楽園 116

気味の悪い少女との再会は、アージェの中に別段多くをもたらすわけではなかった。
拭いきれない割り切れなさを抱えたまま町中を歩き回った彼は、小さな店を見つけ一振りの剣を買う。
おそらくは何処かの戦場跡で拾われ売られたのであろう厚刃の剣は、僅かな刃こぼれが見られ長くは使えなそうだが、当座をしのげれば問題ない。それに、黒い靄がまとわりついていないだけましだろう。
アージェは大きな町に出てから改めて買い換えればいいと、その剣を手に宿へと戻った。
待っていたリィアはお茶のカップを片手に「遅かったわね」と言う。
「何か途中で変な魔法士に絡まれた」
「変な魔法士?」
ユーレンを見ると、彼はようやく書き付けが一段落ついたらしい。お茶を啜りながら怪訝そうな目でアージェを見上げてきた。
青年は彼の隣に座りながらぼやく。
「何か隣の大陸から来た魔女で、アイテアって神の娘らしいよ」
言った瞬間、リィアとユーレンは激しくお茶を噴き出した。書きあがったばかりの草稿がぐっしょりと濡れる。
それを見たユーレンは情けない悲鳴を上げた。
「ああああ、何ということでしょう!」
「うわ、何やってんの。二人とも」
「君が何やってんのよ!」
大混乱のテーブルは、とりあえずお茶の片付けから始められた。
濡れてしまった書き付けを一枚一枚石で押さえて窓辺に置くと、ユーレンはお茶を淹れなおすアージェを振り返る。
「い、今の話は本当ですか?」
「相手が嘘ついてなかったら。嘘つきそうな奴だったけど」
「あのねぇ、君。西の大陸で魔女って言ったら化け物だよ、化け物」
「化け物?」
少なくとも外見だけを見れば、ルクレツィアは化け物にはまったく思えない。
ただ不可思議な力を使われたことを思うと、かなりの魔法士だったのかもしれないだろう。
首を傾ぐアージェにリィアはまくし立てた。
「そりゃこっちの大陸だと魔女なんてみんな知らないけどさ。
 聞いたところによると向こうでは魔女って何百年も生きてた凄い魔法士で、歴史上五、六人くらいしかいないらしいよ」
「へぇ……って生きてた? 過去形?」
「昔の話らしいもん」
「じゃ、やっぱり俺、嘘つかれたのか?」
二人は顰めた顔を見合わせる。そのまま停滞してしまいそうな会話に、しかしユーレンが割り込んできた。
「そ、それより! アイテア神の娘って本当ですか!?」
「嘘じゃないか?」
「どんな話をしたんです! 教えて下さい!」
「アイテアの神具要らないか、って」
「そ、それで?」
「要らないって言った」
「ぐわああああああ! どうして!」
耳を塞ぎ損ねたアージェは危うくお茶を零しそうになる。
そろそろ宿屋から苦情が出そうなくらい騒いでいると思うのだが、だからと言って外でしてよい話にも思えない。
青年は「まぁまぁ」とユーレンを座らせると、話を再開した。
「そんな嘘くさい誘いに乗れない。どう考えても怪しいだろ」
「うう、確かに……」
「大体神の娘とかいう名乗りからしておかしいし――」
そこで言葉を切ったアージェは、しかし改めて振り返ると、もっとルクレツィアに色々聞いてみればよかったと思った。
「神の娘」と聞いてまず、クレメンシェトラと同じだ、と思ったのだ。
ならば最古の女皇について、そして「神の娘」について、もっと聞いてみればよかった。―――― そう後悔した青年は、しかし元からルクレツィアの言うことが真偽の怪しい話であったことを思い出し、苦い顔になった。かぶりを振って余計な思考を振り落とそうとする。
「あとは何聞いたっけかな……神が人の似姿とか……」
「それ、逆でしょう? 人が神の似姿の間違いですよ」
「あれ? そうだっけ」
アージェは首を捻ったが、そういえばルクレツィアからその話を聞いた時、自分でも違和感を覚えたのだ。
ユーレンは彼の違和感を肯定するように頷いた。
「大陸分割以前に人間を統治していたのは神々ですからね。順序から言って神の方が先でしょう。
 もっとも人間を神が創造したと主張しているのは神学の一派に過ぎませんから、それが事実だとしたら……
 これは大発見ですよ!!」
「うん。落ち着こう」
再び立ち上がりそうになったユーレンに、アージェは水を差す。
青年は自分で淹れたお茶を啜りながら、この話についてはおそらく自分の聞き間違いかルクレツィアの言い間違いだろうと結論づけた。更に先程の記憶を探る。
「それで……変革があるとか何とか。魔法士がどうやって生まれるのかとか」
「何それ。よく分かんないわよ」
「俺だって分かんないよ」
そもそもの話も途中で途切れたのだ。途切れさせたのはアージェだが、簡潔に話を進めようとしないルクレツィアにも責任はあると思う。彼は頭を軽く掻いた。
「じゃ、今度また会ったらちゃんと聞いてみる」
「逃げようよ。魔女なんでしょ?」
「わ、私はその方にきちんとお話を伺いたいです!」
「じゃあ逃げつつ聞くよ。細かいことはユーレンに任せた」
適当に結論づけて青年は話を打ち切る。
まるで昼間から幻覚を見てしまったかのような体験。それを聞いた二人は二人ともが釈然としない顔で沈黙した。
リィアがお茶で温められた息を吐き出す。
「君ってさ、どうも変な女に絡まれる節ない?」
「…………」
他意のない疑問にアージェは返事をしなかった。



報酬を貰えなかった仕事がぐだぐだで終わった今、このまま小さな町で何もせずに過ごしていても仕方ない。
特にアージェは、セーロンに近いこの町から出来るだけ早く離れたかった。
何しろ非常事態とは言え、王子を出し抜いて神具を壊してきたのだ。セーロンから、そしてコダリスからも当分姿を隠した方がいいだろう。単なる一傭兵の身で面倒な現状に立たされている己を、アージェは嘆息混じりに振り返る。
「当分ジオの村にでも行ってるかな……」
「ん。何処よ、そこ」
「田舎の村。時々骨休めに滞在してる」
「なんだ、暇なんだ? じゃあ、こっち手伝わない?」
暇人とあっさり決め付けられ、彼は反論したくなったが、事実としては間違いないだろう。テーブルに頬杖をついて聞き返す。
「何? 何の仕事?」
「仕事って言えば仕事だけど、どっちかっていうと肉体労働」
「俺が普段してるのも肉体労働だよ」
当然の指摘にリィアは小さく舌を出した。
「違う違う。家の仕事のこと。薪割りとか水汲みとか」
「へ?」
「もっと言っちゃうとただのお手伝い。だから報酬はないよ。ただ人目にはつかなくて済むけど」
内容がいまいち分からない誘い。
話についていけていないアージェにリィアは悪戯っぽい笑顔を見せると
「魔法士がどんな風に生まれるか、見てみたくない?」
と聞いたのだった。






丸太を組んで作られた小さな家は、麓の村より二時間ほど細い山道を登った先にあった。
馬では入れない道は、ほぼ獣道と言ってもいいだろう。家より先は行き止まりになっており、他の人間がやって来ることはない。
三つの部屋を持つその家は、裏に小さな庭を持っており、そこではささやかだが住人が食べる分の作物が育てられていた。
一通りの薪割りを終えたアージェは、薪をまとめて縛りながら小さな菜園を眺め渡す。
普段はこまめに手入れされていたのだろうそこは、今は少し雑草が目立つようになっていた。
青年が薪を壁際に寄せると、音で気付いたのか裏口からリィアが顔を出す。
「もう終わったの? 早いね」
「昔は毎日やってたから。草取りもするよ。水撒きはいいのか?」
「君って意外と家庭的だよね……」
料理用の木杓子を振るリィアは、年下の青年の手際に呆れ顔になった。
家の中からは彼女が作っているのであろう昼食のよい香りがしてくる。
柔らかな匂いに目を細めた彼に、リィアの隣から白い布が差し出された。
「ありがとう。色々頼んでしまって御免なさいね」
人のよさそうな二十代半ばほどの女。何処か母親を思い出させる彼女は、大きく膨らんだ腹に片手を添えている。
アージェは礼を言って布を受け取ると、額の汗を拭った。
「別に大したことじゃないから。何でもやるよ」
「助かるわ」
人目を避けて暮らす夫婦。コデュの妻である彼女は、そう言って二人に笑いかけた。

二年前ログロキアの一件で片腕を失ったコデュは、その後まもなく近所の住民たちを余所の国に移住させてしまうと、自らも国を出て諸国を渡り歩く暮らしをしていたらしい。
そうして旅の途中でやはり魔法士である彼女、サーラと出会った。
すぐに気のあった二人は数ヵ月後には結ばれたが、コデュは勿論、サーラもまた宮仕えの経歴を持つ強力な魔法士であった。
自然、そのような二人を周囲は放っておかず、彼らには勧誘の声がやまなかったのだという。
何処にも所属したくはないと多くの誘いを拒み続けた夫婦は、ついに複数の国から城に仕えるよう命令を受けるに至って、人の目に触れないこの小屋へと住むようになった。
しばらくは魔法を使いつつ二人で自給自足の暮らしをしていた彼ら。だが、サーラが身篭ってから状況は少し変化したのだ。
アージェなどは知らなかったことだが、女性の魔法士は妊娠すると魔法を上手く使えなくなるらしい。
片腕がない夫と魔法を使えない身重の妻。そのような彼らを、リィアは度々訪ねて助けてきたのだが、いよいよ出産間近となり、男手があった方が安心と思ったのだろう。ついでのようにアージェを誘った。
アージェもコデュが片腕を失った件に関しては無関係と思えなかったので、二つ返事でその誘いを受けると、休暇代わりの日々を山中の家で過ごすことにしたのである。
一通りの雑用を済ませた青年は、食卓でリィアに冷たい果汁を出してもらいながら問うた。
「で、魔法士がどんな風に生まれるかって、どんな風なんだ?」
「別に普通だよ。普通の出産」
「何だそりゃ……」
「でもね、普通は子供が魔力持ってるかどうかって生まれてみるまで分かんないの。
 魔法士じゃない親からも生まれたりするし、その逆もあるし」
「うん」
「ただ両親共に強い魔法士だと、ほとんど子供も強い魔法士になるんだよね」
「え、それってつまり、遺伝で決まるってこと?」
「さぁ? 分かんない」
身も蓋もない結論にアージェはがっくりと頭を落しかける。
しかしリィアを非難しようにも、生まれつきの魔力については本当に解明されていないことなのだろう。彼はルクレツィアが遺伝について「半分は外れ」と言っていた意味を考えようとした。ふと思いついて向かいに座るリィアを見やる。
「リィアが子供生んだら、その子も魔法士になる?」
「へ!? なに急に……知らないわよ、そんなの」
急に自分のことについて聞かれた女は、むすっとした顔で横を向いてしまった。
何処か幼くも見えるその横顔を見ながらアージェは、ふとその時―――― 女皇は女しか産まないという話を思い出していたのだった。