白の新床 147

「皇配候補の面談?」
聖堂奥の通路から女皇の執務室へと戻ったアージェは、最初の話でクレメンシェトラからそう伝えられ目を丸くした。
歩きすぎたせいか、疲れた表情で長椅子に横たわっている彼女は頷く。
「そうだ。ガージリアという小国が現在隣国からの侵攻を受けている。
 それをケレスメンティアに止めて欲しいようだ。代わりに第二王子を差し出すからとな」
「何だそれ。そんなの普通断るでしょう」
いくらケレスメンティアが皇配を出した国に庇護を与えるといっても、実際火の粉が降りかかってからそれを申し出てくるとは厚顔にも程がある。
憤然とするアージェにクレメンシェトラは笑って手を振った。
「こちらには前例があるからな。一人の男の為に戦争に介入したという」
「……それってまさか」
「そのまさかだ」
二年前の一件を思いだし青年は苦い顔になる。
イクレムの侵攻を受けたログロキアを、ケレスメンティアが土壇場で救ったという前例。
それはさすがにアージェのことだけが原因ではないのだろうが、他国にどのような情報が流れているかはまた別問題だ。
主人の前でなければ悪言を吐き出しそうなディアドを、クレメンシェトラはくすくすと笑って見やる。
「こちらも皇配が欲しいということは事実だ。重臣たちも気にしていることであるしな。無碍に断るということも出来ぬ」
「だからって何もそんな」
「ならばお前が代わるか?」
悪戯っぽい目を向けられ、アージェは閉口した。
女皇はそのようなディアドの様子に小さく噴き出す。青年は冷えた目を主人に向けた。
「何ですか」
「いや、そこまで嫌がらなくてもよかろうと思ってな」
「その体はあなたのものではないでしょう」
「だから厭か? それもディアドの務めと思うことは出来るだろう」
「レアは俺の主人だ。他者の思惑で彼女をどうこうしたりはしない」
機嫌の悪さを隠しきれずアージェが言い捨てると、クレメンシェトラは穏やかに微笑んだ。
紫色の瞳が長い睫毛の下で水面のように揺れる。
「レアリアは大事にされているな。羨ましいことだ」
「何ですか、それは」
居心地の悪い空気。それは、アージェがクレメンシェトラを理解していないが故のことだろう。
だがこれからも理解しようとは思わない。彼は母親と同じ轍を踏む気はなかった。
レアリアと同じ顔で微笑する女は、ひどく眩しいものに対するように目を細めてアージェを見上げる。
「不器用で的外れな男だとは思うのだがな」
「的外れ……」
「方向性が違うというか。融通が利かぬな。気も利かない」
「…………」
散々に言われ、ディアドの青年は押し黙る。
言い返したいことがないわけではないが、反論しても平行線になる予感がする上、相手は一応主人でもある。
アージェは慇懃無礼に「至らぬところが多々あり申し訳ありません」とこの話を打ち切った。
改めて今回の件について女皇に問う。
「それで、皇配候補の面談については如何いたしましょうか」
「お前を私の代理として行かせるのが無難だろうな」
「俺が?」
そのようなことを任されても何をどう判断すればいいのか分からない。
第一、本当に自分に判断を任せるというなら、面談をする以前に彼の国の現状を問題視して断りたくなる。
―――― そう表情に出すアージェを、長椅子に寝そべったままのクレメンシェトラは可笑しそうに眺めた。
「長所も短所も、お前が見て感じたことを全て私に伝えてくれればいい。
 それを以って私は判断しよう」
「それでいいんですか?」
「構わぬ。欲も感傷もなく役目を果たせる人間かどうか、私が知りたいのはそれだけだ」
白い指が執務机の上を指す。
そこに歩み寄り当該書類を手に取ったアージェは、一通り目を通して頷いた。
クレメンシェトラは更に「具体的なことはシンと詰めろ」と付け足す。
国を離れる間、女皇を一人にしなければならないことは不安だが、城の仕事であれば転移が使えるだろう。
彼は長椅子の上で目を閉じたクレメンシェトラに、掛布を持ってこようと控えの間へ向かった。
その背に女の呟きが触れる。
「レアリアは、お前がつける傷ならば喜んで受け入れるだろうよ」
答える意味もない言葉。
アージェは彼女の述懐を無視すると、重い木の扉を押し開いた。



ガージリアの件については急を要するということで、ディアドが行くことが決まった翌日には訪問の手筈が整えられていた。
転移門を開く約束の時間まであと二十分程という時刻、移動用の部屋で待機するアージェは、随伴者のロディと今回の件について意見を交わす。
ディアドとなってから初めて国外に出る青年は、訪問先への不信を最初から滲ませていた。棘のある目で部屋の石床を見下ろす。
「大体さ、こんな風にケレスメンティアに期待しないで、もっと侵攻に普通に対応するとか、そういうのしないのかな」
「してるようだ。が、自力ではどうしようもないと諦めているんだろうな。
 敵国のクアイスはケランをはじめ数ヶ国と同盟を結んでいる」
「だとしてもこっちがその相手をしなくてもいいとは思うんだけど。
 いくら陛下に悪評がついてるからって、こういう申し出が通用するならきりがなくないか?」
「仕方がない。こちらとしては国外から皇配を迎える方が問題が少ないからな」
「何で? 皇配ってほとんど権限がないんだろ?」
窓のない石造りの部屋。ひんやりとした冷気を感じさせるそこは、今は壁際に立つ彼らの他に壮年の文官と神官が一人ずついるだけである。
訪問の為に書類を確認する彼らにも、アージェの話は聞こえているのだろうが、忙しなく働き回る男たちは何の反応も見せない。
ロディは苦笑した。
「権限はないが、一応次代女皇陛下の父親となるわけだから。何もないはずがないさ。
 現に他国の場合はケレスメンティアの庇護を得られるわけだしね。
 ―――― 例えば皇配自身には明文化された多くの制限があるんだが、その親類縁者にはそういったものはない。
 結果、皇配を臣民から出す場合、その家族は閑職に回されることが通例になっているんだ。
 あらかじめ余計な権力闘争を起こさないようにって配慮だよ」
「何か面倒だね」
呆れ声の感想を挟むと、ロディは肩を竦めた。
「愚かさを防ぐ為に別の愚を曝さなければならないのは人の業だろう。
 実はエヴェンも数年前、皇配にならないかと一等神官から打診を受けたんだが、そういう訳で断ってる」
「エヴェンが?」
アージェは妙に馴れ馴れしい騎士の男を思い出す。
確かにあの男であればレアリアとも親しい。家柄の点でも申し分ないと、周囲が考えるのも無理はないだろう。
青年はちりちりとした自身の苛立ちを怪訝に思いつつ、冷たい壁に寄りかかり直した。佩いている剣の柄が石壁に当たり固い音を立てる。
その時、一つしかない扉が開いて神兵たちが数人入ってきた。
移動の時間も近いのだろう。アージェは簡単に自分が身につけている正装を確認する。
「何がどうなるのかまったく予想がつかないな」
「君の判断に任せるよ。今回はそういうことになっている」
ロディは部屋の中央に歩み出ると、転移門を開く準備をし始めた。
床の窪みに嵌められていく球状の空結石。ケレスメンティアでしか採掘できないという白濁した魔法具の石をアージェは眺める。
それらは円状に設置された端から淡い光を宿し、お互いに影響しあっているようだった。
十二個全てを嵌め終えたロディは、その一つ一つを細かく調整し始める。
アージェは何だか分からない作業を目で追っていった。
―――― 緊張しているというわけではない。ただ荷が重く感じていることは確かだ。
初めて女皇代理として振舞うことになった青年は、そうして気鬱なる迷いを抱えたまま、存亡の危機に立たされた小国を訪ねた。






『彼が来るわ』
童女のような喜びの声。自身の中で笑う女の声に同調して、イリデアは笑みを刻んだ。薄く開いた目で天井を見上げる。
「どうするの? ガージリアにはもう少しクアイスと潰しあって欲しいのだけれど」
『好きに殺しあえばいい。あなたたちにはそれが許されているわ』
判断を委ねられたイリデアはゆっくりと寝台から体を起こす。
王太子の客人である彼女に与えられた部屋は、充分過ぎるほどに豪奢なものであったが、彼女からすると趣味の悪さが目についた。
イリデアは乱れてしまった髪を手で整えながら立ち上がる。部屋の隅に置かれた姿見の前に立ち、そこに映る女を覗き込んだ。
よく見知っているはずの美しい女。だが今のイリデアには自分の貌が妙にぼやけて見える。
それは、別の女の意識が彼女の意識を揺るがしていることに関係あるのだろう。イリデアは頭痛を覚えて額を押さえた。
『どうしたの?』
「少し……黙っていて、お願い」
『眠ってしまえばいいわ』
「嫌よ」
意識を手放してしまえば、その間彼女の体は勝手に動かされる。
それはされたくないと抗うイリデアに、女は愉悦に満ちた含み笑いを零した。
イリデアはその響きに恐怖を覚え、首を左右に振る。
「待って……駄目よ。まだやらなければならないことが」
『やっておいてあげる。あなたの国以外をぶつけあわせればいいんでしょう?』
「そうだけれど、でも待って。ケレスメンティアには」
圧し掛かるような眠気。
頭は割れそうな程に痛いにもかかわらず、強烈な睡魔が襲ってくる。イリデアは鏡に両手をついて呻いた。
抵抗を試みたのも数秒。
彼女は脆くも床の上に崩れ落ちる。
そうして次に閉ざされた目が開かれた時、そこにはひどく傾いた光が宿っていた。
女は確かめるように両手の指を握って開く。頭の奥で嗚咽を零す意識に対し、くすくすと笑いかけた。
「泣かなくていいの。ちゃんとやっておいてあげる」
上流階級であることを示す美しい女の手。
彼女は自身のものではない指を弾いて、そこに火花を起こした。
十一人の選出者のうち、唯一「物体としての」神具を授けられなかった女。
代わりに膨大な魔力と知識を与えられたダニエ・カーラの残滓は、歌うように詠唱を口ずさみながら掌に構成を生んだ。その出来を目を細めて確かめる。
「楽園を知らない肉体と魂は不自由ね……。まぁいいわ。しっかりやっておいてあげる。
 ―――― クレメンシェトラの国など、さっさと滅んでしまえばいいのよ」