由もなく、「彼女はあの時のことを誰にも言っていない」と確信していた。
無意識のうちに空白となった場所。そこに残る女の存在は、彼の多くの思考から除外される。
青年はその後もしばらく考え込んでいたが、日が完全に沈んでしまうと溜息と共に腰を上げた。






「イリデア嬢、彼は乗ってくるでしょうか」
「さぁ? 私は言われた通りにしているだけだから」
広い食卓の上に並べられた皿の数々。豪勢なそれらを挟んで老人と女は向かい合っている。
先程までとは違い胸元の大きくあいた服に着替えている彼女は、目の前に置かれた肉料理の皿を奥へと押しやり、代わりに果実酒を手に取った。薄いグラス越しに落ちる青い光が、彼女の胸上にある蜘蛛の刺青を彩る。
女は紫に塗った唇を嫣然と微笑ませた。
「どう転んでも私には関係がないわ。お父様は色々考えているようだけれど。
 取り込むか、排除するか、それともケレスメンティアに売りつけてやるか―――― 」
全てはその為の品定めだと、イリデアは言葉にはせずグラスに口をつける。
彼女が命じられたことは、異端児である女皇の、更に異端児である騎士の力や性格を吟味することで、それ以上では決してない。
無論彼女の父親は多少の戯れは許してくれるだろうが、イリデアはそこまで手をかけてみる気はなかった。
彼女は酒のグラスをテーブルに戻す。
―――― ただそれでも、もし自身の影であるはずの騎士を他国の王女に奪われたなら、あの女皇は激昂するのだろうか。
ふと脳裏をよぎった疑問。好奇心の棘はイリデアの中に根付き、彼女に陰惨な笑みを浮かべさせたのだった。