幸いなるかな 179

紅い閃光は、まるで場違いな衝撃そのものとしてアージェたちの進む遥か前方で炸裂した。
唖然としたのは一瞬、すぐに隣でレアリアの声が聞こえる。
「まさか神具を」
「神具?」
先程「ダニエ・カーラ自身が神具のようなものだ」と言っていた時とは異なる意を感じさせる呟き。
それを聞いて、アージェは即座に大体を察した。白煙が立ちこめ騒ぎになっている前方を見やる。
「あいつ……まさか神具を発掘したのか!」
「アージェ! 前に行くわ!」
言うなりレアリアは馬の腹を蹴った。
彼女の前にいた人間たちはぎょっとして道をあける。
後ろから制止の声も上がる中、女皇は自ら馬を駆り、白煙の上がる軍の先頭へと進んでいった。
その後をアージェは追う。
「どきなさい! 場所をあけるのよ!」
ヴェールをかなぐり捨て強引に前へと進む女は、壮絶な怒気に溢れていた。
アージェはその横顔に驚きつつも、巧みに馬を操って彼女の前へと出る。そうして自らが先行して主人の為に道を開けていった。
彼らを見た神兵たちは目を丸くしたが、それが先程の閃光に関係していると察したのだろう。次々左右に避けていく。
まるで波を割っていくような光景。けれど二人が強引に走り始めてまもなく、行軍の為に固まっていたケレスメンティアの陣形は整然と両横へ広がり出した。
強烈な遠距離攻撃による一掃を避ける為、ガイザスが陣を分けたのだろう。双頭を持つ蛇のように動き出すその裂け目で、岩山のような軍部総将は声を張り上げている。男の隣にアージェは並んだ。
「状況は?」
「遠距離魔法に結界を突破された。先頭の小部隊が吹き飛んでいる。魔法士の被害も多い」
「それは私が止めるわ。あなたはコダリス本隊を食らいなさい」
二人の男の後ろで馬を止めたレアリアに、ガイザスは軽く目を見開いた。
しかし男はすぐに礼をすると、自ら二つに分けた一方の指揮を執る為に馬首を左に向ける。
漂ってくる物の焼け焦げる臭い。前方に上がる白煙の下からは動かない人馬の手足が垣間見えた。
アージェは主人を振り返る。
「陛下!」
「アージェ、隣に回って! 次の攻撃を引き寄せる!」
レアリアは鞍につけた鞘から細身の剣を抜いた。
刃身全てが空結石で出来ているそれは、まさにケレスメンティア以外には存在しない宝剣と言っていいものだろう。
僅かに白濁した半透明の刃を、彼女は両手で支えて掲げ持つ。
青紫の両眼が強い赤味を帯びて変じた。女の口から理解出来ぬ言語での呪が紡がれる。
遥か前方から二度目の閃光が放たれたのはその時だった。
二手に分かれコダリス軍へと向かうケレスメンティアの、左右どちらかでも潰さねばまだ兵力差は覆されていない。
そう思い左手側に撃たれたのだろう閃光は、しかし見えざる手に掴まれたかのようにレアリアのいる中央部へと湾曲して走る。
近くにいた別の騎士が叫んだ。
「陛下! 危な――」
レアリアは動かない。
荒地に白煙を上げながら走ってくる紅い光刃に、アージェは主人を押しのけ自分が前に出るか迷う。
しかし光刃を睨む彼女の目は、割り込むことを許していなかった。
目前に迫る赤光。その瞬間、周囲の空気が変わる。
呪を唱えることをやめたレアリアは、真っ直ぐに光刃を見据えた。
先程数十人を吹き飛ばした閃光が彼女へと襲い掛かる。
「レア!」
馬上の細い体を跳ね飛ばすかと思われた光は、けれどレアリアの目前で止まった。
ほとんど幅はなく、ただ高さは建物二階分程もある光刃は、不吉な光を放ちながら音もなく空中で制止している。
その異様な光景に周囲からは慄きと感嘆の声が洩れた。
ただ一人でそれを受け止めるレアリアは再び呪を再開する。変化はそこから生じた。
光刃がゆっくりとその大きさを縮めていく。忌まわしく揺らめいていた赤い光が弱弱しくなり、徐々に小さくなっていった。
まるで急速な減衰が起きているとしか思えぬ様相。アージェは主人の横顔に視線を移し、白い額に汗が浮かんでいることに気づいた。
圧力を受け止め、飲み下しているかのような女皇の表情は、けれど酷く静かである。
そこには先程見せた怒気もなく、ただ白皙の頬を汗だけがゆっくり伝わっていった。小さな唇から細く長く息が吐き出される。
赤い光刃は、その息に吹き消されるようにしてついには跡形もなく消え去った。
まるで奇跡のような光景に、息を飲んで見守っていた周囲がわっと沸き立つ。
アージェはしかしそれに同調することなく馬を寄せ、よろめきかけたレアリアを支えた。
「陛下」
青年の胸にもたれかかり息を整える女は、赤紫の瞳のまま彼を見上げる。彼女は溜息混じりに囁いた。
「……あまり何度もは出来ないわ。クレメンシェトラが起きてしまう」
「ならその前に神具を」
「ええ、でも」
―――― 神具を壊せるのは継承者だけだ。
そしてケレスメンティアの陣中に、直系の継承者は今はアージェしかいない。
まさか女皇を連れてコダリス軍の中になど切り込めない現状、神具を破壊しに向かうには彼女の傍から離れなければならないだろう。
アージェは分かってはいても、そのことに強い抵抗を覚える。いつかそうして彼女と離れ、結果重傷を負わせてしまった記憶が甦った。
しかし刹那の逡巡を読み取ったのか、レアリアは微笑する。
「私は大丈夫」
「陛下」
「行って。そして戻ってきて」
短く強い命令は、しかしお願いに近いものであったのかもしれない。
アージェはその声に、初めて彼女と遺跡に入った時のことを思い出した。懐かしさに口元が綻ぶ。
「必ずや」
乱れた白金の髪を撫で、彼は手を放した。振り返り、追いついてきた女皇の護衛たちに後を頼む。
「俺は神具を壊しに行ってくる。その間陛下を頼んだ」
「神具!? ……いや、分かった。神兵を何人か連れて行くか?」
「要らない。すぐ戻る」
左右に分かれたケレスメンティア軍は、既に前方でコダリス軍と衝突を始めているようである。遠くから剣戟の音が聞こえてきた。
なおも彼らの両脇を走っていく部隊。まもなく本営を残し味方は完全に二手に分かれきるに違いない。
アージェはそれ以上を確認せずに手綱を取った。右に分かれる部隊と並んで先の戦場へと駆ける。
乾いた風。馬蹄の上げる砂埃と鉄の臭い。聞き馴染んだ怒号と悲鳴は、彼を安堵させはしなかったが、不安も煽らなかった。
ただ酷く静かな道が、前から後ろに自分を貫いているようである。
線のような虚のような一筋。それはいわば剣と似たようなものだ。彼は左手の手袋に歯を立ててそれを取り去ると、胸元から短剣を取り出す。細い一振りを腰に差し直した時、戦闘が起きている方向で紅い閃光が炸裂した。
先の二射とは違い、近距離で着弾したらしき光。位置からしてあれでは両軍共に被害が出ているだろう。
アージェは舌打ちすると走る速度を上げた。
「使ってるのはダニエ・カーラか?」
神具はものによって継承者にしか使えぬものと誰にでも使えるものがあるらしいが、自軍を巻き込むようなところで神具を使う人間などダニエ・カーラかアリスティドくらいしかいないであろう。
そしてダニエ・カーラがそれを振るっているとすれば、彼女はいつレアリアを殺しに来るか分からない。
その前に彼は神具を破壊せねばならないだろう。アージェは手綱を強く握りなおす。

馬を駆る彼の目に前線の戦況が見えてくる。
神具を避けて二手に分かれたケレスメンティア軍は、それぞれコダリスの両翼と衝突しているようだった。ところどころで魔法の光が弾けている。
アージェは先程閃光が見えた方角、右側の前線へと馬を向けた。隣を行く本隊の中から彼を呼ぶ声が上がる。
「兄! 何処へ行く!」
「ミルザ」
騎士として本隊に組み込まれていたミルザは、単騎で前線に向かう兄を見て自らも隊列を抜け出てきた。
アージェは自分と並走する妹に、目だけで後方の本営を示す。
「ちょうどいい、お前陛下のところへ行っとけ」
「兄は!」
「俺は神具を壊しに行く! ダニエ・カーラが動き回る前に」
ミルザはそれで全てを察したらしい。何も言わず思い切り手綱を引くと兄の来た方へ馬首を返した。
同じ血を引く兄妹は戦場を逆方向に分かれていく。
アージェは多少和らいだ後顧の憂いに苦笑しつつ、だがすぐに表情を引き締めた。迫り来る戦場に長剣を抜く。
懐かしい空気。彼は目を細め、狙いを定めた。神兵たちとコダリス兵が入り乱れる只中に馬を乗り込ませる。
突如飛び込んできた単騎の青年に、分厚い戦斧を振るっていたコダリスの戦士が顔を向けた。
先程の閃光の余波か、男の目には既に狂乱がちらついている。
男は神兵の首元から斧を引き抜くと、それを向かってくるアージェへと振りあげた。
しかし青年は前進を止めない。アージェはむしろ馬足を速めると、直前で男の左側に抜けるよう手綱を繰った。戦斧が振り下ろされるより早く男の喉元を切り裂く。噴き上がる血は彼の行き過ぎた後ろを濡らした。
更に進んだアージェは混戦の中、女の姿を探して視線を巡らす。
しかし辺りは敵味方が入り乱れ、残る白煙もあってあまり視界はよくない。
馬の蹄が地に転がる死体を踏み、骨を砕いて軽い音を立てた。
青年は、間をおかず横合いから斬りかかってきた敵兵の剣を強く弾く。 相手が態勢を立て直す前に、その手綱を切り払った。
たちまち馬上でよろめく兵に、別方向から槍の穂先が突き出される。
アージェは落馬する男の横をすり抜け、声を張り上げた。
「ダニエ・カーラ!」
その呼び声に、彼女が応えると思っていたわけではない。
ただダニエ・カーラは、アージェに気付けばまず彼を狙ってくるだろう。
四方全てが騒々しい殺意に溢れる戦場で、彼は自分に向けられるそれを探して意識を広げる。
狂ったような雄たけびを上げて向かってくる槍兵を剣であしらい、その頭を兜ごと叩き割った。

近しい二箇所で起きている衝突のうち、アージェのいる側の方がより混沌と化していることは確実だ。
敵味方の死骸の上で戦う彼らは、自分たちがいつ謎の閃光に飲まれるかを恐れて武器を振るっている。
それは強靭な精神を持っていたはずの戦士たちまでもを半ば死兵に変じさせ、戦は始まったばかりにもかかわらず、既に血腥い泥沼へと陥りかけていた。ケレスメンティアの指揮官も、神具の存在がなければ一度後退して立て直しをはかりたいと思っただろう。
アージェは一刻も早くこの状況を変えるべく、混戦の中を剣を振るって進んでいく。
辺りに残っていた白煙は、ようやく全てが晴れようとしていた。
その向こうで燻る黒い瞳が彼を見つめる。
傾いて歪な花。銀の腕甲を嵌めた右手がゆっくりと上げられた。
青年の横顔に向けて真っ直ぐに狙いを定めた角先で、空結石が赤く光り始める。