二と一 128

皇国ケレスメンティアにおいて、もっとも特殊な位置にある一族。
それは、代々女皇の騎士たるディアドを輩出する異能者の家系である。
彼らは決まった家名を持たず、ただ父から子へその異能と地位を受け継いでいる。
一子相伝とも言われる彼らの異能は、しかし一人にしか受け継がれないわけではなく、傍系であってもその力を受け継いでいるものも多い。
ただし彼らのほとんどは二十歳を越えれば、自然とその異能は弱まりいつしか消えてしまう。
一生を通じて異能を持ち続けることが出来る者は、女皇に添う騎士ただ一人だ。
そこにどのような力が働いているのか―――― ケレスメンティアの人間は皆それを、神の意志と思っている。






彼にとって娘からのその報告は、意外の一言で言い表せるものではなかった。
部屋の二面を背の高い本棚が占める書斎。そこで蔵書の一冊を広げていた男は、顔を上げまだ若い一人娘を注視する。
「決闘だって?」
「ええ。あのような腰抜けの男、そのままにしておいては我が一族の誇りに障ります」
「だからといってそんな……陛下はご承知なのか?」
「ご承諾頂きました」
胸を張って言うミルザにルゴーは眉を顰めた。子供の遊びにしてはたちの悪い話。それを聞いた彼は無言になる。
彼から見て従兄弟の息子にあたるネイが、十四年前レアリアのもとを出奔して以来、ディアドの座は空席のままだった。
そのことに彼ら一族の者たちが肩身の狭い思いをしなかったわけではない。席を埋める者を何故出せないのかと、重臣たちや貴族たちに詰られたことは何度もある。
ミルザなどは特に異能を持って生まれた為、かけられた期待も厚くディアドに対する拘りは強いのだろう。
幼い頃から剣術をも収めてきた彼女は、自分こそが女皇を支えるのだと日頃から意気込んでいる節があった。
ルゴーは娘に何と言うべきか、その緑の瞳をじっと見つめる。
突然現れたディアド候補という青年。彼にまだルゴーは会っていない。
話には聞いていたが、自分は既に一線を退いた者だという意識もあった。
相手にとっては全てが突然の話だろう。そこに現れてわざわざ掻き回す必要もない。
そう思いながらもルゴーはしかしこの時、娘の緑の瞳に別の双眸が重なって見えていた。
―――― 力のある目だった。強く、気高く、己を曲げない目。
その目を思い出せる者はもう幾人も残っていないだろう。だが彼は未だ、夜の帳の中などでその瞳を思い出すことがある。
ひどく先を見通しているようだった眼差し。
過ぎ去りし時に思いを巡らせていたルゴーは、娘に怪訝そうな目で見つめられ我に返った。
「お父様?」
「いや……何でもない。それでザルムシスは? 何と言っていた」
「転呪を使うと」
一族の秘中の秘、知識だけは伝えられているが、実践されたことは千年間で二度だけしかなかったという術の名を聞いて、ルゴーは表情を険しくした。
ミルザもまた父の持つ空気が変わったことに緊張したようである。
重厚な作りの椅子に背を預ける男。既に異能を失って久しい彼は、本棚に並べられた背表紙の一つ一つを目で追っていった。吐き出す息の音が静寂に落ちる。
「それで二対一か。卑劣と謗られても仕方ないな」
「やらねばならぬことなのです! 彼の者にはディアドになる意志がない。誰かが陛下をお守りしなければ……」
「目的の正当が手段の正当に繋がるかどうかは、騎士が一生向き合わねばならぬ問題だろう」
「お父様!」
「詭弁ではない。本当のことだ。ディアドとは時に女皇陛下の代理にもなり得る。
 己の行いが他者からどう見えるのか、ディアドを目指す者なら意識して当然のことだ」
父としての説教は、けれど口にしたルゴー自身何処か空虚さを感じるものだった。
ディアドという存在に向き合っていない者は本当は誰であるのか、男は自嘲を口元に浮かべる。
だがしかし、そういった苦さはまだ若いミルザなどには縁遠いものなのだろう。彼女は複雑ながらも反抗心を瞳に過ぎらせた。
ルゴーは軽く指で机の表面を叩く。
「ともかく、転呪はその成功の可否が術者の性質によって左右される不安定なものだ。
 場合によっては命に関わる危険性がある。もう一度よく考えなさい」
「分かっております」
ミルザは真面目な顔になると、一礼して書斎を出ていった。
子供の即答というものが多くは無知に支えられているのだと、いつからか知ってしまった大人は、眉間に皺を寄せ長い息を吐き出す。
「稀にみる強力な異能、か……」
後悔とも期待とも取れる述懐に、それ以上の言葉は続かない。
ルゴーはしばらく本棚の上に視線をさまよわせていたが、不意に体を起こすと一通の手紙を書き始めた。






どうやらケレスメンティアにおいてはひどく異例らしい決闘について、翌日の夜、レアリアからの連絡を届けに来たエヴェンは「だから会うなって言っただろ」とぞんざいな感想を述べてきた。
酒瓶を片手にアージェのいる部屋にやって来た男は、黒い揺り椅子にふんぞりかえって座る。
アージェは受け取った瓶を開け中身をグラスに注ぐと、それを男に手渡した。
「って言われてもな。体がなまってたからちょうどいい」
「なまった状態で二対一かよ。自信過剰にもほどがあるだろ」
「日課の訓練くらいはしてる」
アージェが言い返すと、エヴェンはわざとらしく肩を竦めた。
「ミルザはあれで中々強いぞ。第一お前、年下の女相手に剣振るえるのか?」
「あ、俺、割とそういうの平気。形式に則った勝負なら尚更」
「傭兵やってるとその辺は強いか」
エヴェンは少しだけ感心したような目を向けてきたが、アージェにとっては感心されるようなことでもない。
第一、ザルムシスとミルザは、クラリベルを盾に彼を脅迫してきたのだ。
手加減する気にはなれない上、そのような余裕もないだろう。
不機嫌を隠しもしないアージェを、エヴェンは酒をあおりながら見やった。
「お前、飲まないの?」
「酒はあんまり」
「酔うと陽気になるとか」
「多分変わらないから。飲ませようとするな」
腰を浮かしかけたエヴェンをアージェは手を上げて制止する。
何やら口の中でぶつぶつ言いながら座り直した男を、アージェは白い眼で眺めた。
いつでも陽気に構え、真意を見せない騎士。その裏に隠されたものを青年は考える。
「あのさ」
「何だ?」
「先代女皇のディアドが死んだ件について聞いたんだけど」
「ああ、あれか」
変わらぬ声音での相槌。しかしそこに一滴、何かの感情が加わった気がしてアージェは男を注視した。
ゆっくりと椅子を揺らす男は、高い鼻梁の上に酒の入ったグラスを掲げる。
「それで? 父親の仇、とか言いたいわけか?」
「いや全然。ただ何があったのかと思って」
「何もないさ。面白い話はな」
「面白くない話は?」
「山程ある」
エヴェンは反動をつけて椅子から立ち上がった。黒に近い灰色の瞳が僅かな威圧を帯びてアージェを見下ろす。
そうしていると、この男は確かに貴族であるのだろう。人の上に立つ者としての正統な風格が見て取れた。
寝台に座るアージェを前に、エヴェンはグラスを手にしたまま皮肉げな笑いを見せる。
「ただな、それらは皆過去のことだ。今はもう関係ない」
「あんたのことも含めて?」
「どうだろうな。俺のことはどちらでもいいさ。けどそれ以外は大方過去のことだ。生きている人間にとってはな」
濃い色のグラスに口をつける仕草はひどく優美であった。しかし男の口元には自嘲が浮かんでいる。
「今の陛下のディアドだった男……ネイって言うんだけどな。
 奴は確かに過去逃げ出した。でも俺はそれを許せないと思いつつも、仕方ないとも思う」
「仕方ない?」
「ああ。ただそれも昔のことだ。もうない。お前は心配する必要もない。過去に拘りたいってなら話は別だが」
「拘りたくないし、心配もしてない」
「なら別にいいだろ。これからディアドになる奴は、陛下のことだけ考えていればいい」
―――― ディアドにはならないと、反射的に言いかけてアージェは口を噤んだ。
何となく今この場にあってそれを口にすることは、よくないことに思えたのだ。
エヴェンは帰るつもりなのか、グラスだけを手に扉へと向かう。アージェはテーブルに残されたままの酒瓶を指した。
「瓶、忘れてる」
「やるよ」
「要らないって」
「勝てよ」
さらりと付け加えられた言葉。エヴェンは扉に手をかけたまま笑う。
「絶対勝てよ。陛下にご心労をかけるな」
「……無茶言うなよ」
「なんなら俺がザルムシスを闇討ちしてやろうか?」
「どう考えても俺が疑われるからやめろ」
「なら勝て」
穏やかとも言える微笑。短い声援を残して男は出て行った。
アージェはそのまま寝台に身を投げ出す。
「過去のこと、か」
皆がそれを引き摺っている。月が投げかける己自身の影のように。
だがそれを振り返るか振り返らないかはまた異なるのだろう。
アージェは天蓋に向かって両手を上げると、その手の生み出す影の下、目を閉じた。






決闘の日は受け取った連絡によると五日後になったということだった。
その状況に気を使ってくれたのだろう、全ての予定が取り消されたアージェは、勘を取り戻す為にほとんどの時間を訓練にあてる。
未だ買い換えていない剣についてはどうしようかと思ったが、エヴェンが屋敷にある剣を貸してくれた。
丁度良い長さを重さを持つ剣は、どうやら銘ありの名剣であるらしい。手に馴染むというまでにはいかなかったが、問題なくそれを扱える程度には振りを確かめることが出来た。アージェは最後に、少しは体を休めた方がいいだろうと、前日になってユーレンを訪ねる。
相変わらず愛想のよいファリシアに迎えられた青年は、図書室で資料にかじりついている男へと手を振った。
「調子どう?」
「……ああ、こんにちは」
ぼんやりとした様子で顔を上げたユーレンは、アージェが向かいに座ると休憩を入れることにしたらしい。とっくに冷め切ったお茶を音を立てて啜った。後からやってきたファリシアがそれに気付いて小間使いにお茶を命じる。
しかし、学問第一の男にとってはお茶が熱かろうと温かろうとどちらでもいいのだろう。ユーレンはよい話し相手が来たとばかりに、調べていたことについて語り出した。
「実は前回の遺跡での件で疑問に思っていたのですけどね、死者の残滓が残るということはどういうことなのかと」
「どういうことなんだ?」
「本来、人の死後その精神が残るなんてことはありえないことなんですよ。
 精神は肉体に寄るものですから、肉体が滅べば共に消えるしかない」
「そうなんだ」

―――― 人は死ねば、何も残らないの。残るものは――――

「そうなんです。ですが、メルサルスは『神が望まれた』と言っていたでしょう?
 つまり、そこには神の力が働いているとしか思えない。
 神が選出者たちの精神を繋ぎ止め、各神具の守護者としているんです」
「……なるほど」
相槌を打ちながら、しかしアージェは何かに引っかかりを覚える。
本当に精神を繋ぎ止められているなら、何故ディスヴィウェルドは自分のことを「残滓」などと言ったのか。
遺跡に残る王。成長しない女。
暗い夜の森で聞いた「彼女」の呟きが甦る。

―――― 残るものは、ただの、絞りかすだわ

黒い澱と白い残滓。「針」に残るダニエ・カーラと神具の守護者。
相殺しあう二つの意味するところがもし、相反する同一であるのなら。



「どうかしました?」
ファリシアの声。思考を中断させられたアージェは顔を上げる。
怪訝そうな目をした女に覗き込まれ、青年は意識を取り戻そうとかぶりを振った。
「何でもない」
「そうですか? ならいいんですけど」
形になりかけた思考は、既に霧散してしまっている。
アージェは気遣わしげな二人を順に見やると立ち上がった。
「俺、もう帰るよ。明日は城に行かないといけないし」
「何かあるのですか?」
ファリシアは、まだお茶も出していないのにとでも言いたげな顔になったが、アージェは苦笑して補足する。
「ちょっと女皇立会いの行事に出ないといけなくなった。……ああ、髪くらい切ればよかったか?」
レアリアはそういったことは気にしないであろうが、他に立ち会うであろう人間たちには身なりを気にする者もいるに違いない。アージェは少し伸びた前髪を指で引っ張る。
ファリシアはそれを聞いて小首を傾いだ。
「ああ、『成り損ない』の陛下の?」
「―――― え?」
聞き返す。
言葉より先に、頭の中が白くなった。
ファリシアの顔が、羞恥で染まる。
「ごめんなさい、ついはしたない言葉を……」
「そうじゃなくて」
神の国。
女皇はその代理人だ。
人々の信仰は篤く、平和は当然のものとして保たれる。
神の力で。神は不完全ではあり得ない。
だからレアリアは
―――― 私が欲しかったものは、
痛む頭。アージェは掌でこめかみを押さえる。ファリシアが驚いて肩に手をかけた。
「どこか具合でも……」
「何でもない」
「医者は」
「要らない。……もう帰る。邪魔した」
それだけを言って、アージェは足早に帰路へと着く。
美しく整えられた街並み。緩やかな坂道を上りながら彼は、「陛下のことだけ考えろ」と言ったエヴェンの言葉を思い出していたのだった。