記されぬ時 101

朝になって昨日の建物を訪れたアージェは、そこにいた見張りの男に依頼を引き受ける旨、伝言を頼んだ。
散々怪しいと迷いながらそれでも彼が依頼を受けた理由―――― そこにはいわば、消極的な義務感が関わっている。
つまり、依頼主の言うことが本当であればそれでよし。そうでなくても、もし神具などが真の目的であるなら、自分がどさくさに紛れてそれを壊してしまおうと、彼は考えたのだ。
アージェにとって遺跡を秘密裏に探索する目的といえば、秘されている強力な武具・魔法具の奪取くらいしか思いつかない。
彼は自分が利用されている可能性をも考え、そうであった場合は神具を依頼主にも、そしてセーロンにも渡さぬようにと立ち回るつもりでいた。
―――― ただそれだけが目的なのかと言ったら、彼には別のささやかな願いもあったのだが。

仕事が始まる前からの探りあい。
その一環であるアージェの伝言は無事届いたらしく、昼過ぎには彼の滞在する宿屋に返信の書簡がもたらされる。
中には報酬の金額と夕方に昨日の建物へと集合すること、そしてそこから目的地である遺跡に転移する手筈であることが書かれていた。
彼は手早く装備を整えると、念の為書簡を出してから時間ちょうどにつくようにと集合場所へ向かう。
そこには同じく雇われたらしい数人の人間が、既に集まって転移門の開かれる時を待っていた。
剣士らしい男が三人。そして魔法士の若い女が一人。他に短剣だけを佩いている男がいるのは、話に聞いていた研究者だろうか。
昨日とは違う家具のない部屋に通されたアージェは、軽く手を挙げ「傭兵だ」とだけ自己紹介すると壁際に下がった。
剣士たちはまだ若い彼を吟味するような視線を送ってくる。ただ魔法士の女はアージェを一瞥しただけで、すぐに顔を背けてしまった。
壁に寄りかかる青年に、近くにいた研究者らしき男が話しかけてくる。
「初めまして。お名前伺ってもいいですか? あ、僕、ユーレン・バリエって言いまして。ご覧のとおり学者してます」
「……はじめまして」
どこかのったりとした口調にもかかわらず、口を挟む隙が見当たらない。
アージェは特に理由なく偽名を名乗りたい誘惑に駆られたが、結局は普通に応対した。
「俺はアージェ。家名なし」
「よろしくお願いします! お若いですね。どこの国の出身なんですか?」
「…………」
自分の二倍ほどは生きていそうな男に「若い」と言われるのはもっともであるが、変な腰の低さと押しの強さでどうにも対応しづらい。
アージェは何となくカタリナのことを思い出し、「学者という人種は皆どこかずれているのだろうか」と疑いかけたが、たった二人でそう判断するのは早急すぎるだろう。適当に受け流す心の準備をした時、けれど奥の扉が開いて依頼主の老人が現れる。
老いた男は部屋に集まっている一同を見回すと、満足げに微笑んだ。
「君たちが面倒な頼みを聞いてくれたことに、まずは感謝しよう」
穏やかな微笑みには裏の意思は見て取れない。アージェは慎重にその場の全員を観察しながら、依頼主に視線を合わせていた。老人は掌で、部屋の中央付近にいる魔法士の女を指差す。
「遺跡までの移動は彼女の魔法で行ってもらう。帰りも基本的にはその予定だが……こちらは状況次第だ」
それは、遺跡の中で何が起こるか分からないという可能性を暗に示すものであろう。
アージェはその点は覚悟していた為、何の反応もしなかった。剣士らしき男たちのうち、二人が顔を見合わせる。
しかし声を上げてまで反論をする者はいない。依頼主の男はもっともらしく頷くと、立っている場所から一歩横に退いて、後ろを見やった。そこから、昨日男の隣にいた女が現れる。
彼女は昨日とは違い、ドレスではなく綿布の軽装を身に纏っていた。亜麻色の長い髪は一つに束ねて前に流され、ゆったりとした緑の外衣のあちこちは、邪魔にならぬよう紐で止められている。細い足を覆う下履きは足首のところできつく絞られており、靴にかからぬよう若干たくしあげられていた。
素朴ではあるが、その分女性らしい柔らかさを感じさせる出で立ち。上流階級の人間にしては愛らしい格好は、男の庇護欲をよくそそるものであるらしい。先程顔を見合わせた男二人は、美しい女に微笑まれ僅かに口元を緩めた。
一方アージェは苦い顔になる。
「待った。その人まさかついてくるつもりか?」
「不味いかね? 彼女の父が、今回遺跡を譲ってくれた友人なのだ。
 彼女は父の遺産が何であるか、是非自分の目で確認したいと言っている」
「足手まといだ。見届け人ならちゃんと戦闘経験のある人間を入れてくれ」
にべもない拒絶に女は驚き、男二人はアージェをきつく睨んだ。
しかしそれでも彼は退こうとしない。媚態一歩手前の女の視線に冷然と返す。
「ただでさえ何があるか分からない仕事なんだ。素人を守ってちゃ対処出来ないこともある」
「私、ご迷惑はおかけしませんわ」
「心がけの問題じゃないんだよ。自殺したいってわけじゃないだろ? 町で待ってた方が絶対いい」
「ですが……」
「まぁまぁ」
荒れかけた空気。男二人も加わろうとしていた一触即発の状態を留めたのは、アージェの隣にいたユーレンだった。
雇われた人間の中では最年長であろう彼は、女とアージェの間に割って入りながら、邪気のない笑顔を振りまく。
「彼の言うことはもっともです。遺跡の中では何があるか分からない。
 ですがお嬢さん、あなたにはその覚悟がおありなんでしょう?」
「ええ」
「ならばあなたは、あなたご自身の護衛をお願いすればいい」
「私の護衛を?」
「遺跡探索の仕事とは別に、です」
笑顔で一同を見回す男に、他の者たちは思わず気を抜かれた表情になった。
女は我に返ると困惑顔で室内を見回す。
「ですがそんな急には……」
「俺たちがやるさ」
意気高く手を挙げた男二人に、女はほっと安堵の息をついた。紅い唇をほころばせて「お礼は後で必ず」と約束する。
彼女はそのままアージェをも見たが、青年はそっけなく首を横に振った。
「俺はやらない。責任取れない」
「そうですか……」
「二人いれば充分だ。心配ないさ」
護衛を軽く請け負った男たちは、アージェを牽制するように睨んだが、肝心の青年は視線を外すと溜息をついただけだった。その彼にユーレンは苦笑して囁く。
「そう邪険にしないでやってください。あなたにも実戦に出始めたばかりの頃があるのでしょう?」
「…………」
―――― そこを突かれると言い返しにくい。
アージェは自分がろくに戦い方も知らなかった頃、大人たちに散々面倒をかけたことを思い出し口を噤んだ。
室内に広がる曖昧な間。今まで黙っていた依頼主が口を開く。
「さて、じゃあ話も纏まったようだ。早速で悪いが、現地に向かってもらおう」
終始無言でいた魔法士の女は、今までのやり取りに辟易していたのか、早々に詠唱を始めた。
アージェもまた転移門に入る為に部屋の中央に寄る。その横顔を、イリデアは顔を傾けてじっと見つめていた。



転移門によって運ばれた先は、ごつごつとした岩肌に囲まれた暗い空間であった。
どうやら洞窟か何かの中であるらしい。魔法の光で照らされた空間をアージェは見回す。
天井は彼の背丈の二倍ほどの高さはありそうだ。だがそれは自然の岩肌のままで、四方の壁や地面にも人の手が加わっているようには見えない。
ただ七人が余裕を持って立てるほどの空間の奥には、まるで場違いなほどに滑らかに削り出された扉が一つ嵌り込んでいた。
両開きの扉。何の彫刻も施されていないそれを、アージェはまじまじと眺める。
「これか」
「そのようですね」
隣に立ったユーレンは、感心しているのかしきりに頷いた。早速扉を調べようとする彼を放置して、アージェは他の人間の様子を確認する。
既に転移門を閉じ腕組みをしている魔法士をはじめ、それぞれ準備は整っているらしい。
アージェは客人としてついてきた女もまた、困ったように微笑んだのを見ると、改めて扉へと向かった。しゃがみこんでいるユーレンの隣に立ち、皹一つ入っていないそれを奥へと押す。
隙間から流れ出してくるひんやりとした空気。封じられた時代を思わせるその匂いは、彼に過ぎ去った時の記憶を思い起こさせた。
アージェは深い溜息をつきたい気分に襲われ、開いた扉の前に立ち尽くす。
その時彼の肩越しに魔法の明かりが灯り、緩く弧を描く通路の奥を照らした。振り返ると魔法士の女が彼を見上げている。
「行かないの?」
「ごめん。行く」
感傷に浸っていられる時間は、そう多くはない。いつも人は歩き続けることを望まれている。
アージェはあっさりと割り切ると、長剣に手をかけて先頭を歩き出した。そのすぐ後ろに魔法士の女とユーレンが続く。
どれくらいの広さがあるのかも分からぬ遺跡。少しずつ左へと曲がっている道は、その先に何があるのかも分からない。
ただ彼はその道を黙々と進みながら―――― かつて遺跡の中であるものを探していた二人を思い出していたのだった。



「これで全部ですか」
前後に伸びる通路を見回し、ユーレンはそう言った。
その結論にはアージェも同感で、彼は後ろをついて来る一行を振り返る。
壁の隠し通路をくぐってきた最後尾の男が、更に後ろを確認してかぶりを振った。
「ここは……入り口か」
「みたいだ」
一同は扉の前に寄り集まると顔を見合わせる。
緩く弧を描いていた通路。それは弧だけではなく円状になっていたらしい。
ぐるりと道を回ってきた結果、最後に隠し通路を経て入り口に戻ってきた彼らは、ユーレンが描いていた地図を輪になって見下ろした。
「途中の部屋は四つか。次はここをもっと重点的に調べてみるか」
「罠の類は今のところなさそうだが、他に隠し通路があったら分からないな」
相談する二人の剣士をはじめ、アージェは地図を覗き込む彼らを一人一人観察する。
ここまでの探索で常に先頭を務めてきた青年は、軽く息をついて通路の奥を見やった。
「じゃ、その部屋は俺が見てくる。ここで待ってて」
「は? どういうつもりだ?」
「その人休ませてやれってこと。歩き慣れてないんじゃないか? 足痛いんだろ?」
アージェにそう言われ、頼りなげな女は言葉に詰まった。おそらく気付かれていないと思っていたのだろう。彼女は自分の腿に手を添える。
「私、平気ですから」
「それ以上歩いたら平気じゃなくなる。すぐ戻ってくるから、護衛とそこにいろよ」
そう言ってさっさと歩き出したアージェの後に、当然のように魔法士の女が続いた。ユーレンが慌てて「私も行きます!」と駆け出す。
二人の随行の方は止めずに、青年は改めて残る人間たちを振り返った。三人いる剣士のうち、彼女の護衛を買って出ていない、終始無言の一人を見やる。
「じゃ、何かあったら先に脱出してて構わないから」
男はそれには答えない。ただその隣では取り残された女が、暗闇に沈むような目をしてアージェを注視していた。