記されぬ時 102

窓などあるはずもない遺跡の通路はしかし、何処かで外と繋がっているのか、精神的なもの以外には息苦しさを感じなかった。
継ぎ目の一つもない石床。壁も同様に滑らかに削られており、まるで一つの巨大な岩の内部をくりぬいたかのようだ。
アージェは緩く弧を描く通路を、途中四つあった小部屋に向かって進んでいく。軽い口調で魔法士の女に尋ねた。
「で、ここ何処にあるんだ?」
「知らないわよ」
「転移門開いたってことは転移座標知ってるんだろ? 馬か何かで座標取りに行ったんじゃないか?」
返ってきた言葉にいささか驚いてアージェが聞き返すと、彼女は嫌な顔になった。
「本当に知らないの。私だって依頼主から座標だけ教えられたんだから」
「……そりゃ随分慎重なことだな」
それでは本当にこの遺跡が何処に存在するのか分からない。
予想以上のきな臭さに、アージェは腕組みをしたくなった。同じようなことを考えているのであろう隣を行く女を見やる。
「それにしても……相変わらずおかしな仕事受けてるんだな」
「君に言われたくないよ。お互い様でしょ」
栗色の髪を二つに分けた女―――― リィアはそう言って、二年ぶりに再会した青年へ呆れたような視線を送ったのだった。



まったくの初対面のように見えていた二人が実は旧知の間柄であったことに、ユーレンは驚いたようだったが、それも無理のないことであろう。
アージェは部屋に入ってすぐ彼女に気づいたが、彼女の方が知らぬ振りをしてきたのでそれに合わせたのだ。
二年前のログロキアの件に関わった二人。その彼らが共に雇われているのは偶然か否か、すぐには判断がつかない。
もしこれも計算のうちだとしたら、相当厄介な状況である。用心するに越したことはないだろう。
―――― だがアージェの懸念を聞いたリィアは、「偶然でしょ」とあっさりその可能性を否定した。
「私、偽名使ってるもん。前歴だって誤魔化してるし。まず特定されてないよ」
「そうなのか」
「うん。だから君も本名で呼ばないでよ。リリドって名乗ってるから」
「どうせならもっとまったく違う名前にしてくれよ。間違えそう」
ぼやきながらもアージェはそれについては安心する。彼はまだ事態に追いついていないユーレンを振り返った。
「あんたはどういう伝手で雇われたんだ?」
あくまでも経験から来るアージェの勘ではあるが、ここまで行動を共にしての見立てでは、ユーレンは裏のないただの研究者である。
だからこそリィアと知人であることも明かしたのだが、そのような人間がどういう経路で今回の仕事に関係する事になったのかまでは分からない。一応確認しておこうとするアージェに、中年の男はにこにこと笑って答えた。
「他の研究者から紹介されたのです。ちょうど自身の研究の為に費用が必要でして」
「研究? やっぱり考古学者?」
「いえ、専門は宗教学です。主神ディテルとその周辺について研究しています」
「なるほど」
学問の細かい区分はアージェには分からないが、カタリナの専門とは近くはあっても同じではないのだろう。本来は実地調査が専門ではなく、調査結果をもとに考察する研究者なのかもしれない。
感心する青年をよそに、リィアが話題を変える。
「それよりさ、残りの四人、一緒に置いてきてよかったの?」
「うん?」
「あの男たち。彼女に悪さしそうじゃない」
「ああ」
飛び入りでついてきた女への下心を隠そうともしなかった二人。彼らへの侮蔑も顕にリィアはその危険性を指摘したが、アージェは「多分平気だろ」とあっさり返した。
「もう一人剣士がいただろ? ずっと喋らなかった奴」
「いたね」
「あいつ、きっと騎士だ。残りの二人よりずっと強い。
 本当は最初から、あいつが彼女の護衛として入れられてるんじゃないかな」
「え!?」
「それ本当?」
「本当本当。騎士は雰囲気や歩き方で分かる」
アージェは軽く肩を竦めると、手袋をはめた指で天井を指さす。
「昨日、別のごろつきっぽい男が入り口で見張ってたの見たか? あいつも多分騎士だ。服装でごまかそうとしてたけどな」
はじめにそれに気付いたからこそ、アージェは今回の依頼には神具の奪取などの目的が隠されているのではと疑ったのだが、そこまで分からなかったらしい二人は表情を強張らせた。リィアが嫌そうな顔で彼を見上げてくる。
「……なんかこの依頼、おかしくない?」
「そう思ったから別行動にしたんだよ」
歩き慣れない女が足を痛めかけていたのは本当だが、もしそれだけであれば遺跡の入り口に置いてきたかどうかは分からない。むしろアージェは、自分が「きちんと遺跡を探索するところ」を彼女たちに見られたくないという思いがあった。
彼は手袋を嵌めた左手を握って開いてみる。その仕草に気付いたリィアが、感情を感じさせない声で問うた。
「君はさ……傭兵になったんだ?」
「うん」
「ずっとそうしてるの?」
肝心のところをぼかしたままの確認は、傍にいるユーレンを慮ってのものだろう。
リィアは、女皇に望まれながら野に居続ける青年を、透徹した目で見やった。
―――― いつまでそうしているつもりなのか、そうしていられるのか。
彼自身確信出来ぬ未来に、アージェは首を傾ける。
「さぁ? 俺はずっとこうしてるつもりだけどな」
「そう」
興味のないような相槌。リィアは視線を外し前を向く。
話はそこで途切れた。



たとえばどのような道筋を辿っていたなら、レアリアの傍で彼女を支えるようになっていたのか。
アージェはケランで彼女に再会してから、そんなことをふと考える時があった。
もっと早く、初めて出会った時にでも真実を打ち明けられていたらどうだろうか。
―――― いや、それでもきっと駄目だったろう。
あの頃の彼は特に、自身の異能を肯定的に見ることが出来なかった。ましてやその力が必要だなどといわれていたら憤っていたに違いない。
そしてそれは、レアリアと友人になってからも変わらなかったのだ。

いつ言われても、どのように言われても、きっと駄目だった。
彼女を支える道筋は最初から何処にもなかった―――― アージェはそう思う。
そもそも神にもっとも近いはずの彼女が、何故下層階に属する「澱」の異能者を傍に置こうとするのか。
彼にはそこからして理解出来ない。ましてや自分が神を崇めることなどない。
だから彼女も、もう自分を待つことをやめればいいのだ。
そうすれば哀しそうな顔をする必要もなくなる。



つい自分の考えに没入していたアージェは、ユーレンに「やぁ、最初の部屋が見えてきましたね」と言われ、我に返る。
円状の通路を持つ遺跡には、最初に一巡したところ、四つの小部屋が見つかっていた。
円の内側、等間隔にあったその小部屋は、先程見た時にはどれもそれ以上先がないようだったのだ。
だがアージェはそれぞれの部屋の奥の壁に、別の遺跡で見たのと同じ壁画があったことを覚えていた。
その壁画が気になっていたのはユーレンも同じであるのか、彼は最初の扉に辿りつくなり明かりも待たず奥の壁へと向かう。
リィアは男の行動に目を丸くしながら、部屋の中の燭台に魔法で明かりを灯した。
白い光に浮かび上がってくる壁画と室内。石造りのテーブルと椅子があるだけのそこを、アージェは改めて見回す。
まず抱く印象は、「何もない」というものだ。装飾品も武具も生活用品も何もない。がらんとした小部屋。
アージェは一応何か変わったものがないか、もう一度確認すると、ユーレンの後を追って壁画へと向かった。
黄色がかった白い壁に彫りだされている一場面。そこには前に見たものと同じく、中央の壇上に顔の見えない男が立っていた。
そしてその前には別の男が跪いている。短弓を手に頭を垂れている男は、イクレムの壁画に描かれていた王とは別人のようだった。
おそらく向こうはディスヴィウェルドで、こちらはセーロン王家の祖なのであろう。
アージェは男の装備をよく確認しながら呟いた。
「主神ディテルか……」
「おや、ご存じなのですか」
傭兵をやっているような若者が壁画の意味を知っていたことに、ユーレンは驚いたらしい。アージェは壁を見上げたまま頷いた。
「昔、学府で考古学を学んでいた人が教えてくれた」
「それは凄い。何という方ですか?」
今なは亡き人間についての問い。
アージェは少し迷ったが、結局は彼女の名を口にした。
「カタリナ。一時期読み書きを教わってた」
「ひょっとしてログロキア学府の方ですか?」
「……知ってるの?」
青年が驚いて男を見返すと、彼は力強く首肯した。
「論文を拝読したことがあります。あの解釈は実に興味深かった! 今は彼女、何を研究なさっているのですか?」
目を輝かせるユーレンを、アージェはじっと見つめる。
―――― まさかカタリナを知る人間と出会うとは思わなかった。
彼の知る彼女はほんの一側面で、そしてそれ以外はまるで彼女自身からも切り離されているような気がしていたのだ。
そのせいか「自分の知らない彼女の知り合い」など、まるで想定もしていなかった青年は、しかし現実を思い出すと目を伏せる。出来るだけ平坦な声音で男に返した。
「死んだよ。二年前に」
それを聞いたユーレンは、両目を大きく見開く。
多くの喪失に研磨されてきたのであろう寂寥。男の抱える感情が、それでも哀惜を湛えてまたたいた。彼は目を閉じるとゆっくり頭を下げる。
「それは……残念です。彼女は素晴らしい研究者でした」
「うん」
アージェは自分も目を閉じるとカタリナの顔を思い出した。
記憶の中少しずつ薄らいでいく彼女の貌。それは温かさに満ちた、鮮やかな笑顔であった。






「殿下、お待ちになってください!」
草のない乾いた地面。地表から見ればかなりの高さになるそこは、切り立った崖に周囲を囲まれた台地である。
もとは高山であったものが長い間風雨によって削られ、作業台のように平らな上部を持つに至った土地。
古くから「巨人の仕事場」と呼ばれるその場所には、人の背丈の十倍以上もある巨石がいくつも重なり転がっていた。
数百個に及ぶそれら巨石によって、まるで迷路のように入り組んだ様相を呈している一帯は、セーロンの西部に位置しているが、普段人が立ち入ることはない。
それはこの土地が、魔法でも使わねば入ることの出来ぬ高地だということも理由の一つだが、主には古くから「神が降りた地」として神聖視されている為であるだろう。
かつて他国からの侵略を受け、この地に追いやられた騎馬民たちは、ここで王を立て国を作った。
そのような建国の由来もある土地を今、数騎の騎馬たちが駆けていく。
先頭を行く男は、白く光り始めた月を見上げて快活な笑声を上げた。
「見ろ、エル! 月が綺麗だぞ!」
「お待ちになって下さいと申し上げているのです! 調査が予定されているのは四日後です!」
「早いに越したことはないだろう。もうすぐ着きそうだぞ、案外近かった!」
「殿下!」
護衛の女の悲鳴じみた制止も聞かず、男は夜目にも目立つ白い馬を走らせていく。
やがて見えてくる巨石で出来た山。
その先にどのような邂逅が待っているのか―――― この時はまだ、誰の知る由もない。