天高く謳う 196

クレメンシェトラに捕らわれているレアリアを取り戻す。その為にはどうやらあの黒い短剣を取り戻すことが先決のようだった。
アージェはとりあえずの目標に納得して頷く。
「じゃ、あれをまず回収で。ただクレメンシェトラが持ち歩いてると厄介だな。今は戦場か?」
「違う。城だ」
「城?」
兄の反問にミルザは軽く指を鳴らす。
「コダリス戦時のことがあるからな。今回は陛下が戦場にいらっしゃることを皆が反対したのだそうだ。
 陛下は今、城におられる。砦の転移陣を使って行けばよかろう」
「なるほど」
それならば場所も把握でき、なおかつ戦場よりも人目につかずにいられるだろう。アージェは寝台から立ち上がった。
「よし、ちょっと行ってくる」
「平気か? 兄」
「おかげで休めたからな。何とかなるだろ」
アージェは部屋の壁に立てかけてあった長剣を取りに行く。それはネイが神兵の服などと一緒に調達してきたもので、兵たちが使うごく普通の剣であった。 青年はそれを腰に留めつつ、少女を振り返る。
「あと、行く前にちょっと確認したい」
「何だ、兄?」
「ダニエ・カーラだ。今少し起こせるか?
 ―――― あいつならどうしてカルディアスが選出者から外されたか知ってるだろ。それを聞きたい」
推測の裏付けは、これからの状況によっては必要となってくる。
ミルザは少し眉を寄せたが、何も言わず両目を閉じた。ややあってその目が開かれた時、少女は彼女自身のものではない表情で笑う。
「どうしてそんなことを知りたいの?」
「知らないと不味そうだからな。ってか、いい加減神代の影響とかなくなって欲しい。どんだけ昔から続いてんだよ」
「クレメンシェトラが生きている限り変わらないわ」
冷ややかな言葉にアージェは返答しない。ただ同じ問いを重ねた。
「何でカルディアスは選出者から外された? 呪われたのは何故だ」
「神の意に反したから」
「戦争を続けさせようってやつにか?」
「闘争の推奨を批判したわ。神は、カルドの反対に意味があるのか示すように命じた。印として彼には呪いが与えられた」
「なるほど……大体想像通り」
問題は、クレメンシェトラにはその記憶がないということだろう。
剣を装備し終わったアージェは顎に指をかける。
「じゃあ何でカルディアスは放逐されずにクレメンシェトラの騎士になったか、それは知ってるか?」
「知ってる。でもクレメンシェトラはカルドの主人じゃないわ」
「ん?」
「あの女はカルドの監視役だった。カルドはそれを知っていて、だからあの女の傍にいてやったのよ」
不機嫌そうな女の話には感情的な見方も大分混じっているようだったが、真実もまた含まれている気がした。
何故名前を消された選出者が女皇の騎士となったのか、疑問への答を得てアージェは息を洩らす。
「監視が転じて主従になったのか……。でもそれだとしたらやっぱり記憶がないのはおかしいな」
「記憶って何の?」
「クレメンシェトラだよ。あいつはカルディアスが神の命令に何を返したか覚えてない。どうして呪われたのかもな」
あるはずの記憶がなくなっている―――― それを教えるとダニエ・カーラは驚いたような顔をした。
初めて見るその貌はまるで本物の少女のようで、常に執着と狂気の縁に在るような女が確かに人間であることを思い出させる。
彼女はしかし、アージェの視線に気付くと顔を背けた。
「あの女は裏切り者だから。本当のことを言ってるとは限らないわ」
「と言われてもな。前から疑問だったけど、その裏切り者って何を裏切ったんだ? 人間か?」
神代のことが鍵となっているにもかかわらず、その時代に存在した女たちの話は一向に要領を得ない。
自分の知らぬところに致命的な何かはないか、確認しようとする青年にダニエ・カーラは拗ねたように言った。
「クレメンシェトラは神を裏切った。でもその後、カルドのことも裏切ったのよ」
女は素早く目を閉じると少女の面から消え去る。
すぐに戻ってきたミルザは、訝しげな男二人を順に見ると「何だかよく分からないな」と肩を竦めた。

決め手と言える決め手はないが、動き出さなければどうしようもない。
アージェは軽装に剣だけを帯びると部屋の扉の前に立った。
「っと、ここ砦のどの辺だ?」
「南東側の角だ。二階」
「なるほど。転移陣の間とは対角線だな」
砦の中央は広場となっている為、転移陣を使うには建物内を半周しなければならない。アージェは頭の中で道順を確認した。
「そういえば、城内への直接転移は出来ないのか?」
「ダニエ・カーラか? 許可を受けていないから結界を破ることになるだろう」
「それは不味い」
アージェはあっさり思いつきを却下すると扉に手をかけた。その後ろに神兵の聖職衣を纏ったネイが続く。
「あんたも来るのか?」
「他にすることがない」
率直な返答はやる気があるのかないのか分からない。アージェは男については放置することにして廊下に続く扉を押し開けた。今は駐留している兵が少ないせいか、左右どちらにも人影は見当たらない。最後に部屋を出たミルザが息をつく。
「兄は秘密の任務に出ていると思われているようだからな。見つかっても咎められないとは思うが、驚かれるだろうな」
「クレメンシェトラに報告が行かないことを祈る」
短剣を見つける前に捕まってしまっては元も子もない。
アージェは手近にあった窓から外の景色を確認すると、現在地を確認した。転移陣の間に向かって走り出す。
現在ケレスメンティアが侵攻を受けている最中ということなら、急がねば事態は悪化する一方だろう。
闘争を煽るクレメンシェトラではなくレアリアが事の采配を握れば、状況は上手く沈静化されるかもしれない。
アージェは腰の剣を確認しながら廊下の床を蹴った。先の方に角を曲がってくる数人の神兵が見える。
彼らはアージェに気付くと顔色を変えた。
「ディアド殿!」
「呼ばれてるぞ」
「止まりたくないな」
そうは言ったものの止まらないわけにもいかない。アージェは速度を緩めると廊下を塞ぐ神兵たちの前に立った。彼ら六人は揃って緊張と困惑の表情を見せている。
「このようなところにいらっしゃいましたか」
「ああ。あと割りと急いでる。用がないなら通してくれ」
「陛下からあなたに城への出頭命令が出ております」
「ならちょうどいい。俺も城へ行くところだ」
平然と返してみたものの、アージェは不味いことになっていると認識した。
クレメンシェトラが彼を城に連れてくるよう命じたのだ。ということはつまり、この神兵たちは牢にいたはずのアージェを探していたということだろう。それが看守を殺して脱獄しているとあっては、罪人だと言っているようなものだ。
彼らは固い空気を醸しだしつつディアドに要求する。
「では私どもがお連れいたしますので。武器をお預かりします」
「やだよ」
「兄……」
背後からの声は彼に決断を促していた。
連行されるかそれを拒否するか。答は考えるまでもない。ただそれには神兵たちを黙らせねばならないという問題があるだけだ。
アージェは手袋を嵌めていない左手を上げて見せる。
「あのさ、俺がこないだ戦場で何やったか知ってるよな?」
「……それは脅しですか?」
「拘束連行される筋合いはない。そっちの出方次第だ。俺はちゃんと陛下のところに行く」
「ですが、あなたは危険だと聞いています」
「ならどけよ」
険しい視線がぶつかりあう。神兵は緊張を窺わせながらも、きっぱりとアージェに告げた。
「あなたが危険であるのは、その異能ではなく思想の為だ。あなたはディアドとしてはあまりにも異端すぎる」
普段であれば神兵などが決して口にすることはない指摘。
けれど青年はそれを聞いても怒りはしなかった。「そうかよ」と乾いた口調で言う。
「ほら、兄。日頃の行いが悪いからいざという時に信用がないのだぞ」
「いやこれ日頃の行いがよくても無理だろ」
「兄が不信心者であることは皆が知っているからな。あいつが悪いと指差せばすぐそうなってしまう」
「俺の場合指差してるのがクレメンシェトラだからな……」
何処か暢気な兄妹の会話は、しかしアージェが初代女皇を呼び捨てにしたところで終わった。
あまりにも不敬な騎士に、険を濃くした神兵たちはそれぞれ武器を抜く。
溜息をつきたそうなアージェの左右で、ネイとミルザもまた剣を抜き放った。
青年は妹の思い切りのよさに若干驚きながら左手を握って開く。
「結局こうなるのか」
「覚悟を決めろ、兄。迷えば後手になるぞ」
「確かに」
クレメンシェトラとの決裂はとうに始まっているのだ。今も各所で戦いが起き、その決着は見えていない。
現状を乗り切るには足を止めてはいられぬだろう。彼は左手から五本の黒糸を生み出す。
「何ていうか……皮肉だよな」
闘争を否定する者が闘争によってその意を示す。その捻れに青年は歪んだ苦笑を零すと、ただ左手を振った。






白い世界は当初からは見る影もない程、罅割れて壊れかけていた。
楔が打たれた位置、庭園を女皇の力によって空間化したそこは、今は背信者の牢獄となっている。
クレメンシェトラは、白い椅子に棘草によって拘束されているレアリアを見つめた。
今は明確に分化している二人は、同じ顔を持ちながら表情には大きな差異が見られる。
平然とした顔をしているのは捕らえられたレアリアの方で、クレメンシェトラは怒りと困惑のないまぜになった目を彼女に向けていた。
レアリアは薄く笑って女を見返す。
「どうしたというの? 何を困っているのかしら」
「……お前が役目を怠ったせいだ」
神代からの年月、何処からの侵攻も許さなかったケレスメンティア。
それはしかし、神の威光と人々の畏怖のみに頼り切って為しえたものではない。代々の女皇が各国を監視し不穏な動きを察知して、多くを未然に防いでいたが為のものなのだ。
しかしレアリアは今回、イクレムとセーロンに対しまったく何の手も打っていなかった。
それが彼女の能力不足かと言ったら違うだろうと、クレメンシェトラは断じている。
何故ならレアリアはコダリス戦が始まる前に民の避難を手配していたのだ。
これはコダリスに負けた時の準備ではなく、はなからイクレムら二国の侵攻を予見してのことだったのだろう。
―――― そう追及すると、しかしレアリアは「さあ?」と笑うのだが。
か細い四肢を、細い躰を、白い棘草で椅子に縛り付けられた女は、軽く首を傾ける。
「もし私が何かをしたと思うのなら、私を外に出してみればいいのではなくて?
 あなたよりも余程上手くやれるわ。あなたにはこの状況を打開する自信がないのでしょう?」
「……これくらいのこと、私にも挽回は可能だ」
「ならどうしてここに来たの?」
皮肉げな反問はクレメンシェトラの痛いところをついていた。沈黙する女をレアリアは憐れむ目で見やる。
「あなたは何もかもに自信がなくなっているのだわ。女皇として采配を振るうことも、平定を命じられた者として大陸を監視することも。
 記憶に欠落があると、もう気付いているのでしょう? 私はあなたの知らないことを知っているわ」
「お前がそれを知るはずがない。神代のことだ」
「いいえ。皆それを知っている。女皇は皆知っていたのよ。強い感情を伴う記憶はあなたと共に受け継がれる。
 それは他でもない、あなたの記憶だったのだから」
静かな断言は、奥底にある扉のことを思い出させた。クレメンシェトラはちりちりと焼け付く焦燥を覚える。震える唇が否定を刻んだ。
「知らない……分からない」
「そう」
レアリアは目を閉じる。まるでクレメンシェトラを見捨てるかのようなその態度は、どちらが虜囚であるのかこの空間にあって曖昧にさせていた。
朽ちていく庭園。彼女たち自身の行く先を象徴するような景色を最古の女皇は見回す。
―――― 侵攻してくる軍。欠落した記憶。神から与えられた使命は確かなものであるのか。
誰に頼ることも出来ぬ彼女は足下のない不安に駆られて目を閉じると、それでも現実を処理する為に壊れ行く空間から離脱した。