朽ちぬ果実 133

そうしてディテルは人々の中から、秀でた王、腕の立つ剣士、狙いを外さぬ弓手、発想に長けた魔法士など十一人を選ぶと、彼らに神具を与えた。
選ばれた者たちは深い感謝と共にそれらを押し戴き、やがて己の国に帰っていったという。
最後に神の場に残ったものは、平定を委ねられたクレメンシェトラであり、彼女には一つの国が与えられた。
女皇となったクレメンシェトラは神に仕えし者たちの軍を率いて、まもなく起こった国同士の大きな争いを収めると、皇国ケレスメンティアの名を広く知らしめたという。

ケレスメンティア口承全覧 第一集より





剣の打ち合う音が高く響く午後、空には飛ぶ鳥の姿もない。
強力な結界によって人だけによらずあらゆるものの侵入を防いでいるそこは、大陸でもっとも長い歴史を持つ皇国の城であった。
白い外壁を背に、城の敷地内に配された広い訓練場。
そこでは昼夜を問わず騎士や神兵たちが剣技を磨く為に励んでおり、その腕前の水準は大陸一とも言われる程である。
彼ら剣を以て国に仕える者たちは、ほぼ全員がケレスメンティアで生まれ育っているが、中には例外もいる。
その筆頭とも言える青年は、この日五度目となる手合わせにおいて、五度目の敗北を迎えているところであった。彼は喉元に突きつけられた剣先を目だけで見下ろす。
「まじで? 勝てないんだけど……」
「甘いぞ、若輩」
エヴェンは剣を下ろし、秀麗な顔でふふんと笑った。
昼前からずっとアージェ相手に連勝を重ねているこの男は、女皇の親衛隊の筆頭騎士でもある。
ディアドとなったばかりのアージェは、身近に思わぬ壁があることに気づいて顔をしかめた。
「あんた、本当に強かったんだな」
「弱いわけがあるか。陛下をお守りしなくちゃいかんのに」
「それ、遠回しに俺に嫌み言ってる?」
「直接言ってるだろ。お前一度ちゃんと正統な剣技習った方がいいぞ。
 我流もいいけど、決闘とか騎乗での戦闘とか場合によっちゃそれじゃ通用しない」
「うーん」
傭兵を師に持ち、自らも傭兵をしながら実戦で腕を上げてきたアージェは、自分の剣が騎士の正統から遠く離れているという自覚はあるが、それが致命的であるとまではやはり思えない。
ダルトンなどは己の剣で充分騎士たちを上回っていたのだ。
「迅雷」ほどになれるとは限らないが、現時点でエヴェンに勝てないからといって、それが正統の剣技を知らないせいだとは思いたくなかった。
アージェは練習用の剣を鞘に収めると、額にかいていた汗を拭う。
気温は涼しいくらいなのだが、気を張って連戦していた為、体の中は熱くなっていた。
青年は呼吸を整えつつ、城の建物に向かって戻り始める。エヴェンがその隣に並んだ。
「俺が剣を教えてやろうか」
「なんか知らないけど、陛下があんただけは絶対駄目だって仰ってただろ」
「ほんの冗談だったんだよ……。陛下、お前のことになると本気でお怒りになるからな」
どのような冗談を言ったかは分からないが、エヴェンが主君相手に余計なことを言い出すのはいつものことだ。むしろこの男はそうやってレアリアに睨まれることを楽しんでいるようにさえ見える。
アージェは肩を竦めてその話題を終わらせると、外回廊から建物の中に入った。主人のいる執務室へと向かう。



アージェが彼女の騎士になってまだ二週間、宮廷での生活は慣れないことだらけである。
細かい作法など勿論分からないが、それ以上に信仰が当然のものとして根付いているこの国は、事あるごとに神への感謝や祈りの聖句を口にせねばならないらしく、信仰心のないアージェを早速閉口させていた。客人として滞在していた頃には関わらずに済んでいた多くの儀礼が圧し掛かり、それら一つ一つを把握するだけで脳が沸き立ちそうである。
そのような彼の現状を見抜いているのか否か、「ディアドになった」とだけ連絡したケグスは「気楽にやれよ」と書簡で返してくれていた。
そうは言っても到底気楽にはなれない状況、複雑な道のりを経て何とか執務室に戻ってきたアージェは、文官の詰める控えの間を通り過ぎ、直接奥の扉を叩く。
普段は予定にない来訪者はここで文官の取り次ぎを経なければ女皇には面会出来ないのだが、ディアドである彼だけは別だ。彼はいついかなる時でも直接女皇に会う許可を得ている。
むしろディアドが彼女の傍にいるのは当然のことであり、「訪れる」と言うよりも「帰る」と言った方が正しいかもしれない。
そのような訳でレアリアのところへと帰ってきたアージェは、「入りなさい」という返事を受けてすぐ扉を引いた。中に入ろうとして、けれど異様な雰囲気に気づく。
室内にいた三人の重臣たち、服装から言って神官や貴族なのだろうと伺える中年の男たちは、皆が皆、苦い顔をしてレアリアを見ていた。
うちの一人がアージェを振り返り、じろじろと全身を眺めてくる。
一方のレアリアは既に彼らからは視線を外しており、机上の書類に目を通していた。彼女は気配でアージェが入ってきたと分かったらしく、顔を上げぬまま三人に言う。
「どうしたの。話は終わりと言ったでしょう。早く出ていきなさい」
「陛下……」
鋭く冷ややかな声は、レアリアに関しては決して珍しいものではないらしい。
その険に押された為か、彼らは溜息をつきながら踵を返した。最後の一人がすれ違いざまアージェに言う。
「せいぜい心してお仕えするんだな。陛下のご希望に逆らわぬように」
捨て台詞と取っていいのかどうか、すぐには判別出来ない言葉。
アージェは三人が部屋を出ていくと、閉まる扉を振り返った。
「何だありゃ」
「ご、ごめんなさい……」
たどたどしく謝罪する彼女は、先程までと同一人物とは思えない。
アージェは「謝るなよ」と主人に返すと、部屋の奥にある椅子に腰を下ろした。
レアリアはそのような彼の姿を少し嬉しそうに、少し悲しそうに見やる。



ケレスメンティアの女皇たち、神の血を継ぐとも言われる彼女たちは、神代から現在に至るまで多くの謎めいた話を体現してきた。
その一つは、彼女たちが例外なく第一子に次代の女皇となる娘を産んできたことである。
いつの時代であっても、どのような夫であっても、彼女たちは男児を産むことは決してない。
それだけでなく、彼女たちからは二人以上の子は産まれないのだ。
女皇は娘を一人だけ産み、あとには子を身篭ることはない。
結果、女皇という存在にはいつも、己の母と子以外に近しく血を分けた相手は存在しないのである。
これは他国がしばしば血族同士で玉座争いを繰り広げるのに比べ、皇位争いというものが起こる余地がない、まさに神の采配と言っていいものだろう。神の代理人の座は争われるものではない。それはいつでも最初から定められているのだ。
もう一つは、女皇にはディアドと呼ばれる騎士が付き従うことである。
彼らは、他に類似した能力を見ない特殊な異能者の一族から代々選ばれ、一生を女皇と共にする。
女皇の影と言われ時には代理ともなる騎士は、そうして己の血を受け継がせながら自らの主君に仕えていくのだ。
神代より続く国において、途絶えたことのない二つの血脈。
―――― それらはしかし、今この時においていささか不穏な影を見せ始めていた。



執務をする女の横顔を、アージェはじっと眺める。
光そのもののような白金の髪は、右側で一つに束ねられていた。肌の色もまた抜けるような白で、近づけは血管が透けて見えそうである。
普段ヴェールに隠されている貌は、才のある人形師が一生を賭して作り上げたもののように繊細な美しさを帯びていた。
赤い花弁で色をつけたような唇。時折長い睫毛が揺れるのを見なければ、彼女が生きた人間であるということさえ忘れてしまいそうである。
アージェはしかし、そのような美貌の主君を冷静な目で観察していた。
エヴェンから聞いた「女皇は代々短命だ」という言葉。
それを改めて確かめてみると、確かに多くの女皇が三十代半ばで亡くなっているようだった。
長く生きた女皇でも四十二歳。中には娘を産み落としてすぐに亡くなった女皇もいる。
特殊な血のゆえか否か、彼女たちは総じて長く生きられない。アージェはそれらの事実を知って愕然となった。
レアリアは現在二十歳。平均を見ればあと十数年しか彼女に残された時間はない。
それはようやくディアドとなった彼にとって、喜ばしい事実では少しもなかった。
逸れない視線。レアリアは見られていることに気付いたのか、僅かに頬を紅潮させ彼を見返す。
「何? どうしたの?」
「いや……陛下は童顔だから大丈夫だよな」
「……アージェ、あの、私それにどう返せばいいの?」
「何でもないです。失礼しました」
二人だけの時はまだ崩れがちな言葉遣いは、徐々に直すようにしている。
他に人がいる時には決してくだけた態度は見せない。
傭兵あがりの無作法者と彼自身が見られることはよくても、それがレアリアへの侮りに繋がるようなことはあってはならないのだ。
手持ち無沙汰な彼は一旦控えの間へと出て行くと、用意されていた茶器を手に取る。
初めは自分で飲む為にその分を隣室で淹れていたのだが、レアリアはそれを知ると「自分にも欲しい」とねだるようになった。
女官が淹れるものよりも苦味のあるお茶。
それを分け合って無言で飲む間は、彼らはまだ失われた時の中にいるように思える。
レアリアはアージェがカップを持って戻ってくると、嬉しそうにそれを受け取った。
彼は元の椅子に戻ると、湯気にくすぐられて目を閉じる。
―――― 本当は、もっと多くを見てから再び彼女の前に立つつもりだった。
この国の現状を、そして自分に課せられたものを見てから、自分たちの関係を問い直そうと思っていたのだ。
けれど結局彼は、今ここに、彼女の傍らにいる。
そのことに、知っているべきことを知らぬまま来てしまったような不安を抱かないわけではなかったが、残された時間の短さを思うとこれでよかった気もした。
「アージェ」
「何ですか?」
「何でもない」
透き通った目を閉じて、レアリアは微笑む。
その美しい貌は幼子のようにも、また死を見据えた老人のようにも見えたのだった。