白の新床 148

国境を越えて侵攻してきたクアイス軍は、昨日入った知らせでは城都から馬で五日程の湖畔に駐留しているらしい。
ケレスメンティアが面談に訪れる当日、ガージリアの宮廷は面談についての情報をクアイスに流すか否かで割れていた。
情報を流してクアイスの進軍を牽制すべきだという意見と、そのようなことを教えて逆上されても困るという意見。
二つの意見は平行線を辿り、結局は「面談の結果が分かるまでは何をしようもない」という結論に行き着いた。
右往左往するばかりで一向に建設的な方面へ進まない一連の会議を、面談の主役たるハドスは苦々しい思いで振り返る。
クアイスが本格的に侵攻を開始してからというものの、ガージリア城の決定は一向に実を得ない。
進軍路にある領地の領主たちが反撃を試みたり、地方砦の駐留軍に城からの応援を向かわせて侵攻を食い止めようとしたものの、クアイスは同盟国からの支援を得ているのか難なくそれらを撃破し、結局のところ城は有用な対抗策を打つことが出来ていなかった。
せいぜい出来ていることと言えばケレスメンティアとの面談を取り付けたくらいで、それさえも元はと言えば王太子が連れてきた新参の女の意見である。
平穏を望むあまりに、いつの間にか頭の中まで鈍ってしまったのか。
ハドスは兄をはじめとする中枢部の無能と、何よりも自分の凡才を疎んだ。
そのような事情に振り回され、婚約を破棄することになってしまった幼馴染のことを思う。
―――― 一昨日話をした時、彼女ははじめ驚き、事態を理解すると静かに泣き出した。
ハドスを責めることなくただ涙を落としていた彼女の顔を思い出す度、胸が痛んで仕方ない。
だがそういった個人の感傷も、国の為には忘れ去るべきものなのだろう。
彼は着替えの為の部屋に居残り、自分よりも十近く年下だという女皇代理の到着を待った。袖口に刺繍された蔓薔薇の紋様を見やる。
「ケレスメンティアからの使者が到着した」との知らせが部屋の扉を叩いたのは、その十分後のことだった。



宮廷の内部など、何処も大差ないように見える。
それは偽らざるアージェの本音であったが、小声で口にしてみたところ後ろから足を蹴られた。
騎士の正装に身を包んだ青年は眉を顰めて背後を睨む。
「何するんだよ」
「ディアドとしてあるまじき発言が聞こえたからだ。この愚か者め!」
「何でお前が来てるわけ。小言係か?」
苦情を言われたミルザは細い肩をいからせた。
アージェの着ている服とは色や細かい装飾が異なるものの、騎士の服を小柄な体に着込んだ少女は、苛立ちの濃い目で腹違いの兄を睨む。彼女は呆れ顔のアージェをびしびしと指差した。
「陛下の代理であるお前が粗相をしては陛下の御名に障るだろう! だから私がついてきてやったのだ」
「別に要らない」
「何を貴様……」
「まぁまぁ」
いがみあう二人の間にロディが割って入る。
彼は同伴の神兵や文官の顔色を見つつ「いつ案内の人間が来るか分からないから」と若い兄妹を平等に諭した。
アージェは平然と、ミルザは膨れ面で頷く。
小言係の妹から解放された青年は、窓から対面に見える茶褐色の建物を眺めた。
「……確かにケレスメンティアやイクレムよりはこじんまりしてる感じだけどな」
「そうだろうそうだろう。―――― 何故イクレムの宮廷など知っているのだ?」
「昔猟奇殺人犯と間違えられて捕まったことがある」
「き、貴様は……っ!」
「はいはいはいはい」
ロディの手をすり抜けて掴みかかってこようとするミルザを、アージェは軽く手であしらった。彼は少女の額を手で押さえて近づけないようにしながら、その顔を冷ややかな目で見下ろす。
「服が乱れるだろ。いい加減落ち着け」
「お前は心根からして乱れているのだ!」
「もう一回痛い目あわせるぞ」
一向に収まる気配のない口論。
しかしそれも、外から扉を叩く音が聞こえ中断された。
跳び下がるミルザを見もせず、アージェは背後へ向き直ると「どうぞ」と声をかける。
すぐに侍女らしき若い女が扉を開き、彼を見て一礼した。色素の薄い目をした彼女は、脇に下がって場所を空ける。
控えの間に通されていたアージェたちを迎えに現れたのは、ガージリアの騎士と文官が一人ずつであった。
アージェよりは数歳年上であろう騎士の男は、服装で代表者と分かる青年の若さに驚いた顔をしたが、文官の方は表情一つ変えずアージェの前に歩み出る。
「この度はご足労くださり有難うございます」
「陛下の命を受けて参りましたので、当然のことです。
 早速で恐縮ですが、第二王子の方にお会い出来ますでしょうか」
「ご案内致します」
ガージリアの文官が一礼して踵を返すと、ケレスメンティアの神兵たちがそれに続いた。
自身も歩き出そうとしたアージェは、しかしすぐ後ろのミルザを振り返って眉を寄せる。
少女は今までの剣幕も何処へやら、ぽかんとした顔で兄を見上げていた。アージェは他の人間に聞こえぬように問う。
「何だよ」
「いや……普通に振舞うことも出来るのだな」
「出来なかったら陛下にご迷惑だろ」
何を言うのかと言い捨てて青年は歩き出す。
堂々とした姿勢のよい後姿。ミルザはロディに肩を叩かれるまで、その背をぼんやりと目で追っていた。



通された部屋は、赤と金を各所の装飾に使った謁見用の広間であった。
色合いが強すぎて過度な華美さを感じさせる室内。アージェは部屋の中を顔を動かさずに確認する。
室内で彼らを待っていた人間は、ある程度の地位があると思しき壮年の男たち四人に加えて、二、三十代に見える男が二人。
おそらくその二人が王太子と第二王子なのだろう。外見からして王族と分かる男二人は、立ち上がってアージェたちを迎えた。
年長の男が、社交的な笑顔を見せて両手を広げる。
「ようこそ、いらしてくださった。私が王太子のグラム・エク・ハリス・ガージリアだ。
 このガージリアにケレスメンティアの方々を迎えられるとは光栄に思っている」
「恐縮です、殿下。本日は女皇陛下の代理としてわたくし、アージェ・ザクティスが参りました。よろしくお願いいたします」
「随分とお若い騎士で驚いたが、女皇陛下もお若い方であったな。私の弟と話があえばよいが」
王太子はそういうと隣に立つ弟を見やる。
兄よりは精彩に欠く印象の男は、何処か疲れたような目でアージェに向かうと
「ハドス・エク・イスレ・ガージリアです」
と己の名だけを名乗った。
まるで覇気のない様子に、アージェは「ミルザがディアドだったらここで失格にしそうだな」と感想を抱く。
そのミルザは彼の背後にいる為、表情は見えないが、彼女が静かであるに越したことはないのでアージェは振り返らなかった。
他にも双方の主要人物が自己紹介を済ませてしまうと、場は表面的には歓談の場へと移る。
護衛の神兵たちが隣の部屋へと出て行き、室内にケレスメンティアの人間はアージェたち兄妹とロディ、そして壮年の文官だけになった。
はじめから実務的な話は専門の文官に任せるつもりだったアージェは、真紅の皮が張られた椅子に座りながら、仮に婚姻が成立した場合の細かい話についてじっと耳を傾ける。そうしながら第二王子ハドスの様子を観察していた。
明るく笑っていれば瀟洒と見ることも出来る佇まいのハドスは、しかし政略結婚の場とあってか固い緊張の表情で相槌を打つだけである。
ただそれも、今回の件に自国の命運がかかっていると思えば無理もないことだろう。
アージェは肘掛に頬杖をつきたくなるのを我慢しながら、テーブルに広げられた書面の一枚を手に取った。
細かい話が終わったのか、文官が彼の方を見るとアージェは口を開く。
「失礼ながら貴国は現在隣国からの侵攻を受けておられるようですが」
「……ええ」
「もし今回の件が成立しなかった場合、それに対してはいかなる手をお打ちになるおつもりですか?」
それはアージェが個人的に気になっていることでもあるが、ディアドとして相手の反応を見る為に聞いておきたいことでもある。
率直な質問を投げつけられた王太子は、この時初めて僅かに顔を強張らせた。それまで笑顔でよいことしか話して来なかった反動か、その「僅か」がやけに目立って見える。
「いくつか手を考えてはいる。もちろん戦を回避して解決出来るのなら、それが一番とは思うのだが」
「ごもっともです。……ハドス殿下のご意見をお伺いしてもよろしいでしょうか」
アージェが矛先を変えると、ハドスはますます表情を曇らせた。「気鬱」と書いて貼りたいくらいの様子で口を開く。
「実のところ、我が国はクアイスとはよい関係を保っているものだとばかり思っておりました。
 そのため何故今突然攻め込まれているのか、その理由もはっきりせず……。
 攻め込まれる方が悪いという意見もありますでしょうが、それだけで終わりたくはない。
 私は一度交渉の場を設け、その理由について聞いてみたいと思っております。まずはそこからだと……」
「攻め込まれた理由が不可解だと?」
「ええ。数ヶ月前にケランを盟主とした同盟の誘いをクアイスからかけられ、断ったという一件はあるのです。
 ただその時はクアイスも好意的に納得してはくれたのですが」
「クアイス以外の同盟国が後からそれを問題視したのかもしれませんね」
言いながらアージェはしかし、今回の侵攻に他の同盟国は手を出していないらしいとの情報を思い出していた。
特にめぼしい物がある訳でもない小さな国。豊かな国土という表現にはほど遠い森ばかりのガージリアに、何のゆえがあってクアイスは突如攻め込んできたのか。
戦乱が珍しくもないこの大陸において、多くの戦争は民から見れば「理由なく」起きる。
だが実際のところ―――― どのような戦であっても理由はあるのだ。
それがどれほどくだらない些細な理由であっても、戦端が開かれた原因はある。
それはアージェが傭兵として過ごした時間とディアドになってからの短い期間で学んだことで、しかし感銘を受ける真実ではまったくなかった。
彼は軽くハドスを見返すと、その様子を観察する。
女皇の夫になろうかという男はますます沈んだ目で書類の広げられたテーブルを見下ろしていた。