二と一 124

アージェが図書室で適当な本を捲りながら時間を潰していると、お茶を運んできた小間使いと一緒にファリシアも戻ってきた。
彼と同じ年である彼女は、どうやら平穏な日々が退屈でたまらないらしい。よく客人の話を聞きたがり、傭兵であるアージェなどは殊更その標的になっていた。この日も「他国の話を」とねだられたアージェは、渋々かつて受けた仕事について話し出す。
一方ユーレンは集中する時間に入ったようで、二人が傍で話していてもまったく聞こえていないようだった。
アージェは某国の商家から受けた人探しの依頼について、ファリシアに当たり障りなく話す。
それは彼が経験した仕事の中でも血腥いことがなかった珍しい一件であるのだが、聞き終わった彼女は余程興味を引かれたらしく「他に似たような話はあるのですか?」と要求してきた。アージェは大きく首を捻る。
「どうだろ……ないかも」
「あら」
「基本的に傭兵って戦闘させる為に雇うものだから。探し物とかの依頼は珍しいんだ」
話している間に空になったカップを彼がテーブルに戻すと、ファリシアは手を上げて小間使いを呼んだ。
主人の要求に応えるため常に傍に控えている少女は、手際よく新たなお茶を用意する。
ファリシアは青い瞳を無邪気にしばたたかせて問うた。
「では他のお仕事については?」
「貴族のお嬢さんにするような話じゃない」
苦笑して話を打ち切るとアージェは立ち上がる。
彼女は残念そうな顔になったが、帰ろうとする男を留めることはしなかった。戸口まで彼を見送ると、屈託のない笑顔で「またいらして」と手を振る。
その親しげで好奇心旺盛な性格は有難くもあるのだが、アージェにとっては時に対応に困るものだった。
彼は、自分がディアド候補だと彼女に知られていないことを感謝する。
この事実はどうやら城内の一部の人間しか知らないことらしいのだ。
もしファリシアがそれを知っていたなら、「どうしてディアドにならないのか」と根掘り葉掘り聞かれたかもしれない。
その疑問に対し他人が納得出来るような明確な答を返せないアージェは、常に消えない苦味を抱えつつ、朝下りた坂を上がっていった。



逗留場所である屋敷に戻った時、そこにはよくアージェを引きずり回そうとする騎士の男はいなかった。
まだ昼であるからして城にでもいるのだろう。青年は内心ほっとして与えられた部屋に戻る。
彼の滞在には他人から入れられた予定も多くあったが、自由時間も同程度には存在していた。
その自由時間にあたる今日、アージェは広い客室の寝台に腰掛けると、腰につけた皮袋から銀の指輪を取り出す。
彼をこの国に連れてくる一因となった指輪はかつてレアリアから貰ったもので、その後何となく捨てられずに持ち歩いていたものだった。
アージェは指輪を目の上にかざし、内側の彫刻を覗き込む。
蔓状の模様の中に剣が彫り込まれた指輪は、ケレスメンティアの人間に確認してみれば要はディアドの証であるらしい。
レアリアはそれを最初から彼に与えていた。
彼が街を移動しようとも彼女がその場所を追ってこられたのは、この指輪の場所を辿っていたのだろう。
一対である女皇とディアドには強い結びつきがあるというが、それを象徴する一つを前に、アージェはしばらくの間沈黙していた。
結論の出ない迷い。彼は結局それを元通り腰の皮袋へと戻す。
アージェは気分を切り替えようと、寝台脇のテーブルに置かれた数通の手紙へ手を伸ばした。
それらは全て彼個人宛てのものであり、ケレスメンティアの城から届けられた招待状や予定表の他に、国外からの書簡も混じっている。
元はと言えば、傭兵の仲介所が存在しない皇国に対し、彼が「手紙を見に戻りたい」と言ってしまったことが原因なのだが、ケレスメンティアの人間はそれを聞いて、本来本人しか受け取れないはずの手紙を仲介所からこの屋敷まで届けてくれるようになってしまった。
アージェもはじめはそれにぎょっとし、また勝手に開封されてはいないかと疑ったが、封印はそのままであるし、そこまではされていないのだろう。ただ書簡自体がまびかれていたなら分からないが、ケレスメンティアからそうされるような手紙は元々アージェには届かない。
結果として彼はこの状況を受け入れているのだが、その日の手紙には珍しくケグスからの一通が混ざっていた。
二ヶ月ほど前からケランと同盟している一国において、傭兵隊に加わっているという男は、周囲の戦況について「拡大している」と評している。
どうやらケランを中心とした数ヶ国の同盟とコダリス、そしてイクレム・セーロンの三勢力が現在睨みあい緊張状態にあるらしい。
ただその中でもコダリスは同盟を早々に突き崩そうとしているようで、小規模な衝突は断続的に起こっているのだという。
ケレスメンティアにいると遠く離れた世界の出来事にも思える話に、だがアージェは胃の中に沈殿するような不安を抱いた。
まるで自分ばかりが薄絹の向こうに隔てられ、大陸の喧騒から置いていかれているようなままならなさを覚える。
勿論アージェは戦争を探しては雇われに行く種別の傭兵ではない。
ただ彼以上に戦争の仕事を請けたがらないケグスが、長くその場に身を置いているという事実が、アージェの落ち着かなさを増大させていた。
いい加減この国を離れて日常に戻りたいと思うのだが、どう区切りをつければいいのか分からない。
レアリアの側近たちは彼が断りの言葉を口にすると「もう少し考えてみて」と返すばかりで、結論は常に先延ばしにされているようだった。
この煮え切らなさの原因が、自分の迷いにもあると自覚している青年は、膝を抱えて天井を仰ぐ。
全てをいいようになど出来るはずがないのだから、さっさと割り切って動かなければならないとは思っているのだが、そう踏み切れない思いと周囲の対応が絡み合って、あたかも温い泥沼の中に座り込んでいるような気分だった。捨てることをしなかった指輪のように、彼の意識はいつも何処かで何かに繋ぎとめられている。
アージェは大きく手を上げて背伸びすると、ケグスからの手紙をしまい、別の一通を手に取ろうとした。
しかしそこで部屋の扉が乱暴に叩かれる。
彼は手紙を元のテーブルに放り出すと、立ち上がり扉へと向かった。
質のよい調度品で揃えられているが、威圧感や押し付けがましさは感じさせない上品な部屋。
もう一月以上も滞在している客室を、しかしアージェは未だ慣れない気分で歩いていく。
彼が厚い木の扉の鍵を外すと、強く叩いていた相手は返事も待たず、それを押し開いた。
ぶつかりそうになった戸を避けたアージェは、入ってきた人間を見て目を丸くする。
濃い茶色の髪に緑の瞳。クラリベルと同い年ほどと思われる少女は、全身黒の裾の短いドレスを着ていた。
余分な肉のまったくない四肢は、黒い長手袋と膝上までの黒い包帯に覆われている。
愛らしいというよりも綺麗と言う言葉が似合う顔立ち。険のある目がアージェを睨んだ。
「お前か」
開口一番高い声でそう言い放った少女。その言葉に青年は心から
「誰だよ」
と聞き返した。

突然現れた少女は、行動自体は無作法であるが一つ一つの所作を見るだに上流の家の人間なのかもしれない。
彼女は横で結わえた長い髪を払うと、じろじろとアージェを眺め回した。その緑の瞳にアージェは幾許かの既視感を抱く。
「お前がそうか」
「だからそっちは誰なんだと」
「ミルザ・ベルザ。―――― お前とは、親が従兄弟同士と言えば理解出来るか?」
「は?」
アージェは間の抜けた声を上げてしまった。
難しい単語は使われていなかったが、文章自体の指し示すところがよく飲み込めない。
思わずぽかんとしてしまった青年に、少女は細い両手を伸ばす。
咄嗟に反応が遅れたアージェの左腕を掴むと、ミルザは長い手袋を剥いでしまった。その下の黒い肌を検分するように見つめる。
「やはりお前か。……これほどまでとはな」
「俺、そろそろ怒ってもいいか?」
「まだ理解出来ていないのか? とんだお粗末な頭だ」
言いながらミルザは取った手袋を彼の顔に投げつけた。
それを右手で受け止めたアージェは、疲労感を隠しもしない瞳で少女を見下ろす。
「で、誰が俺の父親だって?」
「ルドリス・ザグティス。前女皇陛下のディアドだ」
「へえ?」
「とぼけた声をあげるな。お前はルドリスの隠し子なのだろう?
 ネイが逃げ出した時には、息子の教育もろくに出来ぬ男と思ったが、お前を用意していたとは周到なことだ。
 だがそのお前もディアドになることを拒否しているとはな。つくづく血は争えぬか。
 随分強い力を持つようだが、単なる傭兵のお前などにその力は不要だろう。私が貰ってやる」
「…………」
滔々と語られる口上。
それをアージェは、表情を動かさぬまま聞いていた。そして彼女の話が終わると同時に、両腕を伸ばして華奢な体を抱き上げる。
「え? え?」
きょとんとする少女に一瞥もくれず、青年は軽い体をひょいと廊下に投げ捨てた。何とか着地した彼女がよろめいている間に部屋の扉を閉め、黙って鍵をかけてしまう。
すぐに木の扉は反対側から物凄い勢いで叩かれ始めたが、アージェはそれを無視すると寝台に戻った。まだ読んでいない書簡を手に取る。
全部で五通あったうちの二通は、かつての雇い主や仕事を共にした傭兵たちからの近況連絡や仕事の依頼だった。
中でも仕事の依頼はケグスと同じくコダリスとケラン同盟の戦争絡みであるらしい。アージェはそれを二度読むと元通り封をする。
もう一通はケレスメンティアの何処かの家からの招待。そして最後の一通は、この屋敷の次期当主であるエヴェンからのものだった。
走り書きに封をしただけのもの。それを開くと流麗な字で一文だけが書かれている。
アージェはそれを読み上げた。
「ザルムシスとミルザには会うな」
つい今しがた聞いたばかりの名。
アージェは「遅い……」とぼやきながらも大いに納得すると、もう一つの名前に注目する。
「で、こっちは誰なんだ?」
男のものと思しき名の正体は、今も扉を叩くミルザに聞けば分かるのかもしれない。
けれどアージェは考えるまでもなく「会うな」という手紙の方を優先すると、その後扉を叩く音がやむまで寝台で体を休めたのだった。