記されぬ時 107

「友人から譲られたものを探して欲しい」という当初の依頼内容を、アージェは決して忘れていたわけではない。
だが、傭兵の対極に位置する体制側の人間たち―――― つまりは騎士がこの件に関わっていると分かった時、彼の中でその目的は極めて疑わしいものとなった。
騎士を複数使えるような人間が依頼主であるのなら、譲られたものなどはなから騎士を使って探せばいい。
それをせずに流れの人間を集めたのは、死んでも惜しくない人間を向かわせる為か、または「継承者」であるアージェに不審を抱かせず依頼を受けさせる為であろう。
そう推測した青年は、この仕事の真の目的を「神具、もしくはそれに類するものの奪取」と踏んだ。
その上で彼は、遺跡の最奥であるらしき扉の前に立ち、同行者の二人に言い含める。
「もし俺があんまりにも戻ってこなかったら、二人は構わずここから転移門で町に戻るんだ」
「ちょ、ちょっと待ってよ。何それ」
「それはあなたの生存を諦めろということですか!?」
まくしたてる二人をアージェは両手で留める。
どうにも先程から頻繁に詰め寄られている気がするが、その分話は進んでいると思いたい。彼はいささかの疲労感を見せて返した。
「だから、もし神具の部屋だったら、閉じこめられて試練を受けるって言っただろ?
 それは継承者だけじゃなくて居合わせている人間もみんなそうなんだ。
 神具の存在を知った者は、試練を突破出来なければ死ぬしかない。
 ―――― おまけに敵は、普通の剣が効かなかったりするんだ」
最後に付け足された話を聞いて、リィアの表情に緊張がよぎる。多くの危地を経験した彼女にはその異様さが分かるのだろう。アージェは彼女に頷いて見せた。
「だからさ、ちょっとここで待ってて」
「私は行きます!」
「おーい……」
今までの話を聞いていなかったのかと、アージェは頭痛を感じながらユーレンを見下ろす。けれど男はまったく怯むことなくその視線を受け止めた。
強い意志を明らかにする双眸。アージェはその目に押されて息を飲む。ユーレンは意外にも落ち着いた声音で続けた。
「行きます。行かせてください。危険は承知の上です」
「……死ぬ可能性があるんだ」
「それでも! 私は本当のことが知りたい」
男の声は、石造りの遺跡に跳ね返って響いた。
真摯な、そして賢明な願い。
アージェはその望みに、まるで御伽噺のような或るものの存在を思い出す。
―――― 全ての真実を封じ込めた「真実の扉」。
ダルトンが探していたそれは、アージェが知らないだけで案外手の届くところにあるのかもしれない。
青年は彼の珍しかった苦笑を思い出した。
平坦ではない道を歩いてきた男が、過去を思い起こす瞳。あの頃の少年には、その遠さがよく分からずにいたのだ。

この依頼を受けた目的は、一つにはもし本当に神具があるのならそれを壊そうと思ったからだ。
だが誰にも言わないもう一つは―――― 彼は、喪われた二人の願いと思い出を追いかけていたのかもしれない。
青年は目を閉じて、束の間に多くの記憶を思い起こす。
過去はいつから本当にただの過去となるのだろう。
少なくとも今のアージェにとって全ての過去はまだ、自身に連続しているものでしかない。
遠くなることはあっても、時を繋ぐ糸が切れてしまうことはない。彼はふっと微笑った。
「俺さ、こんな仕事してるけど本当言うならさ、もう身近な人間に死んで欲しくないんだ。
 図々しい言い草だって分かってるんだけど」
「アージェ」
「うん。リィアにも死んで欲しくないし、勿論ユーレン、あんたもそうだ。
 都合のいいことをって謗られるだろうけど…………それでも俺はそう願ってる」
青年の言葉は、重くもなく軽くもなく二人の中へと染み入った。
この大陸である程度年を重ねている者ならば、そして諸国を巡る生き方をしているのなら、それは何ら特別なところのない当たり前の感情だろう。
まだ十七歳でありながら、戦場経験がある者の多くがそうであるように、アージェは大人の苦みを帯びて微笑む。
その顔をじっと見上げていたリィアは、だが何の感情もない言葉を発した。
「私も行くよ」
「―― は!? 何だよ急に」
「だって私、魔法士だし。治癒も使えるし、防護だって出来る。それなら攻撃効かなくても役に立つでしょ?
 君の援護だって出来るし、私がユーレンを守るよ」
「い、いいんですか! よろしくお願いします!」
申し訳なさそうながらも喜色を浮かべるユーレンと頷くリィアに、青年は呆気に取られて言葉を失くす。
―――― いつもいつも色んなことが思い通りにならないような、そんな気がしてならない。
それはだが、きっとお互い様であるのだろう。リィアは少し眉を上げて彼を見つめた。
「だから君は、もっと生きようと思いなよ」
彼女はそう言ってアージェの腕を軽く叩く。
いつかと同じ仕草。そこには何のてらいもない「君ならできるよ」という無言の言葉がこもっているようだった。
アージェは虚を突かれた気分を味わい、彼女を見返す。
「……そういう風に見える?」
「見えるよ。いいから気合入れてよね。私まだ死にたくないし」
「だから外で待ってる方がいいって」
「死にたくないけど、ここで引き返すのも癪だから。さっさと調べて帰ろ。高く売れそうなものがないか探してから」
リィアは青年を押しのけて扉の前に立つ。
そうして彼を振り返った女は確かに、もういつかの少女ではなかった。
アージェは過去から繋がる糸の、更に見えぬ先を思う。彼は頷くと黙って左手を扉に触れさせた。
音もなく奥へと開いていく扉。もしかしたらこれは、過去を辿るひとときであったのかもしれない。
ならばその結末はどのようなものになるのか。彼は改めて顔を上げ、扉の奥を見据える。
隣に立つリィアが彼にしか聞こえぬ声で囁いた。
「私さ、お金貯めて地図にない村作りたいんだよね」
「地図にない村?」
「そそ。何処の国にも何も強制されない隠れた村。
 そういう村があったらさ、どれだけ外がうるさくても、落ち着いて暮らせるじゃない?」
「ああ……そうかも」
完全に世間から隠れているとまではいかずとも、それに近い環境で育ったアージェには彼女の理想が分かる気がした。
穏やかに伸びやかに、明日を当然のものとして暮らしていける場所。それが、彼女の欲しいものであるのだろう。
リィアは悪戯っぽく笑うと片目を閉じてみせた。
「昔の仲間と約束して、その為にみんなお金稼いでるんだけどさ。九人いたのに今生き残ってるの三人だけ。
 で、もしみんな死んじゃって、誰かが最後の一人になっちゃったら、その時はね」
彼女は綺麗な笑顔で目を閉じる。その横顔をアージェは何とはなしに見つめた。
「その一人がみんなのお金使っていいから、この大陸を出て西の大陸に行くって決めてるんだ」
「西の大陸?」
「そう。あっちはもっと魔法士が色んな生き方選べて、好きに暮らせてるらしいよ」
細い声に重なって、扉が開ききる音が聞こえる。
アージェは前を向き直した。白く広い部屋の奥へと視線を巡らす。
そこにある二つの扉には見覚えがあった。草花の彫られた扉は転移陣の部屋。
そしてもう一つは――――
「あれだ」
三本の矢が彫り込まれた神具の部屋。
青年は真っ直ぐにそこへと向かいながら、リィアの願いを反芻する。
この大陸を渡る多くの人間が抱いているのであろう夢のような希望。それに類するものを、自分ははたして持っているのだろうかと。






「まったく言うことを聞かぬ女だ」
イリデアが女皇の騎士と共に遺跡に入ったと、報告を受けたシャーヒルは豪快に笑い飛ばした。恐縮する魔法士の前で、執務机に肘をついて喉を鳴らす。
今年四十七歳になる彼には、それぞれ母親の違う三人の娘がいるのだが、その中でもイリデアはもっとも彼の野心家の側面を濃く受け継いだ娘である。父親の手管を間近で見て育ったせいか、頭は切れるが、欲も深い。
まだ若いせいか性別のせいか、彼自身に比べて感情的で引き際が遅いところはあるが、それはいたしかたないところだろう。自分の容姿を自覚し、それを道具として使う彼女にとって、女皇の騎士になるはずの青年は無視出来ぬ獲物に見えたに違いない。
シャーヒルはだが、そのような愚かさを持ち合わせている娘をまたひどく可愛がっていた。
コダリスの王である男は笑声を上げながら、目の前の書類を何枚か捲る。
「ケランが小国を集めて何やら蠕動しているか。あの若造に何が出来るか見物だ」
「今のうちに対処いたしましょうか」
「放っておけ。ちょうどセーロンにぶつける駒が欲しかったところだ。……ああ」
逸れかけた話題に、だがシャーヒルは娘のことを重ねて思い出した。新たな情報とあわせて魔法士に確認を取る。
「それで、その遺跡にアリスティドが向かったというのか」
「おそらくは。到着も時間の問題でございましょう」
「やれやれ。子供は身軽でよいものだな」
肩を竦めるシャーヒルは、同じ遺跡に自分の娘と、女皇の騎士と、継承者である王子と、若い人間ばかりが集まってしまったことを楽しんでいるようだった。彼は肉食獣そっくりに目を細めて指を鳴らす。
「イリデアは余計なことと臍を曲げるであろうが、もののついでだ。
 あれを迎えに行って、アリスティドを殺して来い。目撃者の残らぬようにな」
さらりと命じた内容は物騒極まるものであったが、魔法士は何の異論もなくそれを受命した。シャーヒルに動員する人員の確認と許可を取る。そうして彼は、もう一つの懸案事項についても主君に伺いを立てた。
「女皇の騎士については如何致しましょう」
目撃者の残らぬように、というのなら場合によっては彼も殺してしまえばいいのか。問う臣下に王は笑った。
シャーヒルは固い皮に包まれた手をひらひらと振ってみせる。
「イリデアに決めさせる。娘に聞け」

セーロンにて発見された遺跡の情報をいち早く手に入れ、一人の青年を見定める為に利用したシャーヒルは、だが肝心の事実を知らない。
それはこの遺跡の奥に何が隠されているのかということ。
そしてその為に今、何が起こっているかを知らぬ彼は、けれどこうして遺跡を巡る衝突に対し、結末を決める采配を振るったのである。