二と一 127

「決闘?」
きっと冗談なのだろうと思って上げた素っ頓狂な声は、しかし大真面目なミルザの首肯に迎えられた。
押し黙るアージェに、少女は今から勝ち誇ったような声を上げる。
「どうした。臆したのか?」
「臆したというか何というか……お前、剣なんて使えるのか?」
「私を愚弄するのか!? この傭兵崩れ如きが!」
「崩れてない。俺、現役」
冷静に切り替えしながらも、アージェの視線はミルザの傍にいる男に向けられたままである。
彼と同じか少し年上と覚しき男は、笑顔でありながらも蛇のような両眼で、じっとアージェを見据えていた。
彼は肌に感じる剣呑さに左手の手袋を取り去る。相手の青年は漆黒の左手を見て口の両端をつり上げた。
「やあ、噂に違わぬ色の強さだ」
「お前がザルムシスか?」
「そうだ。ミルザから聞いたのかな?」
「私は言っていない」
「じゃあエヴェンか。相変わらずお節介な男だ」
何の武器も持っていないザルムシスは、けれどその存在自体が毒であるかのように笑う。
アージェは内心の緊張感を悟られないように表情を保った。
「ディアドの傍系の人間だって? 何がしたいか分からないが、その決闘とか騒いでる奴を何とかして欲しい」
「私がいつ騒いだ、無礼者が!」
「今。今騒いでる」
この調子では距離があるとは言え、そのうち階下のレアリアも気づいてしまいそうである。
何とかそうならる前に収めたいという彼の気持ちを、しかしミルザはまったく分かっていないようであった。
彼女は抜いた剣をひゅんひゅんと音を立てて振り回す。
「決闘とは言ったが、制裁と言い換えてもよかろう。
 騎士カルディアスの血を継ぐ者としてお前のような腑抜けの存在は許せん」
「この国の人間、俺に対してかなり言いたい放題だよな」
「ただ私たちのような傍系では、陛下の立ち会いでも頂けねばディアドにはなれぬからな。
 ―――― だから決闘という手順を踏むだけのことだ」
「レアの立ち会い?」
「陛下を呼び捨てるな! 愚か者が!」
他の人間であれば首を竦めたかもしれない怒声を、しかしアージェは丸々聞き流した。逆に気になっていたことを聞く。
「異能を貰うってのはどうやって……」
「君は、この件に関して拒否権はない」
顔を真っ赤にしているミルザに代わって、ザルムシスは通告を引き取った。
蛇に似た青緑の瞳が細められる。アージェは軽い嫌悪感に左手を握った。
「拒否権がないって何でだ? 別に受けてやってもいいけど」
「この決闘は、ミルザも言ったように本質は制裁だ。そして新たなるディアドの選定をも意味する。
 だから僕たちの勝利は確定事項で、それは揺るがされることがあってはならない。
 ―――― 分かるかな?」
持って回った言い方は、粘着質にアージェへとまとわりついた。
彼は自分の耳に水を注いで、残る声を洗い流したい衝動に駆られる。
しかしここで会話を放棄するには、ザルムシスの態度は無視できない自信に溢れていた。
アージェは冷えきった声で返す。
「つまり、わざと負けろってこと?」
「いや。そのようなことをしては、陛下かいずれかの騎士か、誰かは気づいてしまう。そうなれば結果は無効だ」
「回りくどい」
「だから、君は本気でやっていい。全力で戦いたまえ。―――― 僕たち二人を相手にね」
「…………二対一ってことか」
「そうだ」
笑顔で堂々と頷く相手に、アージェは唾棄したくなった。
とは言っても毎日磨かれているのだろう城の廊下にそのようなことは出来ない。彼は呆れ果てた顔で首を傾ける。
「二対一での決闘なんて、それこそ無効扱いだろ」
「そうかな。君が是非にと希望したのなら有効になると思うね」
「どうして俺がそんなのを希望するんだよ。馬鹿馬鹿しくてさすがにつき合えない」
「クラリベル」
「―――― は?」
突然呈された名を、アージェはまず幻聴かと思った。
このようなところで、このような相手から出されるはずもない名。
だからきっと聞き間違いなのだと、そう思おうとする彼に、ザルムシスは続ける。
「元気のよい娘だね。顔立ちはまぁまぁだけど、よく気がつく。
 手を抜くようなこともしないし、なかなか評判がいいらしいよ。いい妹を持ってよかったね」
「あいつがどうした」
一段低くなった声に、ミルザはびくりと体を震わせた。しかしその隣でザルムシスは喉を鳴らして笑う。
「別にどうもしていないさ。ただ彼女が働いている屋敷の主人と僕は親しくてね。
 知りたいと思えばいつでも彼女の様子を知ることが出来る」
「はったりか?」
「そう思うなら君は先に、何故ここしばらく彼女からの手紙が途絶えているか、気にした方がいいんじゃないか?」
「……っ」
会心の笑みを浮かべる男を前に、アージェは言葉を失しながらも、妹からの手紙について記憶を巡らせていた。
一月に一度はかならず送られてきていた手紙。ただ確かにジオの家でそれを見た時、一通足りていないと思ったのだ。
その時は忙しいからなのだろうと思ったが、あれ以来アージェは手紙を取りに戻っていない。
その後の手紙が途絶えたままなのかどうか、彼は確認していなかった。
ザルムシスは愕然とするアージェを見て、満悦の笑みを浮かべる。
この男はおそらく、アージェが自分宛ての手紙を全てエヴェンの屋敷に届けさせていると思っているのだろう。
その考えは間違いで、実際のところ私的な要素が大きい手紙はジオのところに届くのだが、にもかかわらずザルムシスがこのような脅しをかけてくるということは、手紙はケレスメンティアに移送される段階ではなく、本当にクラリベルのところで止められているに違いない。
アージェは怒りで視界が赤く染まる錯覚を抱きながら、ザルムシスを睨んだ。
「それで? 何が言いたい」
「もう言っているだろう? 君は僕たち二人とディアドの座を賭けて決闘したいと、陛下にお願いするんだ。
 そして誰にも余計なことは言わない。それだけだよ」
行き着いた結論。アージェは皮肉げに口元を上げて聞き返す。
「後は本気でやってもいいんだって?」
「ああ。結果は見えているようなものだけどね」
「ならちょうどいいな。お前のその顔の形を変えてやりたくなったところだ」
青年の挑戦的な態度に、けれどザルムシスは鼻で笑っただけだった。
踵を返した男の後をミルザが追っていく。少女は決まり悪そうな顔で、何度もアージェの方を振り返っていたが、青年にとって彼女の内心などはどうでもよかった。
アージェは二人の姿が見えなくなると、乱暴に髪の毛を手でかき回す。
「くそ」
ザルムシスはえげつないと、エヴェンから忠告されてはいたが、まさかクラリベルまで巻き込まれるとは思わなかった。
手紙が足りないと思った時、どうしてもっときちんと確認しなかったのか、後悔がひたすら胸を焼く。
だがそれも、今となっては言っても仕方ないことであろう。
アージェは大きく溜息をついてかぶりを振ると、女皇への面会許可を求める為に、人を探して歩き出した。






「え、決闘?」
執務机の向こうに座るレアリアは、話を聞いてアージェと同様素っ頓狂な声を上げた。青紫色の瞳がくるりと回って彼を見上げる。
「ど、どうしてそんな……彼らが何かした?」
「何も」
「でも急にそんなの、しかも二対一とかどうして?」
回廊から見えた冷然とした姿とは打って変わって、彼女の両手はおろおろと落ち着きなく机の上のものに触れた。
面会を希望して、開口一番決闘の許可と立会いを求めたアージェは、表情を消して彼女を見やる。
「ミルザがディアドになりたいって言うけど、あいつ一人相手じゃ体格差で俺が有利すぎるから。
 ザルムシスが補助するって言うから、それなら調度いいだろ」
「ミ、ミルザはああ見えて騎士の位を持っているのよ?」
―――― そうだったのか、とアージェは内心舌打ちしたが、だからと言って方針を変える権利はない。
彼は表面上はそれを知っているかのように頷いた。
「平気だ。それより許可をくれ」
「アージェ」
「俺もいい加減居心地悪いし、こういう機会にはっきり結果を示せるっていうならその方がいい」
一月半も何もせぬまま貴族の屋敷に滞在し続けているという事態は、事実彼にとって気分のよいものではなかった。
それが応えられぬ期待に面し続けてのことなら尚更だ。倦怠感を帯びた緑の瞳に、女皇は顔を曇らせる。
「ごめんなさい……私が何も言わなかったから……。でも、こんなことしなくても気にせず出て行っていいのに」
「レアのせいじゃない。俺が助けてもらって、そのままだらだらしてたんだからな。
 でもこれでちょうどよく一区切りつけられる。勝っても負けてもさ」
自分でも空々しいと思うことを口にして、アージェは彼女の返答を待った。
ぽとりと落ちる沈黙。二人はしばしお互いの目を見つめる。
すれ違う望みを抱いている彼らは、話をしていても常に何処かがすれ違っているようだ。
表層だけを辿り、相手のことを思いながらもその全ては叶えられない。
それでもレアリアは、アージェの希望を叶えたいと思っているのだろう。
女皇は目を閉じて顔を伏せる。
「本当にいいの?」
「ああ」
「なら……分かった。許可する」
肩を落とした彼女は、少しだけ冷えた女皇の目になると手元の書類に何かを走り書きした。顔を上げぬまま補足する。
「日時については後でエヴェンから連絡させるわ。場所も」
「分かった」
「あと、この決闘に関して私は立ち会うけれど、結果がどうでも私に強制力は発生しないから。いい?」
「うん」
ザルムシスなどは勝利が即ディアド就任に繋がると考えているようだが、レアリア自身がその結果どうするかは別問題だろう。
ディアドの就任というものがどういう手順で為されるのか、元から知らないアージェは頷いた。
レアリアは最後に小さな溜息をつく。
それが退室の合図だと悟った彼は「時間取らせた」と締めくくると踵を返した。その背にレアリアの声がかかる。
「アージェ……ごめんなさい」
「レアが謝ることなんてない」
そう言いながらも彼は、一つだけ気になったことの為に足を止めた。肩越しに彼女を振り返る。
「レアは―――― ミルザが勝ってディアドになれば、少しは楽になるのか?」
ディアドを得れば瑕もなくなるであろう女皇。
その背に負われた荷は、二人で分ければ少しは軽くなるのだろうか。
青年の素朴な疑問に、レアリアは微苦笑した。
「私が欲しかったものは、本当は騎士ではないの」
彼女はそうして目を閉じる。
綺麗すぎて現実味のない女の貌。硝子の塔を連想させる微笑を見たアージェは、それ以上何も言うことなく執務室を後にした。