白の新床 149

続かなくなってしまった会話が誰のせいなのか、その原因を追求するとしたらそれはアージェかハドスのせいだろう。
話を弾ませる気もないディアドの青年と、何処か心ここに在らずといった感じの王子。
二人を中心として今回の面談は、進む先を半ば見失いかけていた。
気まずい空気を気にしてか、王太子がしきりに女皇への追従を述べるが、アージェはそれに形式的な相槌を打つだけである。
青年は、背後に立っているミルザからの冷たい視線を気にもかけず、平然とした目でハドスを観察し続けていた。ふとその視線を下げて、出されていたテーブルのお茶を見やる。
席に座った当初はよい香りを漂わせていたカップはしかし、今は僅かな湯気も漂わせてはいない。
万が一何かが混入されている可能性を考えて、アージェは出されたものに手をつけていないのだが、王太子はその視線に気付くと壁際の女官に手を上げた。女官はすぐに主君の意図を察して部屋を出て行く。
おそらくお茶を入れ替えてくれるつもりなのであろうが、それが無駄になってしまうことは明らかだ。
断る機を逸したアージェは心の中で「勿体無い」と思いつつ、黙って椅子に座りなおした。
王太子がにこやかな笑顔を作り問うてくる。
「女皇陛下は夫となる者について、こうであれば好ましいなどということを仰っていただろうか?」
それは本気でレアリアの希望が聞きたいというより、ケレスメンティア側の姿勢について軽く探りを入れたいが為のものであったろう。
だが、アージェは質問をあえて額面のまま捉えた。クレメンシェトラから聞いていたことを答える。
「欲も感傷もなく役目を果たせる人間かどうかが肝心だと」
「な、なるほど……」
そういう点で見るならば、ハドスはいささか感傷が強い性格にも見える。
アージェはクレメンシェトラが彼についてどう判じるか、まったく予測が出来なかった。
その時新たなお茶を盆に載せた侍女が戻ってくる。
―――― 青年がささやかな異変に気付いたのは、目の前にいる王族二人の表情がそれぞれ瞬間で硬く変じたからだ。
王太子は怒りと苛立ちに、ハドスは驚きに己の目を見開く。
突如生まれた不審な間。
彼らの見ているものが共に一人の人間だと気づいた時、アージェは手を上げて近づいてきた盆を留めた。
危うく傾きすぎて彼にかかりそうだったお茶の壷が、反対側に揺れてがちゃりと音を立てる。
ミルザの手が若い侍女の肩を掴んだ。アージェが振り返ると、少女は怒った顔で口を開きかけている。
しかしその言葉が形になるより先に、王太子が音を立てて立ち上がった。
「大変失礼した! とんだ粗相を……」
「何もされていませんよ。大丈夫です」
アージェの返答は半ばミルザに向けられたものである。
少女は青年の声に込められた注意に気付くと苦い顔で手を引いた。
肩を強く掴まれていた侍女は、しかし何の痛みも感じていないかのように茫洋と視線を巡らす。薄い色素の瞳が罅割れた窓のように周囲を映した。アージェが彼女の手から盆を取り上げようとした時、けれどテーブルを回ってきたハドスが彼女を抱きかかえるようにして部屋の隅に連れて行く。その様子に驚くアージェたちの視線を遮るよう、やはり立ち上がった王太子が彼らの横に立った。
彼は両手を広げてぎこちない笑みを見せる。
「少々休憩を入れても構わないだろうか。宮廷内を案内させよう」
「はぁ」
気のない返事をしてしまった青年は、ミルザからの圧力が発生する前に「よろしくお願いします」と言い直した。
王太子は急きたてるようにして彼らを室外に出す。すぐに先程案内をしてくれた文官が飛んできて、一同は一旦元の控えの間へと戻された。



慌しい移動後、案内の準備をすると言ってガージリアの人間が退出してしまうと、ミルザは憤然とした様子で吐き捨てた。
「何なのだ! あの女は!」
「疲れてたんじゃないか? ぼうっとしてたし」
「あれは最初から茶をかける気があった!」
怒り心頭といった様子のミルザは、放っておけば頭から蒸気を出しそうである。
アージェはその様子を面白く見守りながら、椅子の背に寄りかかって腕組みをした。美しい絵の描かれた天井を見上げる。
「これ、断ったら陛下の御名にまた瑕がつくかな」
「そうかもしれんが、お前がディアドなのだ。気に入らぬ点があるというならそう陛下にお伝えすればよかろう」
「気に入らないっていうかさ。あんまり乗り気でも腹立つけど、あそこまで嫌そうなのもどうかと思わないか?」
―――― 自国が心配であるのは分かるが、あまりにも女皇へと向かう気持ちが少なすぎる。
クレメンシェトラはそれでもよいと言うだろうが、アージェはハドスの態度の端々が気になった。最後に侍女を連れて行った時に見せた、困惑と悔恨の横顔が思い出される。
ディアドの青年はきちんと整えられた髪の中に手を差し入れ、乱暴に掻き回した。
「そもそも俺は……」
本当ならば、レアリアが出産をする前に何らかの手を打ちたかった。
彼女の体を疲弊させることなしに、クレメンシェトラから解放する―――― しかしそう考えてからというものの、彼の進もうとする道はことごとく閉ざされているような気がする。
今では当のレアリアさえ眠ったままだ。青年は緑の瞳を曇らせた。
このままケレスメンティアのディアドとして動くことが本当にレアリアの為になるのか、改めて迷いを覚える。
アージェは、隣にいるミルザにも聞こえぬほどの小声でぼやいた。
「大体何だってクレメンシェトラは残滓にされなかったんだ……?」
「知りたい? 教えてあげようかしら」
「は?」
唐突な女の声。
その問いかけを聞いたミルザが素早く振り向き剣を抜いたにもかかわらず、アージェの反応は一瞬遅れた。
それは彼だけがこの場にあって問題の声に聞き覚えがあったからだろう。
青年は信じられないという思いと嫌な予感を同時に抱きながら、剣の柄に手をかける。聞き間違いであればいいと思いながら振り返り……そして淡い期待を打ち砕かれた。
「何でこんなところにいるんだ」
「あなたを待っていたのよ」
亜麻色の長い髪を無造作に垂らした女。黒い瞳のコダリス王女は、そうしてアージェに向かい不吉に微笑んだ。

「コダリスの野獣」と揶揄される国王シャーヒルの愛娘イリデアは、非常に美しい容姿を持った女性であり、外見上は父親とまったく似ていない。
だが実際を言えばその中身は、一筋縄ではいかない毒花のような女であった。
アージェ自身、以前彼女のたくらみに関わり遺跡の奥で殺されるところだったのだが、彼はその一件の際彼女が「どうなったのか」をリィアに聞いて知っていた。
突如部屋の隅に現れた不審な女に対し、神兵たちは剣を意識しながらさりげなく動いて包囲網を作る。
ロディが無詠唱で両手を広げ、ミルザが一歩を踏み出した。
アージェは油断なく剣に手をかけながら、部屋の角に立つ女に確認する。
「それで? お前はどっちだよ」
「どういう意味かしら」
「どっちの名で呼べばいい? イリデアか…………ダニエ・カーラか」
女がアージェと旧知らしいということで様子を見ていた他の人間たちは、その名を聞いて顔色を変えた。
ミルザとロディが同時に彼の方を振り返る。
「どういうことだ!」
「彼女はダニエ・カーラなのか!?」
その詰問にどう説明すべきかアージェが眉を寄せると、女はにっこりと笑った。
「どちらでも、好きに呼べばいいわ、カルド」
「ダニエ・カーラの方かよ……」
心底疲れたかのような青年の溜息に、彼女は片目を瞑ってみせる。
女は白い指を弾いてそこに青い火花を生み、神兵たちを牽制した。艶かしい声がアージェの耳を撫でる。
「それよりカルド、クレメンシェトラについて聞きたいの?」
「独り言を聞くなよ」
「あなたがそれを知らないはずがないのに。―――― クレメンシェトラはね、裏切り者なのよ」
「は?」
「貴様っ! 初代陛下を侮辱するか!」 
剣を手にミルザが前進する。神兵を押しのけて女に向かおうとする少女を、アージェは慌てて肩を掴んで留めた。
「待てって。危ない」
「放せ! このような侮辱を受けて黙ってられるか!」
「黙ってられなくても黙ってろ!」
青年は少女の口を押さえると、そのまま後ろに引き摺る。
そうしてダニエ・カーラと距離を取りながら、彼は嫣然と笑う女を眺め渡した。
「イリデアの意識は残ってるのか?」
「仲良くしてるわ」
「なら、ガージリアが攻め込まれてるのはコダリスの思惑のせいか?」
彼の確認に、ロディが緊張の面で振り返る。
一方問われた本人は屈託ない様子で頷いた。
「そうみたい。勤勉なことね」
「やっぱりかよ」
理由がないように思われた侵攻も、別の側面から見れば答が明らかになる。
クアイスの属するケランの同盟はコダリスと敵対していた。
そしてコダリスは、同盟の力を削り取る為にか、ガージリアを自国の盾として仕立て上げたのだろう。
計算違いがあるとしたらガージリアが消極的な姿勢を示したせいでクアイスに蹂躙されかかっているということで、だがそれでコダリスが痛手を受けるわけでもない。アージェは事態の面倒さに顔を顰めた。
彼は気分で動いているダニエ・カーラよりもむしろ、コダリスの人間であるイリデアの意図を探ろうと女の顔を注視する。
「ケレスメンティアに接触してきたのは、お前の考えか?」
「イリデアが、あまりにもこの国が打たれ弱いから味方を与えてやろうかって」
「迷惑だよ」
「ごめんね、カルド」
成熟した大人の容姿でダニエ・カーラは童女のように首を傾げた。その不均衡さが見る者に忌まわしさを抱かせる。
アージェは暴れるミルザを羽交い絞めにしながら、かつては自分の中に眠っていた女に問うた。
「クレメンシェトラが裏切り者ってのは、どういうことだ?」
「あなたがそれを聞くの? 全部忘れてしまった?」
「知らないんだよ。教えてくれ」
率直な言葉で頼むと、ダニエ・カーラは嬉しそうに目を輝かせる。
彼女はこのように自分を頼られることが好きなのだ。それを知っているアージェはこのまま穏便に情報だけを引き出そうと考えていた。
その後のことはどうしようか、頭の片隅で考える青年に女は笑って手を伸ばす。
「なら全部教えてあげる。―――― あなたが私と一緒に来てくれるなら」
「へ?」
「私のものになりなさい、カルド。そうしたら私を全てあげるから」