二と一 126

ケレスメンティアの城は、緩やかな斜面に在る城都の中でももっとも高い位置にその壮麗な姿を佇ませている。
千数百年もの歴史を持つ最古の皇国。その城は何度か大きく手を入れられながら、しかしいつの時代も荘厳と優美さは変わることがなかったという。
アージェはその広い城の廊下を歩きながら、宮仕えの魔法士と話をしていた。
いつかはケランの離宮で会った男、ロディは、呼び出したアージェに対し、その異能について纏める。
「暴走しなくなったのなら懸念材料はなくなる。
 出来ればあまり野でその異能を使って欲しくはないが、状況によっては仕方ないだろうな」
「俺も、変なところに出くわさなきゃ控えてるよ」
「それはありがたい」
ロディは器用にも歩きながら手元の書類に何かを書き込んだ。
真っ直ぐに伸びる城の廊下。磨かれた白い石床には二人の姿が映りこんでいる。
アージェの隣を行く魔法士は、しばし考え込んでいるようであったが、やはり確認すべきだと思ったのか口を開いた。
「ダニエ・カーラは……」
「もういない」
「消えたのか! それはよかった……」
心底ほっとしたらしいロディに、アージェは本当のことを教えるべきか迷う。
ダニエ・カーラは消滅したのではなく別の人間に移動しただけなのだが、その後彼女がどうなったのか、アージェも知らなかった。
他国の王女のことであるし、知らせておくべきか否かも難しい。彼が迷っているうちに、ロディの話題は別の方へと流れていく。
「君は異能を使いこなせているんだな」
「使いこなせてるかどうかは分からないけど、最低限は」
「凄いな。普通は父親から教わるものらしいが、さぞや試行錯誤したのだろう」
「試行錯誤?」
アージェはその言葉に違和感を覚えて首を捻った。
確かに己の異能を使いこなす為にいくつかの段階を経てはきたが、試行錯誤した覚えはない。
実の父親がおらずとも困ることはなかったのだ。アージェの中には「彼女」がいたのだから。
彼は口に手を当てて今までの記憶を探ってみる。
はじめに遺跡の中で「彼女」が彼の体を動かした時、アージェの意識は失われていたが、レアリアを呼び出した時には彼も闇の中で、うっすらと外界のことが知覚出来ていたのだ。
青年はそれについてふと確かめたくなりロディを見た。
「この前、コデュさん絡みのごたごたで来てもらった時、あんたもいた?」
「いたけど。何だい?」
「あの時俺が―――― 」
そこまで言ってアージェは口を噤んだ。あの時彼が彼でなかったことことは、ほんの数人しか知らないことだ。
特にケレスメンティア勢はほとんどが知らないことに違いない。
気付いていたとしたらレアリアだけで―――― 彼女はあの時、何かに驚いていたようだった。
単にアージェの中身が違うことに驚いたのではなく、もっと違う何か。
彼はその何かに引っかかり無言で考え込む。ロディが怪訝そうに隣から覗き込んできた。
「何か?」
「いや……レアって今何処にいるか分かる?」
「調べれば分かるが、急に行ってもお会いできないぞ」
「ああ、そうか。そうだよな」
ならいい、と言いかけてけれどアージェはその言葉を飲み込む。
今まで人伝にしか聞いていなかったこと、すなわち「女皇としてのレアリア」に、彼はふと無視しきれない関心を抱いたのだ。
自分が見ていない時、彼女がどのような女皇であるのか。周囲の人間は彼女にどう接しているのか、そのような疑問が彼の中に湧く。アージェは迷った結果、ロディに異なる確認をした。
「会えなくていいんだ。レアが仕事してるところ見られないか?」
「多分可能だと思うが……文官に問い合わせないと、ご予定が分からない。ちょっと待っててくれ」
「ごめん」
面倒な手続きがいるのかとアージェは思ったが、ロディは彼を談話室に待たせておくと五分程で戻ってきた。
そのまま案内してくれるという魔法士について、彼は城の回廊を歩き出す。

右手が吹き抜けとなっており階下の様子が見下ろせる廊下は、時折女官や文官とすれ違うだけで、あまり他の人間の姿は見られない。
アージェは階下を頻繁に行き交う魔法士や学者の姿を見ながら、今更な質問をロディに向けた。
「レアっていつから女皇なんだ?」
「陛下が正式にご即位されたのは十三歳になられた時のことだな」
「十三!? 何でそんな頃から……」
「先代の女皇は陛下が五歳の時にご逝去されんだ。そこからは陛下が政務官を置いて執務をされていた。
 慣例的に女皇の即位年齢は十三からであるから、その間は皇女という肩書きでいらっしゃったが……」
「待って待って。何だそれ」
アージェは手を振ってロディの話を中断させる。
途方もない内容。想像しようとしてもしきれないレアリアの半生に、青年は唖然となった。聞き間違いではないのか、改めて問い返す。
「五歳の時から? それって父親は何してたんだよ」
「皇配殿下には元々統治権も執務権もないんだよ。
 現陛下のお父君は陛下がお生まれになってすぐ離宮へと移り住まれたし、十四年前ご病気で亡くなった。
 こう言っては語弊があるが、陛下とは共に過ごされたこともほとんどなかったと思う」
「……何だそりゃ」
思わず自分の頭を掻き毟りたくなるような落ち着かなさに支配され、だがアージェはそれしか呟くことが出来なかった。
―――― 親に捨てられたどころの話ではない。
少なくとも彼は血の繋がらない家族と共に幸福な時を過ごしてきたのだ。
だがレアリアは、五歳の時から既に一人でその身に重責を負ってきた。
物知らずも当然だろう。彼女には余計なことを知る時間さえおそらく許されなかった。
それでも共にいる時は楽しそうにはにかんでいたレアリアの顔を、アージェは苦さと共に思い出す。

無意識のうちに重くなっていた足取り。
そのままでいれば自然と止まっていたかもしれない歩みを、しかしロディの声が遮った。
魔法士の男は回廊の欄干から階下を示す。
「あそこにいらっしゃる」
「……ああ」
言われて見れば確かに、階下の広い廊下の途中に女皇の正装を纏ったレアリアが立っていた。
彼女は文官に囲まれて何かの指示を出しているようで、声までは聞こえないが周囲の人間がそれに従いてきぱきと動いているのが分かる。
アージェは欄干によりかかって、何処か冷えた目をした女皇を見つめた。
彼の知る「レア」とは異なる貌。だが彼女にとってはその貌をしている時間の方が遥かに長いのだろう。
隙や甘えを感じさせない氷のような美しい横顔に、青年は重い息を吐き出した。
隣に立ったロディが抑揚のない声で補足する。
「五歳からと言っても、実にご立派であらせられたよ。
 政務官の助けがあったとは言え、充分に統治者としての才覚を発揮されていた。
 母君のなさることをご覧になっていたのかもしれぬな。皆が敬服していたよ」
主君を称える言葉。
それを聞きながら、だがアージェはレアリアから目を放さなかった。光の加減か、軽く伏せられた白皙の美貌に翳が差す。
異なる場所で異なる育ち方をした二人。親を知らぬ青年は無表情で遠間から女皇を注視した。ほんの僅かな時に彼女の抱え続けるものを思う。
「あのさ」
「何だ?」
「さっきレアの父親が十四年前に死んだって言っただろ?」
「ああ」
「何でそういう言い方したんだ?」
「……何故とは?」
問い返すロディの声は、僅かに硬化したようにも聞こえる。
アージェはそこに幾許かの確信を得た。
「レアの母親が死んだのが、あいつが五歳の時。十四年前って要はその翌年だろ? ディアドが出奔したのと同じ年だ。
 何でその二年にあいつの不幸が集中してるんだ? 偶然か?」
「単なる偶然だろう」 
「そうかな」
―――― だとしたら何故、レアリアの父が死んだ年だけ言い方を変えたのか。
言外にその疑問を匂わすアージェに、しかし男は沈黙を保った。
青年はなおも彼女から目を逸らさぬまま、最後の問いを口にする。
「その、俺の父親じゃないかって言われてる先代女皇のディアドは、いつどうして死んだんだ?」
或いはそれもまた関係しているのではないかという確認。
ロディはしかし、この問いにはあっさりと答えた。
「他の言い方に揃えるなら、陛下が八歳の時に亡くなられた」
「病気で?」
「いや、手合わせ中の事故でだ。不幸なことだ」
「手合わせ中って、皆が見てた中でか。相手は誰だったんだよ」
さすがに驚いてアージェは体を起こしロディを見た。
魔法士の男は、膜がかかったような双眸でまだ若い青年を見返す。
仮面のような感情のない貌。そこには確かに、古き皇国の一翼を担う者としての見通せない得体の知れなさがあった。
ロディは静かな声で呟く。
「相手は、エヴェンだった」



ロディは別の仕事があるらしく「異能のことで他にも気になることがあったなら呼んでくれ」と言い残し、去って行った。
回廊に残されたアージェは、休むことなく手配を続けるレアリアを眺める。
ケレスメンティアの他の人間からすれば有能が当然であるのだろう女皇は、しかし彼からすると「頑張っているのだ」という当然の感想にしか繋がらなかった。小さな白い手はしきりにあちこちを指し、文官に指示を出している。
たった一人で多くを負い続けている女。
その道筋を思う彼はやはり「どうしてディアドは彼女を置いて出て行ったのか」と疑問に思わざるを得ない。
女皇とディアドは一対として深い結びつきを持っているという。
ならば彼女がもっとも苦しかったであろう幼少時、どうしてその繋がりを断って姿を消してしまったのか。
アージェは考えても答が出るわけではない疑問に、不審と苛立ちを覚えて顔を顰める。
―――― その疑問が自分にもまた返って来ることに、彼は気づいていた。



「見つけたぞ」
聞き覚えのある声は、回廊の離れた場所よりアージェにかけられた。
欄干にもたれかかりレアリアを見ていた青年は、顔を上げその人物を視界に入れる。
出来ればもう会わなければいいなと思っていた相手、ミルザは、城内にもかかわらず何故か細身の長剣を佩いていた。
彼女の隣では初めて見る青年が、愛想のいい笑顔をアージェに向けて立っている。
アージェはしかし、その笑顔にむしろ用心する必要を覚えて姿勢を正した。武器を預けさせられている現状、左手の手袋を取るべきか迷う。
けれど彼の警戒とは別に、ミルザは近づいてくるつもりはないらしい。その場で剣を抜くと、切っ先をアージェへと向けた。
「ようやく見つけたぞ、臆病者め。もう逃げ場はない。―――― お前に決闘を申し込む」
朗々とした宣言。
それを全て聞いたアージェは真顔のまま
「はあ?」
と聞き返した。