二と一 129

守りたいの。
あなたはそれに協力してくれる?






決闘という名の制裁は、昼前に城の広場にて行われることになった。
朝から城内の一室を控え室として与えられたアージェは、訪ねてきたコデュと軽い挨拶を交わす。
まもなくケレスメンティアから出て行くという男は、勧められた椅子を前に「すまない」と頭を下げた。
「僕たちのせいで君がこんなことに……」
「気にしないでください。俺個人の問題ですから」
苦笑するアージェに、しかしコデュは溜息混じりに肩を落とす。
青年は身に染み着いた動作でお茶を淹れながら返した。
「いずれはこういうことになったんだと思います。今まで俺は逃げ続けてきたわけですから」
「けどその立場を君が望んで得たわけじゃないだろ?」
「そうですけど……それを言ったら、レアもきっと同じでしょう」
この国に来て一月半、アージェはまだ神の国と言われるケレスメンティアの空気を肌身に感じてはいない。
それは貴族の屋敷で半ば保護されているからという理由の為だけではなく、きっと彼自身がそのような異文化に触れようとしていないからなのだろう。
だからアージェは、今までこの国を「レアリアの国だ」とさえ思っていた。
けれど彼女は統治者であっても支配者ではない。
些細な傷一つで軽んじられてしまう。そしてそれを当然のことと思っている人間は多いのだ。
アージェはしかし、彼女を取り巻く不条理に消しがたい苛立ちを覚えていた。
お茶を出されたコデュは、長身の青年を瞠目して見上げる。
「それはつまり、女皇の騎士になるつもりがあるってこと?」
「分かりません」
少しずつ見えてきたもの。だが自分がそれによって変わるのかどうかは分からない。
何か一つでも口にすれば言葉を追って変わってしまいそうで、アージェは「定まっていない」と言うことしか出来なかった。
コデュは柔らかな同情の目で青年を見る。
「そうか……なら、君にとっていいと思える方に転ぶことを祈っているよ」
「ありがとうございます」
茫洋とした時間。戦う前の緊張を、お茶の香りが薄めていく。
アージェは窓辺に置いた時計を一瞥し、時間を確認した。
部屋を出なければならない時間まであと十数分。彼は茶器を片づけようと立ち上がる。
―――― 何の前触れもなく部屋の扉が開かれたのは、その時だった。
一言の断りもなしに部屋に入ってきた男。四十代半ばと思われる彼は、誰かに見られることを厭うように急いで扉を閉める。
アージェとコデュは目を丸くしてそれを見やった。
「誰?」
「怪しい者じゃない。陛下から面会の許可は得てきた」
男は言いながら一枚の書面をアージェに差し出す。
そこには確かにレアリアの名前が男の面会許可と共に記されていた。アージェは男の名を読み上げる。
「ルゴー・ベルザ? この家名って……」
「ああ。私はミルザの父親だ」
「そんな人間が何しに来たんだ? 娘を傷つけるなとでも注意しに来たのか?」
「違う」
アージェの問いに否定を返したルゴーは、ひどく急いているようにも見えた。
決闘の時間が迫っていることを気にしているのかもしれない。焦燥を帯びた目がアージェを見つめる。
ぶつかり合う緑の瞳。
―――― その時男は、息を詰めたようだった。
言葉が消え、真っ直ぐな視線が彼に向けられる。
瞳の奥を覗き込んでくるルゴーは、まるでアージェの中に誰かを探しているかのように遠くを眺む目をしていた。
それきり黙り込んでしまった男に、青年は訝しむ視線を向ける。
「何?」
「……ああ、いや、すまない」
「いいから用件を言えよ」
万が一遅刻でもしようものなら、ザルムシスは不戦勝などと言い出しかねない。
先を促すアージェに、ルゴーは大きく頷いた。
「用件は他でもない。これからの決闘のことだ」
「ミルザが何か?」
「違う。ザルムシスの方だ。あいつは君に対して転呪を使おうとしている」
「転呪?」
聞き覚えのない単語にアージェは首を捻った。
青年はコデュを振り返ったが、それについては彼も知らないらしくかぶりを振ってくる。
ルゴーは二人の疑問に答えた。
「私たち一族にのみ伝わる術だ。異能を相手から吸い出し自分のものとする―――― 容易く使ってはならない術だ」
「あ、そんなのあったのか」
ならば話は早いと納得しかけたアージェの肩を、しかし男は両手で掴む。真剣な目が青年を射た。
「最後まで聞きなさい。この術には条件がいくつかある。
 一つは術者と被術者が共に異能者であること。もう一つは術の最中、被術者が大きく移動しないこと。
 そして最後に、澱との相性だ」
「澱との相性?」
「ああ。私たち異能者は、多かれ少なかれ澱に触れて、それを力の発端とする。
 しかし体内に澱を取り込んでいる場合、その澱には異能者との相性があるのだ。
 相性が合わない澱を無理に取り込めば、取り込んだ人間は精神と肉体に歪みが生じる。
 最悪の場合待っているものは……死でしかない」
思ってもみなかった内容。それを飲み込んだアージェは、目をしばたたかせた。
「つまり、ザルムシスが俺の異能を取り込もうとして、相性が合わなかったら死ぬのか?」
「その可能性はある」
「そりゃ大変だね」
後ろで聞いていたコデュが暢気な声を上げる。
しかし実際、そのことに緊迫感を覚えないのはアージェも同じだった。
相手はクラリベルを使って彼を脅してきた人間だ。術が失敗して死ぬとしても自業自得としか思えない。
けれどあっけらかんとしているアージェに、ルゴーは深刻な声音で付け足す。
「まだある。―――― 逆に術が成功すれば、被術者は元の力が強いほど精神に痛手を負うんだ。
 君くらいの異能者であれば、そのまま廃人になりかねない」
「…………まじで?」
決闘の結果廃人になるなど、さすがに予想の範囲外である。
唖然としてしまったアージェの肩を、ルゴーは強く握った。
「だからこそこの術は長い歴史の中でも用いられた例が少ない。
 陛下もまさかザルムシスがそのような術を使うとは思っていらっしゃらないのだろう。この決闘に許可を出された」
「……俺が頼んだからだ」
アージェのことになると二つ返事で許可を出すという女皇は、ミルザかザルムシスが決闘について申し出たとしても、決してそれを許しはしなかっただろう。ただアージェ自身が願ったから許可した。そしてアージェは、クラリベルを守る為にそうせざるを得なかったのだ。
表情を消した青年を前に、ルゴーは真剣な顔で頷く。
「私は転呪のことをミルザから聞いた。あの子にもああ見えて迷いがあるのだろう。
 ただこれを陛下がお聞きになれば、きっと決闘は中止になる。もし君がそう望むなら私が陛下に―――― 」
「いや、いい」
ルゴーの話を遮った声は、重く冷えたものであった。
驚きから覚めたアージェは首を横に振る。
「中止にしないで欲しい。俺にも事情がある」
決闘が中止になれば、ザルムシスはクラリベルに報復の矛先を向けるかもしれない。
そうなるくらいならば、自分が危地に立たされる方がよほどましだ。
固い意志を持って逃げることを拒絶するアージェに、ルゴーは息を飲む。
「それでいいのか」
「構わない。向こうだって命の危険があるんだろう?」
「……ああ」
「ならいい。条件は同じだ」
命を賭して勝敗を決する。それは女皇の影となる人間にとって、決して過ぎた行いではないだろう。
少なくともザルムシスにはその覚悟があって勝負を挑んできた。その覚悟は評価してもいいと、アージェは思う。

ルゴーが肩に置いていた手を下ろすと、アージェは振り返ってもう一度時計を見た。
魔法で動いているらしい飾り時計は、そろそろ決闘の時間が迫っていることを知らせている。
コデュもそれに気付いたらしく、窓辺に置いてあった長剣を鞘ごとアージェに渡してくれた。
手早く装備を確認する青年を、ルゴーは静かな眼差しで注視する。
「君は……異能を使えるのだな」
「何だよ、急に。最低限はな」
「私は、もしかして私がそれを担うのだろうかと思っていた」
「は?」
男の声は、後悔に似たものに彩られていた。意味を取れずに眉を顰めるアージェを、ルゴーは懐かしむような目で見やる。
「彼女は強い人間だった。だから私に期待をかけるような不確かなことはしなかったのだろう。
 異能者としても、彼女の方がずっと優秀だった。私はただ血に甘えていただけだ」
「……あんた、何言ってるんだ?」
「君にその力の使い方を教えた女性のことだ」
きっぱりとした言葉は、アージェの内心を確かに揺らした。
或いは揺れたのは彼ではなく「彼女」の方だったのかもしれない。
ルゴーの手が彼の顔に伸びる。瞳の色を確かめるように添えられた手。その指先は微かに震えていた。
「君の異能が強力であるのは、彼女がそれを望んだからだ。
 そして今も彼女は君の中にいるのだろう? そうでなければ二人分にはならない」
「あんたは……」
アージェも疑ってはいたのだ。
王の残滓やダニエ・カーラ、今まで対面してきた人ならざる者たちが既に死した人間であるのなら、「彼女」もやはりそうなのではないかと。
だがそうだとしても、何故今のような状況になっているのか分からない。
アージェはそれを知っているのであろう男を、真実を問う目で見返した。ルゴーはそれに応えて口を開く。
「単純なことではない。だが偽りでもないだろう。つまりこういうことだ。
 ―――― 彼女は君を生んだ女、エイディア・ザグティス。先代女皇のディアドをつとめたルドリスの妹だ」






決闘場所として選ばれた広場は、城の回廊に四方を囲まれた中庭のような空間に位置していた。
平らに均された地面。奥には壇が重ねられ、小さな石の玉座が置かれている。
そこに座す女は、現れたアージェを見てほんの僅か、眉を曇らせた。しかし仕草としては緩やかに立ち上がる。
白い手に握られた皇杖。その先に光る水晶球が土の上に白い光を反射した。美しい声がさざめく広場に響く。
「準備は」
「大丈夫だ」
女皇の確認に、アージェは黒い左手を上げて応えた。既に待っていたザルムシスとミルザが彼の方を見る。
血で血を贖う争い。単一ならざる影を引いて進む彼らは、そうして今この時、一堂に会した。